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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

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アルバム 母


母が右の写真をみながら、縁戚の青年が我が家に立ち寄ったと話してくれたことがある

名前は・・・タケシさんと言っていたような気がするが自信はない

軍人帽をかぶってる・・・戦地に赴く前に寄ったということなのだろうか

左の写真。母が弟を抱いている。ということはこの家はハルビンだ

長男(私)が生まれたのはホウテン(奉天)、次男ハルビン(哈爾濱)、三男チチハル(斉斉哈爾)

と書いたものの、どういう町だったのかはもちろん、三つがどういう位置関係にあるかというイメージもはっきりしない。急いでググり満州の地図をみたが、東京と横浜との距離なのか、それとも名古屋なのか分からない

ついでに年表をみて気がついた。三男が生まれたのは1946年1月。戦争が終わって半年後である

満州にいた軍人や官僚たちの多くはいち早く日本へ逃げ、一般市民の多くは置いてけぼりをくらった

わが家族は中国人に助けられながら一軒家に隠れ住んだようだ。隣家の中国人が塀越しに食料を母に渡している光景を覚えている

あまり口をきかなかった父があるとき私をさとすように言った。支那人は信用できる。朝鮮人は頭が良いが信用できない

トロントでつきあいのあった三井物産のJ夫妻が我が家に泊まったことがある。夫君が自分も引き揚げ者だと言った。Jさんは私より数歳うえでその頃の記憶もハッキリしていた

Jさんは淡々と話していたのだが、唐突にこう言った。敗戦後に朝鮮人から受けたひどい仕打ちを決して許さない

Jさんからは仕事で親切にしてもらった。Jさんだけではない、物産マンにはいろいろな場面でよくしてもらった。いずれはそういう話も書きたい

ところが人の話によると、Jさんはゴルフをしている最中にミスをおかすと自己嫌悪に陥ってゲームをやめて帰ってしまうことがあるという

半信半疑で聞いたのだが、あるとき一緒に回っていたら本当に途中で帰ってしまった。何の説明もなかった。前もって話を聞いていたから良かったが、さもなければ自分が何か悪いことをしたのかと悩んだことだろう

朝鮮人に対する静かながらも激しい嫌悪感を知って、Jさんの奇妙な行動がわかったような気がした

私がつきあってきた韓国人はせいぜい十数人である。だから口はばったいことは言えないのだが、そして嫌な思いをしたことが無いわけではないのだが、ふたりほどの強い気分になったことはない。嫌な思いなら日本人によるもののほうが多い

さはさりながら民族によってそれぞれのクセがあることを実感で知っている。平和のあいだなら折り合いもつくが戦争になったら憎悪の悪循環、増幅になる。決して戦争をしないことだ

だいいち日本人は戦争には向いていない。指導者層がヨワッチー(&エッチー)すぎる。現場でひとりやふたり頑張っても勝てない

ビジネスも同じだ。すべての責は自分にあることを肝に銘じていない社長だとだめ。官僚に丸投げしていたコイズミを社長にしたら会社は倒産する。石原銀行が上手くいかないのも同じ。公私混同がエライと思ってるシンタローを背任罪でチョーエキの刑に処すべし


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昨日今日 古い写真とかもこうして見られるって現代っておもしろいですねー 過去と今もこういうイントロで語られるととても素直に入って来る感じ
| af | 2008/05/14 9:33 AM |

 私の母も満州は大連で生まれました。
 父は日本で生まれましたが、敗戦当時、満洲にいました。
 2人は別にそこで出会ったわけでは無いですが、戦後、そういう話も縁で結婚したのでしょう。
 オノマさんは私の母と同い年か少し下のようです。
 2人とも引き揚げ前に、2年ほど、大変な苦労をしたようです。母は多くを語りませんが、その間に5人兄弟が、3人になってしまったそうです(さらに引き揚げ直後にもう一人死亡)。
 父は、中国人の豆腐屋さんに面倒を見てもらって、何とか生き延びたといいます。そういうわけで、中国人の悪口を言う気にはなれません。
| 眠り猫 | 2008/05/14 2:22 PM |

敗戦から引き揚げまで二年かかったというのは生死の境界線をさまよったようなことと同じかもしれませんね。三十八度線の北にいた方は特に大変だったようです

親の知り合いの中には、夜の逃避行の最中ロシヤ兵の「女狩り」にあい、逃げたところつまづいて倒れ、そのままうつぶせていたらロシヤ兵たちが背中を踏みつけていった、そのせいで障害者になったという方がいます

我が家を襲った災難の一部始終はしりませんが、引き揚げ後に母、次男、そして私の順で大病をわずらい、父は五十台で難病にかかり数年病院で過ごしたあと逝きました。ストレス&栄養不足が原因だと思います

戦争から派生するあらゆる悪行、不幸をあらかじめ計算することなく戦争を始めるのはチョー馬鹿猿だと肝に銘じ、叩かないといけません
| おのま | 2008/05/15 3:35 PM |










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