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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

中東のホテル 4

ついこの前までこのブログの訪問者は日に百人程度だったのが、十日ほどまえからたびたび二百人を超えるようになり、三日前には三百人を越し、そして昨日は一気に七百人を越した

リーマン・ブラザーズ破綻に言及してから急増したので金融機関関係の方が増えたのかもしれない。これまではあかがま先生のところから来られる方、すなわち医療関係のひとが多かった

そろそろ日本の金融マンの話を書きますかな。佐藤優ばりに実名で書いたら大変なことになるだろうなあ(笑)


大阪ウェスティンで豪勢な部屋に泊まった話を書きましたが、その逆も経験しています

舞台は八月三十一日に脱線したままになっている「中東のホテル」のひとつ、テヘランで長逗留したインペリアル・ホテル。日本の帝国ホテルとは関係ありません。星みっつだったと思います

三ヶ月のイラン出張が終わりに近づいたとき、本社から近隣諸国を訪問して調査せよとの指示がきたのでクウェイト、バーレン、ヨルダンを回りました

出張にでかける朝ホテルをチェックアウトして、これこれこの日の遅くに戻ってくるからといって部屋を予約しました。テヘランは景気がよくて、大概のホテルは満杯だったのでくれぐれも頼むよと念を押しました

フロントのマネジャーがおまえは我々の家族みたいなものだ。部屋はとっておく。荷物も今まで泊まっていた部屋に置いておけばよいと言いました。マネジャーとは毎日のように顔をあわせていましたが、家族だといわれると嬉しいものです

最後の訪問国ヨルダンを遅くでて、インペリアル・ホテルに戻ったのは夜中。フロントで鍵をもらおうとしたら、部屋はない、お前から預かってる荷物は事務室にあるといいます。ええええ

部屋をとっておくといったじゃないのと言うと、部屋はない、人の言ったことを信じるのは馬鹿だと言われ、事務室の机の上に毛布をしいて寝る羽目になりました

四時間ほどねてチェックアウトする時に正規の部屋代を請求されたのにはあきれました。シャワーもあびていません。君とは誰も友達にならないだろうなと皮肉を言うのが精一杯

「巧言令色少なきかな仁」 家族みたいなものだと言われて油断したオノマは甘かった

三ヶ月迷った末にテヘランに事務所をつくるのはやめようと思ったのはこのマネジャーのお蔭。出張レポートにはもちろん書かなかったけれど

いそいでググってみましたが、テヘランのインペリアル・ホテルはみつかりません。火事にでも遭ったのでしょうか。あのマネジャーは焼け死んだね(笑) アッラーアクバル♪

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| おのまのプロフィール | ホテル | 02:04 | comments(2) | trackbacks(0) |
中東のホテル 1
1975年から76年にかけての三ヶ月にわたるイラン出張が終わりに近づいたころ、東京から近隣諸国の中央銀行を訪問するようにという指令がきた

自らもそうであったが本部の参謀は現地の事情を知らないまま、あるいは知らないふりをして指令をだすことがある

あるというと例外のように聞こえるが現場を理解しようという親切心がゼロの参謀もいる。エリート意識だけが発達している参謀がつくる机上の空論というやつに現場は苦戦する

現実の日常はいちいち説明することのできない様々なことから成り立っている。頭でっかちの参謀はそういうことを加味しないギチギチのスケジュールを作るのが好きだ

当時、おのまの勤め先でイランを訪れたことのあるのは国際関係の重役くらいだった。重役は部下が用意した段取りにのっかって訪問先の重役と握手して帰ってくる。日本の大使閣下とかわらぬ気軽な出張である

外にいるかけだしは違う。助けてくれる部下も会社に出入りしている旅行代理店もいない。飛行機、ホテル、アポ、すべて自分でやる

近隣諸国に出張する手持ちなどないから送金してもらわないといけない。クレジットカードという便利なものがない時代だった(JCBカードはあったけれど外国では役にたたない)

ファックスも普及する三年もまえのことで日本との連絡はテレックスである。出すにはテープに電文を打ち込まないといけない

英文ならよいのだがローマ字で書かれた日本語の原稿はイラン人にとって読みにくい。後回しにされるので急ぐ時はテレックスマシンを借りて自分でテープを作って渡した

イラン人と日本人とは気質が違う

あるとき夢中になってテープを作っていた。一時間くらいして終わりに近づいたところ、男がやってきてテープが入っていないよと言った。マシンを借りるときに知っていた筈だと思うといまいましい

三ヶ月にわたって滞在したテヘランのインペリアルホテルの従業員は、お前は俺達のファミリーみたいなものだと言っていた。それが外交辞令であったことをテヘランを去る朝になって知ることになるのだが今は書かない

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| おのまのプロフィール | ホテル | 08:49 | comments(2) | trackbacks(0) |
ミャンマーのホテル 3
書いていると脱線して仕方が無い。してもいいのだがくだらないことを思い出してしまうので嫌になる。石原慎太郎のパンツなど思い出したくなかったよ。日本はなんでああいうのがのさばるのかねえ

マンダレイで泊まったホテルについて書きたいことがたくさんあるのだがさわりだけにする

ヤンゴンはマンダレイから北に七百キロ。東京からみると盛岡あたりだろうか。空気が乾いていて爽やかだった

緯度でいえばマンダレイは台湾よりもずっと南にある。それでもって爽やかというのであれば高原の町だったのか。改めて調べたら標高二百数十メートルである

どうして高原の町だと思ったのだろう。そうか、あのときはマンダレイから七十キロ離れたメイミョーという山のなかにある町まで足をのばしたのだ

いかん、脱線しそうだ

マンダレイのホテルは星みっつだった。高床式といった風情の一階建てで部屋は廊下をはさんでそのまま外に接していた。北米の安モーテルをもちあげて廊下をつけたという絵を想像すればよい

部屋に入ったときの第一印象は電話がないということだった。しかし掃除は行き届いていたし、シングルベッドのマットレスはしっかりしていた

ホテルは、というか居住空間はまずもって清潔であることが第一だ。建物が立派でもメンテナンスが行き届いていないのや埃っぽかったり、湿っぽかったりというのはいけない。モノが散らかっているなどは論外、歩き回るだけで神経が疲れる

マンダレイの三つ星はラングーンの五つ星より断然居心地がよかった。熟睡から目がさめたときに聞えてきた声について書きたかった

廊下をふたりの女の子が歩いていく。「モーニングコール、モーニングコール」と言って歩いていく。鈴の音のように可憐な声

このときの情景を山歩きがすきな知人に話したら顔をくしゃくしゃにして喜んだ。私はいまでもときどき頭の中で「モーニングコール、モーニングコ−ル」と真似している

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| おのまのプロフィール | ホテル | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミャンマーのホテル 2
「東は東 西は西」というフレーズや「ジャングルブック」で知られているキプリング(Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936 年1月18日・)は米国・日本・インドという経路の途中でミャンマーに立ち寄っている

彼はノーベル賞作家であったし、作品にもその名が出てくるからスエズ以東で最高級といわれたストランドホテルに泊まったのであろうと想うのは当然である。しかしこの想像はもしかすると当たっていないかもしれない

キプリングはラングーン(ヤンゴン)には滞在したがマンダレイは訪れておらず、人から聞いたマンダレイの景色を「マンダレイ」という作品に織り込んだと言われている。作品に出てくるからといって、そこに行った、泊まったと決められないのである。そういうことが決めるとすればアーサー・クラークは木星に行ったことになる

「マンダレイ」は「マダムバタフライ」や「ミスサイゴン」同類の身勝手でセンチメンタルな色調で始まる

石原慎太郎の自伝にベトナムで買春した少女に翌朝自分のパンツを与えたら相手が感激していたとあるそうだが、そんなことするなよ。日本男子の評判が落ちるぜ。相手が喜んだ? おめえナルシストじゃね?そういうのをもらったことのある方がおられたら感想をおよせください(笑)

1980年、シンガポールのピアノバーでは「あなたが欲しい」という切なげな歌がはやっていた。ホステスたちもすぐに覚えてあっけらかんと歌った。「おかねが欲しい」

大幅脱線。「マンダレイ」の冒頭:

By the old Moulmein Pagoda, lookin' eastward to the sea,
There's a Burma girl a-settin', and I know she thinks o' me;
For the wind is in the palm-trees, and the temple-bells they say:
"Come you back, you British soldier; come you back to Mandalay!"
Come you back to Mandalay,
Where the old Flotilla lay:
Can't you 'ear their paddles chunkin' from Rangoon to Mandalay?
On the road to Mandalay,
Where the flyin'-fishes play,
An' the dawn comes up like thunder outer China 'crost the Bay!


詩の全体は上の数倍の長さがある。この詩を引用してキプリングは人種差別者であったと解釈するひともいる。植民地時代のイギリス人だから人種差別をしていたとしても不思議は無い

次の首相の有力候補といわれる麻生太郎が庶民を一段も二段も低くみているのは死んでもなおらない。生まれた環境から大きくはばたいてすべてを掬い取るような偉人はそうたんとはいないものだ

マンダレイのホテルのことを書くつもりだったのが脱線した

Moulmein Pagoda



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トロントにはキプリングにあやかった通りや駅がある

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| おのまのプロフィール | ホテル | 02:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミャンマーのホテル 1 
いろいろなホテルに泊まってきた。よくぞ泊まったと思う身分不相応なホテル、懐がさみしく探しに探した安ホテル。もう一度泊まりたいホテル、二度と泊まりたくないホテル

チェックアウトとともに忘れてしまうホテルもあるがミャンマー(ビルマ)で泊まったヤンゴン(ラングーン)とマンダレイのホテルはよく覚えている

ヤンゴンはサマセット・モーム(1874-1965)の常宿(じょうやど)だったことで知られているストランドホテルにとまった

かつてスエズ以東で最高級といわれたストランドには五つ星がついていた

五つ星。シンガポールだとシャングリラ・ホテルくらいだった。昨日紹介したトロントのロイヤルヨークは四つだと思う。東急グループが1986年に作ったホテル・パンパシフィック・バンクーバーが五つ星だったことがあり、サッチャーやゴルバチョフそしておのまが泊まっていた

ミャンマーの五つ星に泊まってみて驚いた。泊まってみてとまどったというべきか

モームよろしくバーに行ってビールを注文した。何度か洗ったらしくビンのラベルは半分なくなっていた。呑むと気がぬけていて生ぬるかった。アルコール度も低くビールとは思えなかった

部屋に入るとベッドのマットレスのまんなかが凹んでいて寝ると腰のあたりが沈み込む。フロントに電話をして取り替えてもらったが運ばれてきたのも凹んでいた。もっとましなのはないかというと廊下の隅においてあるマットレスの山に案内された。いずれもまんなかが凹んでいた

部屋には大きな扇風機があった。スイッチをいれると音がする。カラカラカラと小さい音で回っているが急にガラガラガラと大きな音に変わる。カラカラカラガラガラガラの繰り返し・・・眠れない

扇風機をとめると蚊に攻撃された。ふたたびフロントに電話をすると扇風機の代わりに香取線香をもってきた。金鳥の蚊取り線香とおなじ形だったが色が違う。悪い予感はあたりまったく効き目がなかった

朝。体はかゆくて汗だらけ。シャワーをあびようとしたら茶色い水がでてきた。ミャンマー滞在一週間。体を洗わなくても死にはしない

あれから二十六年・・・ググってみるとストランドホテルは改装されて評判が良さそうだ。そのかわり部屋代は三万円を越している。北米の一流ホテル並である。あのときのホテル代は忘れてしまったが今の感覚でいえば五、六千円だったのではなかろうか

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| おのまのプロフィール | ホテル | 04:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
帝国ホテル
帝国ホテルでぼやがあったというニュースを聞いて、ぼやっと考えていたら昔の景色がよみがえってきた

大学時代にアメリカの観光客を羽田空港で迎えてホテルまで届けるというアルバイトをしたことがあるとは2003年11月5日に書いた

http://onomar.jugem.jp/?day=20031105

迎える相手がひとりのときは別として、たいがいは先輩アルバイトとの二人三脚であった。迷子がでないように見張るのが仕事であった

当時は背広姿でないとホテルに入れなかったのでアルバイトを始めるにあたって吉祥寺の駅前にできたばかりの丸井デパートで背広を買ったものだ。六千円だったと思う。三回か四回の分割ばらいだった

三鷹にあった大学の寮からバスの停留所にでるまでの道は舗装されておらず、これまた新調した革靴は土ぼこりで汚れた

アメリカからやってくる観光客を羽田で迎える姿を想像してみる。彼らはお金持ち。こちらは安物の背広と汚れた靴。当時の為替レートは1ドル=360円で換算すると背広は16.66ドル。そのくらいならアメリカ人たちは一日で使っていたのではなかろうか。彼我の格差大なり。背広のごわごわした手触りを思い出した

送る先は帝国ホテル、ホテルニューオータニ、ホテルオークラのどれかであった。いずれも入るのは初めてだったが、その中で印象に残ったのは帝国ホテルであった

フランク・ロイド・ライトの設計による大谷石でできた建物は日比谷通りから玄関に至るまでのアプローチが美しくそこを通りぬけるだけでも気分は高揚した



ロビーは薄暗く静かで、その雰囲気はオークラやニューオータニより上等。葉巻の香りが漂っているのも帝国ホテルだけだった。当時は葉巻なるものを知らない。葉巻の匂いだと気づいたのは何年かあとのことである



ホテルでアメリカ人たちをチェックインさせたあとは、先輩と交通費などの費用を計算して三鷹に帰るのだが、あるとき飛行機の到着が遅れたかなにかで計算が終わったときには終電車がなくなっていた

そういうことに慣れている先輩はいとも簡単に部屋を取ってくれた

もらった鍵の番号をみて部屋を探したのだがみつからない

部屋の番号を覚えていないが、たとえば357号室だとする。三階にある57号室というわけだ

廊下を歩いていくと356号室、358号室はあるのだが357号室がない。悪い夢を見ているような気分で廊下をなんどか行き来しているうちに小さな階段をみつけた。もしやと思って上がって行ったら357号室があった

アンネ・フランクの隠れ部屋という風情の小さな部屋で部屋の壁も大谷石だったのを思い出す

あれから何十年かたった。色々なホテルに泊まってきたが、もう一度だけ泊まれといわれたらあの部屋を選ぶかもしれない。その部屋のためだけについている小さな階段を上りたいと思うのだ



ライトの帝国ホテルは取り壊され、一部が明治村に保存されている。いちど見に行ったが、さわりのところだけしか残っておらず何ともいえない寂寥感にとらわれた

サラリーマンになって十年くらいのころ、急ぎの仕事ができて帝国ホテルに数日泊り込んだことがある。何の感興もなかった

ときどき東京のホテルに泊まるが帝国ホテルは敬遠している。ロビーは大通りのように人が往来しているし、オールド・インペリアル・バーはいつも満員でうるさい。音がうるさいというのではない。客たちがつくっている雰囲気がうるさい。そういうのは帝国ホテルだけのことではないのだが

ひとけのないバルコニーでぼやっと時間を過ごしたこともあったなあ



↑の造りに似たバルコニーのあるホテルがトロントにある

http://www.fairmont.com/RoyalYork/

ジェイ・モートンに教えてもらったLibrary Barはかつてのオールド・インペリアル・バーのような雰囲気があった。いつ行っても空いていて、日本人の姿を見ることは全く無かった

ランチを食べに行ったり、夕方立ち寄ったりしているうちにバーテンやウェイトレスと顔なじみになった。ホテル製のパンがうまかったのでパンを肴にビールを飲むことが多かった。あるとき勘定を払って帰ろうとしたらバーテンがパンを数個紙袋にいれて渡してくれた



| おのまのプロフィール | ホテル | 08:44 | comments(2) | trackbacks(0) |
雨の中の光・後編


夜中のエッジモント・ビレジ。昔からある商店街の原型を壊さないで再開発した通り。スターバックスはありますが、古くからの店がたくさん残っていて、画一的なショッピング・モールよりぬくもりがあり、買い物客も近所から散歩をかねてくるひとが多く、実に和やかな雰囲気がある通りです。

かつて東京ヒルトンという名前の時もあったキャピトル東急ホテルを壊して高層ビルにするという貧しい発想から何が生まれるというのだろうか。経済的効率とかグローバルスタンダードなる代物を追っているとしっぺがえしを食らうに決まっている。

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルをあのまま残していたら、私は東京ぐらしを続けていた・・などと云ったってインパクトないのだろうけれど、経済効率感覚まるだしの高層化志向の空間づくりは失敗する。ライトの帝国ホテルは陰翳があって落ち着いていたけれど、今は東京駅構内のように群集が闊歩、オールド・インペリアル・バーは崩壊学級のようにがさついている。日本の外交と同じで、方向を間違えてハシゴをかけるものだから登るほどにひどい所へ行く。

なんてことは考えたりせず、ただただヒト気の無い通りで写真を撮りました。



夏のあいだ毎週金曜日の夕方、野外コンサートが開かれる広場。右に行きつけの床屋と少々お高いパン屋があります。床屋の椅子が古くて、しかしよく手入れがしてあって、いかにも床屋という風情。人形町のタキガミも好きだけれど、あそこほど高くない。



時計の修繕を頼む時計屋さん。ここの親父さんがまた味わい深い。


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| おのまのプロフィール | ホテル | 12:57 | comments(2) | trackbacks(0) |
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