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8月9日は長崎の日だが、その日は満州でも悲劇が起きていた

お気に入りブログのひとつ「比企の丘」にこうあった

 

8月9日・・・今から75年前の1945年8月9日未明、満州国(現在の中国東北部)にソ連軍が進攻(侵攻ともいう)した日です。
一般的には「ソ連対日参戦」といいます(防衛省では「対ソ防衛戦」という)。

 

8月9日、ソ連軍は150万人の兵力で満州全体に襲いかかかります。これに対して関東軍の兵力は80万人、新京、大連のラインまで南下して迎撃戦をとるという作戦であったといわれます。
 

進攻を察知して南に逃げたという人もいます・・・このためほとんどの開拓民は軍の庇護を受けられませんでした。

 

哀れをとどめたのは奥地に取り残された開拓民、老人・女・子ども(成人はほとんど現地応召)。徒歩で南に逃避行が始まります。ソ連軍ばかりか現地満州人も襲ってきます。 

 

https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu

 

衝動的にコメントを書き込んだ

 

コメントの最後に「我が子、孫たちにこういう話をしたことがないのでブログに書いておこうと、今、思いつきました。」と書いた

 

以下にコメントを貼るので、我が子、わが孫、いつか読んでおくれ

逃避行 (おのま@カナダ)
2020-08-11 03:47:00
私は徒歩逃避組です。

父は建設会社勤め。母は専業主婦。長男の私は真珠湾攻撃の二か月あと奉天に生まれました。次男は哈爾浜、三男は新京生まれ。二年ごとに転勤があったようです。

終戦時、私は三歳半。

精確な月日は分かりませんが、我が家に闖入してきたソ連兵、夜間、徒歩で逃げているときに私だけがはぐれてしまい頭上に裸電球が光っていたこと、引き揚げ船に乗る時、乗った後の混乱、水蒸気が落ちてきたことなどを覚えています。

他の民間人同様、終戦即帰国とはいかず、しばらくのあいだ(たぶん一年くらい)一軒家に潜んでいました。食料を隣家の中国人が買ってきて塀越しに母に渡している光景も覚えています。

逃避行が始まったのは私が4歳になってから。次男・2歳を父が背負い、乳児・三男を母が胸にくくりつけて逃げたそうです。私は徒歩だったのですが、私がいないことに気づいた両親は闇の中を探しまわり、防空壕の底から聞こえてきた泣き声でみつけたそうです。気を失っていたら、中国孤児になっていたかもしれません。

両親の知人の一人は夜間、ソ連兵の女狩りが始まったので逃げている途中で転んでしまい、そのまま伏せていたところソ連兵たちが背中を踏んでいったそうです。

思い出したくなかったのでしょう、両親は当時のことをほとんど話してくれないまま、今の私の歳より何年も若くして亡くなりました。

口数の少なかった父が覚えておけと言ったことがあります。中国人は良い。朝鮮人は頭が良いが狡いから信用するな。

私より数歳上の商社マンが、この人も満州からの引揚者で、口数の少ないひとですが、何かの拍子に、(逃避行中に)朝鮮人から受けた非道を絶対許さないとポツンと言ったことがあります。

在日韓国人の友達もいる私は、ふたりの言ったことをそのまま自分の信条にするつもりはありませんが、日本におけるヘイトクライムの下地を考えるうえで参考にはなると感じています。

あれやこれや、書き散らしてすみませんでした。

我が子、孫たちにこういう話をしたことがないのでブログに書いておこうと、今、思いつきました。
| おのまのプロフィール | - | 12:07 | comments(2) | - |
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ゲンキーとキッキーの写真拝見してきました。2ヶ月ですから思い切りカワイイ。(^^♪

私はかなり以前、新田次郎の妻の藤原美智子??の「流れる星は生きている」の凄惨な満州引き揚げの様子に衝撃を受けて読みました。
遠藤周作の満州での犬との別れも・・・終戦直後の樺太からの引き揚げは、前後の船が撃沈されましたが、私の乗った船は無事小樽港に着きました。 運命の分かれ道は1ミリの幅が違っても大きな分かれ道になるものです。
| oss102 | 2020/08/11 2:50 PM |

毎日待ちわびて拝読しています

義父の一族が大連で満州国要人ともかかわりがあった様で
最後に伯父が来たとき、もういいだろうと色々満州でのことを話てくれました

その時伯父は、終戦の時、満人は少しも怖くはなかったが、朝鮮人は不気味だったと言ってました


私は国内で戦争の悲惨さを目にすることも聞くこともなくほとんど関心もなく成人しましたが、その後の一冊で意識を変えられてしまいました

 ノンフィクション作家 角田房子さんの

  満蒙開拓団の壊滅 「墓標なき八万の死者」


大連での楽しい生活はよく話しましたが、戦争のことは
ほとんど話すことの無かった義父ですが
ソ連に抑留されるまで満州を彷徨っていて遭遇したのでしょう 「こんなもんじゃない」と一言だけ言いました

私には戦争の怖さを思い知らされた一冊です






  




| つばら | 2020/08/13 10:40 PM |










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