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遊就館・5
けんさんからのメールの最後に飛びます。

┥泉首相のもとで「ルールを守らない文化」「議論をしない文化」が日本で強まっている感じがある:

同感ですが、小泉純一郎氏は議論を「しない」のではなく、モノゴトを深く考えていないから、議論が「できない」というのが正しいのではないでしょうか。そもそも、日本人は深く考えない、議論できない民族であって、それゆえに小泉氏に人気が集まるのかもしれません。

ところで、遊就館の出口ちかくで書籍を売っていたので「米内光政」(実松譲・光人社)という題の文庫本を買いました。466頁に凄いことが書いてあります。1945年8月12日、戦争を終了するかどうかの会議で大西滝治郎というひとが言ったことです:今後さらに二千万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として使用すればけっして負けはしない。

「回天」という潜航艇は爆弾を抱えて敵船にぶつかるように出来ていますが、遊就館で見た実物は思ったより大きく、これなら、中の人間ごとぶつからなくてもすむものができるのではなかろうか、そもそも戦士が助からないものを作る精神は狂っていると思ったものです。

これからの日本の主役になる若い方々は「回天」を作った人、「さらに二千万の日本人を殺す覚悟」だった人をリーダーとして仰ぐことがない、と断言できないのがつらいところです。
| おのまのプロフィール | 政治経済 | 15:45 | comments(4) | trackbacks(0) |
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おのまさんのコメントに同感です。で、靖国神社がどう利用されたかについての一つの考えが高橋哲也という東大の哲学の教授によって示されています。ちくま新書の「靖国問題」からほんの一部を抜粋してみます。「日中戦争から太平洋戦争に至る時期、靖国神社では数千から万の単位で大量の戦死者を合祀する臨時大祭が繰り返された。その際、北は樺太から西は満州、南は沖縄・台湾から遺族が選ばれて国費で東京に招かれ、戦死者を「神」として合祀する臨時大祭に列席した。それらの遺族が両側を埋め尽くす靖国の参道を霊璽簿(戦死者の名簿)を載せた御羽車が神官達に担がれて本殿に移動し、祭主としての天皇が同じ道を通って参拝した。遺族達は招魂の儀に列席するだけでなく、新宿御苑、宮城、上野動物園など東京名所の見物もさせてもらい、記念写真に収まって、名誉の遺族として地元に帰っていったのである。」雑誌「主婦の友」1939年6月号には「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉の母の感涙座談会」という記事があり、これには靖国神社臨時大祭に北陸から参列した老母達の言葉として、「靖国さまへお詣りができて、お天子様を拝ましてもろうて、自分はもう、何も思い残すことはありません。今日が日に死んでも満足ですね、笑って死ねます。」「お国のために死んで、お天子様にほめていただいとると思うと、何もかも忘れるほどうれしゅうて元気が出ます」とあるそうです。”靖国は男達を「護国の英霊」として動機つける一方で「靖国の妻」、「靖国の母」、「靖国の遺児」など女性や子供たちを含めた、「国民」の生と死の意味そのものを吸収しつくす機能”があった、ということは明らかだろうと思います。振り返れば、何とも陰惨な歴史的役割を担った施設であったと思います。極論を承知でいうならば、戦場や特攻に向かう若者の背中を押す舞台装置だった、と。そんな背景を考えると、軽々しく「慰霊のため靖国に参拝するのだ」とはいえないと思うのです。そもそもは、靖国が戦場に導いた、ともとれるからです。
| けん | 2005/09/19 12:38 AM |

「米内光政」(実松譲・光人社)を読み終えました。陸海軍、外交、政治、皇室、新聞が入り混じる物語の展開は、これがフィクションであったならチョー大傑作といえます。

米内光政(1880−1948)が生きた時代の年譜を抜書きします:

1884(4歳):京城事変勃発・韓国王日本軍の護衛を要請
1891(11歳):清国水師提督丁汝昌、北洋艦隊を率いて訪日
1892(12歳):ロシヤ東洋艦隊横浜に来港
1894(14歳):朝鮮に東学団の乱が起き、清国出兵。日本も出兵       し日清戦争

きりがないのでこの辺でやめますが、要するにこの頃の東北アジアは国際紛争が頻発し、欧米諸国の利害が絡み、正義もなにもない、弱肉強食の状況にあった世界といえます。開国から十数年の日本が存亡の危機を感じ、富国強兵を国是としたことを非難するすべを知りません。その国是から様々な思索、施策が派生したわけです。

「戦場や特攻に向かう若者の背中を押す舞台装置だった」面を否定するものではありませんが、靖国神社もそういうもののひとつであったと考えると、これまた非難する気になれないのです。

日本が最善の道(外交、戦争)を選んだとは思いませんが、しかし戦争という巨大な機構にまきこまれていった戦士、その係累の心情を考えると靖国神社は立派な役割をはたしたのではないでしょうか。靖国が戦争を産んだのではなく、戦争が靖国を育てたのだと思うのです。

2005/09/21 1:47 AM

| おのま | 2005/09/21 1:58 AM |

おのまさんのコメントを興味深く読ませていただきました。靖国の歴史的な意義についてのご慧眼に感服しました。議論のための議論になりますが、「靖国が役割を果たした」、「戦争が靖国を育てた」過去があるのであれば、現代の政治家が靖国を政治的な意図で利用するのは許せないと考えるのです。したがって、小泉氏は参拝を公約するのはおかしいし、内閣総理大臣という肩書きをもって参拝すべきではないと思います。休みの日に静かにお参りすべきでしょう。
| けん | 2005/09/22 10:22 PM |

あれから四年。

靖国に関して書いた自らのブログ、寄せられたコメントを読み返してみました。

けんさんが書かれた「現代の政治家が靖国を政治的な意図で利用するのは許せないと考えるのです」

四年前は「議論のための議論」と感じないでもなかったのですが、今読んでみるとその通りだと同感します。

政権が変わろうとしている2009年8月15日の靖国は政治の道具に使われています。騒がしい。
| 魔 | 2009/08/16 12:26 AM |










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