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橋本さんから手紙がきた ・ 沖縄、無人機
 ★
2011年10月18日のブログから



剣が峰で撮った写真。アルバムには名前が記されている。

後列:北野
前列:左から田島、小野、橋本

田島さんは覚えているが北野さんは記憶にない。

ほかの三人が登山帽らしきものをかぶっているがおのまは学帽である。家庭の経済力を物語っているような気がする。おのまが持っている杖は橋本さんから借りたような気がする。

上の写真は父から借りてきたコニカ・パールというカメラで、関西から来た登山者に撮ってもらったとある。

きのうは橋本さんが東大に合格したばかりと書いたが間違いであった。アルバムの別な頁に前年の夏に郡山の我が家に遊びにきていた橋本さんの写真があり、わきに東大生、2年B組とあった。

橋本さん母子@吉原。



ふと思い出した。橋本母子はふたりとも達筆であった。特攻隊の若者が残した手紙も達筆が多い。頭の配線の良い人が多かったのだろう。

写真をみてふたりはとても健やかな表情をしていると思った。時代の気分が現れているのかもしれない。

あの頃の日本は戦後の混乱から復興、発展へと向かう上り基調にあり、総じて希望に満ちた明るい時代であったのだと思う。
http://onomar.jugem.jp/?day=20111018


橋本さんとの交信がいつ絶えたのかを覚えていない。

サラリーマンになってすぐだったのだろうか。とても忙しく、荒波の中で無我夢中になってもがいているような日々だった。

あるいはもっとあとのことで、1985年か86年かもしれない。いつも持ち歩いていた住所録がある日盗まれたのだが、そのときから橋本さんの住所がわからなくなったのかもしれない。


昨年の秋、日本にいる弟の家を訪れたときに弟が橋本さんと賀状を交わしていることを知った。四歳下の弟が橋本さんと接点があるとは考えたこともなかった。住所を教えてもらった。

暮れに葉書を送ったのだが返事がきたのは昨日。家族十人の写真が同封されており、橋本一家の来し方、現況が三枚にわたって綴られていた。十人全員に吉原で撮った橋本母子の表情があった。


橋本さんの手紙にはわがブログ「資料 宇野弘文健在 属国日本」「オバマの無人機計画」へのコメントも書かれていた。 
http://onomar.jugem.jp/?day=20130204
http://onomar.jugem.jp/?day=20130211

橋本さんのコメント:

無人機は、イラク、アフガニスタン、パキスタン、イエメン・・・とずいぶんたくさん殺しましたね。なにせ兵員の損傷なく勝手に飛ばして殺しまくるから此の上なし。

宇野弘文先生の沖縄についての指摘も同感。私などは、もともと琉球独立論者です。もっとも米基地をきれいに無くし、自由貿易国になれるような持参金と手立てを添えての上ですが。宇野先生もノーベル賞候補の声を聞いて久しくなりますが、こうした活動をされていたのでは、受賞はどうでしょう?別に、ノーベル賞が学者の勲章 と云うわけでもないですが。


日本のメディアがあまり取り上げない宇野弘文や無人機について考察する日本人は例外的な存在だろうと思っていたのだがそうでもないようだと考えを改めた。


宇野弘文のブログについては十日前に読者からコメントを頂いている。コメントへのコメントをしたいと思っているうちに時間がたった。コメントだけをここに転載する。

新自由主義の殿堂とも言われるシカゴ大のかつては教授でありながら、同主義の親分フリードマンが対抗し続けたケインズ経済学(とヴェブレンの理論)をほぼ踏襲した、宇沢さんの経済観には共鳴できるところが少なくありません。宇沢さんは、当時の二大(近代)経済学を熟知する立場にありました。

ケインズ『一般理論』訳本で、ケインズの偉大性を「解題」しつつも、ケインズらが基礎に置いた生産と消費の区別という大前提が崩れた場合のケインズ経済学の危うさ、さらにはケインズ自身の人間性(当時の大英帝国が搾取していた、インド赴任のエリート官僚として、同国の不条理なまでの悲惨な実態には目も向けず、ひたすら為替問題の研究に嬉々としていた若かりし頃のケインズの姿勢、そしてその本質)を見抜いていました。

その宇沢さんならではの「名護市を応援しよう」、そのためには日本で「暴動」も辞さない、一緒に立ち上がろうと呼びかける熱い姿勢が、よく伝わってくる映像ですね。

宇沢さんは、福島問題での不条理に対する官邸前などの大集会が「暴動」に発展することを、必ずしも望んでいるわけではないでしょうが、沖縄問題に限らず、その他前代未聞の数々の事柄(CIA≒赤坂内国政府による圧制)に対して、きっとはがゆい気持ちをお持ちなのでしょう。

“田布施町”のことを盾にとる内国政府、彼らと一緒になって日本の象徴を取り込み利用する、同郷の戦後政治権力(その後形成された政官財学報の“鉄のペンタゴン”)が、日本に巣くってきました。

「暴動」が一部の覚醒者に留まったまま、国民運動に発展しないのは、残念ながら、日本の今の“民度”を表しているのかも知れません。

脳をやられ続けてきた日本人は、権力側も民衆側もともに、東北からの“悪しき風”で今後ますます脳をやられること必至でしょう。宇沢さんも、恐らく似た想いを抱いているに違いない、と勝ってに想像しました。困ったことです
| バン松豊 | 2013/02/09 3:16 PM |

202


橋本さんの手紙で斧魔とは六歳違いであることがわかった。おそらく斧魔が知らない満州時代の話や斧魔の両親の話をたくさん知っているだろう。お目にかかって話を聞きたい。
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