この病院の看護師さんは一日、二交替勤務である。日中勤務は9:00〜17:00、8時間。夜間勤務は17:00〜9:00、16時間。ひとりの看護師さんの勤務は夜勤だったり日中だったりする
昨夜の担当看護師・馬場さんは話しぶりが柔らかい。川べりで爽やかな風が流れているとか、庭の隅をみるとクロッカスの花が咲き始めているとかいった風に、ヒトに優しく接してくれるときの自然そのものの穏やかな雰囲気がある
夜中二時ころに目がさめ室内灯を明るくしていたら、馬場さんが大丈夫ですかと入ってきたのでアイスノンを取り換えてもらった。徐々にさがってきたがまだ37度近い微熱が続いている
できるだけ手間をかけないようにしているオノマだが、馬場さんだと遠慮の気持ちがなく頼みごとができる
朝8時、食事と薬を持ってきたときに訊いた
夜中の仮眠は横になれるのですか
仮眠は二時間でベンチのような寝床で横になることができます。スマホをいじるヒトもいます
これから自宅に帰ったあとは寝るのですか
午前中は寝ています
疲れはとれますか
午後に買い物にでますが頭がボーっとしています。買い物から帰ってきてから見ると余計なものを買っていることがあります
馬場さんと入れ違いに山中さんが来た。山中さんはオノマの主担当看護師である。毎回、時間をかけて容態を聞いてくる。親身さが伝わってくる。声が元気なのでこちらも元気になる
ふと訊いてみた。夜勤の疲れはとれましたか。速攻で取れませんと返ってきた
入院してから気づいたことだが、病人が一番せわになるのは医師ではなく看護師さんたちであると痛感している
病人オノマ、基本的には常時弱っているのだが突発的にガクンと落ち込むことがある。その局面を逃がさないように気を張っているから、元気にみえてもみんな疲労の限界にあるのだと思う
いずくにあれ、勤務時間を終えたら疲れがとれるような世界であって欲しい。オノマの元勤務先(日本企業)も例外ではなかった。きつかった。過労が珍しくない職場が多い国は哀しい
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昨日は朝から熱っぽい感じがいつもより高かった
体調が良くないのかなと思っていたのだが、午後四時にケアマネさん、長女、長女の夫くんが来たので訊いたら今日は暑いくらいだと言う。なあんだ体調のせいではなかったのか。オノマ、神経質すぎるか
何故ケアマネさんたちが来たのか
詳しくは知らないのだが、日本の法改正(改悪)があり、長期入院を阻む制度になったらしい。そのため、入院がひと月を越えたオノマは退院しないといけない(らしい)
軍事予算の大幅アップや子育て予算の捻出のためロージンを犠牲にするという路線を走っているのだが、そういうもぐらたたき路線では国民の生きる意欲が減退する、すなわち人口減少はますます進む
退院したあとどうするかの相談をしたのであるが、結論は出なかった。はっきりしているのは自宅で暮らすほどの体力がないということ
連続睡眠、4時間41分。再入眠したいのだがうまくいかない。うつらうつらしている頭の中で色々な考えが交錯して不愉快極まりない
入眠をあきらめた。室内灯をつけた。PCを開いた
昨日は確かめようと思いながら睡魔で確められなかった大相撲春場所、十両十枚目・若隆景はどうなっている。嬉しや、七連勝。頭のなかの不快さがぐんと減った
ドアが静かに開いた。見回りの看護師さんだった。眠れないので云々と言い訳をする。冷やし枕を持ってきましょうかと云うのでお願いしますと答えた
看護師さんとのやりとりは五分だったろうか十分だったろうか。短時間だが看護師さんの親身が伝わってきた。頭のなかの不快さがさらに減った。安井さん、ありがとうございました
神様にもありがとうございました。これからもこんな調子でお願いします
只今の時刻は2024-3-17 (日) 4:49
リクライニングベッド。上半身、斜め70度でPCに向かっていた。これを16度に倒した。アイスノンと普通の枕とを使い楽な姿勢を探す。グッドラック、ミー
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スマートウォッチによると1時間2分眠っていた。この時間に目が覚めると再び入眠するのがやさしくないことを知っている。であれば朝の脱線ついでに血中酸素濃度について知った新知識のことをメモに書いてしまおう
午前中はヤフーファイナンスで株価の動きやコメントをみていた。掲示板を見始めてから二年ちかい。登場する数多の投資家はピンキリであるのがなんとなくわかってくる
NYダウの掲示板には、この人は一日で千万円儲けるツワモノかもしれないと思わせるコメントがある。プロのトレーダーが冷やかしに書いているのかもしれない。知見の深さが桁違いなのだ
吹けば飛ぶよな蚊トンボ・オノマ。日本の株価は年初から急騰し続けていたが三月になってから様相が変わったように感じる。ここ数日は手持ちの銘柄を売って利益を確保する機会が減っている。でも、病床にありながら、か細いながら、世間様とのつながりが許されることを有難く思う
テレビでアルピニストの野口健氏(50)が「徹子の部屋」(月〜金曜 13時〜13時半)に出ていた。昨年9月の登山で、九死に一生を得たという:
野口氏は昨年9月に4度目のネパール・マナスル峰登山に挑んだ。これまで3度、標高8163メートルのネパール・マナスル峰登頂に挑んできたが、いずれも登頂できず、4度目の挑戦中だったという。しかし、ベースキャンプに戻る途中に呼吸困難に陥り、血中酸素濃度が53%に低下に。肺水腫の疑いで、ヘリコプターで救急搬送され、現地の病院に入院した
(酸素吸入器のお蔭で安静にしていれば97〜99%だが、立っていると85%に急降下し息苦しくなるのが治らないため入院が続いている)オノマは 53% と聞いて大いに驚いた。そして勇気づけられた
メモ終わり
NYダウ・ヤフーファイナンス掲示板
]]>スマートウォッチによれば連続で4時間7分寝ていた。2時間ごとに目が覚めるより身体的にも精神的にも楽である
ムリに再眠することもないという気分だったのでPCを開いて世の中のできごとをざっと見まわした
一番の愉しみは友人、知人のFB投稿やブログを読むことなのだが、FBは始まった当初にくらべると質も量も様変わり。気持ちの良い砂浜を散策してた知人、友人の姿は今やプラスチックごみの中に見え隠れするが如し
その点ブログであればお気に入りブログだけを読めば良いから「暴力的」「騒々しく」「薄汚く」なったFBよりは心穏やかでいられる
ところがブログもある時期からツイッターやFBに駆逐され「お気に入りブログ」が徐々に消えていった
家庭の事情で暫く休みますとか、ひとつきで帰ってきますといったっきり
♬ 三年たってももどらない、五年たっても戻らない、フニクリフニクラ―、鬼のパンツは良いパンツ(ん?)・・・・というお気にいりがふえましたねえ。ossさん、大丈夫?
あらら、脱線した
見回りの看護師さんがドアをそっとあけて(PCを)見てるんですねと云った。視力、認知力がとみに衰えているオノマ、名前を訊く。一色さん・・
詳細省略。看護師さんたちは皆あたりが柔らかく親切で有難い。昼番ほどは忙しくない(たぶん)夜番の看護師さんは話しぶり余裕があり、話し方がビミョーに柔らかい
済みません、アイスノン(氷枕)を持ってきていただけますかと頼んだ
夕方になると微熱があがるのをみて看護師が勧めてくれたアイスノンは思ったより体を楽にしてくれる。夜中には効かなくなっていたからちょうど良いタイミングだった。楽に感じる今こそブログを更新するチャンスだ
と思って書き出した「満州の記憶?防空壕に落ちる」は脱線。次回にする
そう書いて(ちょっぴり)感じる罪悪感
でも
「一刻も早く国民のご理解を得たい」と(バカの一つ覚えを)繰り返す岸田文雄さん。国民はいずれ忘れてくれるだろうという本心に国民はうんざりしているのです。裏金=脱税。一刻も早く罪を償うことですよ〜ん
オノマ、サラリーマン三年生。職場のバス旅行。カラオケ大会が始まり、想定外の一番ご指名。そのとき歌ったのがこれ
鬼がお風呂に入る時 とららら〜 とららら〜
きっとパンツを脱ぐでしょう とららら〜 とららら〜
抜き足 差し足 忍び足 とららら〜 とららら〜
そっとパンツを盗ってこよう とららら〜 とららとらら〜
十年はいても破れない 百年はいても破れない
とららら とららら〜 鬼のパンツは良いパンツ
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日ソ中立条約を反故にして日本の各地に侵攻したソ連兵が丸腰の民間日本人に対してなした狼藉のすべてについて記録が残っている筈もない
理不尽な経験は記憶から消し去りたい。記録に残すとか、泣き寝入りすることなく、加害者と戦う力のあるひとは少数なのだと思う
そういう人たちは「エライ」の一語をもってこの話は終わりにするが、ロシヤ人に対する消し難い不信感をもつ日本人は少なからずいる
それを薄めるにはロシア人が自らの犯罪を理解すること、被害者の声なき声をに聴こうとする姿勢が第一歩なのだが、ウクライナに侵攻したプーチンの言いぐさを聞いていると、無理なんだろうな
満州における次の記憶は多分これではなかろうか:
隣家にすむ中国人一家が食料などが入っている籠を塀越しで母に渡していた光景
ソ連軍侵攻の情報を知っていた政府や軍人の家族はいち早く逃げ出したが民間人の多くはおいてけぼりを食らった。敗戦後、満州、中国、朝鮮から日本に引き揚げるまで一年ほどかかった民間人もいて、オノマ一家もそうだったのではなかろうか
ひっそり隠れて暮らすオノマ一家を隣人・中国人が気の毒に思い、助けてくれたのであろう
亡父が生前にポツンと呟くように、中国人は親切(だから仲良くするように)、朝鮮人は頭がいいがずるい(だから用心しなさい)といったことがある
それを聞いたのはオノマが福島県、郡山市の中学生か高校生のころで、まわりに中国人も朝鮮人もいなかった
あれから半世紀がたった今、多くはないが中国人、韓国の知人ができた。彼らの人物像について書くのはやめておこう
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なかなか進まない満州の記憶シリーズ。さいごに書いたのは2924-1-31、 満州の記憶?「黒い豚」
その頃までは我が家をとりまく状況もどちらかといえばのんびりしたものであったのであろうと思う。しかし亡父は戦線の状況がかなり分かっていたのではなかろうかとも思う。何故そう思うかについては機会があれば書いてみたい
「黒い豚」から記憶は暗転する。ソ連が日ソ中立条約に違反、8月9日午前0時(ザバイカル時間)をもって戦闘を開始し、南樺太、千島列島、満州国、朝鮮半島北部に侵攻した。オノマ一家には数名のソ連兵が闖入した
玄関口に雲つくばかりのロシア人数名。幼児オノマは彼らを憎み、兵隊の脚をけり続け、その様子をソ連兵は面白そうに眺めていた。上がり框(かまち)にひざまづいている母の姿もオノマは心の隅で憎んでいたような気がする
屈辱とか怒りとかいった感情が幼児オノマの心に生じた光景が、安倍晋三や鈴木宗男あるいは佐藤優といった連中がロシアに対してとってきた屈辱的な姿勢を許さないでいる
詳細省略。オノマはロシア人が粗雑な野蛮人だと思う。書いても書ききれないだろうから書かない
読者の皆様におかれては嫌な記憶について少しでも書けたことをもって諒(りょう)として頂ければ幸いである
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さきほど前まで訪問歯科医が来ていた。週に一度、歯科医による歯みがきの第二回目
ベッドに横たわったままでいいという。仕事がしやすくなるよう窓際の枕を反対側に移し横になると曇り空と小山が見えた。自然が目に入るのは気持ちが良いものだ
三十分ほどで歯科医が去ると入れ替わりに看護師がぬるま湯の入っている容器を持ってきた。足裏シートを使ったあと、茶色の成分が足裏に残るので洗い落とすのだ。湯はラベンダーの香りがした
足湯の容器を取りにきた看護師が居なくなると今度はリハビリの人が入ってきた。さきほど来たら歯科医さんがいたので明日の午前中に出直すと言われた
昨日の昼過ぎの話。看護師がふたり入ってきた。重症患者が入院することになった、ナースセンターに近いオノマの部屋に入れたい、ついては二つ向こうの部屋に移って欲しいという。二つ返事でオッケー
寝たままで良いといわれ、オノマはベッドごと新しい部屋に運ばれた。テレビ台や小物入れも移った。この間の看護師たちの即断、速攻に感心した。岸田文雄さんとは雲泥の差ですな(笑)
昨日は国会参院予算委員会でれいわ新撰組の山本太郎が能登半島大震災における政府の動きは遅いし不十分だと指摘していたが、岸田首相は(例に寄って)まともな受け答えが出来なかった
半世紀まえの首相・田中角栄の実行力に比べたら百分の一であろうか。現状認識力、困っているひとたちを助けようとする意欲が圧倒的に違うのだ
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2022-2-24 に始まったロシアによるウクライナ侵攻はいまだに終わらず、2023-10-23に始まったイスラエルとパレスチナ・ハマス戦争はあっという間にイスラエルによるガザへの過剰攻撃となりこれまた収束する様子がない。オノマは憂鬱である
憂鬱を更に大きくしているのがアメリカ大統領の予備選
詳細省略。共和党で優位とされているドナルド・トランプの顔つき、ボディーランゲッジ、話しがオノマを憂鬱にする。品がなさすぎではないか
対抗馬、ニッキー・ヘイリーはトランプに七連敗中だったが、日本時間=2024-3-4 12:15 12:15、ワシントンDC時間=2024-3-3 22:15 に朗報が飛び込んできた
【ワシントン=池田慶太】米大統領選に向けた共和党指名候補争いは3日、首都ワシントンで予備選の開票が行われた。党の集計の結果、ニッキー・ヘイリー元国連大使(52)がドナルド・トランプ前大統領(77)を抑え、初勝利した。
投票は1〜3日に実施された。発表によると、開票率100%で、得票率はヘイリー氏62・9%、トランプ氏33・2%。
トランプ氏はこれまで初戦から8連勝中だった。予備選や党員集会が集中する「スーパーチューズデー」を5日に控え、ヘイリー氏の初勝利は象徴的な意味合いがあるが、トランプ氏優勢は揺るがない。
明日のスーパーチューズデイはトランプが圧倒的優位というので束の間の朗報で終わるのかもしれない。今の世界は悪夢のようである
スーパーチューズデイ
アメリカ合衆国大統領選挙の予備選挙・党員集会が集中する3月第2火曜日を指す。一日で大量の代議員を獲得することができる
2024年は、各党それぞれ15の州に加え、アメリカ領サモアなどで予備選挙や党員集会開かれる。
・アラバマ
・アラスカ(共和党のみ)
・アーカンソー
・カリフォルニア
・コロラド
・アイオワ(民主党のみ)
・メイン
・マサチューセッツ
・ミネソタ
・ノースカロライナ
・オクラホマ
・テネシー
・テキサス
・ユタ
・バーモント
・バージニア
・アメリカ領サモア(民主党のみ)
・海外の民主党員
入院して16日が過ぎた。入院当初の時に比べて息苦しさ度が軽くなっている
病室は狭い。洗面所、トイレがついている。さらにベッド一台、椅子ニ脚、小型テレビ台(冷蔵庫つき)、丸椅子。プラスチック製小物入れがある。ニ脚の椅子はくっつけて広げるとベッドになる
狭い空間が苦手なオノマではあるのだが病人にとってはベッドとトイレの距離が短いのは合理的なのだと分かった
息苦しさ度が軽くなってくるとベッドとトイレの距離が最短でなくても良いとなる
3-2(土)の朝七時をまって窓際にあったニ脚の椅子をトイレ近くに移した。できるだけ音をたてないようにしていたのだが看護師さんがやってきた。部屋の真ん中にあったベッドを窓際に移すのを手伝ってくれた
ドアを開けて廊下から部屋に入ったときの印象が大いに変わった。以前より部屋が広く、すっきり見えた。この配置なら診察でやってくる医師の仕事がしやすくなる
この日の午後、長女は久美ちゃんをエステに連れて行った。エステが終わり久美ちゃんをサ高住に送る途中に寄ってくれた。娘の夫くんも一緒だった
二週間ぶりに会う久美ちゃんは元気だった。娘は(サ高住付属のデイサービスの)連絡ノートを借り出してきた
各頁に数枚の写真が貼り付けてあった。以前のデイサービスより利用者が多い。他の利用者に比べて久美ちゃんは笑顔が多く、若くみえた
長女は次女にラインで久美ちゃんとオノマのツーショットを送った。次女からパパも前より元気に見えると返ってきた
3月3日 日。昼三時ころ、ラウンジへ行き四国新聞を読んだ。新聞を落ち着いて読むのは何十年ぶりかであった
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只今の時刻は 2024-3-1 金 23:50
二晩続けて睡眠時間が7時間強となり体調が僅かながら良くなっている。同時に二日続けて寝汗をかいた
2024-3-1 金 朝6時頃
長袖とパジャマがぐっしょり濡れていた
看護師さんを呼び出した。夜勤の看護師さんがふたりやってきた。一人がベッドをみてヒト型になっていると言った。下半身は汗をかいていない
ふと思った。人の気配があるというのは良いことだ
看護師さんたちと交わす言葉に深みとか重みとかいったものはない。ヒトが3人いて、シーツを替えてもらっている世界のなかで言葉が軽やかに舞っている
パジャマもあたらしいものを持ってきてもらった。長袖・・・
と書いたところでドアが開いた。夜勤の看護師さんが心配して見にきたのだ。時刻は3月2日 0時11分
日記を書いているの? と問われ、そう、二十年続いている、今朝のことを書いていると云ったら私も登場させてください、名前をだしてくださいと云った
では、お言葉に甘えて・・・石井玲奈さん。年齢は分からない。オノマの孫世代(孫#2は来年成人式)かそれより数歳上なのか見当がつかない
長袖のシャツは3枚もってきたのだがあいにく2枚を洗濯に出していてまだ戻ってきていない。背中の汗を拭いてもらい裸の上からパジャマを着た
ムカムカするというほどではないのだが少し不快感があった。梅干しはありませんかと訊くと梅ねりならあるという。長さ5センチほどのチューブにゼリー状の梅が入っている。商品名は「うめびしお」
三袋貰ったうちの二袋をなめると期待通り不快感が弱くなった
13時、2階にある売店へ行き梅練りがあるか問うと、梅干しならあるという。ハチミツいりの甘口と塩分8%の二種類。後者を買った
店員さんは(オノマが)まえより元気にみえると言った。前回の買い物は二日前、2月28日 水 の13時頃だった
自分でも少し体調が良くなっていると感じていたのだが、傍目(はため)から見てそうだとお墨付きをもらい元気感が一層ました。言葉の力大なり
梅練りのお蔭で助かったことがある
東日本大震災が起きた2011年の夏。夜中に呼吸が苦しくなり、このままでは死ぬと思いながら、どこかのコンビニで買った梅練りをなめた。たちまちにして楽になった
http://onomar.jugem.jp/?eid=3679
👆
その時の様子をブログに書いていた。コンビニの名前を書いていた。息苦しさの描写は記憶によみがえる実感に迫っていなかった
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衆院政治倫理審査会は自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件に関する審査を開いた。NHKの中継放送を聞き流していた
退屈な質疑が続いたが、まあ、自民党が一大危機に面していると自覚し、ヘドロが浄化されていく兆候であるのであれば明日も関心をもって聞き流そう
ん?
なにかを感じてテレビをみたら テロップで大谷翔平選手が結婚したという速報が流れていた
配信
【グレンデール(米アリゾナ州)時事】米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(29)が29日、自身のインスタグラムで日本人女性と結婚したことを発表した。
オノマは野球やサッカーといった人気の高いスポーツに没入できないのだが、去年はテレビで大谷翔平選手の追っかけをした
詳細省略。テレビから良い感じが伝わってくる選手が何人かいる。大谷選手はそのひとり
大谷選手の等身大パネルがあったので並んで写真を撮ったことがある。ふ〜ん、パパもミーハーなところがあるんだと娘は思ったかもしれない
大谷夫人、オノマより背が高いのだろうか
今朝は6時に目が覚めた
昨夜就寝前に看護師が体温を測ると38度4分と高かったが、特段の苦しさもなかった。7時間23分、連続で眠った
しかし起きてビックリ。長袖、パジャマが寝汗でぐっしょり濡れていた。ベッドのシーツも濡れていたので看護師さんを呼び取り換えてもらった
以前にも大汗をかいたことがあり、その日は体調が良かったので同じような日になると良いのだがと願った
さほどの変化はなかったのだが、あえて探すと前夜の夕食時は食欲がなく完食できなかったのが朝食は簡単に完食した
老体の中でなにが起きているのだろう
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26日 月 の夕食は食べなかった。昼寝から覚めたときの体温は37.4度でこの体温はしょっちゅうあるのだが熱っぽさがいつもより増していた。寝汗をかなりかいていた。食欲ゼロだった
午睡したので夜は眠れないかもしれないと覚悟したのだが、何ということなく眠りの落ち、朝五時までほぼ連続で7時間50分も眠っていた
十時、二階にある売店で伊右衛門社の特茶と山崎パン製の烏龍茶を買った。特茶は今しがた飲み終えた。初めて飲んだのだが美味かった
十五時すぎ入院後初めて風呂に入ることになっていた。看護師が車いすでオノマは風呂場に運んでくれた
浴槽は廊下から二段高くなっていた。ほとんどの患者がこの二段を登れないと看護師が言った。調子にのってオノマは空気椅子なるリハビリをしていると演じてみた。看護師は自分にはできそうにないと言った
浴槽で温まったあと、洗い場にでて頭、背中を石鹸で洗った。前回、マンションで入浴したときは洗い場で洗う力がなかったので大いなる前進だ。着替えをしてもさほど息苦しくならなかった。これも大いなる前進。全部でやく30分。大いにさっぱりした
十六時、歯科医がやってきて歯垢の除去をしてくれた。約20分
そうだ、前日の昼は散髪屋さんがきて散髪をしてくれることになっていたのだが、希望者が多すぎるので来月に延期すると言われたのだ。鏡をみるまでもない、頼りなげに残っている頭髪はみっともないことになっている
バリカンをもっているので自分でやるといったら、看護師が手伝うと言った
(フィリップ社製の)電気バリカンを使うのは初めてだと看護師は言った。オノマが自分でやるときはバリカンを頭に押し付けるようにするのだが、看護師は頭皮が傷つかないようにと優しくバリカンを動かしながら頭、いい形ですねと云った
ウィキ バリカン
英語ではHair clipper(ヘアークリッパー)
フランス語ではTondeuse(トンズーズ)
金田一京助が三省堂書店で『日本外来語辞典』作成時の調査で、東京帝国大学(東京大学)正門前の理髪店「喜多床」の二代目店主舩越景輝が刃の刻印からフランスのバリカン・エ・マール製作所(仏語:Bariquand et Marre、バリカンとマール。創業者ジュール・バリカンと後から加わったシャルル・マールによる共同経営)の名を発見、社名が名称として広まったものと確認した
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昨夜は23時過ぎまで世界卓球2024女子決勝戦をみていたお蔭で苦も無く眠りに入れた。ちなみに日本は中国を2-1でリードしていたが 第4、第5と連取され、2-3で敗れた
朝、3時と4時に目が覚めたが直ぐ寝なおすことができて、7時間強ほぼ連続して眠った
今しがた16時ころ、昨日より体が楽に感じたのでラウンジへ行ってぶらぶら体操をしてみた。右手で机に触り片脚を前後に十回ずつぶらぶら振るという体操で、これは散歩より歩行力改善に良い由
12月初めに救急搬送されてから初めてのぶらぶら体操。酸素濃度は87に下がり、心拍数は130に上ったがそれほど苦しくはなかった
しかし、これまでも体調が良くなったからといって動き回っていたら翌日からトイレに立つだけでひどい息苦しさに見舞われたという経験をしている。基本的には安静第一で行くと決め、一セットでやめた
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昨夜はテレビで世界卓球 2024 女子団体 準決勝 日本対香港を見た。日本が3-0で勝って決勝に進み、中国と優勝を争うことになった
テレビを見ているうちにだんだん眠くなり、おかげで余計なことを考えることがないまま23時すぎ眠りに陥った
眠りにはいる前の数分、神様ありがとうございます、今は苦しくありません、というようなことを何度か繰り返した。眠れないで悶々としている時間に比べて断然楽だという実感が有難かった
明け方の4時と5時に目が覚めたが二回ともすぐ眠りに戻れた。スマートウォッチによると7時間2分、ほぼ連続で眠っていた
6時半、なにか読みたくなったので手にとったのがPHP3月号。ある俳優のエッセイを読んで大いに同感した。エッセイの骨子:
ある時期からお互いの琴線に触れないような会話は激減した。必要以上の気遣いは意味がなく、過度な社交辞令は相手との距離を縮めることにならないと気づいたから。
しんどくてくじけそうになるときには、今この瞬間は二度とこないのだと意識するようにしている
(PHP 2024-3月号・24〜27頁・津田健次郎(声優、俳優・1971年生まれ)・自分の足で立つ)
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昨日は10時頃に空気椅子(wall sit / air chair)なる筋トレめいたものをした。数年前、スキー仲間から教えてもらったトレーニングである
空気椅子は 壁に背中をつけ、尻を落とし、太ももを床と平行に保つのだがオノマは壁に背をつけない。座っている姿勢をつくり、深呼吸を十回繰り返した
血中酸素濃度は90近くまでしか下がらないが、脈拍数は130を超えた
13時過ぎ、リハビリのトレーナーが来た。携帯の酸素吸入器をつけてリハビリ室に向かった
歩くと酸素濃度は90にさがる。エレベーターの中ではしゃがんでいた。しゃがんでいると息苦しさが緩和される
リハビリ室でオノマを椅子に座らせるとトレーナーはしゃがんだ姿勢になり、オノマの脚を曲げたり伸ばしたりした。呼吸に合わせて曲げ伸ばしをするのが大事と云われた
今朝は空気椅子をやったと云ったらトレーナーは空気椅子を知らなかった
空気椅子の姿勢になりオノマは十回呼吸をしてみせた。トレーナーはできないといって5回でやめた
2月22日は筋トレめいたものをしなかった。トレーニング室に行っがやはり息が上がった
トレーニング室からラウンジに移ってしばらくのあいだ外の景色を見ていた
病室にもどるとほどなくして医師がやってきた。特段の不都合がないことを告げ、昨日はエアチェアなるものをしたと云うと、昔はそれでしばかれたらしいと言った。医師は学生時代バスケットをしていたと言った
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7時10分ころに目が覚めた。いつもより断然おそい目覚めだ
スマートウォッチによると睡眠時間の累計は5時間40分でその間に目が二回覚めている
一回目は20日の23時頃。看護師がドアを開けて、うるさくて目が覚めましたか?と訊いてきた。隣室の患者が叫んでいたという。気が付かなかったですと応えた。
比較的短い時間でふたたび眠りに落ちた
二度目は3時半ころ。このときは隣室(男性)のうめき声のようなものが聞こえてきた
昼間はときどき 数室はなれている部屋から女性の叫び声が聞こえてくるが隣室は初めてである
この階には病室が約20室あり、満室に近いらしい。患者の何人が傾眠やせん妄で声を出すのか知らないし、看護師さんがどうやって応対しているのかも知らない
目がさめて一分、看護師が熱いおしぼりをもってきた。オノマが起きるのを待っていたのかもしれない。顔と頭を拭いて返した
ゆうべ二度目に覚めたときに隣室から呻き声が聞こえたと看護師に告げると、廊下の奥の部屋が空いている、そこなら静かだ、部屋を移るかと言う。部屋は替わらないで良いと答えた
看護師に自分も目が覚めたとき不安な気分になった、雑誌(文藝春秋・令和六年三月特別号)を読んで気を紛らさせたと言った
俳優・東出昌大(ひがしでまさひろ)とアナウンサー・有働由美子の対談(443〜451頁)を読んだのだ
2020年、東出は自身のスキャンダルでメディアから叩かれ東京を去らざるを得なくなり、普段は山の中で猟師をしている、俳優業も続けている由
(マスコミに叩かれていた時分の)東出に比べたらオノマの不安などとるに足らない、能登半島の被災者に比べたら、暖かい部屋で寝起きができる自分はとても恵まれていると云ったら看護師さんは本当?と云った
看護師さんの意図が分からなかったが、ほんとうに恵まれていて有難いと繰り返した
病室にいるのにそう感じるのかと言われて、なるほどそういうことか、病人なのに有難いと思うのかと健常人の彼女は疑ったのである
入院前に比べると看護師、医師、栄養士などの専門家にケアしてもらっていることをとても有難いと云うと、それを聞いて夜の疲れがなくなる思いがする、昼も働こうかなと云った。いやいや、夜勤のあとはしっかり休んでくださいと返した
看護師は二交替で働いている。昼番は9時〜17時の8時間、夜番は17時〜9時までの16時間。二時間おきの見回りが夜晩の仕事らしい
彼女は一人暮らしでしばしば不安になる、テレビをつけっぱなしにしていると言った
オノマは体調不良になってからはなんども眠れない夜があり、神様眠らせてくださいと祈ったことが何度かある
医師から睡眠薬を処方しようかと言われたが、すでにたくさんの薬を服用しているからと断った。眠れないときは眠らなければ良いのだ
看護師が部屋から出て行こうとしたタイミングでオノマはトイレにたった。すると看護師はトイレのあいだにベッドを直させてくださいと云って、ヨレヨレになっていた敷布を延ばしてくれた
]]>五時前に目がさめるとそのまま眠れなくなった。スマートウォッチを見ると連続で5時間32分眠っていた
二時間連続のこまぎれ睡眠に比べたら断然ましだ、あえて二度寝することもなかろうと腹をくくり、身辺の整理を始めた。昨日売店で買ったチョコレートなどが入っているプラ袋がガサガサと音をたてた
ドアが開いて夜勤の看護師さんが大丈夫ですかと覗き込んだ。眠れないので、でも五時間半寝たので・・・と言い訳をし、ひとばん中起きている看護師さんたちも大変ですねと返した
たったそれだけの短い会話だが、三度三度の食事に似て、精神的な空腹が満たされると思った
ようやく慣れてきたテザリングでPCにインターネットをつないでFBをチェック
バンクーバーは三十年ぶりの暖冬で北岸にあるみっつのスキー場には雪がほとんどない、とか今シーズンはニ三回しか滑っていないといったメッセージがあった。2010年冬季五輪の会場になったサイプレス(スキー場)の写真もきていた。一見絶句。山上は惨状なり
次いでスクワットをした
昨日の午後、リハビリ担当だという女性がやってきてラウンジに移動し、三十分ほど呼吸にあわせて膝の曲げ伸ばしをした
なんということのない軽い運動だが血中酸素濃度は96から90まで落ち、元の96に戻るまで数分かかった
入院前、食事を取らなかったり、とっても少量だったりする日が何日もあったので、骨皮筋衛門(死語?)のオノマ。肉がほとんどなくなったひざわまわりは見るだに怖ろしい
昨日より大きな負荷をかけようとスクワットをした。立った姿勢からゆっくり腰を下げていき大腿と床が平行になったところで停止、十秒ほどその姿勢保つ・・を十回やった
ここまで書いたら看護師さんが顔拭きですと三十センチ四方のタオルをもってきた。頭を拭いても良いですかと訊いて頭を拭いた
テザリングのせいだろうか、PCの反応が以前より遅く、今は7時11分。本日はこれにてゴメン
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15日昼前に入院して4日たちました。狭いマンションより更に狭い病室での独居くらしや如何
狭所が苦手なオノマですが病室暮らしには空間の狭さを補って余りある快適さがあります
15日は朝食をとらなかったせいもあり、病室に運ばれてきた昼食をとても美味く感じました。食欲のない日が続いていましたが完食しました
老老介護から解放され独居することほぼ四週間。限界を超えた四週間だったと痛感しました
何もかも楽になったのですが、さて、具体的にはどういうところで楽に感じるのでしょうか
動き回ると息が苦しくなるのは変わりませんが動く距離が短くなりました
寝所とトイレ間の距離が断然短くなりました。ベッドを降りて三歩です
食事を用意することがなくなったので台所まで行く必要がありません。食器洗い要りません
歯磨きもベッドの上で済ませます。口を漱いだ水を入れた容器をベッドから僅か二メートル離れた所にあるシンクに運んで棄てます。今までより丁寧に歯磨きをするようになりました
精神的にも楽になりましたがまた後日にでも
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予定通り2-15 の昼前、入院した
病院にはWiFiがない。数時間前、すなわち17日 土 の夕刻、長女夫妻がやってきてスマホの電波に乗る tethering なる方法でインターネットを使えるようにしてくれた。テザリングという言葉を大阪にいる次女も当たり前のように使った
昔と違って日本の子供たちが放課後同級生と校庭で遊ぶという景色がなくなり、したがって学校に行っても孤独、家にひきこもる、でもオンラインゲームの中ではたくさん友達がいるという景色が生まれているらしい。よく分からないが孫#3はそういう世界にいるらしい。はたから見ていて少々怖い
オンラインゲームをしたことがないオノマではあるが、コロナでカナダにもどれなくなり、マンションにひきこもること三年のオノマも同じ。面と向かって交わる友達が四国には皆無
郵便配達のひととか、クロネコの人とか、最近では訪問看護師さん、訪問医師らが話相手になってくれる貴重な存在
一階下に住む長女にしてもラインメッセ―ジでやりとりすることが多い。フェイスブックやお気に入りブログでの交流のほうが(コメントを書き込むことは少なく読むだけが多いが)メインになっている世界にいる(いた)
ところが入院したら世界が一変した。食事がベッドに運ばれるので短い時間ながら朝昼夕と会話を交わす。さきほど零時頃に目がさめて咳こんだところ居室の戸があいて夜勤の看護師さんが大丈夫ですかと訊いてきた。大丈夫ですと応えただけだが、声を交わすことから元気が生まれる心持がした
新鮮な新世界、新発見について追い追い書いていきます(多分)
小学4年から6年にかけて過ごした郡山市立芳山(ほうざん)小学校での放課後が一番楽しかったなあ。男女入り乱れ、キャーキャー声を出しながら遊ぶドッジボールが楽しかった
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昨夜は睡眠導入朗読の助けなしで眠りに落ちた。鈍重感がある左わき腹を体全体で包み込み、ダンゴ虫のように丸くなっていたら自然に眠りに陥っていた
スマートウォッチによると7時間半も連続で眠っていた
7時間連続睡眠など何年ぶりのことだろう。熱っぽく感じるが測ると36.9度
目が覚めたとき夢を反芻していた。オノマはブコ土という珍しい土を少し持っていてそれを誰かが譲って欲しいという。値段を訊くと1グラム35ドル(4千円くらい)の由。珍しい割には安い
大事な土を忘れてはいけないという思いは一時間も持たなかった。今ある現実の世界にとって意味の無い話だと打ち捨てた。へたの考え休みに似たり。体調にあった思考をうまく操ることだ
昨日は火曜日。訪問看護師さん来宅の日。 午前中に電話をして、部屋があれば木金にでも入院したいので病院に訊いて欲しいと依頼
1時半、入院手続きの書類をもってきた看護師さんは、あした水曜日でも入院可能だと言った。今日の明日ではせわしないので木曜日にしてもらった
1月19日、久美ちゃんがサ高住に移ったので、これからは自分のことに専念できると思ったのだが、ギッチョン、体調の良い日は稀で動くのもしんどい日が多かった
自分のことをやることから生じる後始末を片付けるのがとてもしんどい。なんとか食事を用意しても皿洗いがしんどい
時間と共に新たな負債が増えていく。入院するのが正解だという確信が今はある
今日は入院時に持っていくものを取りまとめることに専念する
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昨夜11時〜今朝1時までNHKで女子バスケット、日本 vs カナダを見た。日本が勝ってパリ五輪出場が決まった
女子バスケを初めて見たのだが、日本チームがこんなに強いとは知らなかった。この十年、日本の女子は色々なスポーツで大活躍している
選手がインタビューで涙ぐんだのをみてオノマも涙がでた。若いころは涙を流すなど滅多になかったのだが数年前からは簡単に涙腺が緩む。説明省略。とても良いことだと思う
★
1月30日 火 に来た 訪問看護師さんはオノマが比較的好調に見えたと医師に報告した。その日、オノマは顔を手で覆うこともなく看護師さんの顔をみながら応対していた
2月1日 木 は朝から体調がよく、夕方まで片付けをした。それがたたってか翌日は急変。十歩あるくのもやっととなった
2、3、4の三日間は安静に徹した
5日 月 は市の要介護認定調査委員さんとの面談は寝たままで行なった
★
5日の朝、同席するはずのケアマネさんから、2日 金 に体調不調となり治らないので欠席するとライン連絡あり。娘によるとあちこちでインフルエンザが流行っているらしい
同日夕刻、ケアマネさんからラインあり。調査員さんと話したが(オノマの状態)ひどいらしいと短いメッセージ。ケアマネさんもしんどいのだろう
6日 火 の訪問診療時は絶不調だった。2日から歯を磨くことができなくなっていた。洗面所まで歩けないのである
カナダの銀行にある口座を整理したら入院するかもと医師に伝えた。病院側としては繁忙の土日ではなく週日に入院して欲しいと
★
9日金、カナダの某銀行に電話をかけ三つある口座をひとつにまとめた。これによってカナダから日本への送金が楽になる。ずっと気になっていたことを解決しもやもやがひとつ消えた
もやもやはもう一つあった。1月25日からPCのメールを見ることができないのだ
別アカウントにコードを送るからそれを使って新しいパスワードをつくれというのだが別アカウントにも入れない
★
毎日メールをチェックする習慣が途絶えること2週間。病床の精神状況はチョーやわになっていて頭がおかしくなりそうだ。ラインで娘に助けを求めた。明日は忙しい、明後日ならとの返事
10日夜、娘と夫くんがやってきた。20分ほどで直してくれた。もやもや二号も消えてくれた。ありがたやありがたや
11日。プリンターが故障。部品を新しくせよとのこと。夜、娘と夫くんが直してくれた。ありがたいねえ
そうか、もやもやが消え、新たに生じた問題も解決したお蔭で夜中にバスケの中継を見る余裕が生まれたのだろう
娘一家三人は12日朝はやくからスキーにでかけた。さきほど無事帰宅し、明日収拾のゴミ、紙布を運び出してくれた
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前回のブログで眠るのに苦労したことを書いたのだが、その後の二日はともに6時間連続で眠ることができた
何年にもわたり2時間おきに目が覚めていたのだが、6時間連続で眠れると大いに楽である
睡眠改善の原因ははっきりしないが、足裏シートを使い始めて三日目にそうなったのは事実である。そして睡眠導入の朗読を聞いてるうちに眠りに陥るのも確かである
低空飛行ながらなんとか生きているのだが、ここのところ負荷が大きくなってきたと感じる。食事の用意ができない日が増えてきた。用意できたとしても皿洗いなどが辛い
久美ちゃんのケアをするということで入院しなかったのだが、久美ちゃんは1月19日、サ高住に移った。自分のことに専念できると思ったのだが、3週間の経緯をみると大苦戦。あらゆる雑事から解放される入院へ Go! と決心した。再来週には入院したい
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昨日は四時頃に訪問診療で医師と看護師がやってきた。三十分ほどで終わった。特筆するような話はなく、引き続き今までと同じ薬の処方があった
今朝十時ごろ訪問薬剤師が薬を持ってきた。薬剤師は良い匂いがすると言った。はて何でだろう
トイレに置いてあるラベンダーエッセンスのせいだろうか、それとも今朝がた飲んだアーモンド入りドリンクの香りが残っているのだろうか
今朝は3時頃に目が覚めた。もう一度眠ろうとしたが眠れなかった。体は眠りを欲しているのに、頭の中にとりとめのないことが浮かんできて眠れない
つらい。久しぶりに神様眠らせてくださいと祈ったがダメ
枕元に置いてあるパソコンを開いて睡眠導入のサイトを探すと彦一頓智話があった。あまり良い話じゃないなと聞いているうちに眠りに落ちた
スマートウォッチによると四時間連続睡眠、半時間眠れなく悶々、二時間連続睡眠と記録されていた
助けてくれた睡眠サイトを貼って本日は終わり
]]>スマートウォッチを見ると5時間ちかく連続で眠り、30分ほどうつらうつらし、更に2時間近く眠ったと記録されていた
体調は昨日とほぼ同じでトイレまで歩くと酸素濃度が80近くまで下がるが、2、3、4日のように呼吸がとても苦しくなることはない。横になるとすぐ97に戻る
5日、10時半、高松市から介護認定調査員さんがやってきた。要介護者になると介護ベッドを借りたりヘルパーさんを利用できるなどの便宜があるからと訪問看護師さんから勧められていた
寝床にはいったまま調査員さんの質問に答えた。質問に答えながら、なるほど自分は要介護者の資格ありだなと思った。自分の声がずいぶん弱弱しいことにも気づいた
夕方、一階下に住む長女は久美ちゃんの主治医を替えるためふたりで今までの医師のところへ行き新しい医師への紹介状を貰いに行き、帰り道、ふたりはオノマの顔を見に来た
娘によると久美ちゃんはサ高住で看護婦さんと軽くハグしてた、車の中では前より言葉数が多くなっていた、血糖値が改善してきたせいかもしれないと言った
認知症ゆえサ高住に移ることで戸惑いが生じるのではないかと心配していたが、どうやら杞憂であったらしい。サ高住には共有スペースもあるから狭いマンションで暮らすより快適なのかもしれない
久美ちゃんは寝床で上半身を起こしたオノマに五分ほど寄りかかっていた。娘が撮った写真をみると久美ちゃんは嬉しそうだった
写真をラインで久美ちゃんの仲良しさんに送った。ふたりは五十年前に職場の同僚だった
返事が来た:なんか、いい写真だねー。オノマの事しっかり覚えてたんだね!久美ちゃんてたくましいと思うわ〜。今日は福井に来てる。カニ食べて温泉
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スマートウォッチをみたら5時間眠り続けていた。いつもなら2時間ごとに目が覚めるのに何故?
たまたまなのか・・・
もしかして・・・
随分前に(去年)送られてきた足裏シートのサンプルをほったらかしにしてた。4日前に封を切ると利用者数名のコメントが紹介されていた。なかに夜中に起きることが少なくなったというのがあった
眉唾と疑いつつAmazonで取り寄せたのがおととい。サンプルを含め三枚目を貼ったのが昨夜就寝まえ。足裏シートで睡眠が持続するのなら天恵
昨夕は食欲がなく横になっていたら一階下に住む長女がおでんを作った、食べる?と入ってきた
テレビの前においてある小テーブル(バンクーバーで使っていたソニ―テレビの台)の上に置いてもらった
明日の朝にでも食べようと思ったのだが、いや温かいのを食べようと翻意。容器をあけると卯で卵2、大根2、こんにゃく1、がんもどき1が入っていた。卵1,大根1を食べた。出汁が美味かった
只今の時間は 2024-2-5 4:00
このブログを書く前に大根半分を食べた。やはり美味かった
大根&出汁だけでいいから又作って欲しいと娘に頼もう。娘は毎週一回くらいの頻度で夫くんの実家・農家から野菜を貰っているから大根は沢山あると思う
娘は長男(大学生)の学費が大変だと時々なげく。夫婦共稼ぎだが二人合わせても多分現役時代のオノマの収入に届かないと思う。そのオノマも子供(三人。次女は大学に行かなかった)の学費は高いと痛感していたから娘のなげきはよく分かる
自民党議員、とくに安倍一派の裏金問題が話題になっている。安倍晋三と親交が深かった田崎史郎・政治評論家がテレビ番組で政治は金がかかるんですと言った
その通りなのだろう。でもさ、大学生をかかえている庶民の多くだって金がかかるんですよん、と久しぶりに毒づいてみる
あと二時間眠りたい
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2月3日
夕方七時頃、一階下に住む長女が恵方巻とイワシの塩焼きを持ってきたので、そうか節分かと知った
母が炒った豆で鬼は外、福は内とやっていたのはオノマが中学生の頃までであったろうか。当時は雨戸のある家が多かったせいかあちこちの家から鬼は外・・が聞こえてきた
確か孫#2・みいたんと鬼の面があったはずと探した。12年前の写真がみつかった
二年前にみた「農水省的コンプライアンス豆まき」という動画も再発見。「ここがおかしい今のニッポン」といった感じをさりげなくこめた良い作品だと思う
ガンバレニッポン、ガンバレあなた、ガンバレおのま、鬼は外、福は内
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久美ちゃんのベッドで寝ていたがゆうべから和室にはこんだ折り畳み式ソファを広げて寝ることにした
元々オノマは和室で寝起きしていたのだが暮れに次女と孫#5が一週間泊まりにきたとき二人の部屋にし、オノマは玄関わきの書斎に移った
書斎では折り畳み式ソファを広げ床に敷いて寝たのだが、あるとき起き上がろうとして三度うしろに倒れた
たまたま久美ちゃんのベッドで休んだら楽だったのでそのまま使うことにした
ところが久美ちゃんの部屋で寝起きしているうちに気分が落ち込んでいき憂鬱な気分に支配されがちになった
この部屋に閉じこもっていては良くないのではないかと思い和室で寝ることにした次第
ここだと襖をあければテレビを見ることができて気がまぎれる
NHKは能登半島の状況を頻繁に報道している。がれきの撤去は遅々として進まず、水道の復旧も滞っている。被災者の声を聞くと多くの人が限界ぎりぎりの心身状況にあると感じる
暖かい部屋で眠ることができ、水や食料の心配もないオノマ、へこたれるなどは軟弱と自覚すべし
]]>2月1日の朝、目が覚めると前日より体調が良いように感じた
この分なら外出できるかもしれないと思ったが、前にも同じことがあり、しかし立つと息が苦しくなった。90以下に落ちた血中酸素濃度や130にあがった心拍数は椅子に座って一分ほどで97、110に落ち着いたが、ふたたび立つと苦しくなるので、仕方なくベッドで横になって一日を過ごした
1月31日も似たような状態だったが、この日は三食をとろうと決めて無事三食を食べた。十日ほど前に熱湯に通していた豚のしゃぶしゃぶ肉を全部平らげた。ひさしぶりにたんぱく質をとったことで気分が少し高揚した。う〜ん、こんなことで高揚するのか・・・
2月1日は立っていても息苦しくなる事が無かった
朝6時半から昼ちかくまでテレビをみる椅子に座って久美ちゃんの手紙類を片付けた
ごちゃごちゃになっていた家族の手紙を分別したのは二年ほどまえのこと。子供のはそれぞれに渡した。久美ちゃんのは久美ちゃんの部屋に置いたのだが読む気配なく紙の塊のままだった
二時間ほどかけてほとんどの手紙をハサミで裁断し、残ったのは二十枚ほどのハガキ。娘にたのんで久美ちゃんに届けたい
分別したはずだったが長男宛てのハガキが十枚ほどあった。あとで長男に送ってもらおう
★
只今の時間は2024-2-2 11時23分
残念ながら昨日の好調が消えてしまった。十歩くらい歩くと息が上がり酸素濃度が80前後に落ち、97に戻るまで約3分かかる。タンパク質補給のため厚めの豚肉を一枚蒸したのだが苦しかった
昨日一日中なにか作業をしたのが響いたのだろうか。本日は今から安静に戻る
]]>只今の時刻は 2024-1-31 7:38
昨日は二週間に一度の訪問看護師来宅。半時間質疑応答
訪問看護師が来始めた12月当初は会うのが億劫だったが、毎日引きこもっていて社会との接触ほぼゼロの今は貴重な時間に感じる
二週間まえより咳がすくなくなっていると言われた。そういえば二週間まえは咳が激しかった。面談中ずっと顔を手で覆っていた
昨日は看護師の顔をみながら応答した。名前を思い出せなかったので訊いた。Hさん。シンガポール時代の上司だった人と同姓
この頃時々頭に浮かぶのが南アフリカの故ネルソン・マンデラ。27年の長きにわたって独房生活を送ったのだがそれに耐えて大統領になったというのだから尋常ではない。オノマ、ガンバレ
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満州の記憶
時系列は定かでないのだが多分これが鍾馗様に続く記憶。ソ連軍が日ソ中立条約を破って満州になだれ込む以前のことだと思う
幼児オノマは馬車に乗っていた。記憶では「マーチョ」に乗っていた
大きな黒い豚が悠々と道を歩いているのが窓から見えたのを覚えている。豚が道を歩いている光景、日本には一度もなかったのではなかろうか
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ただいまの時刻は 2024-1-30(火) 9:48
本日は昨年10月31日「満州の記憶?土管から落ちた日」を最後に途切れている「満州の記憶」
オノマは1942年、満州国・奉天市(現在は中国・瀋陽市)に生まれた。1945年に戦争が終わり、1946年か1947年かに日本へ引き揚げるまで満州にいた
その間のいつのことだったのかは見当もつかないのだが、土管からドカンと落ちた日よりは後のことだと思う
父は土木建設会社に勤務していた。その頃は満州建国という日本の国策が順調だったのだろう、あぐらをかき膝のうえに幼児オノマを乗せている若き日の父は屈託のない良い表情で写っている
経済的な余裕もあってか、家には電蓄(電気蓄音機・音響システム)やクラシックレコードがあった。母によると幼児オノマはレコードを畳と畳の間に差し込んでレコードを割るという悪さをしたらしい
或る夜のこと目が覚めたら枕元に鍾馗様の人形が飾られていた。人形をちらりと見て怖いと思ったのを覚えている
たった今、鍾馗を検索した。なぜ鍾馗様だったのか。幼児オノマは病床にあって親が回復を祈願したのか、それとも病気にならないよう祈願してのことだったのかもしれない
鍾 馗(しょう き)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。
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只今の時間は 2024-1-29 6:36
ゆうべはうまく眠れなかった
スマートウォッチをみると睡眠時間は計5時間27分。明け方は続けて2時間ほど眠っていたが、始めの眠りは1時間足らず。ふたたび眠るまで1時間ほどかかっていた
作家・山本七平が苦しい時間がこのまま続いても構わないというようなことを書いていたのを思い出し、眠れなくても構わないと腹をきめてはみたが心が乱れて愉快ではなかった
昨日は一日安静を心掛けた。トイレに立つときだけ小さな片づけをすると再度決めた
和室に放り込んだ久美ちゃんのバッグ類の片付けなどを三日で仕上げようと思っていたが、一週間でも十日でもいいではないかと考えなおした
部屋替えをした翌日、27日 土 は少し動くだけで血中酸素濃度が90を切り、息絶え絶えになったが、28日は少し改善した
ベッドで横になっていると色々なことが浮かんできた。とりとめのない自問自答を繰り返していてはおかしくなると軽い恐怖心が生じた
昼ちかく、ベッドから起きて居間のテレビの前に座った。大阪国際女子マラソンが始めるところだった。高橋尚子ら五輪メダリストが数名で解説するという仕立てで、有力選手の紹介があった
前田穂波(まえだほなみ)という選手が19年ぶりで日本記録を更新し、日本人選手のトップ、全体二位だった。優勝したエチオピア選手との差は8秒、およそ50メートルだった
前田選手が山あり谷ありの競技生活を送ってきたというにわか知識があったので感動した。世代も違う、世界も違う人の人生劇の一端にふれることで朝方生じかけた恐怖心は消えた
一時間ほど経ち今度は大相撲初場所千秋楽を途中からみた
福島県出身の兄弟力士、若元春、若隆景が共に好成績だった。ふたりとも体が(デブではなく)引き締まって美しい。所作がきれい。顔の表情が良い。昔の武士はかくありしかと思った
優勝は横綱照ノ富士。インタビューの受け答えがよく、四方に体の向きを変えて観客にお辞儀をする姿に誠実感があった。全人格的な器でいえばモンゴル出身の先輩横綱(朝青龍、白鵬、鶴竜)より上ではないかと思った
夕方、長女がやってきて台所の片づけけなどをしてくれた。有難い
久美ちゃん、オノマの状況をみて心を痛めているに違いないと思う。彼女のストレスを軽くするためにも安静に努めよう
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★
オノマは高校2年の新学期に集団接種でワクチン(何を予防するものだったのか分からない)をうった直後に高熱を出したことがある
同級生Y君のお父さんが開いていたYクリニックで調べると肺に異常があるとのこと。即入院、安静を命じられた
ワクチンをうつ少し前にも集団検診があり、レントゲン車に入って写真をとっていた。そのときは正常だったのにどうして。それを伝えると、Y医師は手違いでフィルムが入ってなかったらしいと言った
Y医師から最低一年の入院、もしかすると三年かかると宣告され大いに焦ったがどうすることもできない
Yクリニックは医師一人、はたちかそこいらの若い看護師二人の小さな診療所だったが入院部屋がもうひとつあり、先客がいた。一度廊下ですれ違ったが六十代のお爺さんだったような気がする
人生百歳時代の今は六十代をお爺さんと言わなくなった(多分)が、当時はそんなものだった
そういえば新聞かなにかの投書だったか童謡にけしからんと憤慨している人がいた。還暦のひとだったのかもしれない
村の渡しの船頭さんは
今年六十のお爺さん
年を取つてもお船を漕ぐ時は
元気いつぱい櫓(ろ)がしなる
それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ
検索したら戦時中、1941年夏にできた童謡で、お爺さんさえ頑張っている、きみたちも早く大きくなってお国の為に尽くしなさいという趣旨だとあった
雨の降る日も岸から岸へ
濡れて舟漕ぐお爺さん
今日も渡しでお馬が通る
あれは戰地へ行くお馬
それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ
村の御用やお國の御用
みんな急ぎの人ばかり
西へ東へ船頭さんは
休む暇なく舟を漕ぐ
それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ
★
2012年の夏
猫ゲンキーは胸水がたまりとじこもりっきりになった。水を抜くと元気になり表へ飛び出した。元気がなくなるとまた病院で水をぬいてもらった。抜くとまた外出するの繰り返しだった
最後は家に戻ってこなかった。猫の平均寿命より数年早かった
静かに休んでいればいいのだが子猫のときから出ずっぱりだった。森の中にお気に入りの場所があったのかもしれない
母猫のキャッキーも叔父猫のピシーも、妹猫のナジも最後は家に戻らなかったという。ヒトと猫との関係はそういうのが一番かもしれない
★
全治三年かも言われた高校生オノマは文字通り安静を保った。トイレに行くとき以外はベッドで横たわっていた。父親が退屈だろうと朝日新聞をとってくれたので隅から隅まで読んだ。家では読売新聞をとっていたので何故朝日?と今になって思う
先客はオノマより軽症とのことでときどき廊下で看護師と談笑しているのがきこえた。入院患者二名ゆえ看護師も退屈していたのだと思う
ある日、先客が亡くなったと聞いた。オノマより軽症だったのに、なぜ
Y医師が驚くほどオノマの回復は早かった。三か月で退院。自宅で療養を続け、一年後、元の二年生からやり直し
一年の遅れに気分は落ち込んだ。詳細省略。今振り返ると若いころの一年や二年の遅れはマイナスばかりではないと思う
オノマは50歳になる頃、ブリティッシュコロンビア大学の先生から建築学部に入らないかと誘われたことがある。高校で休学するまえは東北大学の工学部に進んで建築士になろうと思っていたがそれは過去の夢。50歳で大学に入るなどありえないと思ったのは若気(笑)の浅慮であった
新たな目標を目指すこともなく古希となった冬、孫#2が日本から遊びにくるというのでスキーインストラクターの講習会に出た
クラスは男子8人。うち5人がティーン。22歳の若者、50代、古希のオノマの3人は例外だった
7人ともオノマより上手だった。(たぶんビリで)合格したときはとても嬉しかった。孫#2を指導しながらオノマも上達した
合格するかしないかは二の次、年齢は三の次、世間のジョーシキ四の次。したいことがあれば始めたら良い。自分の人生なのだ
★
今や日本男子平均寿命のオノマ、医者から入院を勧められたのを断って早や二か月。少し元気になると何かをして翌日はダウンしているオノマ
高校生オノマを見習ってトイレ以外はひたすら安静をこころがけようと決心した
★
ただいまの時間は2024-1-28、朝9:56
さきほどバンクーバーのスキー仲間からラインあり、オノマの容態と久美ちゃんの様子を訊いてきた。上記の決意と久美ちゃんの部屋にテレビが入ったことを伝えた
真面目な話トイレに立ったついでに軽い仕事をしてあとはひたすら寝ていようと再度決心した。できるかオノマ
十代の自分を見習う傘寿かな
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日本人の平均寿命は伸び続けてきたがコロナ期でダウンした由
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25日 木 の朝目覚めたときは体調が良いと感じた。この分なら外出できるかも
ところがギッチョン、ベッドから降りるとたちまち息苦しくなった。胸のどこかが詰まっている感じになった
外出は無理だが朝食はつくれるだろう。何を食べたい?
卵二個、豚肉一枚、たまねぎをスライスして目玉焼き。クルミ入りロールパンもついでに焼こう
と思ったのだが体が動かない。寝床からでるとたちまち体が冷えていく
朝七時過ぎに娘がもってきた親子どんぶりを食べた
26日 金 は朝から夕方まで部屋替えをした
たまたま倒れこんだ久美ちゃんのベッド。使ってみると楽。床に敷いた布団から起きあがろうとして後ろに三度も転んだようなことがない。そのまま使うことにした
ベッドは南枕だった。北の窓を開けると共同廊下があり瀬戸内海が見える。昼間寝ていると窓の明かりがまぶしいのでベッドを180度回転することにした
あの世への準備をするや北枕
ついでに久美ちゃんの小机や飾り棚とオノマの机を交換することにした
詳細省略
ベッドについている引き出しを引き抜き出来るだけ軽くしたベッドを少しずつ向きをかえるだけで息が上がった。五分動いて十五分休むをくりかえし、夕方にはベッドの向きもかわり、机も運び込んだ
夜眠ろうとして寝付けなかった。体が熱っぽく口がからからに乾いている。全身発汗なら楽になるのだろうと思ったが今朝おきるとそういうことはなく、少し歩くだけで息があがった
くみちゃんのハンドバッグ類を和室に放り込んだまま。この部屋も散らかっている。すべて片付くまであと三日だろうか
くみちゃんがサ高住に入居して一週間がたった。一週間まえの金曜日まで通っていたデイサービスは毎日連絡ノートで様子を知らせてくれたが、今は施設まかせ、どういう一週間だったのだろうか
さきほど娘からエステに連れて行く途中だという写真がラインが届いた。くみちゃんの顔つきはさほど変わっていないようにみえた
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昨日の14時過ぎ、二週間ごとの訪問診療の医師、看護師が来宅。若い医師だが、問診、触診など念がいっていて、都度パソコンに打ち込んでいた。オノマも自分が医者だったらこのタイプになるだろうと思った
特段の話はなかった。医師は娘と入院の可否について話した際、娘から同じ建物に住んでいるが自分は働いており、オノマは独居老人と変わらないのでよろしくと云われた由
独居老人という日本語を使ったことがないオノマは妙に感心した
薬は従来のものに加え、(鼻水をおさえる)アレルギー用の薬、左わき腹のどんより感が鋭痛に変わった場合の用心で麻薬入り痛み止めを処方する、薬局から運ばせるとのことであった
玄関で見送ったときに今日も寒いですかと問うと雪ですといわれ驚いた。もう何日も外に出ていない。バルコニーにあるいくばくかの植物への水やりもおろそかになっている
テレビで大相撲を見たあと、あるようなないような食欲を満たすため、レトルト食品の卵粥を湯で五分温め、そこに大森屋で買った青さ海苔を乗せ、これまた大森屋で買った漬物を足して食べた。この漬物の名前を思い出せない
熱っぽさもゾクゾク感もなく就寝。比較的楽に眠れた
夢に、久美ちゃんやバンクーバーのスキー仲間がでてきた。夢をみている最中はおかしいと思わなかったが目がさめて夢をおもいだすと、そこは現実にはありえない世界だった
本日昼頃に薬剤師が薬を持ってきた。薬代340円。次回からは配達料が500円ほどかかる由
幕内の取り組みがはじまっているが、見たいという気持ちより横になっていたいという気持ちが強い。日本茶をのみたいがあとにしよう
只今の時間は2024-1-25 15:48
朝7時頃布団のなかであの漬物、名前はなんだっけと懸命に考えた。べったら漬け、たまり漬け、西京漬け・・・えっ、西京漬けなんてあったっけ
思い出せないもどかしさが半時間。ユリーカ!(こんな時に使うか?) もろみ漬け!!!
]]>ただいまの時間は2024-1-22 月 15:55
昨日は不調感がないので三つやってみると書いた
?真向法
⓶掃除
?布団乾燥
実行したのは?の一部だけ。布団の代わりにしていた折り畳み式ソファを和室に運んだだけ
全国男子駅伝をみている途中で下半身に冷えが始まり、15時を過ぎると熱っぽさとゾクゾクとが体全体にかけめぐった
布団を敷いてなかったので久美ちゃんのベッドに倒れこんだ。熱っぽさとゾクゾク感とが入り混じりなんとも気持ちが悪い
目が覚めるたびに口の中がからからに乾いていて苦しい。長女の夫くん実家からもらった蜜柑を一袋ずつ食べた。トイレに立つのがしんどくなっていた。これつらいのです。有言不実行やむなし
そして本日、朝4時頃に目が覚めるとしんどさがなくなっていた。すこし寝汗をかいたらしく下着が湿っぽい。やだねえ、こんな湿気た話かりで
朝から昼、株の動きをみていた
三年前はさほど株投資に興味がなくて三十万円ていどで買い株価が上がるのを気長に待って売るチョー零細投資家だった。新ニーサが始まった今年はそういう投資家が増えるだろう
今のオノマは二十銘柄ほど保有している。月〜金は毎日株の動きを見ており、ほぼ毎日、一銘柄は売ったり買ったりしている。もう海面すれすれのチョー零細投資家ではない。富士山にたとえれば二合目あたりで徘徊している
3年前、2021-4-30、2680円x100株で買ったアオイ電子はその後値下がりを続け含み損状態が続いた
アオイ電子は四国に本社がある会社で日々、出来高があるかないかという人気のない株だったが、四国応援の気持ちをこめて買ったのだった。百株で応援とはおこがましいが、まあ、気は心
いつまで眠っているのアオイさん?が続いた。買って三年弱になったころ株価はうごきはじめ、出来高も増えていった
そして、ほんじつは日本株の九割が高騰し日経ダウはバブル以後の高値となった。36,546.95円。アオイ電子も九割の中にあった
2969円x100株で売却した。税金8657円、純益20,243円也。二年で8%の利回り。銀行預金に勝った
今日は15時すぎても不調にならないが大事をとり休養につとめる。体の冷えはないが風呂に入ろう
★
只今の時間は2024-1-23 07:32
昨日は風呂からでてすぐ寝床にもぐりこんだ。うとうとしたら娘がロールキャベツと乾電池一パックを持ってきた。テレビのリモコンの電池が切れたので頼んでいた
冷凍してある米飯を2分、700ワットでレンチン。自分ではつくったことのないロールキャベツ。美味かった。ときどき思う、長女も次女もいつから料理ができるようになったのか
ユーチューブで北九州女子駅伝をみた。高校生のチーム、神村学園が一位、実業団の肥後銀行が二位。オノマが知らない選手ばかりの大会だったが駅伝はどれも面白い
熱っぽい感じもゾクゾク感もなく就寝。タオルケットを肩まで覆って眠りに入る時に、今が一日で一番幸せだと心底から思った
7時50分。きょうは何をしようか。午後から訪問診療があるが、できるだけ手短かに済むといい
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不調という感じがない
きょうは娘と夫くんが久美ちゃんのところへ着替えなどを運びこむ。ついでに伊藤園のザクロジュース、水素水を30本ずつ、折り畳み椅子を運んでもらう予定
19日、(二か月ごとの)定期検査で久美ちゃんの血糖値がかなり改善していることが分かり、薬を減らすことになった。三年にわたり一向に改善しなかったのがサ高住へ移る日に改善してたのがわかったのだからこの世は妙
色々な要素があるだろうが、三か月まえからカゴメの野菜ジュース(無塩 無糖)を毎日飲ませ続けたのが大きいと感じる
バンクーバー時代、久美ちゃんが骨折して料理が出来なくなったときオノマが野菜多用の食事をつくって食べさせていたら血糖値が劇的に改善したことがある
あの頃、久美ちゃんが指先を刺して血糖値を測っているのを見るのが不快だった
ネットで針無しで測るスマートウォッチの宣伝があったのでオーダーしたがなかなか届かない
業を煮やしてふたたび検索するとオムロンの製品があったのでオーダーした。ほどなく最初にオーダーしたのが届いた。どうも中国製だったようでそれで時間がかかったらしい
すぐオムロンも届いた。娘に両者を比較してもらい、オムロンのほうが使いやすいとなった
オムロンは基盤が大振りで女性には似合わないかもしれないが読みやすい。中国のほうは小さくて見た目はいいが読みづらい。機能がごちゃごちゃしていて血糖値になかなかたどり着かない
娘に久美ちゃんの部屋にサイドボードを入れテレビを置いて欲しい、その際は操作が簡単なものにして欲しいと頼んだ
いつのまにか後期高齢者になった世代にとって今のリモコンはボタンが多くて使いづらい。説明省略。最先端の進歩を押し付けることが認知症増加の一因かもしれない
都市再開発も含めて今の「進歩」はゴチャゴチャ感があって感心しない。東京のスカイラインは五十年まえのほうが断然きれいだった
自民党の違法金策を暴いたしんぶん赤旗に敬意を表してみせたが、所詮はやってる感の忖度捜査でお茶を濁そうとする検察庁
日本の政治はゴチャゴチャ感満載で美しくない。みにくい。シンガポールとは雲泥の差。もっとシンプル、もっとコスパ。もっと知性。もっと感性
やはりあと二十年はかかるのではなかろうか。山本太郎、泉房穂、頑張ってちょ
今日のオノマは不調感がない
三つやってみる
?真向法。二か月にわたりほぼ寝たきり。筋肉激減。体重激減(49.9キロ)。筋肉減が気管を狭くし呼吸困難を招いている。これらすべてに対し反転攻勢開始
⓶掃除。二か月で掃除機をかけたのは一二回。息があがってしんどかった。ダイソンの掃除機はコスパが良い。使わないのは罪
?布団乾燥。幅のせまい折り畳み式ソファを延ばして布団替わりにしている。二か月敷きっぱなしだったので一週間ほど乾燥させる。その間は本物の布団を敷く
みっつも善いことをするのだから充実した日曜になるだろう
ん? オノマのブログもゴチャゴチャしてる? 失礼しやした
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久美ちゃんはきのう 2024-1-19 サ高住へ移った。娘とケアマネさんが同行した
右肩上がりで進行していった(いる)久美ちゃんの認知症の線。右肩下がりで進行していった(いる)オノマの体力の線。ふたつの線が交わって堤防決壊。老老介護に終止符をうたれた
朝九時前デイサービスのTさんに久美ちゃんを渡したのが別れとなった
永別というのではない。オノマも調子がよくなれば娘と一緒に訪ねるかもしれない、あるいは彼女が週末にでもやってくるとか
昨日は久美ちゃんを送り出すまえから不調だった
熱っぽい感じとゾクゾクする感じがあって気持ちが悪い。歩行困難となり夕方六時頃に就寝。二時間おきにトイレに立つのがしんどかった
1月20日。こんこんと眠っていたのだろうと感じた。夜中二時頃に目が覚めたら全身ぐっしょり。トイレに立つのが楽になっていた
妄想した
オノマの体内はバランスが崩れやすくなっている。昨日は機能不全になっていた
機能不全の中で腎臓に一番負担がかかっていた。能力以上に働いていた。腎臓を休ませるための手立ては睡眠、安静
安静中に体内器官はバランスの調整に専念した。結果、腎臓の担っていた汚染処理水排出の一部を体中の汗腺が助けた
20日
楽になったのでゴミの分別をした。久美ちゃんが使ってそのままになっていた湯吞み二個を洗った。整理整頓はいつも気分を良くしてくれる
昼は娘が冷凍室にいれていた野菜入りカレーを食べた。食欲が無かったりあったりの繰り返し。体内器官がバランスよく働くのは奈辺にあるのか
ひさしぶりで相撲をみようか
一度は優勝して欲しい元大関の高安関。二日目に大関霧島との一戦で怪我。休場で今場所もオワ。しかし昨日戻ってきて勝った由
19時54分
きょうはずっと体調が安定していた。今から寝るのは早すぎていけないのかもしれない
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咳こむと死ぬかと思うほど呼吸が苦しくなる。喘息の薬としてステロイドを朝夕吸入するよう言われているがそれは予防用であるらしい
発作が起きたときに使う吸入器も貰っているが、効くのか効かないのか分からない。体をエビのように曲げて咳こんでいる最中に吸入器を使う余裕がない。咳が収まりかけたころにようやくシュー
咳が体力を消耗させることは数年前から体験していることだが、体力消耗が記憶障害を引き起こしていると思う
消耗した体力をひたすら眠ることで取り戻そうとする過程において記憶機能どころではないのであろう。まあ、ブログを読み返しても大したことをしていないのが分かるから記憶してなくても良いではないかと自分に言い聞かせる
思いだせるのは昨日17日に風呂に入ったあと寝床にもどるとゾクゾクした。例によってダンゴムシ。神に祈るまでもなく眠りに落ちた
今日の明け方4時頃目が覚めると(いつもなら2時間おきに目が覚めるのだが、数時間連続で眠り続けたらしい)またもや汗びっしょり。そして体が楽になっていた
朝7時のNHKニュースを見ていたら一階下に住む娘が久美ちゃんの朝飯をもってきた。娘がきても大概は自室で横になっているのだが、こうして起きている姿をみて娘のストレスは軽くなっているだろうと思った
さきほどまで皿洗いや洗濯物を畳んだりして過ごした。途中で自室に置いてあるケータイ電話が鳴ったが無視した
一時間ほどしてケータイをみたら久美ちゃんの友達ふたりが東京で一緒にいるのでかけたというラインメッセージがあった。声を出すと咳き込む旨ラインで返した
FBに久美ちゃんの仲良しさんからその後どうかというメッセージがあった。東京の二人への返事と同じ、久美ちゃんは明日金曜日の午後からサービス付き高齢者住宅に移る、介護サービスやデイサービスも付いていると返事した
年初に頂いた賀状に返事しようと思いながら既に18日。今日は少し楽だったが二月になってからにしよう
]]>明け方三度か四度同じ夢をみた
能登の被災者に送る食料品を小分けしてそれをFBに載せようとしている。小分けがスムーズにできずなんども同じ動作を繰り返す
ようやくFBに載せられると満足したが、はてな?これで良いのだろうかと思っているうちに覚醒した。木に竹を接ぐような夢だった
体温37.2度。上半身をおこしている今、鼻水がたらたら流れてくるので時々チューブを外して拭く
お気に入りブログのひとつにオノマがよく思うことが書かれていたのでコメントを送った
現し身の私の肉体は分割できないけれど、夢はいくらでも分割できる。私の余命は地球上で生きるしかないが、民族だ、人種だ、宗教だ、と愚か者に牛耳られて戦争と殺戮に明け暮れている地球にうんざりしている。
https://plaza.rakuten.co.jp/plexus/diary/202401100001/
オノマコメント
いいことをされましたね。
「地球にうんざり」に残念ながら同感するところ大です。
ニンゲンは複雑で有用なものを作り出す力がある一方、単純で暴力的な破壊をしてやまないのはなぜなのか。
SF映画では「スターウォーズ」とか「スタートレック」などにみるニンゲン以外は全て敵といった作品がもてはやされ、「2001年宇宙の旅」や「三体」といった哲学的な作品が少ないのはそもそもニンゲンが出来損ないの猿である故ではなかろうか、などと考えています。
「三体」では何度も文明が生まれ、何度も消されるというシーンがありますが、今の地球文明もそういう過程にあるのかもしれません。 (Jan 13, 2024 01:42:51 PM)
おのま@四国さんへ
「ニンゲンは複雑で有用なものを作り出す力がある一方、単純で暴力的な破壊をしてやまないのはなぜなのか。」・・・
おっしゃるとおりです。この問いかけに未だ答えを出した人間はいないですね。それはつまり、答えを出そうにもその数万年の暴力の歴史に呑み込まれているからでしょう。
昔、私が学生だったころ、或る文芸誌の座談会で地球上に起こっている人間の問題を根底から変えるには「火星待ち」、と発言した作家がいました。
地球以外の所に人類の「敵」を見つけなければ人類は一丸となれない、というような意味だったと私は記憶しました。しかし、それもヘンな論説で、おのまさんが例示された「スターウォーズ」とか「スタートレック」の思想と同じだと思います。
私は大きな建設現場とか、それを実現するために考案された巨大機械が大好きで、驚嘆しながら人間の創造力に頭をたれています。NASAのキャンペーンに参加するのも、人間の能力に自分の夢を託したいからです。
・・・そして一方では、その創造性をあざわらうかのように破壊と殺戮をくりかえす人間たちがいることに愕然とするのです。人種、民族、宗教、・・・そこに纏い付いている差別観を人類の「くだらなさ」、と私は言って憚りません。
山田維史 (Jan 13, 2024 08:05:50 PM)
今日はこまめにめもを書いていこう
6時
廊下が明るくなっていた。玄関の照明がついている。朝はやいのに久美ちゃんが外に出たのかと心配したが、そうではなくトイレに行ったのだった。昨日一時間ほど外出した満足感が持続しているのだろう
オノマは寝汗をかいていなかったが体調は悪くない。就寝前にあった下半身の冷えは消えていた
居間に行き高さ50センチほどの電機ストーブのスイッチをいれた
居間は食堂、台所と一部屋になっており、台所の換気扇を通して外気が入ってくるため室温が15度を切っている。二年前に買ったダイキンのエアコンは効きが今一つなので使用していない
寝床にもどると酸素濃度は78に下がっていた。まずいなあ。もう元の体に戻らないのだろうか。布団にもぐりこみ暫くすると97にもどった。ゆうべ娘は九時ころにくると言っていた。くみちゃんもオノマもそれまで寝ていよう
9時
体調が良かったので8時頃からテレビをみた。9時、一階下に住む娘がやってきた。久美ちゃんに朝食を食べさせ、では行ってきますと云った
どこに行くのと問うと久美ちゃんが入る施設だと。そういえばそんなことをケアマネさんとラインでやりとりしていたのを思い出した
久美ちゃんのスマホで追跡すると施設は車で三十分ほど西の郊外、グーグルマップでみると緑地の多い場所にあった。居室で撮った久美ちゃんの写真がラインで送られてきた。嬉しそうな顔だった。久美ちゃんと娘は、施設近くにあるパン屋さんで昼食をとった
オノマは全国女子駅伝をみてたのだが途中で放送が半時間ほど中断した。それまで兵庫がトップだったのが放送が再開されたときはすでにゴール近くで宮城がトップ、京都が二位でゴールインした
中断前は宮城も京都もあまり写ってなかった。おもしろい追撃劇があったに違いない。こういう実況をするNHKってどうなのよ
今年は廣中璃梨佳が出なかったからまあいいか。廣中が中学生で出たときの走りを今でも覚えている。今や23歳。時間が早い
16時
大相撲初場所初日。大関から陥落したあと前頭でいったりきたりしていた高安が今場所は小結に戻っている。前頭三枚目の北勝富士を難なく破った。念願の優勝を達成するかもしれない
22時
テレビを見ている間は心拍数も酸素濃度も正常だった。皿洗いをすると正常値から外れたがそれほど苦しくなかった。就寝前の体温36.3度
大相撲のこのサイトはよくできている
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1-12の朝は調子が良かった。台所と居間のあいだを行き来していて足腰がしっかりしていると感じた。スキーでいう足裏感覚がはっきりしている。この分ならもうすぐ外に出ることができるようになるかもしれない
昼頃風呂に入った。10日に使った湯を追いだきして入った。血中酸素濃度は97で安定している
東陶のシステム風呂は新幹線にまけない日本の傑作だと思う。十二年まえ、カナダの元イエの風呂(二か所)を改造したが東陶にはるか及ばなかった。地球のほとんどの国にない(もしかすると日本にしかない)システム風呂が何十年もまえからある日本。プライスレス
湯船から出るときは慎重に出た。投げ出してある下半身をゆっくり折り曲げ足を湯船の底につけ、しばらくその姿勢を保った。酸素濃度をはかる小さな計測器とタオルをおくため湯船の半分は蓋をしている。蓋に両腕を乗せ頭も乗せた。酸素濃度が97で変わらないのをみて浴槽からでて体をふいた
やはり下着をつけるときに息があがったが片足だちでパンツをはけた。寝床にもどると酸素濃度は88に下がっていた
寝床に入った時に体がゾクゾクした。寒気。ダンゴムシのように丸まって寝た
一時間か二時間かわからないが良く寝た。体が火照っていた。火照るというより火山のマグマが噴き出してくるような感じ(大袈裟か)。体温は38度だった
トイレに立とうとして苦労した。寝床から出ようとして後ろにひっくりかえること三度。だるまさんが転んだ
トイレから戻ると血中酸素濃度は80を切っていた。生死の境にあった(これも大袈裟か)。朝あった足腰のしっかり感が全く消えていた
さらに寝た。夕食をたべないで寝た。食卓まで歩く気がしなかった。枕元においてあるクルミパンを二個たべ、野菜ジュースをがぶ飲みした。寝る前の体温は37.9度
13日 6時前に目が覚めると下着がぐっしょり濡れていた。おねしょではない。寝ているあいだにかいた汗。タオルケットもしめっぽかった
寝汗は何年もかいたことがなかった。体が軽く感じられた。体温37.4度
体が動くので洗濯物を洗濯乾燥機からだした。夏物のシャツなどをカナダ・トロント・ナショナル(ゴルフクラブ)のビニール袋に入れて押し入れの隅に放り込んだ
ナショナルは広告会社を営んでいる友人と勤務先の外部重役のふたりがメンバーだったので二十回は回っている
コース内に池があってそこに近づくヒトは池から急いでやってくるブラックスワンに凄まじい声で威嚇される
初めて威嚇されたときにはその勢いにたじろいだ。恐怖を感じた。なれてくると、やるの? こっちには強力な武器があるんだぜ(ゴルフクラブ)と余裕。あんた、被害者意識過剰じゃね? 麻生太郎の親戚?
漫画頭の太郎じいさん、アメリカにでかけて中国の脅威を訴えた。詳細省略。要らないことをするねえ
ナショナルは(当時は)男性のみのクラブで、なんと言いましょうか、一種、さわやかな雰囲気があった。プレイしたあとビールを飲みながら歓談するときの開放感が他のクラブと違っていた
(トロント時代、部下の女性からミスターオノはフェミニストだと言われたことがある)オノマ、女性を排除する気はさらさらないのだが、それが実感だった。男子専用のクラブがあって悪いとは思わない。トイレだって別々じゃん
体温は上下した。13日、朝10時40分の今は36.4度
ザ・ナショナル
さきほど一階下に住む娘が久美ちゃんに朝食をたべさせたあと、外に連れ出した。体力の衰えがさほどでもない久美ちゃんにとって外出は良い時間なのだと思う。娘に感謝
12時3分。久美ちゃんが帰ってきた。娘は別用があり夫くんが車で連れまわしてくれた由。くみちゃんが持っているスマホで居場所がわかるのだが、なんと屋島まで出かけていた。あらためて感謝
21時31分。娘が用意した夕食を食べた。焼き鯖、キャベツ、御飯。味噌汁もレンチンしたが取り出すのが億劫でそのままにしてある。食事の最中から下半身が冷えていて不快。酸素濃度92。体温36度4分。もしかすると今夜も寝汗をかくのかもしれない
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2024-1-10
一日あけて入浴した。こんかいは愛媛県宇和島でつくっているヨモギの入浴剤を入れてみた。湯治の気分を出すため
★
色々な温泉に入ってきた
カナダBC州の有名な温泉町、ハリソン温泉。1973年の夏だったかに行ったのが最初で最後。みな水着をつけて入る
温泉というより水泳プール。一歳をすぎた長女がプール際から何度も飛び込んだ。キャーキャー言いながら飛び込んでくるのを受け止めるのだが一度失敗して娘はむせた。それまで喜んでいた顔がしかめ面になった。そばでずっと見ていた中年の女性がもう十分ねと笑った。
BC州では福島県出身のマイク佐藤が関わったミーガークリークが良かった。秘境に近い雰囲気の中に点在する露天風呂。素裸で入れる
現地に到着する前に大きな川・ミーガークリークがあり、川の中に置かれた岩伝いに渡るのだが先年洪水で押し流されてしまったと聞く
コスタリカのタバコン温泉。かなり幅のある川が温泉である。設備もきれいで観光客の人気スポット。水着着用なのでオノマの評価は今ひとつだがまた行っても良い
コスタリカの自然が良い。小さなワニがうじゃうじゃいる川を小舟で二時間ほど遊んだ。森から猿や鳥の声が聞こえてくるがその姿をみつけるのが難しかった。ガイドが指さす方向をみてようやく猿が見えた
日本では小学校の遠足で行った福島県・東山温泉。千人風呂の混浴。男子も女子もはしゃいだ。裸だが性的な感情はゼロだった
江戸時代の銭湯は男女混浴だったが、それをみた西欧からのキリスト宣教師が邪悪なりときめつけ、だんだん混浴が廃れたという。余計なことをしてくれたものだ
暗く波が高い日本海を一望する大浴場も良かった。名前を思い出せない
先日ブログに書いた手白沢温泉が一番良い。できればもう一度入りたいのだが現地に着くまで可なりの距離を歩かないといけないから見果てぬ夢であろうか
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ヨモギ温泉は今一つ気分がでなかったが、沐浴するのは気持ちが良い
相変わらず着衣で息があがったが今回はしゃがまず、片足立ちで下着をつけることができた。片足で立ってグラグラしないことはスキーに欠かせない要素
ミーガークリーク
ミーガー・クリーク温泉開発の歴史 (asahi-net.or.jp)
タバコン
コスタリカのタバコン温泉は川そのものが温泉に!お得に入る方法は? | COCOIKO earth
混浴
江戸時代の湯屋のほとんどは混浴だった。みんな意外と抵抗なかったってホントなの? (2018年11月30日) - エキサイトニュース (excite.co.jp)
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2024-1-9 火 14:30 医師と看護師来宅。1時間ほど診察、説明あり
抗生物質服用再開三日目から体調が回復した旨を伝えたが、抗生物質服用は耐性菌をつくるので再度の処方はしないとのこと
抗生物質と同時に服用していたのはステロイドでこれは継続すると。体調回復気味なのは抗生物質ではなくステロイドだったのかもしれない
今後月に二度訪問診察する由
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クリスマス会、正月会で大勢集まるので居間に置いていたワゴンをオノマの部屋に移していた。それを今度は台所に置いた。食卓に何も置かない為
ワゴンがなくなったスペースに居間に置いていたエアドッグをオノマの部屋に移した。10日にこれを久美ちゃんの部屋に移した。久美ちゃんの部屋はオノマの部屋より空き面積がすこし広い
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エアドッグは反応が早い。居間にあったときにスイッチをいれたらモニターが真っ赤になった。クリスマス会、正月会で一族郎党が集まったので空気が汚れたのだろうか。五分ほどで緑になった
オノマの部屋は緑だったので久美ちゃんの部屋に移した次第。まだ試してない
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ほんじつは2024-1-8 月 の出来事をできるだけ短く書く
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昼近くに電話があった。シンガポール時代から四十余年後の今も交遊が続いている D君 からだった
咳が続いているとメールをくれたのがD君でオノマより二歳若い。大企業数社の重役を勤め今はフリー(だと思う)
D君一家とは二回一緒に家族旅行をした。マレーシア・ティオマン島と日本・手白沢温泉。どちらも野性的な休暇だった。手白沢から戻ったら北炭が倒産していた
咳だけでなく他にも不調なところがあるとのこと。互いの不具合の話をどういうわけか笑いながら話した。半時間ほど話したろうか、大いに愉快であった
★
前日に続いて入浴。浴槽のなかで頭を洗った
髪はバリカンを使って短くしている。坊主に近い
シャンプーは何年も使っていない。食用重曹で洗っている
頭からこぼれ落ちる重曹で顔も洗う。石鹸より綺麗になる
着替えはやはり苦戦したが今回は立ったまま上下の下着をつけることができた。這わずに歩いて寝床に戻れた。血中酸素濃度は前日同様90を切ったが横になるとすぐ97にもどった
★
夕食量がいつもより多かった所為かなかなか眠れなかった。夜になると太ももとふくらはぎがだるくなり不愉快。ひさしぶりに神様眠らせてくださいと祈ったが直ぐにはかなわなかった
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温泉|鬼怒川奥地に湧く名湯 手白澤温泉 (teshirosawa.co.jp)
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ただいまの日本時間は 2024-1-8 月 7:12
7時ちょっとまえ、一階下に住む娘がやってきて生ごみをだしてくれた。まだきちんとまとめてない紙ごみも持っていった。いまは久美ちゃんに朝食を食べさせている。有難いのひとことなり
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昨日は体調が大いに変化した
以前から起きている(らしい)地球の乱れに自分も同調しているのではなかろうかと一年もまえから妄想してきたが案外あたっているのかもしれない
シンガポール時代からの友人に賀状のお礼をメールし、不調を伝えたところ彼も原因不明の咳に悩まされていると返事がきた
別のシンガポール時代の友人にもメールしたら、コロナワクチンを打ってから不調が続いていると返ってきた
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能登半島では今も揺れるそうだ。ビニールハウスに避難している人たちの様子をテレビでみたがさぞかし寒かろう、心細かろう
某社の調べでは政府の対応は早いという人が57%だというがほんとかね。現地の人に訊いてごらん。山本太郎に訊いてごらん
学校の校庭を使ってヘリコプターでピストン輸送、病人の救出をやっているという映像をみていない
現地のNPOから連絡があって急ぎ現場に行った山本太郎に対して現場が迷惑すると批判する連中はお花畑のくるくるパー
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閑話休題
昨日は体調が大いに変化した
朝の状態がひどかったのでラインで子供たちに報せた
8:50 トイレに立ったらひどく咳き込み血中酸素濃度が77に下がった。パンを食べたら90になり、ついで横になり2分経つと97になった。やれやれ
10:42 ママ(久美ちゃん)が外に出たみたい。追跡たのむと娘にライン
11:07 今 〇〇〇〇号室、Gさんが久美ちゃんを連れて来た。Gさんの家に入ってきた由。久美ちゃんは静かに笑っていた。Gさんとの応対で酸素濃度は90に下がったがすぐ97に戻った
11:17 娘が久美ちゃんを引き取りにきた。家事でラインに気づかなかった由
13:43 今年二回目の入浴。沐浴中は97で安定。浴槽のなかで垢をこすり、髭を剃りさっぱりした
着替えで苦戦した。酸素濃度が一気に88。しゃがんだまま下着をつけるのが精いっぱい。あとは着ずに這って寝床に戻った。2分後、酸素濃度は97に戻った
FBに寄せられたコメントに返事を書いていたら(バンクーバーの)スキー仲間のひとりからメッセージが来た。二十分ちかく文字チャットで交信した。滅多にしないチャットが終わったら気分が良くなっていた
孤独は苦にならないと書いたが人と交流するのが嫌なのではない
チャットのあとすぐ眠りにおちたらしい
16:32 目がさめた。ぐっすり寝たと感じた。酸素濃度 99 !! トイレに立っても下がらなかった。朝に比べて体がとても楽に感じた
★
18時ころ、娘が夕食を持ってきて久美ちゃんに食べさせた。久美ちゃんは16時ころ娘の所からもどっていた
19時まえにオノマも食べた。まだ温かい七草粥が美味かった。鰤の塩焼きも美味かった。ことしも七草粥を食べることができて有難いと思った
去年はスーパーから七草を買ってきてオノマが作ったが、娘のが遥かに美味かった
そうだ、食べる前に洗濯・乾燥機から洗い物をとりだしたのだった。息は上がらなかった。二日前から再開した抗生物質服用が効いてきたのかもしれない
★
19時15分ころから(すでに始まっていて途中から)見た映画で沢山笑った
「一秒先の彼女」
オノマ、ラブストーリーは好まないのだがこれは良かった
台湾の景色、日常の一端が珍しかった。台湾人の(たぶん日本人にはない)ユーモアの心根が胸に響いた
台湾には仕事で二回行き、ストップオーバーを一回していて良い印象を持っていたが、好感度がさらに増した
最後のシーン、主役の女性は(演技ではなく)顔をくしゃくしゃにして泣いていた。オノマも泣いた
クレジットで流れた英語の歌も良かった。歌詞も歌手も良かった。ユーチューブにアップされているといいのだが
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救急搬送されてから二か月目にはいっている
徐々に回復していると感じるときもあったが今は徐々に弱っていると感じる
当初は病気ゆえブログの更新が激減するだろうと思ったのだが実際は逆。なかなか更新しないでいたのがこのひとつきは頻繁に更新している
頭がボーっとして前日のことも思い出せない状況に怖れをなしたからであろうか
しかし考えがうまくまとまらない
風に舞う落ち葉のようにあちこちに散乱している記憶をかき集めようとするが綺麗に集まらない
認知障害が始まっているのであれば抗っても勝てない。久美ちゃんをみてきたからわかる
昨夜はまとまりのないブログを書き続けるのは良くないのではなかろうかと思った
記憶が散らかっていくのをそのまま放っておこうか、ブログを続けることに拘らないようにしようかと自問している今
とりあえず本日はここまでにしよう。したいこと、できることがあればすれば良い。寝たきりで一日が過ぎても良しとしよう
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一月六日 土 14:07
朝は体の感じが良かったのでバルコニーに出ているゴミの片付けをした
正月の宴のあと、プラスチックごみ、リサイクルごみ、紙ごみがわんさか
プラとリサイクルが溢れんばかりに入ってる袋を縛るのに時間がかかった。血中酸素濃度が90を切り、80をきり77になったところで中断。紙は手つかず
★
昼すぎ一階下に住む長女が肉うどんをもってきた。久美ちゃんに付き添って食べさせた。オノマはテレビを見ながら食べた
能登地震の様子に心痛
★
救援物資不足、避難所の環境まことにお粗末
2011年3月11日の震災から何を学び、何を準備してきたのか大いに疑問
岸田首相は72時間が勝負と云った。5日たった本日の記者会見。中身のなんという薄さ、なんという対応の遅さ
現地を上空から視察して(現場に降りると邪魔だから空からだけ)事の大きさを理解すればいいのに、テレビに出て政局の話に興じていたというのだからリンダ困っちゃう
きたるべき南海トラフの準備は本物のリーダーにやってもらわないといけない。岸田先生ではまる岸田め
★
久美ちゃんが食べ終わってもオノマは半分しか食べ終えていなかった
二年前、バンクーバーにひと月ほど滞在している時に犬歯が二本抜けた。一年前、これまたバンクーバーにひと月滞在しているあいだに今度は上の臼歯が左右一本ずつ落ちた
前歯でうどんを噛みきり、前歯ですりつぶすのろのろ食事
★
40数年まえ、シンガポール時代。拒否するオノマを無視して歯科医は金属片を埋め込んだ。頭の働きが悪くなった
35年前、バンクーバーの歯科医が、金属を埋め込むのは古い治療法なり、邪魔だから取り除くと云って施術すること十数分。どうしても取れないと言われた。医者もオノマも汗をかいていた
30年前トロントで詰め物をした。日本人の医者で優秀だという評判を聞いていた。しかし、詰め物は何度もとれ、都度詰め直してもらったが諦めた。優秀な歯医者ではなかった
20年前、西バンクーバーの歯科医が優秀だというので一年ほど通った。インプラントなる施術をされたが不調。数回手直しをしたあと外してもらった
この歯医者を薦めてくれた知人は一昨年に臼歯、いや急死した。オノマより何歳か下。バンクーバー交響楽団の理事だった。最後に会ったのは北バンクーバーのセンテニアルホール、2019年5月16日、神尾真由子のリサイタル会場。その時の顔や体の表情を覚えている
爾後歯医者には行っていない
入れ歯はしない。するものか
★
ここまで書いたのを読み返した。我ながらつまらないねえ。書くのをやめる
★
昼前に病院から電話あり。来週の火曜日に医者が診にくることになった
昼前に娘が薬局から抗生物質・七日分を貰ってきていた。うどんを食べたあと服用した
6日記者会見に臨む岸田首相
岸田文雄首相は6日、能登半島地震について、激甚災害への指定が「視野に入る」と述べた。指定されれば復旧事業に対する国の補助率が引き上げられる。首相は「具体的な指定には被害状況調査などが必要だ。速やかに調査を進め、迅速に対処する」と表明した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
地震による死者が100人になったことについて、首相は「改めてお悔やみ申し上げる。被害の甚大さを強く感じている」と語った。
公開日: 更新日:
分かってはいたが、やはり被災地や国民に寄り添う気持ちなんてないのだろう。
4日の年頭記者会見を「地震関係の公務がある」と早めに打ち切った岸田首相。質疑応答で挙手しても当てられなかった記者が「原発について質問させてください」「地震から3日目でいまだ総理が原発について一言もコメントしないのは異常です」などと声をかけ続けたが、一瞬ニヤリと笑って立ち去ってしまった。
首相動静を見ると、午後5時13分に会見を終えた岸田首相は、たしかに午後5時30分から15分程度の会議をしているが、その後は2時間近く予定ナシ。これでは、まるで会見を打ち切る口実で会議がセットされていたように見える。
しかも、その後は東京・台場のフジテレビ
に向かい、午後8時からBSフジの生放送に出演していた。
1日に能登半島で地震が発生してから、生存率が大きく下がるとされる72時間を過ぎて緊迫するタイミングでのことだ。安否不明者や生き埋めになっている人も多くいる中で、わざわざテレビ出演するからには、政府の支援策を説明したり、被災地を安心させるようなメッセージを発出するのかと思ったら、震災関連の話は冒頭10分強で終了だった。
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只今の時間は2024-1-5 金 17:25
★
1月5日、わが体調いよいよ悪く、朝方久美ちゃんを送り出したあと訪問看護師に電話した
二週間続けて服用していた抗生物質を先週水曜日をもって終わりにしたときは回復基調にあると感じていたが今は絶不調、トイレに立つだけで酸素濃度が90を切る、病院に行く力なし、医師に抗生物質の再使用を訊いて欲しい
三時過ぎ、看護師 I さんが薬の処方箋をもってきてくれた。I さんと話しているあいだもしんどくてオノマは顔を手で覆っていた
脈拍、血圧は正常。酸素濃度は88〜92で不可。聴診器、やはり右肺の音が弱い由
I さんは入院して安静にするのが良いと云った。オノマもそう思う。が、久美ちゃんの送り迎えが要るのでもう少し頑張ると伝えた
★
きのう1月4日、一時過ぎに大阪から次女一家三人、兵庫から(体調不芳の義娘を除く)長男一家三人が来宅。両家は途中のサービスエリアでばったり会った由
長女、次女、長男が宴を用意した。オノマも雑煮を一緒にたべた
雑煮は香川式。白みそ、野菜は珍しくないが、餅は夫くんの実家でついたヨモギ餅の中に甘い餡が入っているという代物
餡餅の雑煮なりとはじめて聞いたときはゲテモノだと思ったが、実際に食べてみると美味い。もう香川式以外の雑煮は食べたくない
長女たち三人が和室で食事をしている孫五人にお年玉を配りはじめた。長女の夫くんに頼んでオノマの部屋から用意していたお年玉袋を持ってきてもらった
長女たち三人で取り決めた額より少し多めに入れてあるから孫たちは喜んだと期待
孫#5・小1=2千円
孫#3,2・中1=1万円
孫#4,5・大1、大3=2万円
★
宴が終わったのが5時近く。長男一家三人は帰宅の途についた。長女と次女は久美ちゃんが入る施設の候補を見に行った
部屋もサービスも整っているが、次女は費用にびっくりしたとラインがきた
入居時に2百万円。費用は毎月25万円=毎年300万円
★
株投資で年300万円稼ぐ戦略を考えようと決意
今日は12月22日に買った川崎汽船(6474円x100株)を6654円で売って1万4千円ちょい儲けた(税金が3600円ちょい)
100株でもチマチマ売買することで25万円のもうけになる月は多い。が、10万円にしかならない月もある。よって要戦略練り直し
★
話は前後する
本日5日の朝
?バンクーバーにある銀行口座から預金を日本に移したい旨を電話で銀行と相談した。一時間ほど話した。一部預金については本人(オノマ)が店頭に出頭しないとできないとの結論
?バンクーバーのスキー仲間のひとり、久美ちゃんの仲良しさんから電話で話したいとメールがあった。看護師がくる前、午後2時半ころから三十分ほどラインで話をした
オノマの体調と久美ちゃんを施設に入れる予定の話、仲良しさん一家の状況(至極順調)と他愛のない話
そういう他愛のない話がここでは皆無。(友達がたくさんいる)彼女はオノマに新しい友達をつくれといった
オノマは(元来社交的ではないから)その気になれない。ならない
★
孤独は苦にならない
神とはどういう形をしているのかとか、なんで自分は存在しているのかといったことを繰り返し考えて飽きない
地球人って出来損ないですよんと神に伝えている。プーチンやネタニヤフーなどは狂った犬に似たイキモノですよ。ったく
★
只今の時間は2024-1-5 18:17。なんとかひとつきの状況を途切れなく書くことができたと小満足(抜けてるところある?)
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只今の時間は一月四日 21:15
昨日三日は体調不良のオノマを除き長女一家四人と久美ちゃんは初詣でに出かけ、ついで夫くんの実家ですきやきを食べた
それらの様子は刻々とラインで送られてきて自分も参加しているような感覚が生じる。疑似体験でも十分楽しい
久美ちゃんのおみくじは
大吉
時くれば 枯木と見えし 山陰の さくらの花も 咲きにおいつつ
初めは冬の枯木の葉落ちて花もなく寂しく些末如何ならんと気遣うもその内に春となりて花咲く如く末よき運なり何事も耐え忍び時を待てば必ずよし
オノマもあやかりたい。雪山で遊びたいとFBに書いたらバンクーバーのスキー仲間からコメントがきた
バンクバーの大吉は、来週、子達が学校へ通い出す頃、カナダ式冬期に入り、G3も雪満開とのこと、おー神よ、ありがたや
オノマは返した
時くれば 嬌声あげる ちびっこも 消えて雪山 われひとりじめ
今の時代、こうした歌(もどき)のやりとりを対面ではできないと思う
ネットゆえ蘇るなり平安朝(小野の冬風)
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只今の日本時間は2024年元日21時31分
あいかわらずボーっとしている。前日、大みそかのことで思い出せるのは夕方六時頃だったろうか、一階下に住む長女が年越しそばをもってきてくれたことくらい
夫くんの母堂がつくったもの、具がたくさん入っている、薄味であるといった説明があった。蕎麦もご母堂が打ったそうで、つなぎが弱く、したがってぼそぼそと切れやすいオノマ好みの蕎麦だった
久美ちゃんもオノマも具を全部たべたが蕎麦は半分ほど残した
オノマが寝室に戻ったあと、久美ちゃんは紅白歌合戦をみていた。長女はそのまま帰っていいものかどうか迷っていたがテレビに飽きたら自分の部屋に帰るから心配無用と安心させた
九時頃だったろうか、テレビの音は聞こえていたが久美ちゃんは寝室で寝ていた
★
長女はオノマに比べて心配性なところがある。逆に大胆なところもある
二歳か三歳のとき、なにが気に食わなかったのか、ノンちゃん怒ってるんだからねと云った。気に留めなかったのだが気付くと家から居なくなっていた。数十分後、寝間着姿の娘が家から十五分ほど離れた小田急線の駅の駅員さんと一緒に戻ってきた
駅員さんがどうして我が家の子と分かったのかを覚えていない
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元旦八時頃
娘と夫くんがおせち料理が入った器をふたつもってきた。器のひとつは久美ちゃんのコレクションのひとつでオノマも気に入っている。もうひとつは娘が中国・北京でくらした二年のあいだに買ったもの由
娘と夫くんは一緒に雑煮を食べてくれた。孫#3は夜中を通してネットでともだちとゲームをしていた、#1も遅くまで起きていてまだ寝ているとの由
★
オノマが大学三年生の大みそかの夜を思い出した
新宿鶴巻に住む同級生の家で遊んだあと、小田急線新宿駅に着くと藤沢行きの最終電車は出たあとだった。電話をして同級生宅に泊めてもらうことにした。翌朝、家族、四人だったかと一緒に雑煮を食べたときはまだしも、お年玉をもらった時は身の縮む思いがした
半世紀以上もまえのこと、一体どうやって遊んでいたのか全くおぼえていない
★
昼頃になって、娘は実家に行くからと久美ちゃんを連れ出してくれた。ラインで写真を送ってきた。嬉しそうにしている久美ちゃんの顔には認知症を思わせるものがなかった
★
話は前後する
長女もケアマネさんもオノマが久美ちゃんのケアを続けるのは不可能だ、久美ちゃんが施設に入るのがベストだという
久美ちゃんは専業主婦の次女の家で暮らし、そこからデイサービスに通うのが良いと思っていた。次女は一軒家で寝室が四部屋あり、広いウッドデッキもある
次女にメールで提案したのが12月28日。助っ人に来ていたから口頭で伝えることもできたが、久美ちゃんの状況もきちんと説明したかった
孫#5がまだ幼児のころ、次女はママの面倒はみるよ、パパは見ないけどと云ったことがある。それを頼りに提案したのだが、次女は施設にいれるのが一番だとラインで答えてきた。次女が大阪に帰る30日のことだった
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東京に住んでいる久美ちゃんの友達に電話で相談した。彼女は亡くなった両親の晩年の話をし、施設に入れるのが一番だといった
出来るだけ長く久美ちゃんを身内と一緒にいさせたいと思っていたのだが、ニンゲン誰もが一人で旅発つのだし、最期いくばくかの時間をひとり孤独に過ごすのが良いのかもしれないとも考えた
オノマ自身、今、心身が弱っていくなか、身内があれこれ世話してくれるのは有難いが、それでもって終末の寂しさ、わびしさがなくなるわけではない、ナイアガラの滝つぼに近づいていくのを知って、周りの景色をひとり眺めるのも一興ではないか・・・などと考えた
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以上を書き上げた今は1月2日の15:26
昼近くまで寝ていた。トイレに立つだけで血中酸素濃度が90を切り、心拍数が130を超えた
一時は回復するかと感じたこともあったが、今は一進一退ではなく、一進二退で衰弱している。そういう状態に陥ったことが数年前の夏にもあった
あのときはフロモックスを飲んだら一進一退に戻ったのだった。二週間続けた抗生物質の服用が終わったため絶不調になっているのだろうか
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元日の16時10分ころ、能登半島で地震があった。高松の病床で感じたことも書こうとも思っていたのだがタイミングを逃した
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只今の時間は2023-12-31 16:48
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28日 木曜日の記憶が蘇ってこないが、まあいいだろう
水曜日で抗生物質の服用が終わった。二週間続けたせいで頭にも影響がでたのか、それとも酸素不足で脳に血がめぐらないのか、オノマの呆けは大いに進んでいる
★
29日 金曜日の夜は(一階下に住む長女一家四人 + 次女と野獣、いや孫#5 + オノマと久美ちゃん)三世代八人で鍋をつついた
鍋の中身=白菜、大根、鱈、豚肉、こんにゃく、(野中かまぼこ店の)じゃこ天
たれ汁=にんぽん(にんにくポン酢)なるものを初体験。悪くない
何かひっかかる。少し考えて分かった。オノマは見たこともないし、やったこともない、ニコポン
サイド皿=(次女が三越で買ってきた刺身)鯵、今朝獲れの天然鯛。長女の夫くんが志度(しど・漁港がある町)で買ってきた虎魚(おこぜ)の刺身
夫くんは唐揚げにするかだしをとるといって虎魚の黒い頭と骨を持ち帰った
刺身の半分ちかくを久美ちゃんが食べた
賑やかな宴の最後までチューブつきオノマは席をたたなかった。鍋に残った汁でうどんを煮てもらった。うどんは余り好まないのだが、美味かった
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長女の夫くん、孫#2,#3が去ったあと長女と次女は並んで片付けをした。チューブから流れてくる酸素がシューシュー音を立てているので二人が何を話しているのか聞こえないが、良い雰囲気だったのでパチリ
成人になっていく過程の子供たち(♀♀♂)を見ているし、結婚した光景も思い出せるのだが、それらが現実ではなかったかのように感じることがしばしばある。姉妹の背中をみていて同じように思った
親の庇護を必要とした時期の三人こそが真の子供であったような気がする
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忘れないうちに30日のことを書こう
この日は長女の夫くんの実家で餅つきをするというので久美ちゃん・次女・孫#5も参加した。もちつきを終えて16時すぎ、次女たちは大阪に戻った
もちつきの現地からラインで送られてくる写真を病床で眺めながらオノマはときどきチューブを外してみた。97、8ある血中酸素濃度がたちまち80台に落ちてしまう。チューブ付きのままオノマの人生は仕舞いになるのだろうか
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以上、一気に書き終えた今は12月31日、17:33
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4日に救急搬送されてから4週間
あいかわらず頭がボーっとしている。25 月 26 火 27 水に何があったかをすぐには思い出せない
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25 月
朝7時半。いつもだと起こさないといけない久美ちゃんが自分で起き、食堂で孫#5と歓談していた。次女が用意した食事を完食した
薬を飲ませたり、着替えさせたり、マスクをかけさせたり、バッグを持たせたりするだけでオノマは息絶え絶えになっていたが、次女は簡単にこなした
朝8時45分ころ。久美ちゃんを迎えにきたデイサービスの Oさん との応対も次女がした。オノマでないのを見て Oさん はオヤと思っただろうが、なにも詮索しないで久美ちゃんを連れ出した
★
コロナ引きこもりの鬱を紛らわすためだったと思うのだが、2022年はじめころにオノマは株投資を始めた
始めたころはニ、三十万円で売買していたが利益が出る。銀行預金の利子はチョー安い。だんだん預金から株資金に移し今は株の元手が千万円を超えている。儲けも増えた
★
今は昔、1975年〜78年、東京でサラリーマンをしていた頃。職場には毎日極東証券の営業マンが出入りしていた
高給取りだったとはいえ妻子四人を養う身で資金的余裕はゼロ。持ち家なし。株投資は別世界
こんな値段は異常だからすぐ下がっていくだろうと思っていたのが逆にどんどん上がり続けた住宅の値段。ままよと藤沢の新興住宅地の土地を買い、家を建てることにしたのが1975年
会社の融資制度、住宅金融公庫に加えて合計四社から借金した。合計でニ千万円ちかくだったか
★
先輩に株好きのひとがいて盛んに株を買えと勧められた。住宅資金の支払い前までと決めて百万円ほどで株を買った
先輩に薦められて買ったのは北炭(北海道炭鉱汽船)。つぶれそうな会社で株価は安かったが毎日上下するのでチマチマ売り買いして儲けがでた。わずかな儲けとはいえ励みになったのかもしれない
詳細省略
夏休みで三日ほど休んで会社に戻ったら北炭は倒産していた。株は紙くずと化した
プレハブの家、ミサワホームを建ててもらったのだが当初予定していた床の間を作らないことにした。損失百万円の記念なり
★
その後、シンガポール勤務から東京にもどり、バンクーバー、トロント、又東京と転勤が続き、トロントにあるアメリカの会社に転職
転職先から永久にいて欲しいと言われていたが五年で辞めさせてもらった。同じ会社のアメリカの支社やトロントの法律事務所から声がかかったが全部断った。バンクーバーで暮らしたかったのだ
藤沢の家を売った。その一部で株を数社買った。含み益になった
小泉純一郎が首相になるというのですべて売ったのは正解であった。正確には一社だけ含み損だったので数年間持ち続けた。最終的にはそれも利益がでた
利益の合計はたぶん百万円に届かなったと思う。投資した先が倒産するとなかなか取り返せないと心得るべし
★
コロナひきこもりのうさ晴らしで始めた株の売買。北炭の百万円は取り返した
株売買の記録帳を見ると12月25日は6日に200株買ったアオイ電子の半分を売り、1万9千円の利益がでた。26日に残りの半分も売り2万7千円の利益がでたとある
★
それにしても我ながら充実していない日々だねえ。病人だもの当たり前か
27日 水曜日は前日に買った三井海洋開発株、100株を売って1万7千円儲けているが、これまた時間つぶし以外のなにものでもない
★
思い出した。26日、火曜日には訪問看護師のIさんが来たのだ
体温、血圧、脈拍ともに正常
聴診器、右肺の音が相変わらず弱い。鼻汁が肺に入ってるとそうと分かる音がするが、その音はない
年末、年始は訪問しないが、緊急時には駆けつけるとのことであった
★
そうだ、28日 木の朝には給湯器の交換があったっけ。風呂のお湯の出が安定していなかったので一階下に住む長女が交換を手配していた。古い給湯器は二十年前のものらしい
早速浴槽にお湯を張り、オノマは今月初めて風呂に入ったのだった
剃らないままでいた口ひげとあごひげを剃ってさっぱりした。口ひげは黒かった。顎ひげは白かった。いずれも貧相なひげだった
★
あやふやな記憶を手繰り寄せながらブログを書き終えた今は12-30-土の16:48
今日は朝から長女一家、次女と孫#5、そして久美ちゃんは長女の夫くんの実家に行き餅つきをした
次女たちは先ほど高松駅から大阪に向かった
オノマはほぼ寝たきり。食事をとる力なし
長女が久美ちゃんの夕食を食べさせてからここに連れてくることになっている
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★
23日土曜日の午後、大阪から次女と孫#5がやってきた
長女は8時45分から久美ちゃんをエステに連れて行き、二人でうどん屋にいきランチを食べていた
長女は次女たちが高松駅に着く一時半頃に駅で落ち合おうかとラインで次女に連絡をとったが、交通渋滞のため間に合わなかった
次女たちが駅から歩いて我が家にやってきた二分後に長女と久美ちゃんが戻ってきた。次女はママのお肌きれいと云った
★
次女は冷蔵庫にあった白菜をみてこれを夕食のメインにしようと云い、近くのスーパーに出かけた
トロトロに煮込んだ白菜、豚肉、鱈の汁はとても美味かった。普段はあまり食べない久美ちゃんが沢山食べた
コンスタントに体重が減り続けている久美ちゃんだが一週間後には増えているだろうと思っただけでストレスが軽くなった
★
24日 日曜日、夕方六時ころから長女一家四人を入れ、八人のクリスマス晩餐会が始まった。長女が用意したコーンスープ、鶏肉の丸焼き、パエリヤがテーブルいっぱいに並べられた
オノマはチューブを外して参加した。長女が持ってきた日本製白ワインを飲むのを見て娘たちはやめた方が良いのにと云った。このワインは安価だが甘味と酸味がほどよく交じっていて美味い
コーンスープと鶏肉を食べ終えたころには血中酸素濃度が90まで下がっていた
パエリアには手を付けず、寝室に戻りチューブをつけた。たちまち酸素濃度は97に戻った
★
七人の賑やかな声が流れてくるのをききながらうつらうつらしていた
救急搬送されたのが4日。即日使い始めた酸素吸入器のお蔭で楽になっているのは確かだが、傾眠傾向が始まっている
★
傾眠=意識障害のひとつ
意識障害は4段階=清明・傾眠・混迷・昏睡
清明:正常。問いかけに正しく反応する
傾眠:肩に軽く触れるなど軽度の刺激で目を覚ますがすぐ又うとうとと眠りに落ちる
混迷:大声の呼びかけや身体をたたくなど、強度の刺激でないと意識が戻らない
昏睡:手足の自発的な動きがない。痛みなどの刺激にも反応がない
★
はい、パパにもクリスマスプレゼントという声で目が覚めた。赤い紙袋を枕元においてもらった
ワゴンに用意していた品々を七人のいる部屋へ運んだ
★
孫#5・小1には16歳の少年が描いた絵本とオノマが色を塗った鯨を模した木製の筆記たて
孫#5は絵を描くのが好きである
★
孫#3・中1には「信念の魔術」と (ロンドンの街角に今でもあるのだろうか)電話ボックスを模したブリキ性の貯金箱
五百円玉があったら貯金箱にいれ、高校卒業に開けるといい。「信念の魔術」は何度も読み返すといいというメモをつけた
★
おのまは大学受験に失敗し、一年間、駿台予備校に通ったことがある。お茶の水にある本校ではなく、四谷の谷底にある分校だった
本校のほうが合格率が高かったというイメージがある
福島県立安積(あさか)高校の同期生、五人が一浪を経て東大に受かったのだが、その内三人は駿台本校で学んだ。高校時代はオノマと学力が同じ三人だと思っていたが、駿台に入る試験では差があったのかもしれない
もうひとりは実家の磐城市で独学だった
駿台予備校に通って初めて都会の受験技術がとてつもなく高いと知った。だから独学で合格した長谷川慎一くんはすごいと思った
予備校の力もあったが、繰り返し読んだ「信念の魔術」が捲土重来、東大合格の源だったと思う。大概の望みなら何でも叶うという自信が今でもある
★
長女一家の成人三人、次女夫妻(夫くんは来ていない)にはカシミヤ100%のセーター。五着、〆て十万円なり
長女の夫くんと孫#1・大学3年は同じサイズ、同じ色。孫#1が大阪に帰っても父親が同じセーターを着ていることを想うといい
次女夫妻には色違いで浅い色
★
最後に久美ちゃん。コーチ(ブランド)の白を基調とした花柄財布
長年使ってきた赤い財布が目で分かるほど劣化していた
久美ちゃんにとって最後の財布になるのかもしれない
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★
ただいまの日本時間は2023-12-26 火 明け方4:47
血中酸素濃度98、心拍数90
★
12月21日 木曜日、22日 金曜日の記憶が定かでないがたぶん和室の整頓をしたのだろう。23日 土曜日に大阪からやってくる次女と孫#5に和室を使ってもらうために片付けていたのだと思う
★
和室で使っていた布団を玄関わきの部屋に移した。押し入れに入っていた洋式のマットレス二組をだした
敷布がない
厚みが異なる二組のマットレス。アマゾンに注文すると敷布は22日の午前に届いた
両方とも敷布にゴムが入っていてマットレスにかぶせる代物。厚いマットレス用の敷布は綿でも入っているのか膨らみがあって高級感がある。もうひとつは布だけでできている
★
折り畳み式の座椅子、座ったまま体幹を鍛えられるという低い椅子、マガジンラックを和室から居間に移した
酸素吸入器を玄関わきの部屋に移すと六畳の和室はほぼ空になった
それでも
四十年まえにシンガポールで買い、藤沢、バンクーバー、トロント、バンクーバー、高松と引っ越すたびに運んできたローズウッドのサイドボードがあるのでマットレス二式を並べるのがぎりぎりである
六畳ではなく八畳なら少し余裕が生まれるし、十畳あれば座椅子を置いてくつろぐことができる。何千万円もするマンションなのだからそのくらいの設計であって欲しいと思うも虚し
★
チューブを引きずりながら撮影をする力がない
検索してみつけた写真は愛用しているサイドボードとほとんど変わらない(たぶん同じ)
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ただいまの時間は12月24日、夜中2時24分
★
14日 木曜に瀕死状態(大げさか)で病院へ行った時 H医師は抗生物質を強いものに替えてくれた。薬効があってか17日 日曜日の朝から俄然楽になり部屋のかたづけが進んだ
ブログのどこかで S医師と書いた。Sは氏のイニシアルではなく名のイニシアル。これからは氏の Hにする
★
12月19日 火曜日 13時30分
二度目の訪問看護 Iさん来宅
薬効あって随分楽になった、薬は明日で切れる、H先生に同じものを処方してもらえないか訊いて欲しいと頼んだ
★
20日 水曜日の朝
病院から薬を処方したので処方箋をとりに来て欲しい、処方箋は本日をふくめて四日間有効だと電話があった
善は急げ。昼過ぎ病院で処方箋をもらい、病院から20メートル先の薬局へ行った。一週間前と様変わり、病院も薬局も人影が少なかった。なんだか夢の世界にいるような気がした
薬局で薬を貰う時、薬剤師が前の時より良くなったですねと云った。(先週)木曜にくらべて随分楽になりましたと答えながら、先週もこの人から薬を貰っていたのかと正気に戻った気持ちになった
★
この薬局には数名の薬剤師がいるが、ガラス越しに見る彼ら、彼女らがオノマの記憶には全く残っていなかったし、これからも残らないだろうと思う
他人の顔、名前を覚えるのが不得手であると自覚している。オノマのことを覚えている人の方がオノマが覚えている人より多いに違いない
オノマは他人の顔をしっかり見ていないと思う。(なんらかの理由があって)しっかり見ることをためらっているような気もする。(基本的には)他人と関わりたくないのかもしれない。ニンゲンより犬や猫のほうが好きなのは確かである
★
何はともあれ、12月14日 木曜日は水の中に沈んでいくときに感じるであろう息が苦しい時間、12月20日 水曜日は顔が水から浮かび上がり、ひと息ついているような時間であった
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★
4日 月、救急搬送された時、医師のSさんは即日入院するようにと言ったが久美ちゃんのケアがあるからと帰宅させてもらった。その代わりに訪問看護師が週に一度来宅することになった
訪問看護
看護師などが居宅を訪問して、主治医の指示や連携により行う看護 (療養上の世話又は必要な診療の補助)
病気や障がいがあっても、医療機器を使用しながらでも、居宅で最期まで暮らせるよう に多職種と協働しながら療養生活を支援する
https://www.jvnf.or.jp/homon/homon-1.html
★
5日 火
訪問看護師のTさんとIさん来宅。訪問看護の説明があり、ついで訪問看護契約書に署名した
翌日6日から訪問看護を始めたいと言われたが、急いで看護される要を感じなかった。翌週から週一日きてもらうことにした
★
12日火
13:30 看護師のTさんがきたがしてもらうことがない。一週間後に来られた時、気が付いた変化を教えてくださいと頼んだ
この一週間フロモックスという抗生物質を服用してきたが弱い抗生物質だという、もっと別の薬を使えないかS医師に訊いて欲しいとも頼んだ
★
13日水・・この日の記憶が蘇らない
ブログによると北海道の鮭缶が入っていた箱を解体したり部屋の片づけを始めていた。体調が少し回復していたのであろう
動きまわった反動が翌日に現れた
★
14日木
朝から体がしんどかったが病院に行った
キャリアー吸入器をタクシーに乗せたり降ろしたりするのに手間がかかった。床の中央が高くなっているからキャリアーを持ち上げないといけない。車高が低いから体を滑り込ませるのも一苦労
ロンドンのタクシーなら床が平らで車高も高いから荷物を持っていても楽に乗り込める
★
ロンドンのタクシーに乗ったのはいつだったろう。中東に出張した時に寄った1975年だろうか、それとも出張を終えて寄った1976年だろうか
空港からホテルへ向かう。タクシーを待っている人たちの列についた
オノマが乗ろうとしたら後ろにいた男がオノマの前にでてきて先に乗ろうとした
旅の疲れがあってか咎める気になれず見過ごすことにした。すると後ろにいた白人が順番に乗りなさいと男をとめた。男はあっさりあきらめた
その時はその白人の正義感を感じたのだが、病床にある今、二人は仲間だった、オノマが男を咎めて後方に注意がいかなくなる瞬間を狙って白人がスリを働く段取りだった・・などと妄想
★
ただいまの時間は12月23日土曜日の朝7時24分。ブログを一気に仕上げる力がない・・・
★
ただいまの時間は12月24日 日曜日の夜中2時18分
ブログを遡った。14日 木のことは17日のブログに書かれていた。同じことを繰り返すようになったか。亜認知症か
]]>只今の時間は12月19日 火 朝5時13分
以下は17日 日曜日の続き
★
11時頃一階下の長女がやってきて久美ちゃんを連れ出してくれた。昼食を食べてきて欲しいと頼んだ
★
久美ちゃんのハンドバッグにはスマホが入っている。スマホを追跡して彼女の居る場所が凡そ分かるようになっている
だから「脱出」されてもバッグを持って出た場合、見つけるのはそれほど難しくない。しかしスマホがバッグに入っていないとき、あるいはバッグを持たずに徘徊世界に迷い込まれるとお手上げである
★
今年秋の某日曜日。暖かい日だった
気が付くとテレビを見ていたくみちゃんがいなかった。自室にもいなかった。バッグが消えていた。充電中のスマホは残っていた
警察と外出中の長女夫妻に連絡した。正午頃だった
警察官二名がやってきて久美ちゃんの写真をコピーした。新聞配達員にも応援してもらうと言われ、なるほど捜索は夜明けまで続く可能性があるのだと納得した
詳細省略
捜索開始から三時間ほど後。長女が、マンションの二キロ先にある寿司屋から店の車のなかに座っていたのを保護していると連絡があったとラインで知らせてきた。胸をなでおろした
久美ちゃんが認知症だと気づいて寿司屋の人がバッグをあけ、そこに入っていた(デイサービスとの)連絡帳に書いてある緊急先(長女の電話番号)に連絡したのである
そんな遠くの寿司屋まで歩いて行きそこで車に入り込んだのか、それともマンション近くで車に乗り込んで運ばれてしまったのか真相は分からなかった
久美ちゃんは娘にああ楽しかったと云ったそうな。迷子になっても不安でなかったのは良かったと思う
★
スマホで追跡すると娘と久美ちゃんはショッピングモールに一時間ほど居た。ランチは長女宅で済ませる、夕食前まで預かるとラインで知らせてきた
ストレスが一気に軽くなったのは覚えているが、はて、そのあと自分は何をしたのだろうか。部屋の片づけを続けたのだろうか、それとも午睡したのだろうか
夕食時、娘が久美ちゃんと帰ってきたときオノマは和室で寝ていた。娘がパパのために鯖寿司を買ってきたから食べてねと云ったのは覚えている
★
翌日、月曜日
娘が手配していたサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)の資料がゆうパックで届けられた。宛先がオノマではなく、知らないひとの名前になっているので渡せないと配達人が云った
サ高住に電話をして事情を説明したが、担当者留守というので資料は配達人が持ち帰ることになった。オノマが配達人ならやはり持ち帰るだろう
チ高斧(チューブつき高齢者オノマ)による老老介護は限界に達していると思う。しかし、認知症の久美ちゃんが一人でサ高住に住めるのだろうか。難しいような気がする
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記憶力が落ちていると自覚したのは酸素吸入器につながれる前からだが、救急搬送された後の記憶はひどく頼りない
息絶え絶えの体は生命を維持するためにひたすら眠ることが最優先、記憶機能は優先順が最下位にあるのだ。ブログを書くことで現実の断片をつなぎとめている
★
只今の時間は12月18日 月曜日 朝6時2分
前回のブログに吸入器13日目の土曜はひたすら眠ったとある。くみちゃんも自室に閉じこもっていたのだろう。何事もなく一日が過ぎた
★
14日目、日曜朝
和室と台所のあいだを行き来するだけで息絶え絶えになっていた金曜日に比べると体が楽になっていた。食欲はなかった。玄関脇の部屋のかたづけを続けたいという意欲はあった
片付けをしていて血中酸素濃度が95を切ることはなかったが、心拍数はすぐ 130 を超えた。苦しいとは感じなかったが都度 100 になるのを待った
順調に片付けが進み、気分が良くなった 9時頃に久美ちゃんが起きてきた。元気そうだった。テレビの前に座った。オノマは片付けを続けた
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久美ちゃんの気配を感じた。玄関の扉を開けようとしていた
知らないうちに外にでてしまい探し回ったことが何度かある。認知症ではめずらしくない徘徊である
今日はとても寒いから家の中にいなさいと諭した
なんども久美ちゃんは外にでることを試みた。心拍数が上がった。声を出すだけでが息があがる。バッテリー残量、限りなくゼロ
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玄関をみたら久美ちゃんの靴がなかった。あわてて酸素チューブをはずして外廊下にでると真冬の寒気が襲ってきた。数日前は夏のようだった日本列島が今は厳冬
久美ちゃんは外階段を降りて行くところだった
大きな声(のつもり)で呼ぶとこちらを見て階段を上がってきた。(部屋着だけで出たから)さすがに寒くて戻ってきたのであろうが、さもなければそのまま降り続けたと思う
一階下に住む長女にラインで助けを求めた。こんど「脱出」したら追いかける力が残っていないので捜索は頼む
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途中だが本日はここまでにする
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只今の時間は12月17日 日 朝6時56分
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木曜日。病院への往復でひどい状態に陥った
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金曜日、くみちゃんを送り出したあともぐったりしていた。木曜に脱ぎ捨てた外套を畳む力がなかった
台所と寝室にしている和室との距離は十メートルほど。それを往復するだけで心拍数は130を超えた
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水曜日に始めた玄関わき部屋の片づけを終わらせたかった。スキー板は和室の押し入れに入れることにした
押し入れの間口は一間半あってスキー板には十分だが、入っているものをいったん出さないと入らない。押し入れのデバッグ
以前はときどきPCのデバッグをしたものだが、今のPCにはデバッグのアイコンがない。なんでだろう。まあいいや
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襖を外し、上段を空にした。そう書くと簡単だが、襖三枚を外すだけで心拍数は130を超えた
横になる。心拍数が100に下がると作業再開。スキーバッグにはくみちゃんの板も入っていて重たい。押し入れに入れるまで二回休んだ
板の上に掛布団や枕を置いた。居場所がなくなった洋服や布製カバンを畳の上に放り出して作業終了
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長い時間をかけて人類は進歩を重ねてきたことを思った
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土曜日はひたすら眠った。金曜の夕方から自室にとじこもりっきの久美ちゃんが気になったが食事を運ぶ力がなかった
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