木霊の宿る町TOPページへ            
過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

<< 逃げるが勝ち | main | ドサクサにまぎれて消費税をあげてはいけない >>
メモ・東日本大震災後の音楽会風景 1

東日本大震災からそろそろひとつきになりますがこの間おのまはたくさんの音楽会に行きました。こんなにひんぱんに聴いたのは人生で初めてかもしれません。

その都度感じ入ることがあったのですが、いまは毎日のように衝撃的な報道があって頭の中がオーバーヒート気味です。天才おのま(笑)にしても頭脳の容量には限りがあるので記憶から削除しないといけないものがたくさんあります。

きわめて個人的なもの、その場限りのものである音楽会での感動、感興はとうぜん削除対象です。でも震災後の音楽会についてはあとで思い出せるようにしておくのが良いと考えメモをつくることにします。 




 ●
四月四日(月) 

いつもは土曜日に開かれる演奏会を聴きに行くことが多いのだが、ここ二週つづけて月曜日の演奏会を聴いている。

土曜にくらべると北バンクーバーの海岸どおりからライオンズ橋に入るまでの混みようがおおいに違う。土曜日だと一キロ進むのに十分ないし十五分かかるが月曜は五分とかからない。ジョージア通りに入っても信号待ちはすくなかった。家をでて裁判所の駐車場までの約十五キロ、二十分ちょいで着いた。駐車代は四ドル。

駐車場からオーフィウム劇場まで三百メートル。小雨。いつもならスキー帽子をもって出るのだが今日は忘れた。傘はよほどの雨でなければ使わない。

車のラジオはバンクーバーの放射能が危険量に達していないと云っていたがそんなのはほんとかどうか分からない。早足で歩いたがグランビル通りの信号につかまった。

こういうときに不運だとは考えてはいけない。発想を転換するのだ。低線量放射線効果とやらで頭の毛がよみがえってくるかもしれない。


このまえサラ・チャンが来たのは二年前だったろうか、三年前だったろうか。調べてみたら2007年のVSO開演日 十月、三年半ぶりだ。

あのときは演目がメンコンだったので行くつもりがなかったのだが、たしか長井せりから土曜日はとても良かったといわれ、急遽月曜にラッシュチケットで聴いたのだと思う。

ついでに調べた。サラ・チャン&広上淳一のショスタコビッチに感動したのは2005年2月だった。おのまが忘れられない演奏会ベストテンを選べといわれたら上位に入る。

あの時のサラは二十四歳と書いてある。今は三十歳か。

今回の演目はブラームス。メンコン同様、おのまの年になるといささか食傷気味であるがサラ・チャンがどう変わったかに興味があった。動機不純、ヤジ 馬の介である。

三年半前のラッシュチケットは十五ドル。今回は十八ドル。

バルコニーの上段の席で演奏者の表情は双眼鏡を使わないと分からないが音響はとても良いからラッシュで一向に構わない。 近くの席には韓国人とおぼしき若い人がたくさんいた。サラ・チャンへの応援団だろう。


八時。舞台にブラムウェル・トビーが現れた。VSOはここのところずっと客演指揮者が続いていてトビーの指揮はひさしぶりである。

トビーが客席に向かって話しだした。彼はスピーチがうまい。こんな趣旨だったと思う。

日本の地震、津波、原発事故による被災者にお見舞いを申し上げる。VSOは何度か日本を訪れている。今回津波に襲われた仙台でも演奏をしたことがある。本日は幕間のあとに武満徹の「弦楽器のためのエレジー」を犠牲者のために捧げる。このエレジーは長崎、広島への思いがあるという。

武満は日本人であり偉大な作曲家である。VSOの名誉指揮者である長井明はじめバンクーバーのよき日本人社会への敬意の念もこめて演奏する。災害の大きさに比べたら本当にささやかなものでしかない演奏だが一緒に哀悼の念を抱いてほしい。演奏が終わったあと拍手はしないで欲しい。

四月十日、十九日には震災援助募金コンサートがある。VSOのサイトを見て欲しい。


トビーはアイルランド・ベルファーストで演奏し、それはBBC放送の生放送で流れたのだが、そのときはニールセンの Inextinguishable を日本の被害者のために捧げたとも云った。

こういった善意が世界中でおきているのであろう。それを日本人はいつまでも記憶にとどめておくのが良い。


ワグナー、ニュルンベルグのマイスタージンガーが終わり、サラ・チャンが登場するまでちょっと時間がかかった。なにか事故でもあったかと思い始めたら現れた。

エジプト、ツタンカーメンを思いださせるような金色のドレス。双眼鏡でみると三年半前よりひときわすっきりした姿態、顔つきに見えた。サラチャンの演奏を聴くのはこれが最後かもしれないと思いながら聴いた。第一楽章が終わると大きな拍手が起きた。おのまはしなかった。

演奏スタイルがよりダイナミックになったような感じがし竹澤恭子を思い出した。

サラチャンも竹澤恭子もすごい。もってうまれた才能もさることながら日々の練習もすごいのだろう。彼女らを思っておのまはスキーの上達をめざす。


幕間。

一月、竹澤恭子を囲む会で知り合いになった夫妻がいた。サラチャンは初めてだというので、これからサイン会があるからCDを買ってサインをもらったらよいと薦めたら顔を輝かせた。おのまは前回にもらっているのでパス。

VSOのジェフ・アレクサンダー社長とすれちがったので、トビーのスピーチは良かった、アレクサンダー恵子のアイディアではないのか、これで200%挽回したねと云った。そんなことを云ったのはちょっとした裏話があるからなのだが、それをブログに書くと騒ぐ人がでてきそうなので書かない。

サラのサイン会は長蛇の列だった。竹澤のときは用意したCDが少なかったせいもありサラの三分の一だった。このところ色々なところで韓国勢が日本に勝っているが次はみておれ(笑)。

ロビーに長井夫妻がいた。武満のエレジーは涙がでるので演奏に加わらなかったそうだ。あとでトビーに会いに行こうと誘われた。

舞台には弦楽器奏者だけ。

武満のエレジーが静かに始まった。理不尽な死に方を強いられた人の怨念を思わせるようなパッセージがあると感じたがそれは錯覚なのかもしれない。

せんじつめていえば死者と残された者との差は時間の差である。いかに凄惨な死に方であっても穏やかな死であっても大きな違いはない。怨念なるものは次元が低い情念であって、そんなものを抱いて生き、死ぬのはできたらしないほうが良い。

この曲に武満がどういう思いをこめたかは知らない。


演奏が終わってトビーは頭を軽く垂れそのままの姿でたち続けた。客席からときおり遠慮がちな咳きが聞こえたが沈黙は三分ほどつづいた。客席の多くが津波に呑み込まれている人たちの姿を心に描いていたと感じた。

沈黙のうちにトビーは舞台から去り、入れ替わり管楽器、打楽器の演奏者が入ってきた。


演目の最後はリヒャルト・シュトラウスの「死と浄化」

この曲は初めて聴いたのだがシュトラウスは何を思ってこの曲を作ったのだろうと考えていた。答えはググって分かったが省略する。


知人夫妻、長井夫妻と一緒に楽屋へ行った。

トビーに、とても良いスピーチだった、感謝の念を覚えたのでそれを伝えたかったと云った。

トビーは、地震が起きた日に自分の息子が日本に行った、三日ほど連絡がつかなかった、あとで聞いたのだが息子が乗っていた飛行機は着陸体勢に入っていた、飛行場の滑走路が砂のようなもので覆われているのが見えたのでパイロットはとっさに上昇した、けっきょく別な飛行場に着陸した、というようなことを言った。

息子さんも音楽家かと訊いたら、そうだジャズだという。そういえばマエストロもジャズが好きでしたなと云うと良く知っているね、すしくいねえというような顔をして、いやそれほどでもと云った。


気が変わってサラのサインをもらおうと思った。CD(二十ドル)を買って中二階に行くとサイン会は終わっていてファンたちが入れ替わり立ち替わりサラと並んで写真を撮っていた。

長井明をみつけたサラはハグをした。VSOのスタッフが写真を撮るというのでサラを長井明とおのまがはさんだ。

出口に向かうときにあれで演奏していたのかしらと長井せりが云った。振り返ってみると高さが十センチはありそうなグレイのハイヒールがみえた。演奏中のドレスは長くて靴は見えなかったのだが、まさかあんなに高い靴では不安定だろうとおもった。

人混みの中にサラが消えた。どうも気になる。おのまはサラを追いかけ、サラと声をかけこちらを振り向いたところをすかさず訊いた。 

明が疑問に思っているので訊くのだが、今はいている靴で演奏したのですか? (ほんとうはせりの疑問なのだが、明のほうがサラには分かり易いだろうと咄嗟に思った)

サラはにこやかな顔で、演奏のときは違う靴だった と云った。

もっと低い靴でしたか。

サラは いいえ低い靴ではなかったと云って 更ににこやかな顔になった。

これがサラを見る最後となるのかもしれないがそうであれば実に良い顔をみたものであると思った。


劇場近くにある居酒屋・酒楽(しゅらく)で歓談した。

トビーにスピーチをさせたり武満の曲を演奏させたのはアレクサンダー恵子のアイディアであろうかと思っていたのだが、実は長井明のアイディアで、こんなやり取りがあったという:

三月十九日(土) 明はブラム(指揮者)やジェフ(VSO 社長)に武満を演奏できないだろうかとメールをだした。時間が迫っていて楽譜がそろうかどうか難しいのは分かっているのだが考えて欲しい。VSOは被災地の仙台でも演奏したことがある。

十九日(土) ブラムが賛成だと返事。

二十日(日) ジェフが月曜日になったら楽譜を注文しできるだけ早く弦奏者たちに渡すと返事。

二十日(日) ヨーロッパからもどったブラムは明にメールをだした。

武満演奏の提案に感謝する。

ブラムの息子ベンが三月十一日(金)に日本に到着する直前に地震が起きた。電話、インターネット、フェースブックのいずれも通じなかった、十四日(月)ベンがロスアンゼルスに着いて初めて連絡がついた。十七日(木)ベンに会ったがベンは日本人たちが危機に対応するさまに敬意を抱いていた。
こんかいみた日本人の態度は全世界の人にとって inspiration 感動的である。

生存者たちが必要なのは水、食べ物、くすり、毛布だけではなく音楽もだという明のコメントにはとても胸を打たれた。


酒楽での払いを済ませて出ようとしたら長井が、あれっ、バイオリンがないと云ったので驚いた。

大変なことになった。誰が持っていったんだ?

あっ!!

今日の長井は演奏していなかったではないか。


2005年2月のサラ・チャン

http://onomar.jugem.jp/?day=20050201


2007年10月のサラ・チャン

http://onomar.jugem.jp/?day=20071010
| おのまのプロフィール | 音楽・美術・映画 | 01:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 01:59 | - | - |









http://onomar.jugem.jp/trackback/3520
原発危機:なぜ2号機ピットから噴き出てる水をバケツで受けない?
おめでとう!やったね. 汚染水の流出止まる 福島第1原発2号機 2011年4月6日 06時52分 http://www.excite.co.jp/News/science/20110406/Kyodo_OT_MN2011040601000068.html  福島第1原発2号機の取水口付近で高濃度の放射性物質を含む水が海に流出していた
| 静かなる革命2009 | 2011/04/06 10:43 AM |
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>


↑BGM(ON/OFFで切替)

bgm(別ウィンドウ)

VANCOUVER

TOKYO


↓木霊が宿る町QRコード↓
qrcode
ページランク

GBL:Googleバックリンク数です
 GIP:Googleインデックスページ数です
 MBL:MSNバックリンク数です
 MIP:MSNインデックスページ数です
 YBL:Yahoo!バックリンク数です
 YIP:Yahoo!インデックスページ数です
緑バー:Googleに於ける木霊の宿る町の人気度です

サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト

このページの先頭へ


あなたはどこにいる free counters