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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

今日の更新


ブログ=ウェブ・ログ=ウェブサイトで公開する日記。

毎日更新すべきという強迫観念にかられて九年余。当初利用していたサイトの事情で日記の一部がなくなっているが2003年1月から毎日更新しているのがこのブログの売りである。

一日に複数の日記を書くこともある一方、更新が遅れることもある。遅れるときは心身ともに落ち気味のときだと思う。

あしたは三月。十二月に終わった地下室台所プロジェクトについてはもはや書く気がおきない。マラソンで他の選手に抜かれてがっくりとし、どんどん順位を下げ、ついには脱落というようなものである。

一月のサンピークスもいまだに終わっていない。ひとつき前の話を書こうとすると疲労感が生じる。

疲労感が読者に通じる。

疲労感を覚えるブログなど読みたくないというのが自然。十二月まではまいにち千人以上、時に二千人の訪問者があったが今は三百人をきっている。



毎日更新がこのブログの売りであるのなら、疲労しない更新をしたらいかがか。

ということで本日は写真のみ。

朝、六時に目が覚めた。表をみたら雪が降っていた。



人の気配がない雪景色は御伽噺の世界のように見える。

八時四十二分。まだ降っている。



山に行こうかと思ったが、おととい、昨日と三時間ずつ滑って今朝は腰骨が痛い。ゆっくり朝食をとることにしよう。


ウィキペディアから:

ブログ
(blog)は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。

日本におけるブログは、各ブログの投稿数が多いことを特徴としており、その結果として、
2006年平成18年)の第4四半期には全世界のブログ投稿の約37%を日本語によるものが占め、英語中国語を上回る第1位となっていた。


2006年、日本のブログが全世界の37%を占めたとは知らなんだ。

おのまを含めて日本人は強迫観念にかられやすいのかもしれない。

言い換えよう。おのまを含めて日本人は律儀なのかもしれない。

264
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本日の一枚@日本で賀状書き
12月26日(月)は所用と飲み会があってブログを更新する時間がありませんでした。知人宅での飲み会が終わったあと大船⇒東京の終電車を逃し、ホテルに着いたのは夜中の二時過ぎでした。

睡眠時間 3〜4時間、12月27日(火)朝六時から賀状を書きました。日本で賀状を書くのは十年ぶりです。



今回の賀状は孫娘みいたんの写真を使いました。



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本日の一枚 2 @十二月二十五日
大学時代の一時期、おのまはボートを漕いでいました

練習時間が長いため授業に出られなくなったので辞めました

大学生は勉強するのが第一ですから

隅田川でも漕ぎました

四十数年ぶりに隅田川に降りました

観光船で



この辺りを漕いでいたのですが・・・・
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本日の一枚 1
おのまは使いたくない日本語がいくつかあります。本当はいくつもですがそういうと角がたつからいくつかということにしておきます。

「大変」と「忙しい」は二十年以上口にしたことがありません。何故か。

「大変なの?」とか「忙しいの?」と真面目に訊かれたらそんなことはまずないからです。ごくごくたまにあったとしても、それを口にしてどうなるのですか。男はだまって大変に耐え、中変あるいは小変に変えることに集中する、忙しければ工夫するだけです。

そういわれたらあなただって大変とか忙しいとかって滅多にないでしょう。それでも「いえ、私ほんとに大変なの」とか「俺、毎日忙しいんだ」とか云う方はよほどの要職にある方か、あるいは日々の段取りが悪いか、甘ったれか、うそつきかのどれかです。まあ大概は要職じゃないけどね(笑)。むろん命を削るようにして働いている激職の方はおられます。そういう方々はご自愛されるよう念じています。

この二十年、大変だと思ったことがなく、忙しいと思ったことがないおのまですが、ことしは大変だと思いました。地震、津波は昔からあることだから中変です。でも人類史上最大の原発事故、フクイチは実に大変なことだと思います。野田佳彦さん、収束なんて生易しいものではないんですよ。

忙しくはありません。でも加齢とともにスタミナが衰えてきたのでブログを更新する時間がとりづらくなってきました。

更新しないとおのまは高い、いや他界したのではと勘ぐる人もいるでしょうから、イキテルゾーというメッセージのつもりでしばらく写真だけのブログになるかもしれません。

ということで本日の一枚はこれです。



12月24日(土) 日本時間



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体調不良・片目のジャック

相変わらず右耳がジーンと鳴っています。

五年前は週に一、二度突発的にめまいと吐き気がおきたのですが今回は五年前より軽い症状が慢性的に続いています。

鼻の右奥から右後頭部にかけて何かが詰っていて鈍い感じがします。右目は砂が入ったようなごく軽い痛みがあります。頭頂右側は快感に似たしびれがあります。


四月二十七日(月)

五年前の六月に診てもらった耳鼻科医に行きました。

五年前の記録がありました。あの時の聴力検査は正常でした。

医者が言うことは同じでした。外耳、中耳はきれい。三半規管にヴィールスか血が入ったのであろう。めまいはそのうち直る。これから聴力検査をする。


聴力検査には今まで見たことのない器械が使われました。

耳に太さ二センチ、長さ十センチくらいの棒のようなものをあてると音が聞えてくるのですがそれだけで聴力が測れる、三年前に入れた新兵器だということでした。

検査の結果はグラフで出てきました。左耳は黒いグラフ=正常、右耳は赤いグラフ=難聴でした。自覚していた通りなので感激しません。

グラフをみながら医者が最終判決を下しました:

右耳の難聴は直らない。
発症して二、三日以内だったらステロイドでもって直ったかもしれない。
ひとつきたった今は手遅れ。


ということでおのまの右耳は難聴となりました。なんちょうこった。

脅しのメール(笑)を下さった方のつぶやきが聞えるようです。だから云ったじゃん・・・

でもねえ、発症して二、三日以内といわれたって医者に診てもらいその医者から耳鼻科に連絡して予約がとれるまで二週間かかったのでムリざんした。


土曜日にある方のお宅でピアノとフルートの演奏を聴いたのですが右耳に高音がきんきん響くのには閉口しました。 

いままでは自分がとても良い耳を持っていたことに気がつきました。

帰りの車の中で、右耳に入ってくる音を脳から締め出し左耳だけで音楽を楽しむ技を磨けばよい、飛行機のエンジンがひとつ故障しても飛べるようなことだと考えればよい、あれは片肺飛行という、これは片耳聴こうだ・・などと考えていました。

そんなことができるのでしょうか。


日曜日の晩、テレビで「One Eyed Jacks ・片目のジャック」という映画をやっていました。

題名は知っていましたが見るのは初めて。でも映像が不安定でしょっちゅう画像が止まるので途中でやめました。

「片目のジャック」から「片耳斧魔」ということばが浮かんできました。


ちなみにこの映画のどこにも片目のジャックなる人物はでてきません。英語の題名はJacksと複数になっています。One Eyed Jacksでググったら説明がでてきましたが特筆すべきほどのことでもないので省略します。

マーロン・ブランドが監督もかねた唯一の映画ですからファンの方は必見でしょう。映画全篇をユーチューブで見ることができます。斧魔は馬に乗ってピストルを撃ちまくる映画は嫌いだしマーロン・ブランドも好みじゃないので見ません。ブランドやリチャード・バートンには病的なものを感じます。考えてみたらレオ様もブラビもギアも苦手・・・・


読者のみなさま耳に変調がおきたらすぐ耳鼻科へ行くことをお忘れなく! 


晴れ http://blog.with2.net/link.php?310164

本日二十五位 640 点 

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五年ぶりにめまい
★グラウススキーのゴンドラは二回おおきくゆれます。ふもとと山頂との真中にある鉄塔にさしかかったときと頂上に着いたときです。

揺れるたびにワーワー云ってよろこぶ子供たちの歓声を聞くとああいう気持ちはずいぶん昔になくなったなあと感慨にふけったりします。

それは良いとして、数週間まえからゴンドラが揺れると軽い船酔いになるような感じがしています。すぐに直りますがちょっと嫌な予感がします。

予感はあたりました。


四月一日、林雨の原稿を書いていると突如として右の耳にキーンという響きがおきて気分が悪くなりました。

めまいがして原稿を書くのがつらくなりました。

ミントキャンディーをかじって少々回復したのでこれを書いていますが、騒音があると右の耳奥がキンキンします。キーボードの音も気になります。

左肩がこっています。

前にめまいが起きたのはいつだったかと調べたら2004年の三月でした。五年ぶりです。

症状が悪くなったらブログを休みます。
続きを読む >>
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雪解け

二十五日。

トロント時代の知人が日本時間の二十五日に亡くなったというメールがきた。

おのまよりひと世代上の人だが真っ黒な髪の毛がたっぷりあり顔はおのまより若かった。健康そのものでお金もある。同じサラリーマンをやっていてどうしてかくも違いがでてくるのだろうという人だった。

そういう人が日本人の平均寿命より若くして逝った。


二十六日。

外気が三度にあがり雪が解け始めた。




平らな芝生の上に平らに積もった雪なのに解けるときはデコボコだ。人の寿命みたいだ。

解けた雪が蒸気になりまた雨や雪になって帰ってくることを思うとイキモノの輪廻もありうるかという気持ちになる。

そう考えると長生きするとかしないとか、幸せだとか不幸せだとかいうものはノミのゴールドボールドである。

生きているあいだはイキトシイケルモノ、イキテイナイスベテノモノに対して親切丁寧に接することを旨とするのが良いのだろう。そうでない人は地獄に落ちてから反省することになるのだろう。

二十五日に逝った知人は親切なひとであった。

本日19

http://blog.with2.net/link.php?310164
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オリガ・モリソヴナの反語法@クリスマス
オノマさん、Merry Christmasです。
ごぶさたしてます。後輩です。クリスマス前に美味しいスモークサーモンをお届けしようとずっと思ってたのですが、この雪でめげました、諦めました。悪しからず。

米原万理の「オリガ・モリソヴナの反語法」、私もとても面白いと思いました。彼女とちょうど同じ頃、西ドイツに滞在していたので、とても親近感を覚えると同時に、彼女の経験に比べると、私は子供ナリに苦労したと思ってましたが、彼女の比ではないと思いました。その後、彼女の色んな本を読みましたが、この本が一番良く書けてると思いました。
| Akiko Gomyo | 2008/12/26 11:22 AM |



三ヶ月前。「浜えい」のカウンターで日本人らしきカップルが飲んでいた。「浜えい」は日本人客が少ない。

話しかけたところやはり日本人であった。初対面で世代も違っていたが話は弾み、そのうち女性がUBCの後輩だと分かり名前を訊いた。

五明明子。小説に出てきそうな名前。バンクーバーの住人なら「サーモンビレッジ」の経営者と知っている人がいるだろう。

http://www.salmonvillage.com/

それからほどなくして福井を拠点にしているピアニスト・高木裕美が西バンクーバーの種村邸で二年ぶり二度目の演奏会を開いたのだが五明夫妻はスモークサーモンを持ってやってきた。


昨日の日記は長靴を買ったことを手短に書くつもりでいた。

停電のせいで書くのが遅れせかされるように書いていたら話がまとまらなくなった。

書き始めたときは米原万里のことを書こうとは思っていなかった。

書いてよかった。「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んだ人が身近にいることを知ったのが良かった。米原万里と似た足跡をたどった人が活躍していることを知ったのが良かった。二回しか会っていないのに「美味しいスモークサーモンをお届けしようとずっと思ってた」と云われ宝くじに当ったような気分になったのが良かった。


二十五日カナダプレースで「Polar Express」 を見た。四年前に見た映画だがもういちど見てよかった。

カナダが生んだIMAXの巨大スクリーンに映し出される立体映画のすみずみまで見ようとしても見切ることができない。

再度書く。バンクーバーの住人でご覧になっていない方にお勧めする。

映画にしかできない美しい画面が最大の魅力だが、それに加えて年齢のいかんにかかわらず人生の指針になるシーンがある。どう生きるべきかと考えてるひとには特に勧める。←どう生きるべきかと考えない人はいないだろうから強要だね(笑)

IMAXは「くるみ割り人形」の立体映画を作っているそうなのでPolar ExpressをIMAXで見ることができるのはこれが最後かもしれない。脅迫だ。

ちなみにカナダプレースの駐車場はニ時間で16ドルも取られた。映画は14ドル。

北岸からならロンズデール・マーケットに車を置きシーバスで行くとよい。マーケットで買い物をすれば駐車代は只になる。シーバスは休日なら往復で四ドル以下のはず。


二十六日朝。ベッドの中で「オリガ・モリソヴナの反語法」を読みきった。いますぐ感想を書くのはムズ。

「この本が一番良く書けてると思いました」ですか。残念だなあ。米原万里の書いたものでまだ読んでいないのが何冊かある。一番おいしいのを先に食べちゃったか。

読んでおられない方にはお勧めしますが、読んだあとでこれ以上の小説にめぐり合えないだろうという寂寥感にとらわれるかもしれません。しかし作品を越えた新たな世界に導かれるかもしれません。米原万里がもつ怪力のようなものがこの世に残っているような気がします。

本日20位
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黒い聖夜

物持ちの良いほうだと思う。

バリー社のボビーを初めて履いたのは1978年、ちょうど三十年前である。二足もっていて交互に使ったから長持ちした。二十数年もった。

履物としては靴よりも下駄や草履のほうが人間の体にあっていると思うがボビーは靴としては上出来だ。履くときにすっと足が入るし、履いたあと足をしめつけるでもなしぶかぶかでもない。


ホテル・バンクーバーにバリーの店がありそこでボビーをみつけたのが1985年か86年。

安くない靴である。しかし一足しか買わなかったのは失敗だった。安くなくても気に入っているなら予備を買っておくのがよい。他のところで節約するくせもつく。

はだしで歩いているような感じがするまで底が薄くなった。形をととのえるために飾りをかねた皮ひもが使われているのだがこれが切れた。

トロントの靴屋で底を張り替えてもらった。皮紐はないと言われた。あっても直す技術が無いだろうと思った。

ホテル・バンクーバーに行ったら店がなくなっていた。銀座のバリーにボビーはなかった。

東京駅の構内に靴修理店が出ていたので底を張り替えてもらったがひとつきたたないうちに剥がれ落ちた。そんなところでボビーを直そうとしのが間違いだった。


ボビーを履かなくなって五年たった。靴屋には何度も入ったが似たような靴はない。

三年まえセントルイスの靴屋で柔らそうにみえる靴を見つけた。ボビーには敵わないが買った。しかし愛着がわかずあまり履かないから今でも新品同様だ。


四日前にウォルマートで靴を買った。

長靴を買ったのである。長靴を買うのは子供時分以来ではなかろうか。六十九ドル。だいぶ円が高くなってきたから五千円というところ。

トロントは寒いが雪が深く積もることは稀で長靴は要らなかった。革靴をすっぽり包むゴム靴で用がたりた。くるぶしまでの短靴である。

長靴を買ったのは正解だった。二十三日の午後から二十四日の夜まで雪が降り続き、長靴でさえ隠れる深雪になった。何度も雪掻きをした。




バンク-バーでクリスマス・イブに雪が降るのは三十七年ぶりだそうだ。

1971年の暮は大阪にいた。ニクソンショックで昼飯もたべられないほど忙しく会社をやめたいと思っていた。

三十七年前のバンクーバーを知っているひとの前でおのまは新参者の気分になった。たった一年の差だが。

我が家のクリスマスライトの半分は雪の中に埋まった。




クリスマス・イブを静かに過ごすようになって何年にもなる。ことしはクリスマス・パーティーにもクリスマス・コンサートにも行かなかった。充実した年だったから大人しく過ごすのが良い。

暖炉の前でサッポロ・ビールを飲みながら米原万里の「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んでいたら停電になった。

近所の家も消えている。ホワイトクリスマスが一転してブラッククリスマスになった。

貴重品だが和ろうそくをつけて読んだ。こちらのろうそくに比べて焔が何倍も大きい。和ろうそくはノーベル賞クラスだと思う。


二十五日朝七時。思ったより寒くはなかったが暖炉に火を入れて本を読みつづけた。

さいきん日本の本は面白いのがないとある(R)ひとのブログにあった。同感である。

でも米原万里は例外だ。子供の頃チェコにいて日教組の痩せこけたキョーイクの犠牲にならなかったせいであろう。などと書くとバカザルたちが騒ぐか。いや、ここの読者は水準が高いからそんな心配は要らないな。

十時すぎAM650(なつめろ専門)が流れはじめた。停電は十二時間で終わった。



本日22位
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本日は寒いです
十二月十五日(月)

朝からラジオのニュースが世の中の一大事だというように只今はマイナス三度、マイナス一度、こんな寒い日が一週間も続くと繰り返している。

平和じゃのう。

キツラノビーチには沢山の人が歩いていた。

元気じゃのう。

写真を撮っていたら十分ほどで体が冷えてちびりそうになった。

年じゃのう。



本日25位
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F写真のO氏

12月1日 日本からクリスマスカードが届いた。早いなあ。




送り主はトロント時代につきあっていたO氏でF写真カナダの社長だった。

F写真とM銀行とは同じグループの会社だから世界中で取引がある。ところが1987年オノマがトロントに赴任したらF社カナダ@モントリオールとの取引がない。どうしてかと副社長に訊いたがはっきりしない。

O氏を訪ねたり、O氏が仲良くしているM商船のY氏と一緒にモントリオールでゴルフや食事をしたりして親しくなったのだがどうしても取引してくれない。T銀行だけで十分だという。


O氏がトロントにやってくると政という日本レストランで食事をし、たまにはそこでカラオケに興じたりした。カラオケは好きではないが、歌えと言われれば歌う。なにせ昔はNHK郡山少年少女合唱団のメンバーだったのだから。ブイ。

政に働いているなんとかちゃんという寂しげな女性もカラオケに加わった。O氏は独身である。なんとかちゃんと深い仲だという噂があったが真偽のほどは分からない。なんとかちゃんは日本に帰り小料理屋を開き、O氏と一緒にニ、三度行ったことがある。

酒を飲むと胸のうちにしまっているものがこぼれだすことがある。O氏は日本酒を飲みながらお宅の副社長はバカだから彼が居るかぎり取引しないと言った。それ以上は云わなかったしこちらも訊かなかった。


O氏はY氏と三人でカナディアンロッキーに行ってゴルフをしようと云ってきた。取引開拓のチャンスだと思うが銀行はそういうことに使える予算がない。オノマはそういう遊びに使うポケットマネーがない。断った。

メーカーや商社にくらべると銀行の接待予算はつましい。社宅にお客さんを招いて食事会をするのも銀行の予算では間に合わず家計が痛んだものだ。留学させてもらった恩返しだと思った。

M商船の船を借りてパーティーを開くからバンクーバーまで来ないかと誘われた時は参加した。バンクーバーには出張することがあるからそれと併せたのである。

パーティーにはF写真カナダが取引しているT銀行の社長が来ていると思ったがいなかった。日本人客はY氏とオノマの二人であとはカナダ人だけだった。個人的なパーティーだと云った。


O氏がバカだと云った副社長はやがて転勤したがF写真カナダとの取引は始まらなかった。そうこうするうちにオノマは日本勤務となった。

それでもO氏との付き合いは続いた。

オノマが転職してトロントに戻ったときO氏はアメリカで合弁会社の会長をしていた。ゴルフをしに来ないかといわれたのでニューヨークのパートナーと一緒にニュージャージーのゴルフ場まで出かけた。

その会社はかなりの規模があったが日本人はO氏だけ、O氏に連れて行ってもらったゴルフクラブも日本人メンバーはO氏だけだという。自分だったら寂しくてたまらないと思った。

その後O氏はF写真ブラジルの代表になった。何度か遊びに来いと誘われ行く積もりでいたが果たせないまま時間が過ぎO氏は日本に帰った。


東京に行ったときO氏と渋谷のくじら屋で食事をした。学生時代からある店だが何度か改装され以前の雰囲気はない。以前は「日本」という雰囲気だった。今はスタバの雰囲気。

http://www.kujiraya.co.jp/

O氏はあのころ小野さんの云っていたことがようやく分かったと云った。何を云ったっけと訊くと、銀行の連中は跳んだり跳ねたりしているけれど必ずひどいことになると云っていたと云う。

そうか、自分が云っていたことは理解されてなかったのか。十年前にお前が云っていたとおりになった、一緒に仕事をしようと云ってきたユダヤ人もいたなあ。

いま云っていることだって理解されないことが多いんだろうなあ。

くじら屋で食べたのは三年前のことだ。こんど東京に行ったらまたO氏と一緒に行きたい。Y氏にも会いたい。鯨を食べたい。鰯を食べたい。秋刀魚の刺身も食べたい。

ランキング
本日23位

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ジョージに会った
七月十五日(火)夜九時すぎ。まだ明るい

知人宅を訪れたあとの帰途、家まであと五十メートルのところまできたらジョージ・アダムスンが歩いていた

ジョージとジェシーは毎日のように散歩していたが、ジェシーがなくなってからジョージの姿をみることは少なくなり、今年はいちども見ていなかった

ジョージは二十分ほどの散歩から帰ってきたのだと云ったあと、君は誰だっけ、前に会ったことがあるか、どこに住んでいると訊いた

ジョージは戦争中は飛行機に乗っていたとか、電気工になったとか、孫娘が大学に行くことになったというような話をしはじめた。目じりに涙がうかんだのをなんどか手で拭きながら話した

話の区切りがついたところでジョージはまた君に会ったことがあったっけと言った

車を駐車したあとブルバードでジョージを待った。ブルバードの手入れをしているときによくジョージと立ち話をしたからここで話せば思い出すだろう。近寄ってきたジョージに僕はここに住んでいるんだと言うと、ジョージはノー、会ったことはないと言った

ジョージは自分は三軒先の家に住んでる。屋根にテレビのアンテナがある家だ、ケーブルテレビに替えたからもうアンテナは使っていないけれどと言った

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葉子どのの話 2


七月三日(木)

葉子どのからこういう話も聞いた

昔、親戚の某女が近郷の某家に嫁いだがすぐに病死した。後妻として私の母に白羽の矢が向けられた

初めて聞く話に新鮮な気持ちが起きた。これまでは結婚するまえの母のことを想ったことがなかった

そのとき私の母は何歳だったのだろうか

私の世代だと女性は二十一、ニ歳で結婚するのが多かったが、母の頃だと十代が相場だったのではなかろうか



結婚年齢の推移をさがしたがみつからない。かわりに平均寿命をみた

日本の男女とも百年前は平均寿命が四十五歳前後である

日本人の平均寿命が五十歳になるのは女性が1945年、男性が1950年である

平均寿命が四十五歳の世代の頭で考えると二十歳で結婚では遅いのである

葉子どのの話にもどる

初めての結婚が後添いでは気の毒だという声が親戚のあいだで出てその話は流れた



しばしば思う。長生きするほどに猿の悪しき性状に傾いていくやからがいる。四十五で死ぬと分かっていればもう少しましな生き方をするだろうに

明治維新前後の偉人たちの多くはニ十代で日本の未来を憂いながら死んでいる。国を守ろうと自爆飛行におもむいたのも多くは若い学生である

彼らが今の日本をみたら嘆くだろうな。西欧の毒に汚れている。外国の軍隊に占領されている

米軍の占領に抵抗しつづけるイラクやアフガンの民、追い払ったベトナムの民にくらべて我が民のだらしなさたるや無残

ロージン政治家やロージン官僚の薄汚い生きかた、浅はかな思考をみていると日本人の平均寿命が長くなったというのはめでたいどころか逆に忌まわしいことであるように思える

首相をフクダとかコイズミだとかいうG3にやらせるから拉致事件のらちもあかない。暴行され略奪される同胞ではなく米兵の肩をもち、朝鮮のヘリクツに加担する奇怪な官僚や報道人とまとめて切り棄てるべし



七月八日(火) 朝

母が私を生んだのはいくつの時だったかを母が死んだときから逆算してみた。二十ニ、三歳である

どういう経過で父と一緒になったのかは知らないが、四国の山奥から満州へ行くまでのあいだに一、二年の時間が必要であったと考えれば、後添いの話があったのはやはり十代だったのではなかろうか

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と書いたところで葉子どのから電話があった。これから空港に向かいます。また十年後にきます・・・・

十年後・・・・おのまはいないような希ガス
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葉子どのの話・ 1
七月三日(木)

母方の従妹(いとこ)が遊びにきたので半日観光案内をした

私とは年が離れていて従妹というより姪の感じがする

実のところ案内しながら姪だったけと迷っていた。年が離れているせいだけではなく、私が彼女の名づけ親でもあるからだ。いとこが名付け親というのは珍しいと思う

私の母は長女で妹や弟が何人もいて一番下の弟とは二十ちかくも離れていた

私とさして年の変わらない叔父から、女の子が生まれたがなにか良い名前はないかと問われて葉子(ようこ)はどうだろうと言ったのは私が大学に入ったばかりの時だった

三文字の苗字とのバランスがとれた良い名前ではあるのだが、名前というものはその人の未来にすくなからぬ影響を与えると思うから名付け親になったことを重く感じた。今でも負い目のようなものを感じている

小さい頃の葉子どのの記憶はない。赤ん坊のときに見たことがあるかもしれないが覚えていない

留学直前になくなった父の葬式に葉子どのはきていたのかも知れないが、葬式前後の光景は父母と坊さんの顔しか思い出せない。長患いだったから父の死を覚悟していたのだがそれでも気が動転したのだろう

通夜に父と親交のあった宗賢寺という禅寺の坊さんが来ていた。坊さんを知っている弟が生臭坊主だと陰で言った

ナマグサは俗な話をして場を盛り上げた。隣の土地は林だ、毎年少しずつ境界線を移動させて寺の敷地を増やしているなどと言った。集まった人の気を沈ませるよりはいいと思って私も陽気にふるまった

通夜が終わるころ、死んだというのに父のひげが伸びてきたのを見て子供たちが順に剃ることになった

石鹸をあわ立てて頬にぬってるときはなんでもなかったのだが、ひげにかみそりをあてたとたん涙がぽたぽたと落ちてきてとまらなくなったのにはおどろいた。普段は隠れている自分がいるのだ

次男にかみそりを渡す時にナマグサの顔が見えた。ナマグサの顔は歪んでいて私を不憫に思っているのが分かった

葉子どののイメージがはっきりしたのは彼女がカナダに来て我が家に泊まった時である。あれは中学生だったろうかと訊いたら大学一年の夏休みだと言った

四十にしてようやく大学生なみの顔になった葉子どのは英語教師をしてきたが疲れたから辞めた、気分転換にカナダ人の家に一週間ホームステイして英語を習いに来たと言った

葉子どのに私の母の田舎の様子を訊ねた

四万十川(しまんとがわ)の源流に近い山奥の村にある母の実家の離れに満州から引き揚げてきた我が一家は身を寄せたことがある

身を寄せていたのはひとつき位だったろうか、やがてすぐ横浜、郡山、藤沢と転居が続いた。母は大きな法事があったときには戻ったのだろうと思うが、四国のローカル鉄道を乗り継いでさらにバスで一時間かかる母の実家を私が訪れることはなかった

農業と養蚕だけの山村でくらしがたったのだろうかと葉子どのに訊いたが、彼女も滅多に訪れないからあやふやだった

しかし、今これを書きながら記憶をたどってみると村の光景に貧しさはない。身内だからだろうがみんな親切だった。家は大きく、たべるものは豊富にあった。私が空腹だったのは横浜に移ってからのことである。近所のひとは世智辛く不親切だった

世智辛さとか不親切さとかは時間と場所に寄って異なる。時代が進み、都会度が進むに連れて悪くなる。近年の東京はひどいがなかでもカチグミといわれる人種にはとりわけ良くないのがいる。公金を猫ババして恥じない公務員は最悪な猿だ

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七十年ぶりの冷夏
六月二十日(金)

ラジオから「本日がことしの夏が始まりである」と流れてきた。こんなに寒い六月は1937年以来のことだそうである

ダウンタウンから望む山にも雪が残っている



日中の温度は二十度まであがったそうだが、夕方のいまはまた寒くなっていて暖房のスイッチが入った。我が家の温度は17度に設定してある

ロスアンゼルスは40度になったそうだ。今年もカリフォルニヤは山火事の多い夏になるのだろう

日本は去年よりもっと暑い夏になるのかもしれない。いままでなかったような災害が発生するかもしれない。テニスボールほどの雹(ひょう)が降るとか・・

地球の異変に拍車がかかっているというから、いつかニンゲンの生理が耐えられないような大変化がやってくるのだろうが、それは科学者の予想よりずっと早く、たとえば数年以内なのかもしれない

しかし心配は無用。世界の終わりがこようがこまいが、今日一日を正しく生きようという思いで過ごせばよいのだ



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元旦の来客
大晦日、掃除が忙しいのに赤いペイントを買ってきて塗らなきゃと思った



元旦、はつすべりをしてからニ時間後にこれを見てなるほどと思った



せりさん、姪のああちゃん & ゲンキー



この家に和服の女性がきたのはこれが初めてである

どの民族の衣装も良いものだが、和服はとりわけ良い 

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クリスマス・イブ
ことしは十二月二十二日、二十三日とクリスマスパーティーが続くはずだった

二十二日のパーティーがどたんばでキャンセルとなったので日本からきた知人たちと飲んだら風邪をもらった

二十三日はよく寝た。 夕方五時 かなり回復したがパーティーに行くのを断りまた寝る

二十四日 快晴 気分よし。 今シーズン三回目のスキー。 九時半から十一時まですべる。やっぱり先シーズンよりうまくなってるような気がした

夜 ダックを焼きビールを飲む

アライグマのためにソーセージ、ミルク、バナナを置く

ひとりで過ごすクリスマスが嫌いではない
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東京での買い物(2) 山野楽器
成田へ向かう飛行機の中で映画をみながら思った。

いままでみた映画のなかで一番おもしろい映画はなにかと問われたら 岡本喜八の「殺人狂時代」と答える。

1967年 渋谷。話題にもなっていないその映画をどういうわけでみたのか覚えていないのだが 強烈に面白いとおもった。

あれから四十年。いまいちど見たい。

話は変わり、BLUE NILE のアルバムを買おうと思って入った山野楽器。

バンクーバーで探したのだが在庫がないといわれた。東京ならあるだろうと数軒のCD屋で訊くとBLUE NILE の名を知らないヒトばかり。

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Blue_Nile

山野楽器の入り口付近においてある検索PCでみたら 二十年前のアルバムがあった!

詳細をプリントした紙がでてきたので店員にみせたところ

在庫ありません
この紙にあるってでてる
ありません
もいちど調べて

しばらくして

そのアルバムはありませんが、最近のが一枚あります
それでいい

あの店員はBLUE NILE を知っていて、なおかつ 絶版のお宝アルバムだと知っていたのかもしれない。

CDを買ったあとDVDのコーナーをのぞいた。

なんと!!





21000円とはお値段。




父親がおもしろいと言っていた「江分利満氏の優雅な生活」も岡本喜八だったのか。

つまらないサラリーマン物語ではなかろうかと思っていたのだが、見たら基調にあるのは戦争であった。


本日現在「殺人狂時代」はまだみていない。




調べてみたら「江分利満氏の優雅な生活」も「殺人狂時代」も映画会社からは酷評されたとある。時代が岡本喜八に遅れていたのだ。

たった一本だけ見た岡本喜八の作品を面白いと感じたおのまだからこそ「木霊の宿る町」の訪問者が百人@dayどまりなのだろう。このブログを読んでるあなたは時代の最先端を行く特異な日本人(笑)・・

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ところで 「911の真相」 みましたか? 映画「マトリックス」をみて面白かったかたは必見です。

も一度貼ります。

http://www.asyura2.com/07/war92/msg/330.html

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レクチャー


レクチャーを頼まれることがある。

新聞や雑誌に書くことは苦にならないのだが人前で話すのは苦手。過去五年でレクチャーをしたのは七回、一年に一回強。

その七回のうち最近の二回はことしの九月と十一月とであった。

こんな短期間のあいだに二回もレクチャーをするとはわれながら驚き、しかも相手が学生ときては余計である。

相手が社会人なら実務経験という共通言語があるのだが、みずからが学生だった頃のことを考えてみても、社会人と学生とのインターフェースは楽ではない。

それを承知で、大学生、大学院生(それも工学系)の前でレクチャーをしてきたのだが、そのような機会を二度も与えてもらったことを光栄に思う一方、面白くないレクチャーだったのではなかろうかと危惧の思いもある。

しかし、理科系の学生は「ブッシュの戦争に反対するやつは反米だ」というような雑な思考はしないだろうという安心感のようなものがあって、気持ちよく話せたことも事実である。

このレクチャーを聴かなければ一生わからないで終わるかもしれないという事柄をいれるようにも努力した。



それにしても大学生や大学院生がなんと若くみえることか。

みずから(↑写真の中央、プロジェクターの下・黒ズボン)はG3になったことを痛感する。

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本日はもうひとつあります↓
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11月3日 アクセス急落
このブログは九月に訪問者数がぐんとあがって500人を越した日があり あらたな次元にブレイクしたかと思ったら それは一時的な現象。 すぐに100人前後にもどってしまった。

アクセス数は一日500頁くらいで変わらなかったのだが、11月3日と4日はなんと300頁を切っていた。

日本は猛暑の夏が去りいまは行楽の秋ということで家にいないひとが多いのだろうか、それとも、そろそろこのブログの役目も終わりに近づいたのだろうか。

まあ、無理をせず更新していこう。

ラテンシンンガーMasayoをリンク:

http://masayomasayo.com/

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月の写真
八月二十五日 快晴。 左のほうにクレーターが写っている。これなら月蝕がうまく撮れる。



八月二十八日 うすい雲がかかっているため光が散乱。



皆既月食になると月は赤黒くなり、クレーターが鮮明に見え、球体ぶりがはっきりするのだが、雲にかくれてピンクとうす緑の円盤にしかみえない。写真に写ったのは肉眼でみるイメージより更に落ちていて載せる価値ゼロ。

それにしても、地球から一番近い天体に意識を移動させるだけでも、猿・ニンゲン、とくに猿・ニポンジンは宇宙の摂理から離れ、自ら作り出す狂ったシステムの中でもがいていることが分かる。

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酒工房
八月十一日(土)。トロントでの演奏会のあとバンクーバーに立ち寄ったピアニスト・高木裕美&夫君とオクトパスガーデンに行った。


http://www.octopusgarden.ca/

高木さんたちが福井にすんでいるのを知っているオーナー・サダさんが吟醸酒を出して、福井出身のひとがグランビルアイランドでつくったものだと云うので翌日訪ねることにした。

さびれた工場街だったグランビルアイランドの再開発が始まったのは1970年代であるが、二度目のバンクーバーくらしが始まった1985年はまだまだわびしさが残っていた。パンの美味いジョナサンという店があって、会社の同僚たちとも何度か行った。

三度目のバンクーバー、2001年。アイランドは混んでいて駐車がなかなかできなかった。アイランドから出るのも大変。なにかが起きたら危険なところである。トロントから移住してきた知人夫妻を案内したのが三、四年前でそれからは敬して近寄らないでいた。

http://www.granvilleisland.com/

アイランド入り口から三百メートルほど離れたところに駐車し、地図をみながら探して歩いた。メイン通りから少し離れたところに酒工房の看板があった。客が数人で一杯になる小さな店だ。

http://www.artisansakemaker.com/








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八月十五日・飛行機
八月十五日、めずらしく家の上空を軽飛行機が飛んでいった。



シンガポール時代のこと。

昼間は取引先、あるいは取引先になってもらいたい会社を訪問し、土日はそういう人たちとゴルフをし(接待ゴルフでもウィークデイはしないように心がけていた)、中華料理をたべ(日本食は高いので中華が多かった。ごくたまにステーキのうまいトロイカという店に行った)、ピアノ・バーにいき(歌うのはたいがい中国系のホステスや 某商社や建設会社のグループで、マレイ系のホステスや私のグループが歌ったのは四年間で一、二度であった)という日々。

仕事の成果はあがっていた。日本の官僚に比べて段ちがいに処理能力の高いシンガポールの官僚たちとの付き合いも楽しく、充実感のようなものがあった。シンガポールに永住しないかという誘いもあった。

ピアノ・バーを出たある夜、頭の中で声がした。おまえ、あと数時間で四十歳になるぞ、こんな生き方がいいのか。そのときおのまは愕然とした。・・・プロジェクトX風。あの番組は「だった」を多用する番組だった。

運転手に(朝から晩まで会社の運転手がついていた)家のすぐ近くにあるマンダリンホテルに送ってもらった。

ふたつあるバーのうち小ぶりのスキッパー・バーはいつもすいており、その晩はほかの客はいなかった。

愕然たる気分のなかで四十歳を迎えたのだが、バーの勘定をはらう時にはこれからの十年をどういう風に過ごしたいのかを整理してみようと思いついていた。

四十歳の誕生日から考え始めた十年計画が出来上がるまで半年かかった。こうありたいという項目を書き上げていくだけの作業は思ったほど簡単ではなかった。

そんなことは現実的でないという批判や、いままでの惰性の延長でしかない発想ばかりがでてくる。子供のように純なきもちになって、本当にありたいと思う事柄を書き出すという作業がなかなかできないのである。

・・・長くなってきた。詳細省略。計画完成。

その計画があって今のバンクーバーくらしやスキー三昧の冬があるのだが、実現していないものもいくつかある。そのひとつが軽飛行機の操縦。

スキー三昧の冬だってバンクーバーに来て四年目にして初めて実現した。新しいくらしを始めると心身の態勢を整えるのに時間がかかるものだ。急いでやってやれないこともないのだろうが、そうすると長続きしないし、暮らしが散らかるだけだ。なにごとも時機がくれば実現するからそれまで待つのが良い。

1996年シンガポールに遊んだ。マンダリンホテルのスキッパー・バーはなくなっていた。

http://www.mandarin-singapore.com/  

ピアノ・バーのバーテンは健在だった。ホステスは全員変わっていた。アジア全体をみる重役として二度目の駐在をしていた某商社員が親子ほども年が違うホステスと仲良く歌った。

ゴルフ場のキャディーマスターは多少ふけたが同じような顔と声だった。私のバッグを担いでいた少年キャディーの姿は無かった。

四年間世話になった運転手は元気に働いていた。色が黒いせいか年をとったという感じがまったくなかった。

BC大学の卒業者だった会長との付き合いがあったのでシャングリラホテルに泊まった。そのせいだろうか、連絡していなかったのに、昔シンガポールに永住しろと言った男がたずねてきた。今、中国大陸でも仕事をしている、とても儲かっている、もういちど一緒に仕事をしようと云った。

http://www.shangri-la.com/jp


二年前、シンガポール時代の秘書が友人と我が家に泊まって行った。あの運転手は病死したと言った。

ピアノ・バーで歌っていた友人は日本に戻り数年たったある日、自宅で倒れた。脳梗塞でいまも病床にある。

飛行機の操縦は時機がこないのかもしれない。なにせボートやスキーと違っていままでやったことが無いのだから。

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八月十二日・ボート
バンクーバーにきたら一人乗りのカヌーかカヤックをやろうと思いながら数年たった。



グランビルアイランドで撮ったこの写真をみていたら、自分がむかし楽しんだのは

.繊璽狒完が息をあわせて漕ぐときに生まれるリズム感
▲灰奪スの掛け声は聞こえているが心の中に生まれる森閑とした世界

だったのではないかと思い当たった。

ひとりで漕いでいては△靴得られない。それならスキーも同じなのだからもう漕がないでもいいだろう。

合宿前のコンパで漕ぎ手たちに一気飲み(当時そんな言葉はなかったが)を強いながら自分は一滴も飲まなかったコックス、漕ぎすぎで神経をやられたのか表情に乏しかった先輩の顔を思い出す。雨にぬれながら漕いだときの爽快さもよみがえってくる。

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八月十日・飛行機雲
飛行機雲が上へ上へと伸びていった



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暑い
いちど蔵に入れた日記を載せます。乞御寛恕既出写真:

七月十一日(水)は暑かった。

五時過ぎ、外気は35度、地下室も27度になっている。地下室にいて暑いと思ったのは初めてだ。真冬のあいだは暖房でもって室温を17度に設定しているがそれより十度もたかい。



写真でも撮ってこようとでかけた。車にはいった途端に窒息するかと思った。ハンドルが冷えるまで指先であやつりながらゆっくり走った。

我が家から大きな通りにでるまでの住宅地は人影ゼロでSF映画のよう。

夕方六時、いつもは混んでいるショッピングモールの駐車場がすいている。暑いと自分で夕食をつくらない人が増え、買い物客が減りレストランが混む。

あまりに暑いので意欲をうしない、結局カメラを車の中においたまま酒屋にはいり、2006年、オキナガン・ビール祭で金賞をとったウイスラービールを買った。ウイスラーの氷河の水を使っているというのが売りもの。

http://www.whistlerbeer.com/

酒屋をでたら目の前にとびきりスタイルのよい若い女性があるいている。髪の毛が黒いので東洋人だろうかと思いながらついて行くと私の車のとなりに駐車していたフォルクスワーゲンに乗り込んだ。東洋と西洋の間のような顔だった。助手席にも若い女がいて携帯電話で話しながらこちらをみて微笑んだ。

結局なにも写さないで家に戻った。

仕方がないのでビールを撮った。この前アジサイ@水栽培を撮ったときとは日の光が違っていて平板な色しかでない。



グラスに書いてあるムースヘッドはカナダ最古のビール会社
http://www.moosehead.ca/default.asp



暑さのあらわれた写真が撮れないものだろうかとぼんやり思ったがふたたび外出する気もおきなかった。

早々と帰ってきたゲンキーは食卓の下で横たわったまま動かない。ゲンキー、げんなり。地下のほうが涼しいよと抱いて降りたが、すぐまた階段を上がり元の場所にもどってげんなりしていた。

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先日、乗っていた新幹線が2時間以上遅れた。先の駅で起きた飛び込み自殺が理由だった。アナウンスがあったが、車内で動揺が起きることはなかった。山手線の「人身事故」では、粛々と事故処理が進み、あっという間に復旧したのが、かえって不気味だった。

 昨年の自殺者は3万2155人。1日あたり88人でバグダッドの民間人犠牲者より多い。驚かなくなってしまったことが怖い。【福本容子】

毎日新聞 2007年7月26日 13時23分
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六月一日 
六月一日の夕方とった写真三葉です:

,海譴呂覆鵑任靴腓



簡単ですか



水を撒いていたら夕日があたって色とりどりの水滴が現れたという次第です



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燃え
どういうニュアンスで使っているのかよく分らない「萌え」を真似た題に意味はありません。切り落とした生垣の枯れ枝を燃やしてみただけの写真です。







薪とちがって景気良くバリバリと燃えました。雨のすくない夏には山火事がおきることが納得できました。



小さな束にして少しずつ使おうと思います。

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おしらせ
木霊の宿・Jugem版がちょっとおかしくなっています。調整の一環としてしばらくトラックバックの受付を中断します。 日記ものちほど更新します。

ある人のPCで「木霊の宿る町」をみたら日記のかわりに「管理人のプロフィル」がでてきたのでその場で↑をかきこんだのですが、自分のPCでみたらいつもと変わりなし、afさんからも異常なしのコメントを頂いていました。

別な方のPCでみたら写真のサイズが大きくてきれいだったのでビックリしたことがあります。ブログがPCによって違う内容になるとは知りませんでした。

「管理人のプロフィル」はこの頁の右の下のほうにある「PROFILE」という欄にある「P(管理人)」をクリックするとでてきます。さきほどプロフィルに追記をカキコミました。

トラックバックの受付も再開しました。
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木霊よさらば
1972年から74年までのバンクーバーを描こうと思って始まった「木霊の宿る町」がいつのまにか四歳を越えました。

当初の意図と違うはなしが多くなり、これでいいのだろうかと自問することが多くなっています。まんまるの目がかわいかったのに、いまのゲンキーは恐いよという感じ・・・

そういうわけで「木霊の宿る町」は本日をもって閉じることにします。

書いている本人はいたって元気、スキーも好調、健康の問題があるわけではないので、またお目にかかることもあろうかと思います。 それまで皆様おげんきで! 

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