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「八月に母國という語を抱きしめたい」に思う

 

もう政治のことには触れまい、終戦のことも書くまいと思っていた矢先に学友からメールが届き、半日考えた末、感想を書くことにしました

 

メールの骨子:

 

今朝の東京新聞1面に、小田島雄志先生が二面にわたって載っています。

   
 「平和の俳句」という俳句欄に先生の句が出ており、その流れで、終戦記念日の特別記事になったようです。
1面と24面にお写真が出ていました。1面のそれは艶がありお元気そうでしたが、24面の写真は「今のお顔」のようでふけられたなという写りでした。

 

東京新聞8月15日朝刊:

 

本日一面の「平和の俳句」に掲載された<八月に母國(ぼこく)という語を抱きしめたい>の作者は、シェークスピアの全戯曲を翻訳し、演劇評論家として活躍した文化功労者の小田島雄志(おだしまゆうし)さん(86)=東京都世田谷区、東大名誉教授=だ。小田島さんは旧満州(現中国東北部)で生まれ、終戦の翌年、十五歳で日本に引き揚げてきた。 (矢島智子)

 

八月は日本の敗戦で中国大陸に取り残された月であり、翌年、引き揚げるために新京(現長春)を出た月でもある。漁船に乗って満州南端の葫蘆島(ころとう)から博多へ。「憧れた日本がどんどん近づいてくる。その気持ちを表現したくてこの句ができました。母国という言葉には『祖国』よりももっと人間的なつながりがある、もう一歩踏み込んだ熱がある」と小田島さんは言う。

 

なぜ日本に憧れたのか。満州は日本人や満州人など多くの民族が仲良く暮らす「五族協和」を建国のスローガンにしていたが「日本人は日本人街に暮らし、日本語以外は話さない。日本人は満州人が話す日本語のなまりを笑い、満州人も日本人には丁寧語で話す。満州人と友だちになっても互いの心の隙間を絶えず感じていた。日本への憧れは心を開くことのできる人間への憧れであり、日本に帰れば、同じ日本人として心から付き合えるだろうという夢があったんです」

 

だが、苦労してたどり着いた母国で夢は破れる。引き揚げ者に向けられる目は冷たかった。「(国内にいる)日本人だって食えないところへのめのめと帰ってきて、自分たちの食うコメが減らされてしまう、という空気があった。おれだって日本人なんだぞ!と言いたかった」

 

父は旧制一高から東京帝大を出ていたものの、なかなか定職に就けない。日本女子大を休学中の姉が会社勤めをして家族五人を養い、旧制中学になんとか編入できた小田島さんも日曜日は道路工事、夏休みは工場で石炭運びをして稼いだ。

 

引き揚げから七十一年の今「母国」という言葉を意識することはなくなった。だが、英文学を研究対象とする中で、自分が微妙なニュアンスを伝えられる日本語の良さを実感し、大学で教えた地方出身の学生たちの話す方言にはうらやましさを覚えた。父から手ほどきをうけた俳句にも俳句の中だけで生きる言葉がある。「ますます日本語はいとおしくなりますね」

 

 

★オノマの感想

 

小田島先生がオノマ同様、満州からの引揚者だとは知っていましたが、日曜日は道路工事、夏休みは工場で石炭運びをして稼いだ 苦学生だったことは知りませんでした

 

入学直後、授業のしょっぱなに先生がにこやかな顔で「文学部をでた自分と違い法学部や経済学部に進む君たちには豊かな未来が待っている」というようなことを言われたことに違和感を覚えたのですが、なるほどそういう切実な背景があったからかと納得しました

 

オノマがもっぱらやったアルバイトは家庭教師でした。ぜんぶで三人の中学生を指導しました。今頃はみんな還暦を過ぎているんだよねえ

 

しいて肉体労働的なバイトというなら学校の図書整理と夏休みにやったガイドです。図書整理はせいぜい数百円にしかなりませんでしたが、拘束時間が朝から夜遅くまでと長いガイドはひと夏でサラリーマンの初任月給の倍の実入りになりました

 

ガイドと言っても羽田空港で迎えた観光客をホテルまで届けるのが主で、稀に都内、日光、箱根観光案内で先輩ガイドの助手をしました。学生寮のある三鷹に帰る電車に間に合わなくなって帝国ホテルやホテルオークラといった一流ホテルに泊めてもらえたのは貧乏学生にとって貴重な経験でした

 

アメリカからくる観光客は色々でしたが、概して気立ての良い人達でした。東京と箱根でアテンドした客のひとりはオノマの働きぶりを褒め、会社からもらう日当よりたくさんのチップをオノマに握らせたものです。会社の規則でチップは受け取れないとしばし押し問答。さいごはありがとうと受け取りましたが日米の格差を垣間見たノンポリ学生オノマ、日本経済の為に勉強するぞと決心、ガイドのバイトはやめました

 

今おもいだしました。新宿のキャバレーで働く学友がいて、ゆうべは女給(古いねえ)にその道の手ほどきをうけたと悦にいっているのがいました。まあ、そういうのは例外で、小田島先生が学生だったときから十余年、日本は家庭教師の需要がたくさんある時代になっていました

 

オノマが教えた生徒の家業は、僧侶、公認会計士、商社の次長でした。今はどうでしょうか。もしかすると大企業の部長クラスでも家庭教師を雇える人は稀ではないのかなあ・・

 

小田島先生が「大学で教えた地方出身の学生たちの話す方言にはうらやましさを覚えた」ことも知りませんでした

 

オノマは小学四年から高校卒業まで過ごした郡山で覚えた東北弁を今度は標準語に直そうと懸命だったのですが、先生からみれば賢明ではなかった 

 

この年になると方言は良いものだと小田島先生と同じように思いますが、当時は標準語が話せないことで劣等感がありました。東京には東北地方を軽くみる雰囲気がありました。いや、今だって変わってないのかもしれません。東北復興が終わっていないのに東京五輪をやろうという無神経ぶりは昔より下品かもしれません

 

あ〜あ、虚しい政治路線になってきたねえ

 

気を取り直して締めくくります

 

学友からのメールにあった一行にう〜ん

 

24面の写真は「今のお顔」のようでふけられたなという写りでした。

 

う〜ん。小生はもっと老けたかもしれないと思いました

 

半世紀恩師と変わらぬ顔となり

 

蛇足です:

 

苦労してたどり着いた母国で夢は破れる。引き揚げ者に向けられる目は冷たかった

 

詳細省略。満州から引揚て落ち着いた横浜のハズレの田舎でオノマはワルガキ三人にいじめられました

 

唯一の孫娘に言い聞かせています

 

女は愛嬌、人には親切、無理はしないでますます元気なみいたん

 

女を男に入れ替えても使える名句ですが、まずは孫娘から 

 

蛇足をもう一本:

 

安倍晋三さん、沖縄をいじめるでない! 

 

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017081502000109.html

 

 

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