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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

ハウズさん
太田雄三さんが当地にきたのはジョン・ハウズさんというBC大学名誉教授の出版記念パーティーに出席するため。太田さんが大学生のとき客員教授で来日していたハウズさんのもとで内村鑑三を研究して以来のつきあいだそうです。

私が留学を終えて、一、ニ年たったころでしょうか、ハウズさんは再び日本で教鞭をとることになり、太田さんに連れられてハウズさんが借りていた家に行ったことがあります。ありきたりの日本家屋で、カナダの住宅に比べるとみすぼらしく見えて、気の毒に思った記憶があります。

シンポジウムの休憩時にハウズさんに日本でお目にかかったことがありますと挨拶をしました。「あのとき、私が日本の夏は暑くてたまらないでしょうと言ったら、ハウズさんはバンクーバーの夏より日本の夏のほうが夏らしくて好きですと言ったのが印象的でした」というと、そういうこともあったろうかという表情をし「雄三は大変なものだ。あれから何冊も本を書いた」と愛弟子の活躍をほめました。

ブログで留学時代のことや太田さんのことを書いている話をすると「回想録を執筆してるのですね」といわれ、そういえば、そういうつもりで始めた「木霊の宿る町」だったがずいぶん脱線している、太田さんやハウズさんを見習って、もっとまじめ路線を心がけるべきか、と反省しましたが、手遅れというべきでしょうね。

ハウズさんの略歴をみると終戦後マッカーサーの下で働いたとあり、その頃の話を聞く機会があればいいなと思います。今回出版されたハウズさんの本を右に掲載しました。

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太田雄三さん
このところ日本へ行ったり、来客が続いたりで忙しく睡眠不足。メールへの返事がたくさん溜まっています。

昨夜はマギル大学の太田雄三教授から、明日モントリオールに帰るという電話がかかってきてあわてました。太田さんが親しくしているひとの出版記念パーティーやシンポジウムに出席するためにやってくるというメールを貰っていたのですがカレンダーに書き込んでいなかった。

今朝、シンガポールの友人達を空港に送った帰り道、BC大学のアジアセンターで開かれているシンポジウム会場に寄って太田さんに会うと「僕の母親はあるとき急に手紙を書けなくなってしまったが、君もボケたんじゃないかと心配していた。そうじゃなくてよかった」と真顔で言います。

役人や学者になった友人たちはそれぞれの専門分野で活躍していますが、専門に偏って世の一般常識から遠くかけ離れてしまった人もちらほら。「返事がこない→ボケたにちがいない」と短絡するのは普通じゃない、ボケの兆候じゃないかと言いたいのですが、太田さんは酒も飲まない、冗談も解さないチョーマジメ人間、どう応対していいか困る(笑)。
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寄付・7月6日の続き
大学から寄付依頼の請求書がとどきました。大学の施設改善のために寄付すると言ったつもりでしたが、寄付の行き先は奨学金になっています。

大後輩・千尋さんのブログをみると、三十年前の学生達より裕福な学生生活ぶりなので、こういう人たちに奨学金をだすのは、有人ロケットを飛ばす某国に経済援助金をだす亡国と同じく犯罪である(笑)と思わないでもないのですが、まあ、後輩達が余裕をもって勉強をすれば、世のために先輩以上の働きをみせるであろうと信じて不問。

ということで、千尋さん、施設改良は先延ばしになりましたので悪しからず。
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good timing
昨夜八時頃に電話があり、でると大学のビジネス学部から寄付の依頼。私がでた日本の大学は創立百年だったかなにかの時に依頼してきただけと淡白なものですが、UBCは毎年電話や手紙で依頼してきます。

電話の主は、私が最後に寄付をしたのは2003年で去年はしていない、今年も2003年並の寄付をしてもらえないだろうかといいます。何に使うのかを訊くとビジネス専攻の学生への奨学金、あるいは建物の補修に使うと言います。そういわれて、去年もおなじ問答をしたけれど、オムから奨学金を返していない話を聞いていたので抵抗をおぼえて見送ったのを思い出しました。

Walter Gage学長が大学運営に苦労していたことを知ったその日のうちに寄付の依頼があったのは、あるいはあの世にいるGage氏の力が働いたのかもしれません。ビジネス学部の施設改善のために2003年並の寄付をすると即答しました。

大後輩の千尋さん、もうすぐ施設が500ドル良くなりますよ(笑)。

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Walter H Gage レジデンス
だいぶ以前の日記で書いたことがある、経済学部に留学していた降旗さんが遊びにきており、きのう夕食をご一緒しました。場所は「好・オン・デンマン」、目下バンクーバーで一番うまい日本料理店。お勧めはカニ味噌。

1972年、降旗さん夫妻は大学構内にあるWalter H Gage レジデンスの夫婦寮に入る前、お屋敷町の一角に下宿していたそうで、近所に住んでいた堀総領事やWalter H Gage学長の知己を得た、Gage氏は独身で日本人に親切であったという話をしてくれました。

私もGage学長の評判がよいことはカナダ人学生から聞いていましたが、雲の上のひとに思えて、会うことなど考えもしませんでした。Googleで検索するとGage氏は47歳から53歳まで学長をつとめ、1976年、56歳でなくなっています。早死にだなと思い、さらに検索すると、大学運営予算上の悩みがあったという新聞記事がみつかりました。知らぬこととはいえ、私をふくめ多くの学生も彼の命を縮めていたわけです。合掌。

ついでにWalter H Gage Residenceを検索すると1972年に出来たとあり、なんと私達は住人第一期生であったわけです。間取り図を見ると私が住んだ部屋は6畳もなかったのが分かりますが、防音はしっかりしている、機能的、清潔などなど、日本の大学時代に入っていた寮とは大違い、とは前にも書きましたっけ。

降旗夫妻が住んでいたワンベッドルームのアパートは約15坪。ご夫妻に招かれた時なんと豪華なアパートかと感心したものです。降旗夫人がギターを爪弾きながら歌った「誰もいない海」が昨日のようによみがえります。

上智大学・四谷キャンパスと同じくらいの敷地にたつWalter H Gage レジデンスは海をはさんで十数キロ離れた北バンクーバーからも望むことができますが、写真にうつるかどうかは疑問。うまくとれたら貼ります。

| おのまのプロフィール | UBC | 05:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
木霊の行方
このところ三十年前のバンクーバーがよみがえってくることが少なくなってきたのでなんとかしないといけないと思っていたところ、UBCの大後輩・千尋さんのブログをみてひらめきました。彼女のように大学の写真をのせよう!

http://blog.goo.ne.jp/cw1979

千尋さんも私もビジネス学専攻ですが、写真でみると千尋さんが通っている校舎は真新しく、私が通った校舎ではありません。

この四年間をみているだけでも新しい建物がどんどん増えていて、キャンパスから落ち着いたたたずまいが消えつつあります。そういえば、三十年前、出来たばかりの地下の図書館に自然光をとりいれるドーム型の窓が地上に出ていたものですが、昨年あの辺を歩いてみたら消えていました。

まだ残っている三十年前の景色を写そう、どこかに私の名前を刻んだレンガが埋め込まれているそうなので、それも探しに行こう、と取りあえず方向感がでました。

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自転車を載せて走る
三十年前、夏休みを利用して車でカリフォルニヤ州やカナディアンロッキーめぐりをしたときに、屋根に自転車を一台か二台逆さに載せている車をたくさんみかけ、自転車の車輪がくるくる回る様はなんとスマートなんだと思い、日本に帰り真似しました。

自転車を固定させる器具が手に入らないので紐をたくさん使い、すっきりしませんが、日本で初めてだろうと得意顔で走ったものです。目的地に着いても自転車に乗ったのはほんの少し、帰る時にまた固定させるのが一苦労、それきりでおしまいにしました。

昨日はカナダデイ。三連休とあって、お向かいの家の隣のまた隣のアレンが車に自転車を積んでいました。屋根に三台、車の後ろに二台。「すごいね、自転車屋さんでも始めるの?」とからかうと「あと二台のせるんだ」と少し恥ずかしそうに言いました。アレン家はニンゲンが三人、犬が一匹だと思っていたのですが、別居している子供がいるのでしょうか。

七台の自転車を載せて走っている姿を想像していたら、やがて宮崎駿のアニメ映画「ハウルの城」、次いで、スーパーマーケットから失敬したと思われるショッピングカートにガラクタをたくさん積んでいるホームレスが浮かんできました。うーん、格好よくない。
http://www.howl-movie.com/

そういえば、トロント時代に使っていた、スキーを車の屋根に固定させる台が見あたらないけれど、あれは引越しのときに捨てたのだろうか。テントのキャンプを最後にしたのはいつだっけ。いつのまにかライフスタイルが変わっちゃいましたねえ。よーし、来シーズンこそはスキーに励もう。
| おのまのプロフィール | UBC | 02:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
BC大学後輩のブログ
今月はじめのこと、あるプロジェクトのことで知人が我が家にやってきた折、プロジェクトを手伝っている女性を連れてきました。BC大学に留学中でビジネスを勉強しているというので記録を残されたら良いと勧めたところ、本日「千尋のバンクーバー留学日記」というブログをはじめたという知らせがきました。

一読、三十年前の留学とかくも違うか、日本は豊かな国になったという印象。

http://blog.goo.ne.jp/cw1979
| おのまのプロフィール | UBC | 16:04 | - | trackbacks(0) |
菜食の勧め・2
昨夜はBC大学構内にあるチャン・センターという音楽ホールでハイドン作曲の「天地創造」を聴きました。チャンセンターは建てられてまだ八年ですが、音響効果は良いし、緑に囲まれた雰囲気も良いので古くからあるホールに負けない人気を得ているようです。休憩時間に表に出ると高さ十メートルを越しているのではないかと見える石楠花があり、それが満開。気温17度、雨上がり、良い夜です。

「天地創造」の歌詞を追っていると、神を唯一の上位者とし、ニンゲンが世界で最高の存在であるとした素朴な想像力がいとおしく感じられます。それと同時に、狂信、短絡思考から生まれた幾多もの悲劇に胸がいたみます。過去数十年でニンゲンが発見したこと、これから発見するであろうことに思いを致すと、キリスト教がよってたつ基盤の弱さを思わざるをえません。

昨日のサイトを見た方々、禽獣をニンゲンのつくった牢獄の中につなぎ、屠殺するシステムのおぞましさにぞっとした方もおられるのではないでしょうか。

原始仏教が始まった頃のインド人はニンゲンも禽獣も本質的に異ならないものだと考えています。そこから肉食をしない習慣がうまれ、慈悲心を説く世界が生まれています。

一方、「天地創造」、すなわちキリスト教ではニンゲンは「地を従わせ、海の魚と、空の鳥と、地表に動くすべての生き物とを治める」としています。禽獣を囲い込み、貪り食うシステムが正当化されているといえます。神以外はニンゲンが、自分が世界の最高者であるという妄想にたつからばかげたレトリック、行動に生きて恥じないブッシュ一味が生まれてくるのではないでしょうか。

今一度、あのサイトをじっくりみて、禽獣の苦悩を自分の苦悩として感じ、ニンゲン世界は如何にあったか、如何にあるか、如何にあるべきかを考える。しんどいかもしれませんが、それが出来るのもニンゲン、小さな妄想・狂気の世界から大きな正気の世界にとびだす知恵をもっているのもニンゲンであろうと期待するのですが。

| おのまのプロフィール | UBC | 16:46 | - | trackbacks(0) |
太田雄三氏
この日記に書いたことのある太田雄三氏。1973年の夏、草競馬場で馬券を買わせなかったのが原因だったかどうかは知りませんが、モントリオールに移った太田夫妻は別れることになり、マリアンはイギリスに帰りました。それから数年たち太田さんは日本人と結婚、二人の間にうまれた息子さんも今は大学生。

太田雄三さんは2002年から3年連続でマクリーンというカナダの雑誌の大学特集でマギル大学の人気教授として紹介されています。マクリーン誌が人気教授として紹介する日本人は太田さんだけですが、ご本人はなぜ自分がとりあげられるのかわからないと言います。

学会で太田さんの発表を聞いたことがあり、また太田さんの著書も読んでいるので分かるのですが、太田さんの授業は面白くない筈。ではなぜ人気があるか。思うに彼が超堅物で、物欲が少ないからでしょう。

周りをみまわすと、華やかで刺激的な事物、事象、ニンゲンが多いのですが、それら、彼らに接していると疲れます。反堅物、物欲の強い人たちの華やかさの蔭に隠れているあくどさとか毒にあてられるからだと思います。そういうものが一切ない太田さんが支持されるのだから、時代は、すくなくともマギル大学の学生たちの時代は大きく変化しているのでしょう。いいことです。


http://www.mcgill.ca/reporter/37/15/profs/
| おのまのプロフィール | UBC | 10:35 | - | trackbacks(0) |
完璧なMBA・2
完璧なMBAはいないと書きましたが、そもそも完璧なMBAとはなんぞやと考えると、定義することすら難しい。同じことはすべての分野で言えそうです。完璧な医者、完璧なピアニスト、完璧なゴルファー、いずれもいない。地上最強、史上初、天才、どう形容しても診立て違いをしない医者はいない、タッチが狂わないピアニストはいない、スリーパットしないゴルファーはいない、などなどです。例外がひとつだけあります。完璧な恋人、ヨン様。(分かってますね。はい、熱くなってらっしゃるご婦人がたへの皮肉です)

1974年にMBAになったクラスメートは同じものをたくさん学んでいますが、それぞれの得意とするところは様々で、ファイナンスが得意なMBA、会計に強いMBA、組織が好きなMBA、その他数理分析、マーケティング、国際取引、都市開発、不動産、交通などなど、ひとりひとりが違います。

MBAに共通していることでいちばん大きな特徴はなにかといえば、能力の限界に挑む敢闘精神ではないでしょうか。そういうことは他の分野のエクスパートにもいえることでMBAに限ったことではないといわれそうですが、それでも、MBAの価値#1はなにかと問われたらそういう精神であると思います。

http://www.sauder.ubc.ca/mba/index.cfm

★今日の日記はオリジナルサイトに書き込み、それをこちらへコピーしましたが、さて、上のリンク先がうまく表示されるかどうか。ゴー!
| おのまのプロフィール | UBC | 06:25 | - | trackbacks(0) |
卒業試験・3・完璧なMBA
難関ファイナンスを合格すればあとはなんとかなるという見込みでふつかにわたる卒業試験に臨みましたが、さて澤木さんのアドバイスも得て作った十数個のファイナンス問答集の効果はどうだったか。

試験にでた問題は五題。そのうちなんと三個が問答集でつくったものとほぼ同じ。どうだー、日本受験術の力を見たかーですが、内心は自分でもびっくりでした。ラッキーと感謝すべきか、限られた時間で重要項目をみつける能力があるのだと自負すべきか。もちろん後者です(笑)。

ファイナンスをのりきり、のこる科目も見込み通りにこなし、めでたくMBA(Master of Business Administration 経営修士)をとりました。とるにはとったのですが実情はかくのごとく綱渡り、すべてをマスターしたというには程遠い。ではすべてをマスターした学生がいたかと考えると、どうもいなかったような気がします。

親しかったクラスメートの中で韓国人オム、香港人CL、フランス人ピエール、ブラジル人マソ兄弟、カナダ人デリー、ジャンマークは合格しましたが、彼らとて最後まであがいていました。その年の卒業を早々と見送って試験を受けなかったジムやアンディーだけでなく、終始トップクラスにいて、一流銀行への就職が決まっていたカナダ人学生をはじめ何人かが卒業試験で不合格になっています。

以上は1974年の話しですが、そのごの三十年も似たようなことが繰り返されてきたのではないでしょうか。

結論:卒業試験で満点をとる学生はいない。完璧なMBAはいない。


「木霊の宿る町」オリジナル番に書き込みが出来るようになっているのを今しがた発見しました。徐々にそちらも補充します。

管理人から見てJUGEMサイトとオリジナルサイトとは一長一短で、たとえばJUGEMはカウンター、アクセス分析がついていてこれを見るのは面白い。オリジナルはリンクしたいものを簡単に貼れます。日記を書き込むのもオリジナルのほうが楽です。

JUGEMに書き込んでオリジナルへコピーするのか、それとも逆がいいのか、試してみます。しばらくの間、両者の日記が微妙に違ってくるかもしれません。
| おのまのプロフィール | UBC | 04:57 | - | trackbacks(0) |
卒業試験・2・受験術#1
試験までの準備は十日ほど。授業は続いているのでそれもこなしながら準備しないといけません。学んだこと全部を復習してもう一度頭の中に詰め込む時間はありません。たとい時間があり復習しても全部を記憶する能力がありません。そこでとった作戦は、大概の日本人なら知っている受験対策術#1。山を張る。

試験の初日に不得意の科目が並び、二日目は得意科目の試験というスケジュールをみて助かったという思い。得意科目の準備は初日の試験のあとの数時間でやることにし、初日の準備に全精力をそそぐことにしました。

十数冊の本を並べて、どの本にどのくらいの時間を割くかを決めます。日頃時間をさけなかった本を選びます。索引を見ます。 忘れていた項目、学んだかどうかも分からない項目を拾いあげます。選んだ項目について試験問題をつくります。その回答をつくります。そんな作業をスケジュールにしたがって精確に進めていきます。

自分でつくった問題集をファイナンス専門の博士課程にいる澤木さんに見てもらいました。澤木さんから、自分ならこういう問題をだしたいというアドバイスをもらい、それを加えて回答をつくったところで時間切れ、試験日到来。

| おのまのプロフィール | UBC | 07:09 | - | trackbacks(0) |
卒業試験・1・理解&忘却
1974年4月5日に卒業論文を提出したあと休む暇はなく、二日にわたって行われるペーパーテストの準備にとりかかりました。

それまで過ごした一年半もテストとレポートの連続でしたが、大概のテストはノート、教科書を持ち込んでよいというもので、学んだものを復習するという面がありました。しかし最終テストは教科書、ノートの持込厳禁。学んだすべてが試験範囲。それまで好成績を続けていても、論文が合格してもこのテストで合格点に達しないと卒業できません。

一年半を通して、日本の大学で四年間学んだ量をはるかに超えるものを詰め込まれたのですが、科目によっては理解するだけで精一杯、学期が終わったらすぐ忘れてしまうのがあります。忘れて出来た頭脳の余地にあらたな知識を詰め込み、一時をしのいでまた追い出す。尾篭な(びろう=汚い)たとえですが、酒を飲んで、吐いて、また呑むというのに似ています。中国の周恩来首相は外国人を接待することが多く、実際そうやって食べ、呑んだそうです。

頭の中から追い出したものが試験で出たらアウト。三十年後の今だから気楽に書いていますが、当時は体がかゆいような、ばらばらになったような、いてもたってもいられない、妙な感じがする毎日でした。
| おのまのプロフィール | UBC | 14:25 | - | trackbacks(0) |
論文・思い出したくないこと
論文のできはそう悪くなかったと分かってもすっきりしません。なぜだ。もういちど論文をみると、最後の頁に、この種の分析の対象を広げたいと書いてあります。719の実例を分析したのですが、実例をもっと増やしたかったようです。

サンダー教授のセミナーにいたのは私をいれて五人。うち一人は博士課程にいたカナダ人。のこり四人のうち三人は修士課程をおえ、そのまま博士課程に進みました。私はアメリカへ留学した同僚三人と日本に帰り、調査部配属になりました。ミシガン大学の博士課程に行きたがっていた後輩も帰国。帰国しなかったのはロスアンゼルス支店配属になった南カリフォルニア大学を出た同期生。

論文をさらに研くつもりで、膨大なデータ、すなわちパンチカードを持ち帰りました。配属された調査部は大所帯で、調査部長が賞をとったりしていた活気のある部でしたが、なんとコンピュータがありません。先輩部員に相談して、統計解析を続ける方策をさがしましたが、結局だめ。既にある文献にあたってそこから論文を書くのが不毛な所業のように思えて鬱々していたら調査部から追い出され、国際部へ。パンチカードは数年もっていましたが、最後は廃棄しました。そう、思い出したくなかったのは不完全燃焼感があるからなのかもしれません。

あれから三十年、オムもピエールもその道の第一人者として活躍している、サンダース博士も健在、カオス理論に携わるヒトは増えている、あの世界は万事うまくいっているのです。体力勝負の世界から抜けて、インスピレーションがモノをいう世界に遊んでいる今は悪くない。ということでひとまず論文の話は打ち切りにしましょう。
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論文・完成度は低くない
三十年ぶりにみた論文に29個のXをいろいろ組み直したとありますが、付録のデータをみたら29個ではなく31個でした。本文が間違っています。参考文献表リストには鉛筆で出版年度が書き込まれています。間違いを直して提出したかどうかを覚えていません。

論文の完成度が低いと思っていたのではなかろうかと書きましたが、いま見るとそれほどひどいものでもありません。予測の精度を表すRの二乗というものがあって、これが1だと完璧な未来術です。わが未来術は0.727の精度になっています。当時は低いと思ったのですが、今は立派なものだと感じています。

未来術のほかにもいくつかの手法を使って分析をしたこの論文の評価は100点満点の80点でぎりぎりA。統計分析が得意とする交通分野のテーマを扱った韓国人のオムは85点とゆうゆうA。オムに負けたことが思い出したくない原因だったのかな。しかし無謀と思われるテーマに取り組んだその意気や良し。われながら時代を先取りしていた。
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論文・未来術
未来術Y=aX+bの簡単な例 「明日=今日+1」でも嫌、というひとがいるでしょうね。逆に、面白い、Xをもっと増やしてみようと目を輝かせるひともいるにちがいない。
Y=A1・X1 + A2・X2 +B
明日の天気=A1・今日の天気 + A2・昨日の天気 +B

もしかして子供の血液型を予想する未来術ができないだろうかと考えたヒトはいませんか? すばらしい発想です。
子供の血液型=A1・父の血液型+ A2・母の血液型 +B

血液型や天気は数字で表せないのではないかと考えたとしたら、これもするどい。結論を言うとできないことはないのです。説明は長くなるので省略します。

1973年から74年にかけて数ヶ月、719のサンプルに含まれる29個のXをいろいろ組み替えて精度をあげようと試行錯誤を繰り返していました。インスピレーションとか洞察力とかいうものはまったく要りません。要るのは体力。データをコンピュータに放り込み、出てくる結果をみて、またデータを替える。時間をかければ、Xの数が多ければ、それで精度があがるというのではありません。神に祈ってもだめ。ただただ、間違いがないようにパンチカードをつくって(これが結構大変)、何度も組みあわせを替えて比べる。精度が上がったり下がったりして、ようやく出来たのが14個のXからなる未来術でした。出来たというより、論文のしめきりがきたのでやむなく終了したというのが事実。

明け方まで家と大学のコンピュータセンターをなんどか往復して、睡眠時間ゼロという日もあったなあ。三十年まえの疲れがよみがえってくるようです。
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論文・未来発見式2
方程式ときいただけで逃げ出したくなりますというメールがきました。そういうひと多いでしょうね。

昨日も書いた通り、方程式という言葉自体にモンダイがあるのだと思います。

英語ではequationといいますが、equationは「対等に扱うこと」とか「等しいとみなすこと」とかいう意味でも使われています。equate(対等に扱う、等しくみなす)という動詞もあります。「方程する」という動詞もない、数学以外につかえない、イメージがわかない「方程式」ということばだから無意識のうちに拒絶反応がおきるのです。

所詮は、左=右、Y=aX+b、未知=既知+アルファという簡単な世界。equationを訳すなら「均等式」とか「同一式」とでもしたらよかったのです。これならイメージがわきます。

お若いかたがた、これからうまれてくる人たちのために「方程式」ということばを変えませんか。「左右同一式」「均等式」というと、あまりにも簡単でこんどは馬鹿にするひとが出てきそうです。「式」というのもぴんときませんね。うん、ひらめいたぞ。「術」という魔法のようなことばがあります。「未知発見術」「未来術」はいかがですか。KCさん、これでも逃げ出したくなりますか? あなたの未来が判定できる術ですぞ。

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論文・未来発見式
論文の厚さは2.5センチと書きましたが、本文は2〜3ミリ、39頁。のこりの2センチ強はほとんどが数字。本文を書くために行なった計算式などのデータです。

思い出したくない理由があるとすれば、苦心してつくったこの論文の精度が低かったという思いがあるからかもしれません。前にも書きましたが、この論文の目的はある方程式をつくり、その方程式をつかえば未来を予想できるというものです。

ここで方程式のおさらいをします。方程式とは未知のものを知る道具です。方程式という分かりにくい日本語をやめて未知発見式とか未来発見式にしたら数学のすきな人がふえると思うのですが。

未来発見式の構造は簡単で、Y=aX+bの形であらわされます。aとbはそれぞれきまった数字。Xが変数とよばれるもので、ここに分かっている数字をいれれば、Yという未知、未来がわかるというわけです。

変数というのも心理的抵抗を招く言葉ですね。「変化する数」というより「変な数字」というイメージです。「変態」「変人」「変数」。ちょっと堅いけれど既知数、あるいは現在値でどうでしょうか。

未知=a既知+b 
未来=a現在+b

簡単な例で説明します。

未知なる明日は何日になるかを発見する式です:
Y=aX+b
Yが明日、Xが今日、aが1、 bも1です。
明日=1今日+1

今日が14日とわかっていれば、明日=1x14 +1=15
明日という未知は15日であると分かるのです。

なあんだ、そんなことか、とおっしゃるあなた。はい、そんなことなのです。未来は今の続き、簡にして単です。

世の中は因果応報、原因があって結果がある、すべては一体となって、つながっている。有名な、といっても知らないひとがいるかな、「バタフライ効果説」というのもそれです。アマゾン(イラクだったかな)のバタフライ(蝶)が飛ぶことにより空気が振動し、それが増幅されワシントンに竜巻が起き、ジョージは渦(ウズ)の魔法使いと戦う。この説は日本の落語にでてくる「風がふけば桶屋が儲かる」の剽窃(ひょうせつ・よこどり)でしょうね。

要するに、すべての現象は未来発見式であらわすことができると考えるひとが結構いて、いろいろな式をつくっているわけです。

ところで、さきほどの「明日=1今日+1」。気が付いたひとがいると思いますが、今日が14日だから良いものの、31日だと:1x31+1=32。明日は32日で〜す♪

こんな簡単なことでも未来発見式をつくるのは簡単ではないのです。面白いとも、大変ともいえます。

↓クリックしても出てこない場合は、Googleにいって「バタフライ効果」「風が吹けば桶屋が儲かる」と入力してください。

http://www.bonjinsha.com/kenbun/log006.html

http://club.pep.ne.jp/~mito.yuko/kaze-oke.htm
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論文
ブッシュや台湾エステなど目先のことを書いていると、三十年前の風景に戻れないぞと一種のあせりを感じます。どこへ迷い込もうと「読者ゼロ」の世界、誰に気兼ねするということはないのですが、性分なのでしょうかね。道草すると、おい、何をしているという声が聞こえてきます。

幸いここにはカテゴリ機能がついているので、それで道草をチェックして、ときには無理やり過去モードへ戻るようにします。カテゴリはもっとわかりやすくなるように改良していきますが、とりあえず「UBC」と「現在」のバランスをみます。「UBC」は「過去」と変えるかもしれません。

今年の2月28日に論文のことを書いたときは1974年6月卒業までのことを一気に書くつもりでいました。十ヶ月たっても卒業どころか、論文がどうなったのかも書いていない。チョー道草
(汗)。思い出したくないのでしょうか。

あの論文どこにしまったかな。バンカーズファイルかな?ああ、ありました。車庫においた三本の本棚のひとつに山積みになったファイルのなかに埋もれていました。論文ファイルは厚さ2.5センチ。金具でとじてあり、ブルーの表紙、論文の第一頁に錆びがついています。1974年4月5日提出。提出先はDr. Carl Erik Sarndal。このひとのことは前にも触れましたがスエーデン人。グーグルでみると417件ありますが、ひととなりが分かるものはなさそうです。http://citeseer.ist.psu.edu/context/15833/0
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論文の苦労
ピアニスト野山真希さんのHPを見ると、卒業論文を書いている最中。パソコンに向かう時間が長いのでコンタクトが沁みるほど目がつかれる、原稿の印刷で紙とインクの消費がすごいとあります。(コンタクトをつけているとは知らなかった。)いろいろな文献にあたりながら作りあげる論文のようで、締め切りがなければ終わりがこない作業でしょうからどこかで妥協しないといけません。

三十年前とずいぶん違うなと思うのは、当時はパソコンの無い時代で手書きかタイプライター使用。タイプライターも電動は高くて買えません。手動のタイプというのは速度が遅くて能率が悪い。行を変えるときは左手をキーボードから離してバーを動かす。タイプライターを見たことの無いヒトにはピンとこないかもしれません。

手動でも電動でも文章を画面上で直しながら作業するという芸当はできません。キーをおしたとたんに印刷されます。まちがいがあったら白インクを塗って乾くのを待ち、ペンで活字に似せて上書き。いそいで書くと白インクのなかに黒字が埋没してまた白インクを塗る。そこだけ盛り上がります。頭の中にある構想をそのままタイプしていくには神業のような(ちょっと大袈裟かな)集中力がいります。それができなければ手書きの原稿を推敲してタイプは仕上げに使う。あのころより今の自分は一瞬の作文力がおちているような気がします。

パソコンに比べると気が遠くなるような作業ですが、メリットもあります。パソコンのインクカートリッジが高価なことに比べてタイプのインクリボンは安かった。プリンターが作動しなくなるという不便もありません。今年買い換えたばかりのプリンター、このまえから黒色が出てこず、修理に出しています。

ひんぱんに左手をキーから離すので血のめぐりが良くなるということもあるかもしれません。キーを打つタッチの強弱で字がかすれたり、やけにはっきりみえたりして視覚的なおもしろさが出ます。

それにしても、喉もとすぎれば熱さ忘れる。高いところから飛び降りたら楽になるだろうなと考えたことは覚えていますが、はてあのとき感じた苦しさがどんなものであったのかは全くよみがえってきません。ニンゲンの感覚、意識というのは一体どこから生まれ、どこへ消えていくのか。これまた考えてると際限がないのですが、なんとなくその正体、仕組みが分かってきたような気もします。その話はいずれまた。

次のサイトでタイプライターの写真を見ることができます。わたしの使ったコロナ製の外観は右下、レミントン製に近かったと思います。古いタイプライターは機械の動きが見えてたのしいと思いませんか。
http://www.bekkoame.ne.jp/~u.f.o./type-1.htm
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行儀・3
この先生の云ったことで記憶に残っているのが黒ビールとラガービールを混ぜて飲むという話。いまでは日本でもハーフ&ハーフといって珍しくありませんが、三十年前、留学から帰ってそうやって飲むとみんな驚いたものです。ミルクとウイスキーを混ぜて飲むと悪酔いしないというのもこの先生から教わったことですが、これはまだ日本で流行っていないようです。

そういうことでこの先生はいろいろな話をする面白いひとでしたが、あるとき話に興がのってか、机の上に飛び乗り、しゃがんで膝のうえにひじをのせ、頬杖して話し出したのには驚いた。一瞬の間合いに、学生たちもおとなしく聴いていましたが、机に靴であがるなどなんと行儀の悪いことをするのだろうと思ったものです。

行儀が悪いといえば、或る日のこと早めに教室に入ったところ白人の女子学生がいてリンゴを食べていたことがあります。日本では教室に食べ物を持ち込む学生をみたことがなかったので、育ちの悪いひとだなと思ったものです。歩きながらアイスクリームを食べたり、ゴルフをしながらバナナを食べたりというのははしたないと思うのですが、そう思うのはいまや少数派かもしれません。

日本に行くと電車のなかで化粧をしている女性をみかけることがあります。すきだらけの姿です。いくら高価なもので着飾っていても猿以下にしかみえません。一緒に食事していると携帯電話がかかってきて、その場でながながと話すひとがいます。電話を切っておくのがマナーというものですが、せめて席を外して話せば良いのに。このふたつは机の上に土足であがるより行儀が悪いと思いますが、これまた少数意見でしょうかね。 うーん、過去モードに浸りきれない。
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行儀・2
PC不調でかきこみができないことが多く、遅れ気味です。これも三回再起動してようやく日本語がでてきました。

いまは日曜日のあさ。野山真希さんがアンコールで弾いたシューベルトのimpromptus op90を聴きながら書いています。野山さんが弾いたのは#2E flat。曲のなかごろに流れる低音で暗い劇的なところがとても良かったというと、アンコールだからああいうふうに弾いたけれど、そうでなければ別な弾き方をします、という答え。別な弾き方とは楽譜に忠実に弾くことかなと思いましたが、そうであれば「アンコール風演奏」と銘うったリサイタルを聴いてみたくなります。

さて、本題。1972年のいまごろ、授業を聞き取れないだろうと思い、私は日本からソニーのテープレコーダーを持ってきていました。一番前に陣取って録音して、あとで分からない所を聞く。

会計学の先生は背の低い、めがねをかけた三十代のイギリス人。授業の始まる前に、そういうわけだから教室で録音したいと云うと、コピーをつくって売ったりするのでなければ構わない、そういうことをするのがいるんだ、との答えには驚きました。

この先生は授業の最中によく冗談をいい、学生を笑わせていましたが、私が理解できたのは一度だけ。

「タバコは健康を害するから、アルファルファならいいだろうと、アルファルファでタバコをつくったオトコがいたけれで、売れなかった。吸っても味がないからだ」

アルファルファというのはモヤシをもっと細くしたような草で、ロスアンゼルスで食べ閉口したことがあったので、云っている意味がよく分かり、このときは皆と一緒に笑いました。私がはじめて笑ったせいか、先生はその話を繰り返しました。
www.nava21.ne.jp/~uesugi/ken/seibun/arufa.htm
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追い込み時期
書きたくないと云ったものの、そこはオトコノコ。すこしだけ書いておきます。

1974年1月27日に次女、絵里、Ellieが生まれましたが、ときは最後の学期、追い込み時期。長女、すなわちゆうきんママが生まれたときはオムツを換えたりもしましたが、絵里のオムツを換えたのは十回に満たなかったかも。

卒業論文はIBM360という一世を風靡したコンピュータをつかっての統計解析。卒業がかかる論文ですから、あらかじめこういう論文を書きたいとある程度の筋道をつくり、それを指導教授に説明し、アドバイスをうけたうえで許可をもらわないと始められません。

私の論文は、アナログの世界、数値に置き換えられない世界をデジタルの世界、明快な世界に翻訳するという、当時としては意欲的な試み。教授は、たぶん良い結果がでないのではないか、別なものにしたらどうかと助言してくれましたが、許可がおりました。

教授が危惧したとおり、いくら解析しても高い精度がえられず苦労することになります。三十年後の今、色々な分野で同じような解析に携わっている研究者はたくさんいるようです。精度をあげるのに苦労していることでしょう。
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すれ違っていた?


今月末やってくるピアニスト・野山真希さんは西バンクーバーの種村さんというひとの家で練習することになっています。ひとを通じて紹介してもらった方で野山さんも私も初対面。昨日はチケットとちらしをもって種村さんを訪ねました。

種村氏は日系カナダ人の会計士。日本語はあまり話さないようです。コンサルタントをしているご夫人は日本から移住されたようで日本語は完璧。

ご主人は1973年にブリティッシュ・コロンビア大学の商学部を卒業したといいます。商学部の先生はビジネススクールの先生をかねているし、校舎も同じ、コンピューターも同じものを使います。当時のコンピューターはこの部屋くらいの大きさだったんだ、とご夫人に説明していました。

三十年前、キャンパスですれ違っていたかもしれないと、異口同音。しかも種村さんが最初に勤めたのは後に私が五年間つとめたコンサルタント会社のバンクーバー支店というのも面白いものです。
| おのまのプロフィール | UBC | 00:06 | - | trackbacks(0) |
数字vs文章・3
十五日の続きです。
この題のもとで書こうとしたのは学校の話ではなく、カナダ年鑑のことでした。
ペーパーバッグのカナダ年鑑が昔から今に至るまで出されています。わたしが初めて買ったのは1973年版で厚さ3センチ、値段2ドル。最近買った2004年版はやや薄くて15.99ドル。(1995年版は5センチ、14.95ドル)
ふたつの年鑑を比べると項目はほぼ同じですが、記述がおおきく違っています。昔のは文章による説明があり、たとえば日本についてはこういうことが書かれています。
第二次大戦で日本はそれまで得た領土、満州、南樺太、千島列島、朝鮮、台湾をとりあげられた。
250エーカーの土地にたつ宮城は堀にかこまれている。
そういう具合な記述が続き、読んでいてあきません。
2004年の年鑑には主語、述語のある記述がほとんどなく数字が主役です。客観的事実がたくさん書いてあるのですが、日本のイメージがわいてきません。たとえていえば、相撲力士の身長、体重が書いてあるだけで、どこの出身、どういう技が得意、趣味はなに、好物はなに、というような説明がないとイメージがわかないようなものです。
文章vs数字というふうに対立させると数字のほうが進んでいるような錯覚におちいることがありますが、数字だけではこの世を説明しにくいのではなかろうか、カナダ年鑑は三十年前のほうが優れているのではなかろうかということを言いたかったのです。アナログvsデジタル、過去vs現在vs未来と置き換えて考えてみるのもいいかもしれません。


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数字vs文章・2
私は数字より文章のほうが好きですが、英語の文章を使って理解、分析するのはカナダ人学生にくらべて多くの努力、時間が必要で、数字系の課目を取らざるをえなくなりました。数字系の課目だと比較的楽に上位の成績を取れるので、そこから生まれる余裕で文章系の課目に取り組むわけです。
マーケティング、組織論などは文章系で、統計解析、会計学が数字系、財務はその中間という感じです。
UBCのビジネススクールは数字系課目に強い先生が多かったかもしれません。学校のコンピュータ室は大きく、キーパンチャーもたくさんいて、ほぼ自由に利用していました。
なぜ「ほぼ自由」かというと、学生がコンピュータを利用するには先生から貰うコンピュータ・ドルというものを払うのですが、コンピュータ・ドルを使いきっても頼めばすぐコンピュータ・ドルを振り込んでくれたからです。日系アメリカ人のウエノ教授からコンピュータ・ドルを貰ったのを覚えていますが、はてウエノ先生からは何を習ったのか思い出せません。


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数字vs文章・1
もっと適切な題がありそうなのですが、とりあえずこれで:
UBCのビジネススクール、いまはどうか知りませんが当時は卒業論文+最終試験の二本立てでした。論文は時間をかければ形になりますが、二日にわたって行われる試験は一瞬の勝負です。
学期中なにかというと試験があるのですが、それらは教科書やノートを参照してもよいという試験が殆どです。ところが最終試験だけは何もみてはいけないというもの。二年間勉強したもの全てが範囲なので、あやふやな理解や記憶では通じません。
本題からはずれそうなので急いで骨子を書くと:
当時ビジネススクールには大雑把に言って数字を駆使する学校と文章説明を主とする学校とに別れていて、たとえばミシガン大学、スタンフォード大学などは数字系、ハーバードは文章系と言われていました。


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1974年3月7日・8
この日のことではありませんが、ミートパイを美味いといったデリーを我が家のランチにまねいたことがあります。ジャン・マルクというフランス系カナダ人が一緒でした。ジャン・マルクも卒業後に外交官になります。
ふたりに食べさせたのが冷やソーメン。ご存知の通り麺とつゆだけの簡単な食べ物で、日本人だってご馳走と思っていません。二人はたべながらうまいといいまますが、つくってくれたクミちゃんのための外交辞令だとわかります。少々気の毒でした。
数年後ジャン・マルクはギリシャ、アテネのカナダ大使館勤務になります。私は中東出張の途中アテネに寄って再会したのですが、それ以後は消息がわからなくなりました。デリーともいつのまにか連絡が絶えました。アンディーとはそのご数年にいちどの割合で会うことになります。


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