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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

クリスマスツリーの値段

三十年前、セールで一本一ドルのツリーを買いましたが、今はいくらになっているか。ウオルマートのセールがはじまっていて、もっかのところ一メートル半のツリーが十ドルで買えます。

電飾はホームデポと言う店で長さ一メートル、小さい電球三十個つきで一ドル五十セントというのがありました。これは格安の感じがあります。

我が家は広くないので、やはりツリーは飾らないことにしました。そのかわり、クリスマス・リースを外にふたつ、中にひとつ飾りました。ひとつは買ったもの、ふたつは庭の木からとった松、樅、柊の葉を使った手製です。


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ホームレス・4

三十年前にはホームレスなどという言葉を知りませんでした。

ふたりの友人とダウンタウンの暗い通りをあるいていたときのこと。私はどちらかというと早足であるくたちなのでふたりより大分前を歩いていました。レンガの建物のかげから若い白人がでてきて何か言いました。言ってることが分からなかったので、What?と聴くと走って逃げました。

うしろからきた友人に「なんで逃げたんだろうね」と聴くと「小銭をせびったんですよ。大きな声でどなったから逃げたのです」という。どなったつもりはなかったのですが。友人のひとりが皮ジャンを着ていたので、アジア人のチンピラグループに間違われたのではないかと何度も思い出したものです。

ホームレスと親しく話したことはありませんが、臆病なヒトが多いのかもしれません。


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ホームレス・3

1972年、夢のアメリカ、ロスアンゼルスに着いて驚いたのが街角でダイムをくれというヒトの多いこと。ダイムとは十セントのこと。五セントはニクル・ニッケル、二十五セントはクオーターです。今でもダイムがないか、チェンジ(小銭)がないかとよってくるヒトがいます。

三十年前にいなかったのがスクイージーキッズ。スクイージーとは細長いゴムが柄についているガラス拭きのことです。スクイージーと霧吹きをもった若者が街角にいて、赤信号でとまった車の窓に水をかけてスクイージで拭きます。

拭いてもらわなくても良いと思うことが多いのですが、ダイムかクオーターをあげます。今日はこれしかないけど、とニクルをあげることもあります。何もあげない車があるからべつに悪くは無いのでしょうが、ニクルを百回もらって五ドル。サンクスといわれると気の毒になります。


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ホームレス・2

東京芸大へいく途中、上野公園のなかで青いビニールシートを使った自製のテントをたくさんみました。ホームレスの住まいですが、猫を飼っているテントもあり、生活観というか、物質的に恵まれている感があり、カナダでみるホームレスより断然リッチにみえました。

モントリオール、トロント、バンクーバーで見るホームレスは気合が入っていて、厳寒の夜でも毛布にくるまって街角でねっころがっているのがたくさんいます。毛布というよりはボロ雑巾のようです。ボロ雑巾といってもみたことのないひとがいるかもしれませんが、想像してください。トロントやモントリオールは零下十度以下になることがしょっちゅうですから凍え死にするヒトもいます。

アパートの裏には、ゴミ用の鉄製の大きな入れ物が出ています。高さが大人の背ほどある。アパートの住人がゴミ袋にいれたゴミを各階の投げ込み口から投げるとその容器にたまり、容器を定期的に道路にだして中身を回収してもらうのです。裏道をはしると十回に三回くらいは、容器にとびついて食べものの入ってる袋をつかもうとしている光景にあたります。ずいぶん若いひともいます。飛びついてもゴミ袋をつかめる保証はありません。


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ホームレス

昨日は大手商社の子会社の社長で単身赴任のヒトから、食事をしませんかという電話がありました。単身赴任のサラリーマンが休日に時間をもてあまし、とくに暗い季節になるとひとりで食べるのが苦痛になる経験は私もしています。

単身者は単身者と一緒のほうが、食事のあと、お互い一人の世界へ帰っていくのだという連帯感のようなものが感じられて良いのです。子供たちが独立して、空の巣症候群の雰囲気を漂わせているヒトが次に良い。
ということで、私はひとりでダウンタウンのアキ・レストランへ行きました。

ダウンタウンはにぎわっていますが、ほとんどすべての街角に物乞いがいます。カナダでホームレスが増え始めたのは1992年のころからでしょうか。三十年前はどうだっただろう。続きは明日。



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ティルフォード公園

おとといの日記にかいたティルフォード公園のことを考えていたら、なんてことはない、この二年間何度も買い物に行っているレビという(東急ハンズとかホームセンターのような)店の隣にある公園じゃないかと気がつきました。Tilford Gardenだから公園より庭園が正しいのでしょうが、庭園という日本語はなにか使いにくい雰囲気があります。

隣接してショッピングモールがあり、そこの映画館にも何度か行っていますが、公園のなかには入っていません。三十年前は他の公園にもよく行ったものですが、関心の対象が変わってしまったのでしょうか。

MSN Canada でみるとTilford Gardenは1969年に出来たとあります。私が行ったのは出来てまだ三年しかたっていなかったのですが、どういうきっかけで行ったのかを思い出せません。ティルフォード公園の催し物をみて、クリスマスソングが聴かれるのなら行ってみます。



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ティルフォード公園・天使

北バンクーバー、ティルフォード公園は酒造会社が造った公園。酒の匂いがするなかにたつ木々に細かい明かりがほどこされキラキラ輝いています。耐寒服を着込んだ人の群れのなかにはいり歩いていくと、東屋に出る。

屋根のしたに白いガウンをまとった高校生くらいの女の子が十数人。手に手に大小の鐘(hand bell)をもちクリスマス・ソングを奏でています。一個一個の鐘は単純な音ですが他の鐘と一緒になると澄んだ小さな音が力をともない素晴らしい音が響き渡ります。

若干太めの子もいますが、みな清楚でかわいらしく、さながら天使が降り立った風です。この子達もいつかは自分の子供をつれてここに来るのだろうと思いながら、立ち去って三十年か。そういえばティルフォード公園はまだあるのだろうか。


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1973年12月

オイルショックがおきた1973年。12月にはいってバンクーバーのラジオがクリスマスの飾りで電気を浪費するのはやめましょうとよびかけています。カナダ西部は資源が豊富なアルバータ州があるのでエネルギー危機は切実ではない、無理やりクリスマスの光を減らす必要はないという電力会社の反論も流れてきます。

どちらに軍配があがるのか。町を走って見ました。バンクーバーは去年よりずっと暗くて寂しい。西バンクーバー、ブリティッシュ・プロパティーの高級住宅街も暗い。ところが北バンクーバーにはいると、ここは去年より華やかです。どういうわけだろう。

バンクーバー、西バンクーバーの高級住宅街にくらべて北バンクーバーに住む人たちの普段は地味な生活だが、キリスト信者が多く、伝統を守り楽しく生活をする点で頑固なのではなかろうか。などと考えたのですが、真相はわかりません。三十年後の三箇所がどうなっているのかを調べてみます。



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チップ・3・変なアメリカ人

2月5日に書いた変なアメリカ人。元カリフォルニヤ大学教授と元警官とサンフランシスコで食事をしたときです。

その場の雰囲気でわたしが食事代を払うことになるのですが、アメリカ人と一緒なのでチップをいくらにしたら良いかを知る機会です。ロスアンゼルスでは10%を払っていましたが、これは日本の同僚と相談した上のことなので自信がない。

元教授が言いました。ここはサービスが悪かったからチップは払わないでよい。元警官が目をまるくして、それはまずいよと言う。元教授が、チップはサービスに対して払うものだ、サービスが悪ければ当然払うことはない。

失業中で楽でないはずなのに、当然払うものだと抵抗した元警官の姿にアメリカのチップ社会をみたと思います。元教授にしてもチップのない日本からきた私に払わせることに対する後ろめたさがあったのかもしれません。

クレジットカードのない時代でしたから現金で支払ったのですが、さてチップをはらったかどうかは思い出せません。


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統計解析学の先生・3

こういうことは誰にでもあるのだろうと思いますが、私の注意力は何かの拍子に急に別のところに移ることがあります。

授業に集中している時は良いのですが、いったん別のことに気をとられると先生が言っていることがまるで聞えなくなる。目は先生の顔をしっかり見ているのですが、頭の中に先生はみえません。起きていて夢をみているようなものです。そういうことが高校生になったころから起きるようになり、科目によってはひどく成績が悪くなったものです。

統計解析の授業でもそういうことがあり、何がなんだかわからなくなることがありました。そういう最中のあるとき、急に先生が言っている事が聞えてきました。

私はボルボに乗っている。ボルボの中古車価格はアメリカの車に比べて高い。

先生がなんでそんなことを言ったのか、脈絡が全くつかめません。そんなことが急に聞えてきた瞬間を思いだします。


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統計解析学の先生・2

スエーデン人の先生が話したことです。

AとBと二人の学生がいる。Aの英語の成績は90点。数学は80点。Bは英語が60点、数学が80点。 AとBとではBの方が優秀な学生である。

授業の話から急にそんな話を始めたのでよく覚えています。重たい感じの英語でゆっくり話す先生が、何故英語の成績が悪いBがAより優秀なのかを続けました。

Bは英語が出来ないというハンディキャップがあるのも関わらず数学でAと同じ成績を取ったのだから、Bの方が優秀なのだ。

なるほどと思い、どうじに英語のハンディがある三人の外国人学生への激励かなと思いました。三十年後のいま、先生もカナダの大学で教えていて英語のハンディからくる苦労があったのだろうなとも思います。


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統計解析学の先生

統計解析の授業を受講している学生のうち四名が次の学期に上級セミナーに進むことになります。そのうちの三人が外国人。私のほかに韓国人、フランス人。カナダ人は博士課程の女性でした。外国人三人とも英語のハンディが大きいため他の科目では苦戦していましたが、数字相手の科目は英語のハンディが響かないため三人とも良い成績でした。

統計を教えてくれた先生はスエーデン人で、静かに、ゆっくり話す英語は重たい感じのなまりがありました。日本でいえば東北なまりです。

イギリス人の先生やマーケティングの先生からは非英語国の学生、特にアジア、アフリカの学生に対する敵意、軽視の念、すなわち人種差別の念が感じられましたが、統計の先生には外国人の我々を大事に扱う雰囲気がありました。

彼が話したことで覚えていることがいくつかあります。


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木霊の宿る町・杉の香?

ゴルフ場からもらってきた薪の香りが三十一年前にバンクーバーの町に漂っていた木の香と同じだったと書きました。

昨日は五時からつるべが落ちる寸前までゴルフ場で練習をしました。練習が終わる頃に気が付いたのがあたりに漂う甘い木の香。みると杉の葉や実が散乱しており芳香を放っている。

三十一年前の空気がこんな風に甘い香りだったかというと違うような気もします。もう少しきりっとしていたのではなかろうか。

十月第二週にはいり、雨の日が増えてきました。木々の葉や実が落ち、空気の香りがましてくるでしょう。少々寒いけれど車を運転する時は窓をすこし開けて走っています。



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切れた国境・ポイントロバーツ

カナダとアメリカは長い国境線で接していますが、陸上の国境線が切れているところがあります。かなり詳しい地図でないとわかりません。

ブリティッシュ・コロンビア州とワシントン州の境の一箇所が海の入り江のため切れるため、アメリカ領土の一部が切り離れています。切り離されたアメリカ領土はポイント・ロバーツ(ロバーツ岬)という町。

陸路でアメリカのどこかから、たとえばシアトルからポイントロバーツに行くにはいったんカナダに入らないといけないわけです。

三十年前、会社のトロント所長がバンクーバーへやってきて、ポイントロバーツに渡ってパスポートにスタンプを押してもらいたいというので連れて行ったことがあります。スタンプがもらえれば良いのだといって、パスポートにスタンプを押してもらい、そのままユーターンしたものです。変なものを蒐集する人だと思ったものです。

今、ポイントロバーツには野瀬さんという日本人が開発したゴルフ場ができていて、今日はそこでゴルフをしてきました。帰りにバンクーバーよりガソリンが安いので満タンにし、ついでにカリフォルニヤワインを買いました。ワインは五百円でしたが、カナダ国境で税金を五百円とられました。

国境で何か買ったかと聞かれて、何も買わなかった、ゴルフをしただけだと答えればフリーパスだそうですが、五百円の買い物を申告したらどうなるのだろうかという好奇心がおき、わざわざ安いワインを買い申告してみたのです。この心境は三十年前の所長さんとさして変わらない。ここまで書いて、ガソリンを入れたと申告しなかったことに気づきました。


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木霊の宿る街

北バンクーバーの我が家で車を降りたとたんに三十年前に感じた木の香りがしました。懐かしいなあと思ってまわりを見渡すと車置きのそばに積み重ねた薪の匂い。

私が入っているゴルフクラブは木の多いクラブで、ときどき切り倒し薪にして駐車場のかたわらに積んでおきます。メンバーが只でもらえます。

バンクーバーの新しい家は暖炉で薪をもやしてはいけないことになっており、薪をもっていく人が少ない。そういう規制がない北バンクーバーに住んでいる私は薪がでると少しずつ運びます。松の類の薪を運ぶと半日ほど車の中に良い香りが漂っています。

木の香りがしたという記憶、もしかしたらどこかの家に積んであった松の薪だったのかな、いや違う、あの秋はバンクーバー全体に木の香りがした、当時のバンクーバーは今より松の木が多かったのだろうか、などと思いにふけりました。


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1973年夏のこぼれ話・ピニー

バンクーバーのダウンタウンを東に少し行ったところにピニーと呼ばれる遊園地があります。ピニー、正しくはPNE(Pacific National Exhibition)、エキシビションですが、外からみると遊園地です。

寮で中国人学生たちと朝まで騒いだあと仮眠をとってピニーで遊んだことがあり、競馬をしました。素朴な草競馬という感じでした。

一年後、1973年の夏のある日、くみちゃん、ゆうきんママ、太田夫妻の五人でピニーに行きました。八月、ピニーでは音楽の演奏などがあるお祭りの場となり賑わっています。綿アメを買ったりして五人は草競馬場までやってきました。馬券は1ドルから買えます。どの馬が勝つのかまったく検討がつきませんがくみちゃんと私は2ドルずつ買いました。

マリアン太田夫人が自分も買いたいというと太田さんが、競馬は悪い遊びだから駄目といいました。マリアンがなおも買いたいというと、太田さんは腕を組んで駄目。マリアンがどうしても買いたいといい、太田さんが穏やかな顔でどうしても駄目、を繰り返します。マリアンは泣きそうな顔になりましたが、結局買わないで終わりました。

私もふだんは競馬、競輪、マージャン、パチンコなど金を賭ける遊びをしません。そういうことをする時間が勿体なく感じるからです。要は好みに合わないのです。しかし夏祭りの一日くらいなら、数ドルの賭けに興ずるのも良い。ヒトには様々な嗜好があり、賭けるという行為はアソビのなかでも、などというもっともらしい説明は面倒ですね。

太田さんはマジメなヒトだけれどこれでは人生が狭くなるなと思ったものです。太田さんと私はそれほど親しい友達ではなかったので二人のやりとりを黙って見ていました。そんな太田さんとながく付き合うようになるのですから分からないものです。

今年もピニーでは八月十六日から九月一日まで夏祭りがあり、さくらシンガーズという合唱団に入っているくみちゃんは浴衣姿で歌ってきました。夏祭りのピニーは混んでいて駐車するのも大変なので私は行きませんでした。時々ピニーのそばを通ることがあり、太田さんたちと行ったのが最後だな、一度入ってみようか、と思ってはすぐ忘れます。


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1973年夏のこぼれ話・続き

自転車旅行を一緒にした太田さんとは日本の大学で一緒の学部でした。同じ学部でも沢山の科目があり、太田さんと一緒になったのはアメリカ人のカトリック神父が指導する英作文の授業だけで、学者への道を歩んでいた太田さんと話をすることもありませんでした。

UBCで彼と一緒になった時はびっくりしました。大学生のときに太田さんはイギリスに留学したことがあり、そのとき知り合った現地の女性と結婚していました。おとなしい雰囲気は太田さんに似ていました。

太田さんと私は昼の間テニスをして、そのあと我が家で碁を打ったものです。私が囲碁を知ったのは会社に入ってからで、大阪勤務のときに関西棋院の教室に通ったことがありますが、仕事が忙しくニ、三回通っただけ。当時初段の太田さんに九子置いて一回も勝てなかった。

太田さんの奥さん、マリアンはテニスも碁もしなかったので、はて、私たちが遊んでいた間、彼女はどうしていたのだろうかと、今ごろになって気になります。


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サンシャインコースト

三十年前のちいさな挫折で行く気がおきなくなったサンシャインコーストに今日いってきました。先月トロントに行った時にみつけた「ブリティッシュコロンビア州のおすすめゴルフ場」という案内書のなかにサンシャインコーストのゴルフ場がふたつあり行きたくなり、くみちゃんとそのゴルフ仲間ふたりを誘ったのです。

ウェストバンクーバーにあるショッピングセンターで待ち合わせしてから全員私の車にのり、十分ほどでホースシューベイ。二時間に一本でているフェリーにのり四十分、サンシャインコーストの玄関ラングデ―ル。そこから二十キロ走るとシーシェルトという町のはずれにあるゴルフ場は高台の見晴らしの良いゴルフ場でした。

帰りにフェリーにのるまで二時間ほどあったのでラングデールに近いゴルフ場に寄ってビールを飲みました。こっちのゴルフ場のほうが手入れが良さそうだし、海もみえるのでまた来ようと言う話になりました。グリーンフィーが四十ドル弱でフェリー代のうち車分をゴルフ場が持ってくれるので、フェリーの人間分八ドルをいれても、バンクーバーの大概のゴルフ場より安くつきます。

いや、そんなことを書くつもりではなかった。ビールを飲みながら、そういえば、と長い間忘れていた自転車旅行のことを思い出したのです。着実に都市化が進んでいる気配はありましたが、三十年前のサンシャインコーストもこんな風ではなかったのだろうかというような田舎の風景でした。



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1973年夏のこぼれ話

青い光に包まれていた1972年9月のバンクーバーの夜をみたときに生まれた意識は鮮明によみがえってくるのですが、その後のことはだんだんあいまいになっていき、一年後1973年の9月になるとほんとにぼんやりしています。なにかの拍子に、ああ、こんなこともあったなと思い出すのです。以下は記憶からこぼれていた1973年夏の話です。

新学期に入る前に、友人ふたりと自転車旅行をしたことを思い出しました。大学から四十キロほどはなれたホースシューベイからフェリーに乗って四十分のサンシャインコーストが目的地。

いざ走り出してみると三人の脚力がずいぶん違う。昔から毎日走っている太田さんという人はどんな坂でも平気な顔をしています。それにくらべて江刺さんという人と私は登り坂にくると苦しい。出発して二十キロほどのライオンズゲートでは歩きました。

ライオンズゲートをわたったあとホースシューベイ方向へ走ると道幅が狭く、車が気になって仕方が有りません。フェリーに乗る前にモーテルに一泊。翌日フェリーには乗らず大学へ戻ることにしました。なんとも意気地のない話です。

なんとなくうしろめたい気持ちになったのでしょうか、サンシャインコーストに行くきがおきず三十年たってしまいました。すぐ近くなのですが。


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統計解析

統計解析という言葉を使います。

無限にあるデータのほんの一部を使って、世の中の事象の傾向を知ろうというのが統計解析です。

身近な所でいうと、天気予報や経済予測などは統計解析を使っています。翌日天気になるか雨が降るかの予測について、過去のデータから一定の方程式を作っておいて、今日のデータを入れて答えを出す。

これから景気が良くなるか悪くなるかについて方程式を作っておいて、今日のデータを入れて答えを出す。

限られたデータから作った方程式ですから、いつも当たると云うわけにはいかず、天気予報も景気予測も外れます。しかし当たることもありますから統計解析は学ぶに値いします。

私が勤めていた会社の調査部や企画部に統計解析の専門家を数人おくのは価値があるだろうと思い、選択したのですが、始めてみると、いやはや根気のいる仕事です。

コンピュータを使って分析するのですが、分析に必要なデータを入力するためにパンチカードをいうのを何十枚も作らなければいけない時代でした。データに基づきカードに穴をパンチするキーパンチャーという職業があり、大学にも何人かいて、パンチカードを作ってくれましたが、こういうカードを作って欲しいというプログラムは自分以外には出来ません。キーパンチャーは忙しいので待っていられないときも多く、自分でもパンチカードを作るのですが、パンチする穴を一つでも間違えるとコンピュータは計算してくれません。変な結果がでるとデータとパンチカードのチェックをするのですが、たくさんある穴をひとつひとつチェックして間違いをみつけるという知的興奮もなにもない単調な作業をするのは苦痛です。五科目のなかで一番時間のかかる科目でしたが、分析結果がでたときの達成感はあります。分析しなくても、あたまでぼんやりと予想していたのと大して変わらない結果がでることが多いのですが。



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統計的方法論

Statistical Methodology 英和辞典をみて訳すと「統計的」「方法論」となりますが、「方法論」はピンときません。 

その前に「統計的」とは何でしょうか。「統計」を広辞苑でみてすぐ理解できる人は少ないでしょう。こうあります。

集団における個々の要素の分布を調べ、その集団の傾向、性質などを数量的に統一的に明らかにすること。また、その結果として得られた数値。

ウェブスター辞典(英英)の説明を日本語に訳すとこうです。

数字で表されたデータを集めて研究したもの。全てのデータの一部を使って、全てのデータの性格を明らかに出来るという仮説に基づく数学のひとつ。

一年間学んであとの実感はウェブスターの説明のほうが近いです。

同じく実感では「方法論」という言葉がしっくりしません。統計学のなかに色々な分析方法があり、それを学ぶのですが、「方法」の「論」を学ぶより、実際にデータを使って全体像をあぶりだす実際的な作業が主でしたので、哲学的な感じのある「論」を学ぶという感じではありません。

「解析」という言葉もいまひとつですが、「統計的方法論」よりは「統計解析」のほうが良いかな。

きりがないのでこの辺にしておきますが、なにかピッタリした感じの日本語がないものでしょうか。いやその前にあの授業にMethodologyという英語を使うのが適切でなかったのかもしれません。うーん。細事にこだわった意味の無い考察だったか。



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新学期はじまる

1973年9月、留学二年目に入りました。過去一年は必須コースの科目でしたが、今学期からは選択コース、すなわちビジネススクールの本格コースをとるわけです。

とりたい科目がたくさんありますが次の5科目をとることにしました。
Seminar in Business Policy
Seminar in Government Land Policy
Seminar in Business Application of Management Science
Statistical Methodology
International Business Environment

こうやって列記してみましたが、一年前の科目とくらべてインパクトがはるかに小さく、苦しんだとか楽だったとかいう記憶がよみがえりません。勉強のペースがつかめたのと、勉強以外のことにも意識が広がっているからかもしれません。


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森の中を走りながら考えたこと

ジャスパーに着く前、森の中を走っているときにラジオがこんな放送をしていました。

「カナダは美しい国です。この美しさはどこから生まれるのでしょうか。それは広大な緑から生まれるのです。この緑を私たちは守らなくてはいけません。そしてそれを守れるかどうかはカナダ人ひとりひとりにかかっているのです」

三十年前の夏も水が少なくなり、ブリティッシュ・コロンビア州がアメリカに水を輸出しなくなり大騒ぎになったものです。植物があることにより水の貯えが効率よくできるのですが、それでも水不足になることがある。

当時の日本は木を切り、山を崩し、地下水をくみ上げる、ということが日常でした。このままでは日本の水は枯渇し、アメリカのように水を輸入することになるかもしれないというレポートを書いたものです。

森林のなかにこういう掲示板もありました。
「今、あなたの足であなたの足元にある小さな植物を一秒でつぶすことができます。しかしその植物はおそらく何万年もかかってようやく生命をえた植物かもしれません」

こういうカナダの歌もあります。
「この国土は私のためにある。そして子供たちよ、この国土はあなたたちのものでもある」

三十年後のカナダ人も、水と緑を大切にしており、今回の渇水で禁止された散水、ハイキングは守られています。水の使用量は15%減ったそうです。バンクーバー市近辺で山火事は起きていません。



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コロンビア氷原・無謀

以下に書くことはジャスパーから東へ四百キロ離れたエドモントン市にいる大学教授から三十年前に聞いた話です。

「日本のある大学の調査団がエドモントンにやってきて、エスキモーと同じ生活を体験しながら調査をしたいので話を聞かせと欲しいと云った。調査団がろくな装備をしていなかったので、無謀だからやめた方が良いと忠告した。忠告を無視して調査団は北へ向い、そのまま行方不明になった。凍死したにちがいない」

今夜は雪だろう、とこともなげに言った若者と私との間にはカナダの自然に対する理解の差がありましたが、凍える一夜を経験した分、普通の日本人、あるいは行方不明になった大学調査団のひとたちより自然の凄さに対する無知、無謀は小さいと思います。

吹雪の中にいることは千度の炎の中にいるのと同じように危険です。雪はふらなくても寒くなるだろうと考えて、バンフではモーテルに泊まりました。


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コロンビア氷原・凍死

日が昇り気温が上がってきて何事もない世界が戻ります。しかし凍死するというのはこういうものかという実感をもったあとの世界は昨日までの世界とは違っています。ニンゲンが生きているのは微妙なバランスを保っているからであって、さもなければあっという間である、地球の自然の変化にニンゲンは強くはないのだということが分かった、少々心細い世界。

あれから三十年、凍死する人のニュースが時々聞えてきますが、死んだヒトたちが体験したであろう気持ちが分かるような気がします。どうにもならないという絶望感と、仕方ないかという諦念。

朝日の輝くコロンビア氷原をみると、氷原がきれる麓に黒い寝袋がひとつ転がっているのが見えました。テントなし、頭も寝袋のなかにいれて一夜を過ごしたのです。

宇宙産業でも使う素材でできた極寒に耐えられる寝袋を私も十年後、二度目のカナダ滞在で買うことになりますが、ゴロンところがっている寝袋をみたそのときは、私には到底まねできないことだと感心し、ジャスパー、コロンビア氷原のキャンプ場で働く若者にも改めて尊敬の念を覚えたものです。


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コロンビア氷原・凍死?

コロンビア氷原の風はだんだん激しさを増し、寒さもひとしきりです。例によりテントには女性三人が寝て私はゴミ袋テントのついたベガの中ですが、風がつよいのでテントを外し後ろのドアを下ろしました。窮屈な感じですが寝るのに支障はありません。しかし冷え込みます。

車は鉄でできていて全体が冷え、密閉性もテントにくらべるとはるかに劣ります。おまけに私が使っている寝袋は薄い。寝入りばなは暑すぎるくらいで汗をかくのですが、やがて水となり寝袋のなかが冷たくぬれます。寒くて夜中に何度も目がさめます。

最初に目がさめたときは雲が晴れて月が鮮やかにみえました。どこかでこの月を眺めている人や動物もいるのでしょうか。次に目がさめたときは風がビューービュー鳴り雨の音が聞えます。寝袋のなかで身体をまるめるとまた眠りにおちました。最後に目を覚ましたときはびっくり。車の窓は白い雪で覆われて外が見えません。寒さでもう寝ていられません。時計をみると五時。キャンプ場では他のひとたちがまだ寝ているでしょうから車のヒーターをつけるわけにもいきません。震えながら焚き火をつくりました。焚き火はなかなか大きくなりませんが、だんだん体が温かくなりホッとします。

テントも雪の塊のようになっています。三人が凍死していることも無かろうと思い、起きてくるのを待ちました。テントから出てきた二人とも温かく眠れたそうですが、毛布にくるまって寝たゆうきんママはテントにへばりつくようになっていておきたときには体が冷たかったそうです。凍死寸前だったのかもしれません。



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コロンビア氷原・キャンプ場の係員

さて、1973年8月、カナディアンロッキーにもどります。

コロンビア氷原が道路の向かい側にみえるキャンプ場に泊まりました。テントを張り、焚き火のまわりで夕食をとったあと急にあたりが暗くなりなした。

顔をあげると山の上空に灰色の雲のかたまりができているのが見えました。その雲がスーっとおり始めたと思うと冷たい強風が吹き、消えかかっていた焚き火が激しく燃え上がります。雨がふるのかなあと思いながら片付けを続けてるところに、若者がキャンプ代(2ドル)をとりにきて Nice weather,eh?(良い天気だろ)と笑い、今夜は雪になりそうだといいました。本当かいと問うと本当だといいます。ところでこの辺にも熊はでるのかいと聞くと出るから食べ物のカスは棄てたほうが良いといいます。

いかにも健康そうで素朴な青年で、前日ジャスパーのキャンプ場で2ドルを集めにきた若い女性もそうでしたが、飾りけのない素直な話し方、大自然への抵抗力を備えている、いや適応力といったほうがよいでしょうか、自然と一体化したような立居振舞、雰囲気が体全体にあり、強く印象に残りました。

ジャスパーではその女性が、このへんは熊が毎晩でるから食べ物のにおいをさせないほうが良い、熊がひとに害をくわえることはないから心配ないけれど、といったのが気になり夜中に何度も目がさめました。熊の姿はみませんでしたが、朝みると近くのブリキのゴミ箱のふたがずれているのでやはり出たのだと思いました。

ところで 若者が言った Nice weather,eh? の最後の eh? は相手に同意を求める時にカナダ人がよく使います。親しみがわきますが垢抜けしない感じがあり、アメリカ人がカナダ人の英語をからかう時はeh?を乱発します。


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コロンビア氷原・リス

ジャスパーから110キロ南下し、道路をはさんでコロンビア氷原がみえるキャンプ場に泊まりました。例によって簡易テントに女性二人と、一歳ちょっとのゆうきんママ、私はベガの中で寝ます。

アメリカ旅行でもそうでしたが、ロッキーに入ってからたくさんのリスにあいました。リスはニンゲンを怖がらず、ゆうきんママもリスと遊びます。こんな風にニンゲンを怖がらない野生動物が日本にはいないのではなかろうかと憂鬱な気分になりました。

三十年後のバンクーバーでみるリスたちはニンゲンを警戒しています。なにが原因なのでしょうか。



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