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マクナマラ逝く
★あれから五年も生きたマクナマラ

★戦争の霧
(2004年3月4日記)
 
日本語で「戦争の霧」と訳されているかどうか知りませんが、ドキュメンタリー映画「the fog of war」をみました。ケネディー、ジョンソン政権の国防長官であったロバート・ストレインジ・マクナマラのインタビュー記録。

1918年、二歳のときにみた第一次大戦の戦勝の様子を覚えている秀才マクナマラ。長じて第二次大戦の作戦、ベトナム戦争の拡大に関わり、いってみれば戦争犯罪人とでもいえる人生を送ります。

国防長官のあとに世界銀行総裁になるという成功者ですが、無辜(むこ)の人たちを何十万人と殺した責任者のひとりであることに間違いなく、亡霊とむかいあう年になった今、みずからの所業、悪行の正当化を試みようとする老人のあわれさがみえる映画です。

「11のレッスン」という副題のとおりマクナマラの信条がてぎわよく描かれていき、最後、11番目のレッスンが「ニンゲンの本性は変わらない」。戦争はニンゲンの本性であって、自分はそのなかに巻き込まれただけだとつぶやいて映画は終わります。

ニンゲンの本性だから戦争はなくならないと言いたいのでしょうが、もうすぐ死ぬであろう戦争ニンゲンの呪詛を、若い人たちが受けいれる必要はありません。量も質も速度も格段にすぐれた情報を多くのニンゲンが共有できる時代の若者はもっと利口な選択ができるはずです。徳川時代250年、第二次大戦後50年の日本人は戦争をしていないという実例もあります。戦争はニンゲンの本性、とうそぶく人に対しては、あなたの本性はそうかも知れないが自分は違うと言い返せばよい。

哀れな老人ではありますが、映画でみるかぎりマクナマラの頭の回転はよく、どうやら歯も自前のようで、言語がしっかりしていて、ジョージ・ブッシュの意味不明な演説や小泉純一郎の国会答弁(あれで答弁っていえるのですかね)を聴くよりは知的満足感があります。お勧め映画です。

★マクナマラ元国防長官が死去 
2009.7.6 23:22  産経
死去したロバート・マクナマラ氏(2005年5月撮影)死去したロバート・マクナマラ氏(2005年5月撮影)

 【ワシントン=有元隆志】ケネディ・ジョンソン両米政権下で国防長官を務め、ベトナム戦争の遂行責任者だったロバート・マクナマラ元国防長官が6日、ワシントン市内の自宅で死去した。93歳だった。同氏の妻がAP通信に明らかにした。

 マクナマラ元長官はカリフォルニア州出身。ハーバード大経営大学院を修了。第二次世界大戦中はB29戦略爆撃機を大量導入し、日本を空爆する方が効率的と主張した。戦後自動車大手フォード社に入り、経営改善にあたり社長に就任した。

 ケネディ政権誕生に伴い1961年に国防長官に就任し約7年間務めた。62年に旧ソ連がキューバにミサイル基地を建設したことをめぐって米ソが対立したキューバ危機に取り組んだ。

 ベトナム戦争では、米軍兵力を増強するなどベトナムへの米国の軍事介入の拡大を図った。このためベトナム戦争の長期化・泥沼化を招いた張本人として批判された。

 国防長官として旧ソ連の核兵器に対抗するため、核戦略の強化を主張し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの配備も進めた。軍に経営手法を持ち込み、予算の改革に取り組んだほか、核国防情報局(DIA)などを創設した。

 国防長官退任後は世界銀行総裁に就任した。

 冷戦終結後に出した回顧録で、「ベトナムへの軍事介入は完全な間違いだった」と振り返った。2003年には自らの告白をまとめた映画「フォッグ・オブ・ウォー」に出演した。

★斧魔は長生きしたいとは思わないができればディック・チェイニーやジョージ・ブッシュ、小泉純一郎の死に様をみたい。彼らがマクナマラと同じように自分は間違っていたと云うかどうかを見たい。


 
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アメリカのブログにでていたマクナマラ


 

July 6th, 2009

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Robert McNamara: he fought a war of attrition

The news comes today that Robert McNamara, famous as Kennedy and then Johnson’s Secretary of Defense during the Vietnam War, has died at the age of 93.

Those of us who are of a certain age remember him well, as one of those responsible for what I have since termed “the first act” (that is, the poorly run, poorly conceived, Johnson portion) of the Vietnam War. McNamara lived to later repudiate the war and his part in it, in a series of mea culpas that made the once-reviled man somewhat more popular among the antiwar Left, at least as an object lesson in repentance.

McNamara’s public life was defined by his failure on the war. But if he’d never been connected with Vietnam, he probably would have been considered a resounding success. He certainly was effective in his early years as a businessman with Ford; would that he’d stayed there. But Kennedy promoted him to the Cabinet (he was also offered Treasury—a post for which he’d have been far better suited—but unfortunately he turned that down) and he was kept on as Johnson’s Defense Secretary after the Kennedy assassination.

McNamara had served in World War II and done statistical analysis of bombers’ effectiveness, but his major expertise was in business. He used that business acumen to implement general changes in defense policy and weapons and organizational matters in the armed forces. But, faced with Vietnam, he met his match (or rather, mismatch), coming up with the idea of a deadly and misguided numbers game:

McNamara put in place a statistical strategy for victory in Vietnam. He concluded that there were a limited number of Viet Cong fighters in Vietnam and that a war of attrition would destroy them. He applied metrics (body counts) to determine how close to success his plan was.

I’m no military expert, and hindsight is 20/20, but on the face of it this makes no sense, when faced with a tenacious enemy motivated by an extreme and deeply held ideology and the support and largesse of Communist China. Quite early on, McNamara became convinced that the war was unwinnable, and he left office in 1968. Despite the fact that under Westmoreland’s successor General Creighton Abrams, the “second act” of Vietnam (see this and this) reversed some of McNamara’s errors, the attitude of the public and especially the press was set: it was McNamara’s war, and it could not be won.

The career of McNamara is a cautionary tale, wherein a man of great achievement and intelligence applied that brainpower to an area he did not sufficiently understand, and to which he was temperamentally unsuited. He spent much of the rest of his life trying to make up for it. I hope he’s found his peace at last.

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ロバート・S・マクナマラ
マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓ロバート・マクナマラ株式会社共同通信社このアイテムの詳細を見る マクナマラ氏死去 元米国防長官 ベトナム介入拡大(産経新聞) - goo ニュース マクナマラが死去した。93歳だったという。マクナマラと言えば、ジョンソン米政
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