木霊の宿る町TOPページへ            
過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

<< 難花キャンプ | main | 小沢一郎氏はボケ老人? >>
難花キャンプ2
大船と藤沢の間にできた区画整理地の南はしに64坪の土地を買い42坪の家を建てたのが、留学から帰って4年後の1978年。ほどなく我が家とほぼ同じサイズの西隣に美男美女の夫妻が住む家が建ちました。日本航空に勤務していた時に知り合ったという夫妻はスキー、パラグライダー、オートバイと野外遊びが好きで、この辺の影響がゆうきんママにあるようです。

東隣は幅ニメートルほどの青地(国有地)を挟んで敷地200坪。うっそうたる林のなかの小さな家に朝鮮人の老人とその娘さんが住んでいました。土地は近くの地主から借りていたようですが、我が家から東側へ抜ける道路を占拠していました。土地を斡旋してくれた不動産会社の人からは老人が偏屈な人だと聞かされていました。

老人は簡単な金網の塀で家を囲っていましたが、網塀が我が家の敷地まで食い込んでいたので、うっそうたる木々をぬけて老人の家を訪ね、今すぐではなくてもいいが撤去して欲しいと老人に頼むと、すぐどかしますと言いました。偏屈かもしれないけれど悪い人ではないと思ったものです。どこかに勤めているらし娘さんとはときどき道路で挨拶を交わしましたが、きちんとして品の良いひとでした。

我が家の北は二メートルほど低くなっていて道路があり、その向こうには小さな公園、公園を囲むようにして六十坪前後の敷地が綺麗に並んでいました。やがて小住宅で埋まるようになりますが、その頃は空き地が90%、雑草の原でした。

家の南も道路。道路のむこうは小高い山。ここに登ると江ノ島や鎌倉の海が見え、ヒト気がないのを幸い、フトンを持ち込んでデートする男女がいましたが、さしたる害はありません。自然が一杯、バンクーバーほどではないけれど、なかなか良い環境だと悦にいったものです。

ところが、我が家が出来上がってひとつきもたたないにうちに、会社からシンガポール支店転勤の命令が出たのですからビックリ。家を建てていることは会社の上司にも話していたので、建ったとたんに転勤とはなんと不親切なことをすると腹がたち、留学中から何度か誘われながら断ってきた某コンサルト会社に転職することを考えました。

しかし、土地も家も購入資金の殆どは日本住宅公団と会社からの借入金でしたから、会社からの借金を返さないと転職できません。泣く泣く出来上がったばかりの家を後にシンガポールへ赴任したものです。あとから考えると、あの土地と家との縁が薄かったのがわかりますが、それはまた後の話。

span style="color:#0000FF">(ブログランキング)に入っていますhttp://blog.with2.net/link.php?310164をクリックして頂くと「木霊の宿る町」に一票はいります。

「地域情報→海外→北米」というカテゴリーで44位に落ちたあとは恐ろしくてみていません。(笑)


| おのまのプロフィール | 居住空間 | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 11:19 | - | - |









http://onomar.jugem.jp/trackback/1267
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>


↑BGM(ON/OFFで切替)

bgm(別ウィンドウ)

VANCOUVER

TOKYO


↓木霊が宿る町QRコード↓
qrcode
ページランク

GBL:Googleバックリンク数です
 GIP:Googleインデックスページ数です
 MBL:MSNバックリンク数です
 MIP:MSNインデックスページ数です
 YBL:Yahoo!バックリンク数です
 YIP:Yahoo!インデックスページ数です
緑バー:Googleに於ける木霊の宿る町の人気度です

サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト

このページの先頭へ


あなたはどこにいる free counters