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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

臨時停車 5
★前回:http://onomar.jugem.jp/?day=20121106

臨時停車した駅の名前は覚えていません。覚えているのはセガマット駅で降りなかった我々をみて車掌が驚いたときからあとの時間が急に慌しくなったことだけです。 




臨時停車

もとの平和な顔つきになっている駅長にタクシーはありますかと訊くと、セガマットに行くならもうすぐあれが出ますから乗って行きなさいという。指さされた方をみると無蓋列車が一台あり、マレイシア人が三人乗っている。長さが五、六メートル程で簡便なエンジンがついたトロッコであるが手すりもあって人間や荷物を運ぶようになっている。

 

有難く利用させて頂くことにしたが、アタッシュケースを持った一流(?)ビジネスマンがトロッコに乗り込んできたので先客は変な顔をした。先ほどまではオリエント急行の気分であったが、今度はアメリカの喜劇映画になっちゃったなと内心苦笑する。

 

トロッコは急行列車ほどではないが快調に走る。ムッとした空気の替わりに南洋の甘い風を胸一杯に吸い込み心地良い。ゴム林が続く。

 

ようやく余裕をとりもどしたF氏の舌が滑らかになる。いや、助かりました、一時はどうなるかと思いましたが、それにしても良く停まってくれました。これが日本だったら大変でしょう。新幹線なんか停めたらたちまち新聞記事になるでしょうね。出鱈目の国鉄とか、エリートビジネスマンが横暴な命令とかいって。もっとも我々が頼んだって余程のことでもなければ臨時停車してはくれないでしょうね。




トロッコに乗ってゴム林の中を走っているときに、一瞬タイムマシンに乗って過去にもどっていくような感覚が生じたのを覚えています。ゴム林の向こうに首の長い恐竜が見えたらいいなあと妄想していました。

恐竜時代にマレイ半島はあったのでしょうかね。


下の絵の真ん中にある居室の替わりにエンジンをつけるとおのまたちが乗ったトロッコのイメージになります。



この絵は次のサイトでみつけました。綺麗な絵が沢山載ってます。

http://www.sea.sannet.ne.jp/isesakikidou/index.html

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臨時停車 4

大統領選挙やハロウィンのことを書いているうちに臨時停車シリーズが一週間あきました。

前回:
http://onomar.jugem.jp/?day=20121030

前回はセガマット駅に着いたことに気がつかないでそのまま列車が走りだしたところまで書きました。

駅に着いたのに車内放送がないのは不親切ではないかと思うのは何でも手をのばせばすぐ届く便利な島国世界になれた日本人の勝手な期待であって、手をのばしたって届かないものがゴマンとある広い大陸世界ではシンガポールからでる急行列車が停まる駅は数えるほどしかない、自分が降りる駅が何番目かくらい頭の中にいれとけよ、オマエ甘い・・・と言われるのが関の山でしょうか。
 


臨時停車:

列車はようやく急行列車らしいスピードになって走っている。F氏は車掌を追いかけて前の車輌に消えたが暫くすると戻ってきて、荷物を持ってきて下さいという。

冷房の切れた車輌に移る。たまらなく暑い空気が体をつつむ。車にしみついた独特の匂いが一層強く感じられ頭痛がしてくる。

 

車掌が次の駅で十秒程停車するから直ぐ降りてくれという。ヘエーたった二人のために急行列車を停めるなんてすごいなあ。列車のスピードがあがったのは臨時停車のロスをとりもどすためだったのか。

 

列車は気が狂ったごとく猛進し、やがてつんのめるようにして停車した。車掌にせきたてられるようにして我々は飛び降りる。駅長がびっくりした顔で立っている。乗客も何があったのかと窓から顔を出す。二人を放り出すと列車は再びスピードをあげ視界から消えた。車掌さんありがとう。

 

やれやれ助かりました。ここからタクシーでも捜して戻りましょうとF氏がいう。一体どうやって停めてもらったのですか、特別チップでも弾んだのですかと問うと、いえいえ、そんなことはしていませんとの答え。こちらに心配させないための答えかと思ったがそれ以上の詮索はやめる。


セガマット駅の次に停まるセレンバン駅まで約百キロです。急行列車の速度も時速百キロくらいだったでしょうか。であれば両駅間の走行時間は一時間です。

一時間で十秒のロスは大したことないのか、そうではない一度停車すると所定の速度まで加速させるのに時間がかかって大変なんだなのか、三十年後の今になって気になります。





あなたはどこにいる・・・・・只今当地は11月5日の朝。シンガポールのダウンタウンに旗がたっていました。昔のおのまのようにサラリーマンの方でしょうか。

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臨時停車 3

東急車輌シンガポールの古野社長と汽車でシンガポールからマレイシアに出張したときの話の続きです。


臨時停車・2
http://onomar.jugem.jp/?day=20121025

臨時停車

一日に数本しかない急行列車はシンガポール、マレイシア、タイを走る国際列車であるから乗るときにはパスポートが必要である。とはいえ路線は単線であるし、車輌も新幹線のような近代的なものではなく、冷房車はわずかに二台しかなくあとは窓からの風を涼とする。我々はむろん冷房車におさまっている。

 

すいているのでF氏と二人で四人掛けの席を占領する。日本の列車よりやや小振りに見える、かなり年代物の車輌で、乗客全員をゲリラ兵にすれば似合いそうな代物である。弁当売りがやってきた。防水加工を施した茶色の紙にくるんだマレイ風のまぜごはん。美味とは言い難いが一個二百円と安い。

 

シンガポールを走っているときは高層のビルが見え隠れしていたが、ジョホールバルを過ぎるとほとんどゴム林の中を走る。いよいよゲリラ列車の雰囲気が増してくる。クルアンを過ぎたところで前の車輌の乗客が全員こちらに移動してきた。我々の席に、冷房が切れたのでこちらに移ることになりましたといいながら妙齢のマレイ美人が加わった。ゲリラ列車が急に華やいでオリエント急行風になる。

 

車掌が車内を回って切符を点検する。急行といっても外の景色はゆっくり飛んでいく。進行方向右側は太陽をあびるので皆ブラインドをおろしている。我々は左側なので景色を楽しめる。

列車はスピードを落として停車したが窓の外に駅らしい設備はない。放送もない。臨時停車でもしたのかと思っているとやがて走り出した。

 

三分くらいしたところで車掌が検札を終え戻ってきた。我々の顔を見て、あれさっき降りなかったのですかという。あっ、臨時停車だと思ったがあれはセガマットか、これはいかんとF氏が驚く。いや困ったなあ、このあと列車はセレンバンまで停まらない筈だし、セガマットの駅にはCさんが迎えにきている筈だし、弱ったなあとあわてている。当方は内心、走り出したのは仕方ない、隣に美女もいるしこの儘行くのも良いだろうと不届きなことを考えているが、口では弱りましたなあと相槌を打つ。



国際列車のルートは 南の果てにあるシンガポールからジョホールバル ⇒ クルアン ⇒ セガマット ⇒ セレンバン ⇒ クアラルンプール ⇒ タイという風に北上します。

セガマットはクルアンとセレンバンのあいだのあたりです。 

地図を加工していてジョホールバルの字を半分消していまいました。



当時、古野さんもおのまもそろそろ四十歳になる頃でした。木材の買い付けをして十年と云っていましたから、逆算すると古野さんは三十前後の頃からマレイシアで活躍していたことになります。

古野さんが買う木材は製造される車輌に使われていたのですが、はて、今でも木は汽車や電車に使われているのでしょうか。コンテナの床に木を使うと古野さんが言っていたような気もしますが、記憶違いかもしれません。

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| おのまのプロフィール | | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
臨時停車 2

さくじつ「臨時停車 1」を掲載したあと思い出したことがあります。十年以上前になりますが、さる著名な弁護士がこの話を読んで「銀行員は大変なんだなあ」と言ったそうです。知的な仕事ではないと思われたのでしょうかね。

当時おのまが勤務していた銀行のシンガポール支店は、取引量や利益がニューヨーク支店、ロンドン支店に次ぐ規模があり、銀行用語でいう「大店(おおみせ)」のひとつでした。

オフィスはシンガポール最大の華僑グループ、ホンリョングループの本拠地ビルの一階から三階までを占め、現地雇いの行員がたくさんいました。日本人は支店長、副支店長(ふたり)、係長五人でおのまは一番若い日本人でした。

日々発展していくシンガポールと同調するかのように働いた四年間はおのまの人生でもとりわけ密度が濃い時期だったと思います。

 


臨時停車

T車両製造会社が進出してくるという話は公認会計士がからはいってきた。日本の取引店に照会すると進出計画担当者はF氏であるという回答がきたが出張スケジュールまでは分からない。

ところが親密先のJ製鋼所のK氏がF氏は高校の同級生でよくシンガポールにきているから今度来たら教えてあげますという。一ヶ月もたたないうちにK氏から電話が入った。シェラトンホテルに泊まっていて今夜会うことになったから一緒に来ませんか。偶然ホテルで会ったということにしてご紹介します。

 

F氏は遅れはしたが現れた。別用が控えているとのことでバーラウンジに移る時間はなかったがそれでもコーヒーを飲みながらF氏がこの地の木材を買い付けるようになって十年ほどになること、現地法人は当初は小規模でスタートすることなどを話してくれた。礼儀ただしいい人でこちらの話もよく聞いてうなずいたり、コメントをはさんだりする。名刺交換としてはこの上ない滑り出しである。

 

やがて現地法人を設立したがたしかに小規模でF氏と現地人の秘書だけの会社、取引行も某行一行である。日本での取引振りからみてしょうがないなと思いつつも、あきらめずにF氏を訪ねていると、T車両が木材を買っているマレイシアの業者と取引をしませんかという。

 

T社とつきあっている会社と取引を始めれば関連の貿易業務があるからT社との取引につながるし、当地の木材業者はたいがい社長が財を成しているから与信的にもいけるかもしれない。中国人のローンオフィサーに社長の資産を調べてもらい、マレイシアまで出張してもらうと与信取り上げ可との報告。しからばこの目で確かめて最終結論を出そうということでマレイシアのセガマットにある会社を訪ねることにした。

 

F氏にそのことを伝えると自分も商用があるので一緒に行きましょう、そしてクアラルンプールにもう一社良い会社があるのでそれも紹介します、セガマットまでは汽車で行きましょうという。

出張に汽車をつかうのは日本では普通であるがシンガポールから出張するのは飛行機か車が普通である。件の中国人オフィサーも車でセガマットに行った。しかしこの地を歩き回ること十年のF氏のペースで動くのも面白いだろう。またこんなときでもなければ当地の汽車に乗ることもなかろうと考え快諾する。




セガマットをグーグルマップでみたところスガマットとありました。シンガポールから二百キロあたりです。



セガマットは果物の王様といわれるドリアンの産地で、現地では有名な町ですが、日本人で訪れるひとはほとんどいませんでした。

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| おのまのプロフィール | | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
臨時停車 1


ただいまは十月二十四日。ほんじつ二度目の更新。ながらく遅れていた更新がおいつきました。


おのまは1978年〜1982年の四年間シンガポールに勤務したのですが、日本に戻って一年ほどたった頃「手形研究」という金融法務専門雑誌にアジアで体験した話を書くことになりました。全部で十四話を書き、その中に東急車輛シンガポール社長の古野さんという方と一緒に出張したときの話があります。

いまの東南アジア諸国は経済が繁栄していることで知られていますが、じつはおのまが働いていた三十年前から繁栄は始まっていて、シンガポール勤務が終わった三年後、1985年に北米を見たときはシンガポールやマレイシアが勝っていると思ったものです。

さはさりながら、三十年前のマレイシアにはほのぼのとした風景が残っていたことが分かる「臨時停車」を転載します。1982年か1983年の話です。


転載してみたら、文章が長くてブログには向いていないかもしれまないと思いました。少しでも飽きないようにするべく「手形研究」には載っていない写真を貼るなど工夫してみます。


臨時停車:


シンガポールのシェラトンホテルは小高い丘の上に程よい大きさで建っている。土地に余裕があるため車でのアクセスが楽であり、シャングリラに次ぐホテルだと評価する人もいる。当然のことながら星は五つ。


正面の自動ドアから入るとレセプションカウンターが目の前にあり、左手にバ−ラウンジ、右手にコーヒーラウンジがある。渋い英国調のインテリアでまとめられているせいか新築後数ヶ月しかたっていないのに名門ホテルの落ち着いた風格を既に備えている。冷房が効いている居心地の良い近代的な空間であるが、南国の甘い香りの空気がいつの間にかしのびこんできて、ひとびとをけだるい気分に導いていく。

バーラウンジには色とりどりのバチックのシャツを着た客がくつろいでおり、その間をすらりとした肢体を中国服につつんだウェイトレスが泳ぎまわって飲み物の注文をとっている。思い切りよく切れ込んだスリットからのぞく脚がなまめかしい。F氏がきたらまずは一杯やろうかと思っているがそのF氏は現れない。J製鋼所のK氏が、あいつ遅いな、なにかあったのかなとつぶやく。もしかすると空振りか。

 



シンガポールへ進出してくる日本企業との取引を開拓するためには進出計画の情報を早めにキャッチすることが大事であるが、それ以上に大事なのは、当地に赴任してくる主観者や計画を推進している人たちが出張で渡航してきたときに接触することである。

出張してきた社長、役員を空港で出迎え、名詞を交換させてもらい、本格折衝の機をうかがい、食事やゴルフの時間があるかどうかをさぐる。出張者のスケジュールがタイトであったり、あるいは銀行員と会うのは時間の無駄と考える人もいるから、日本で取引がない会社の人であれば名刺交換で終わってしまうことも覚悟しなければならない。

時にはシンガポールに某氏が来ているらしいという情報が入ってきて、めぼしいホテルに電話をかけ、探しだし、面会を申し込み、OKをとりつけたにもかかわらず会えずに終わることもある。進出計画の早期に名詞交換ができれば新規開拓プロセスの半分を達成したといえる。逆に一度チャンスを逃すと次回の出張は数ヶ月あとかもしれず、そのときは取引開拓折衝のタイミングを失しているかもしれない。

 
従って進出計画を知ったら計画のキーパーソンがいつシンガポールにやってくるかという情報収集に勢力をついやすことになり、アンテナを広く張りめぐらさないとならない。新規進出により仕事が増えるのは銀行だけではないのでそういう人たちの情報交換が欠かせない。弁護士、会計士、建設会社、シンガポール経済開発局。ゴルフの玉を追いかけながら情報を追い、日本人ビジネスマンが集まるジャパニーズラウンジと称するバーで杯を交わしながら情報を交わす。



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シェラトンホテルは全日空との共同経営でしたが、今は別な場所にシェラトンホテルができており最初のシェラトンはANAホテルという名になっています。

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セントルイス・200キロ続く看板
セントルイスからジェファソン・シティまで200キロ、約二時間半のドライブ。平坦で退屈な景色が続きます。

クライスラー社の最新フルサイズのセダンを運転しているのはデトロイトからきたアメリカ人、隣は台湾からの出張者。



私は後ろの席で看板を撮り続けました。



まだ広告主がみつかっていない看板。
広告(ad)をここに(here) 貼れ(adhere) という親父ギャグの広告が私は大好きです。




看板は200キロにわたって続いていて、百枚ほど撮りました。酔狂(笑)。人の顔がでてくる看板を何枚か載せます。














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| おのまのプロフィール | | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
セントルイス・袖触れ合うも他生の縁
袖触れ合うも他生の縁=道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁による(広辞典)

セントルイスで信号待ちをしているときに車の中から撮った写真です。いろいろな偶然が重なりあって、すれ違っただけと思うのですが、いやそうではない、前世の縁があるのだと云われると、なにかしら懐かしい気持ちになります。









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| おのまのプロフィール | | 14:20 | comments(0) | - |
セントルイス・街には人がいる
ジョージ・ブッシュがイラクで平然と殺人劇を続けることができるのは、彼の大脳に欠陥があって、イラクが無人の世界に見えるからなのかもしれません。


この街を破壊して何故いけない。

ジョージ、良く見なさい、ここには人がいるんだよ。





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フェニックス・火星年代記
四年まえ、ミズリー州の人たちと付き合い始めたときは、かれらがブッシュ・チームの情報操作にいともたやすく騙されるのは仕方がないと思ったものです。神に祈るけれど、物事を深く広く考えたりはしない。レイ・ブラッドベリー描く「華氏451度」や「火星年代記」のひとこまを見たような気分でした。

アリゾナ州のフェニックス市の上空を飛ぶと、景色も「火星年代記」です。

ヾチ腓靴慎嵶諭



土漠がならされる。



C狼紊らの入植者が一人、そしてまた一人。




にを越す。



ニかに暮らす内に地球人であることを忘れる。





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雪の旅・4・行きたくなかった
なんだか分りますか?



アメリカに行っているあいだにバンクーバーでもう一度雪が降ったそうです。でもって帰ってきたらこう。これも行きたくなかった理由だったのか。




雪が凍っていてどうにもできません。凄く重くて、下敷きになったら圧死しそうなのでこのまま溶けるのを待ちます。ガラスのテーブル・トップは引き抜きました。


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雪の旅・3・野球帽
三十年ちかくのあいだ、出張を数百回していますが、たまに出かけたくないことがあります。

シンガポール時代、支店長のお供で、タイとマレーシヤの国境にあるハジャイという町にあるゴム工場を見に行くことになったときは、どうしても行きたくないと出発の朝まで思っていました。

出張の二日目の夕方から猛烈な下痢が始まり、死ぬ思いでひとばんを過ごしました。腹の中がからっぽになった翌日も腹痛が襲ってくるし、気分が悪いしで急遽シンガポールに帰りましたが、衰弱した体力が戻るまで半年以上もかかりました。先ごろ起きたロシヤスパイ暗殺ではありませんが、毒を盛られたのではなかろうか・・

今回の出張も行く前から嫌な気分があったものです。出かけるときにふと野球帽をかぶりました。普段、こういう帽子で外出したりしません。格好悪い。しかしこの野球帽がなかったら、一キロ歩いているうちに体が冷え切ったことでしょう。ニンゲンの体の熱が失われるとき、八十%は頭からだそうです。嫌な気分のなかで最低の備えをしていたわけです。

一夜あけて、セントルイス空港にもどると、おお、野球帽のひとが結構います。やっぱり格好が良いとは思いませんが、こういう時もあるから野球帽は旅の必需品かもしれません。以下、写真だけです。













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以上を書き終えたところで(カナダ時間十二月三日午後四時)、電話が入りました。二十年来の知人、ジェイ・モートンが十一月三十日になくなったそうです。八十七歳になるひとつきまえ。出張するまえに、電話をしようと思いながらしなかったのが悔やまれます・・・



ジェイは玄関脇に日本庭園をつくり、ここでお茶を楽しんでいました。前世は日本の侍だったそうです。


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雪の旅・2・電車
一時間ほどかかって予約できたのは二日先の飛行機と車で三十分かかるホテル。タクシー乗り場に行って見ると長蛇の列。一時間は待ちそうです。

空港ビルに戻り、ホテルに電話をすると駅からニブロックだというので電車で行く事にしました。アメリカの電車に乗るのは十何年ぶりかです。

空港ビルの端にある販売機で三ドル五十セントの切符を買い歩いていくと、そのままプラットフォーム。検札所がありません。切符がなくても乗れます。かなたに飛行機。



終点の駅を示すサインがありましたが、Yの字の簡単な路線なのでなくてもすみます。目的地は空港(Yの上・赤)から右に向かって十三番目、スタジアム駅。





スタジアム駅。



やはり改札口がなくプラットフォームから通りにでることができます。寒い。



通りにでたもののどちらに向かって歩けばよいのか分りません。駅のちかくにホテルがあったので、フロントで地図をもらいました。道は凍っていません。これなら飛行機が飛べたんじゃないかと思いますが、思ったって仕方ない。歩くだけ。ふりしきる雪でもらった地図はぐしゃぐしゃ。ときどきビルの上から雪のかたまりが落ちてくるので冷や冷や。体も濡れて冷や冷や。写真をとる気になれません。そういう時にこそ面白いのが撮れるのでしょうが。

ニブロックと云うと大概は二百メートルくらいなものですが、巨大なスタジアムを挟んでいるものだから、一キロくらい歩きました。

ホテル近くまで来てようやく見えたセントルイスの名所、ゲート・ウェイです。かつて白人が西部開拓に乗り出した基点がここだという記念のアーチだそうです。巨大モニュメントではありますが、高層ビルの陰になってなかなか見えてこない程度のもの、エジプトのピラミッドがなくなる前に倒れるでしょう。



ホテルの部屋から見えたゲート・ウェイ。



翌日撮ったゲート・ウェイ。狭い箱に乗って頂上までいけます。



ホテルは避難客でごったがえしていました。




部屋に入ったのが六時二十分。空港閉鎖のアナウンスから三時間かかっています。

このホテルは全米でトップの評価を得ています。お客の心理を良くつかんでいるからです。そのひとつが、これ、長距離電話が只。



ホテルの部屋から電話をすると法外な料金をとられて、後味の悪い思いをすることがあります。前回、日本で泊まった某ホテルは相手先とつながらなかったのも請求、あれでは日本が観光立国になるのはムズ。面倒だから黙って払いましたが、その代わり二度と利用しません。

バンクーバの旅行代理店に飛行機の手配を頼み、知人に、ゲンキーを預かってもらっているマヒン家に行って、帰りが遅れることを知らせてほしいと頼みおわると八時。レストランは満員。列にならんで待つのはゴメン。部屋にもどり、ルームサービスを頼もうと何度か電話をしても通じず、十時。夕食抜き。 長い一日でした。

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雪の旅・1・セントルイス空港
雪も旅もロマンティックですが、反面しんどいところがあります。

三十日朝、約束をひとつキャンセルし、西から迫ってくる嵐から逃げるようにジェファーソン・シティーを発ちましたが、セントルイス空港についた時には強風と雨に追いつかれていました。

出発時間の四時間前。こんなに早く空港に入ったのは初めてです。暇にまかせてパチパチ撮りました。

,海ΔいΨに瓩屋をバンクーバー空港で初めて見たのは1985年、お客が威張っているようで抵抗がありました。これは磨く方も楽なのだと分ってから利用するようになりましたが、いつの頃からか旅行するときに革靴をはかなくなりました。



▲札鵐肇襯ぅ攻港で必ず立ち寄る本屋の看板が写っています。前回きた時は置かれてなかったState of Denialがありました。三十米ドル。三枚目の写真の裏側の棚に一番下にありました。





カリフォルニヤ・ピザという店があります。



っ輅犬靴織團兇焼きあがるまで十分ほど待ちます。



セ笋Five Cheese & Fresh Tomatoを頼みました。



Ε團恐阿卜拈椶靴討い襪箸海蹐膿べているパイロット達。



Д團兇鮨べ終わって待つこと二時間。セントルイス空港が閉鎖と決まりました。気温が急速にさがって雨が氷雨(ひさめ)にかわり、ついで雪になっっています。



大した雪には見えませんが、滑走路は凍っている・・明日の切符、今夜の宿を手配しないといけません。




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カナディアンロッキーの距離と時間
二十四日に書いています:

1973年いらい何度か訪れていますが、カナディアンロッキーの空間がどのくらいの規模なのか、どのくらいの時間をかければいいのかが頭の中に残っていないものだと気がつきました。今回の経験をメモしておきます。

.ルガリー空港→バンフ:128キロ

カナダを横断しているHwy1号を通っていきますが、カルガリーから暫らくの間は随所に信号がある道路になっています。やがて信号がない高速道路になって、制限時速が七十キロ、九十キロ、百十キロと上がっていきますが、途中で道路工事などがあって、結局、空港を出てバンフの町に入るまで四時間かかりました。もっとも空港から出てHwy1号に入るまでの道に迷って、一時間ほどムダに走っていますから、実質は三時間。

▲丱鵐妁ジャスパー:291キロ

21日の予告で250キロと書きましたが、実際は291キロ、約300キロと覚えておくといいです。制限時速九十キロで走れるところが多く、ノンストップで走れば三時間で行ける計算です。

しかし、二十二日の朝八時にバンフを出発したところ、工事中の箇所があって、バンフから三時間かかって着いたのは188キロ先のコロンビアアイスフィールドでした。

雪上車にのってアイスフィールドを見るツアーが一時間二十分。昼食もとったので、アイスフィールドを出発したのは一時過ぎ。

百キロほど走ればジャスパーですが、多分一時間半かかる、ジャスパーで一時間(少なすぎますが)過ごすとジャスパー出発が三時。途中のレイクルイーズに寄らないで走ってもバンフにつくのは七時半。ジャスパーに行くのはやめることにしました。

コロンビアアイスフィールド→レイクルイーズ:130キロ

時速九十キロで走れば一時間半(130÷90=1.44時間=1時間26分)ですが、実際には二時間かかり、レイクルイーズとそこから十数キロ先のモレインレイクというふたつの湖をみたあと58キロ先のバンフにもどると夕方の六時すぎでした。
http://www.morainelake.com/

以上、朝八時から夕方六時まで十時間、約四百キロの行程で、有名な観光地をちょっとずつ見ることができるという具合でした。


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三国町で出会った幸運・7
長生さんのお父さんと別れ、車を駐車場に置き、歩き始めてしばらくすると「センセー、センセー」と女の声がしました。通りから五、六メートルはいった家の小さな窓から、年のころは三十代はじめというところでしょうか、ちょっと魅力のある顔がのぞいていて「センセー、ここでーす」と呼んでいます。

「おお、ここに住んでたの」と水沢さんが窓に近づき、ひとことふたこと言葉を交わしました。むかしの教え子なのかなと思いましたが、紹介してくれないので分かりません。

女性が表に出てくる気配は全くなく、窓をはさんで話しつづけています。そんな光景にある種の情緒を感じたのですが、「飾り窓の女みたいですね」とからかってみると、平然として反応なく、水沢さんも「じゃあまた」と云ってあっけないほどあっさり通りに戻りました。

ここまで書いて、あの女性は何者なのか、水沢さんとどういう関係なのかが改めて気になってきました。紹介してくれなかったのは何か特別の事情があったからかもしれない、と思うのが自然というもの。水沢センセー、これを読んだら釈明するのが身のためですぞ。というのは冗談で、水沢さんは裕美さんに○○さんに会ったよと報告していました。

なかなか通俗小説のようなことは起きるものではありませんが、それにしてもその女性が一日中ずっと窓にへばりついているとも思えません。ほんの一瞬のタイミングがあい、窓から水沢さんをみつけたとすれば、これもなにの力が働いた必然だったのでしょうか。
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三国町で出会った幸運・6
水沢さんの家に向かったのですが、生そば・新保屋で会った福嶋さんの手がけている町おこしの現場をみましょうということになり、三国湊(みくにみなと)の裏通りに車が入っていきました。

日本全国にみられる時代の曲がり角現象がここにもあり、空家がここにひとつ、ほらまたひとつと寂しい町並み。近くにある東尋坊での飛び込み自殺が増えていると水沢さんが言いましたが、ジュンちゃんやヘーゾー君たち、何をやってきたのか分かってるのだろうか。アメリカ詣で(もうで)、朝鮮詣でをしたら、水戸黄門様のように日本の地方詣でもしないといけませんよ。綺麗なとこだけみて浮かれていてはタメアルよ。なーんて言う資格はカナダ在住の私にはないアルカイダ。
http://www.tojinbo.org/menu.html

駐車場がなかったのでいったんもとの道に戻ったのは幸運にめぐり合うための微調整。ふたたび狭い通りに入ってしばらく走っていると水沢さんが、あっと言って車を止めました。すれ違った車も止まりました。

中からでてきた小柄な人に水沢さんが興奮気味に、まあお久しぶりです、こんなところでお会いできるとはと挨拶をしたあと、私に紹介してくれたその人は誰あろう、三国町が生んだ指揮者・小松長生のお父さんでした。小柄な体躯(たいく=からだつき)は長生さんに似ていますが、長生さんよりスッキリしていて、剣術か弓術で鍛えているという風。

そういえばあのスッキリ感がトロント時代の長生さん宅にあったのを思い出しました。あのときは小松クリスティーンが作った美的空間かなと思ったのですが、長生さんにもそういうものがあるのだと今、分かりました。

北前舟(きたまえぶね=江戸時代から明治の初めにかけて日本海で活躍した交易舟)の老舗の末裔だからかくも品のある顔になるのかと感心しながら聞く三国なまりが心地よく耳に入ってきます。水沢さんや高木さんは標準語を話しますが、三国なまりで通している長生さんのなるほどお父さんで、目をつぶったら長生さんと間違えそうです。長生さんから頼まれた資料を送りに行く途中だと言って数年前のコンサートのちらしを見せてくれました。

長生さんと知り合ったのは1997年。爾来長生さんからも三国町に来て下さいと誘われていたのですが、ようやく実現した2005年11月11日、長生さんは三国町にいません。いたら水沢・高木夫妻ともども酒盛りとなり、大満足となるのですが、人生ここまでくるとそうなにもかもうまくいくものではないと分かっています。最後に会ったのはこの春、コスタリカ。これまでもしょっちゅうすれ違っています。長生さんがいないからといって惜しいという気はありません。

ここで長生さんのお父さんに会えるとは何たることかと大いに感激したりもしません。そうなるのが分かっていたからこそ、ビールを頼み、店の由来を聞き、町づくりに耳を傾け、色紙を預かったのだと納得し、初めて会う長生さんのお父さんと道のまんなかで百年の知己のごとく歓談し、では又といって別れました。では又がいつなのか、どこでなのかは分かりませんが、出会うときには出会うものです。


ばばさまといい、長生さんのお父さんといい、この世代の日本人のなんと美しいことか。いや、その世代だけではありません、生そば・新保屋さんの若い人たちもその美しさを受け継いでいます。

ここのところホリエモンやら小泉チルドレンやらをみせられて胸糞が悪くなっていたのですが、北陸で出会ったひとたちのおかげで、宿便がとれたような爽快な気分。む、たとえが悪かったか?

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三国町で出会った幸運・5
生そば・新保屋に入った瞬間の空気がよかったのでしょう、できるだけ長くいようと思い、そうなるとおろしそばだけでは間がもたないのでビールを注文しました。まあ、どこへ行っても飲みたくなるのですが。水沢さんはビール一本で運転ができなくなる下戸(げこ=酒がのめないひと)ではありませんが、法律に従って一滴も飲みませんからビールを頼むのにすこし勇気がいったのは本当です。 

おろしそばを食べ終わったあともビールで時間を稼いでいると店に入ってきたのがひとりの若者。水沢さんに挨拶をしたので福井大学の学生かと思いましたが、そうではなく、東京大学・法学部を中退して三国の町おこしをしている会社の社長、福嶋輝彦さんでした。
http://ptpxp.org/

福嶋さんと話した十数分の時間も幸運に出会うために欠かせない時間であったのですが、さらに追い討ちをかけました。

店の壁に永六輔など有名人の色紙が何枚も掛かっています。もちろん三国町が生んだ指揮者・小松長生の色紙もあります。しかし、ピアニスト・高木裕美がない。新保さんに言うと、高木さんが店にきたときに色紙が切れていた、是非一枚欲しいのですと、封をきっていない色紙の束を持ってきました。色紙を一枚預かり、必ずサインを貰ってきます、ご馳走様でしたと挨拶をして、これで幸運にであう時間のセットが完了。生そば・新保屋を出て水沢さんの家に向かいました。
http://www.c-komatsu.com
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三国町で出会った幸運・4
生そば・新保屋の名物・おろしそばが旨かったと書きました。

旨いものを出す店にはある種独特の空間があるような気がします。それがどういうものなのか、よく分からないのですが、店に入ったとたん店主をはじめとする店のひとたちの魂がきちんとしているような感じがするとでもいいましょうか。

ひとつだけはっきり分かることといえば、そういう店は規模の大小にかかわらず散らかっていません。楽屋裏は知りませんが、お客の目にうるさいものが映らない。これはビジネスの世界でもそうで、会社や工場へ行くとすぐわかります。同じような品を扱い、同じような店構えでも、ウオルマートとKマートでは天地の差。日本のお役所は大概がダメ。

そういう店に入ると私はさりげなく、しかし内心はしつこく彼らの話を聞き出そうとします。新保屋さんでもそういうふるまいに出、おかげで昔からきている水沢さんも知らない話を聞き出すことができました。聞き出したからといってピューリッツァー賞がもらえるわけではないのですが。

新保さんの話を聞いている間が充実していただけでなく、そういう時間経過がなければのちの幸運につながらなかったのです。
| おのまのプロフィール | | 16:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
めぐりあわせ
ここ三日ほどバンクーバーは冷たい霧に覆われています。

友人の依頼で突如、峰愛さんという女性が我が家に一泊することになり、どういうわけか分かりませんが、峰愛さんにわが大後輩の千尋さんを紹介しようと思いついて泊まりに来ないかと誘ったのが18日。かくして、21日の夜、ふたりの女性が我が家に泊まりました。

空港からの車のなかで話しているうちに、峰愛さんは私が勤めたことのある某コンサルティング会社にいたと分かりふたりとも驚いたのですが、峰愛さんは12月からその会社の兄弟会社であるA社に再就職することになっているというのでさらにびっくり。A社は18日に千尋さんが就職したいと言った会社です。

22日の朝、千尋さんを大学に送ったあと、空港の寿司屋でランチをとりながら峰愛さんに、千尋さんは学習能力が高い、実行力があると売り込むと、峰愛さんも千尋さんと波長が合ったらしく、千尋さんは合格すると思いますと言いきりました。

峰愛さんと別れたあと、あの二人はこれから長い付き合いになるだろうと思いながら霧の中を走ったのですが、一夜あけて今日、電話から「合格しました」という千尋さんの弾んだ声が飛び込んできました。
http://blog.goo.ne.jp/cw1979

18日友人宅での食事会に千尋さんが急遽参加したこと、A社を受けているけれど返事がこないので心配している、誰かA社の人を知っていませんかと聞かれたこと、峰愛さんがA社に再就職することになっていたこと、それを知らないでふたりを会わせたこと。一体どういうからくりが働いてこういうめぐりあわせになったのか。
| おのまのプロフィール | | 17:07 | comments(3) | trackbacks(0) |
写真追加・三国町で出会った幸運・3
11月20日の日記に、写真を追加しました。煙突トップの一部が剥落している様子がわかります。

芦原温泉駅から三国町まで五キロ。水沢さんの愛車はジープ型RVですが、車高がジープよりいくぶん高いのか、乗るときに一呼吸要ります。車の中には水沢さんお手製の工夫が色々こらされていますが、発明好きの水沢さんのこと、企業秘密かもしれないのでどういう工夫かは書きません。

「ソバでも食べましょうか」と水沢さん。うーん、ソバは好物ではないんだがというニュアンスをこめて「ハイ」と返事。

ちょっと変わった建物が見えてきたので「あれは何ですか」と訊くと「回転寿司です、寿司にしますか」といいます。さすが水沢さん、勘が良い。「そうしましょう」と答えると、すかさず「ソバは三国の名物で松井さんも食べました」と言った水沢さんの言葉に何か感じるところがあり、こちらもすかさず「やはりソバにしましょう」と答えたのが幸運への第ニ歩。行った先は「生そば 新保屋 (きそば しんぽや)」

生そばというのはうどん粉などを混ぜない、そば粉だけで打つそばのこと。「ソバは好物でない」と書きましたが、実はソバ粉はすきで、うまいソバなら大好きなのです。ところが三十数年前、藤沢市の宗賢院(そうけんいん)という寺でご馳走になったソバがべらぼうに旨く、ソバとはこういうものであったかと開眼、爾来どこのソバを食べても満足できず「ソバは好物でない」となったのです。

ここまで読めば、新保屋の名物・おろしそばがうまかったのが分かるというものですが、幸運とはまだ先の話しです。

| おのまのプロフィール | | 06:05 | comments(2) | trackbacks(0) |
三国町で出会った幸運・2
まりたんの世界と別れたあと、一日あいたので加賀温泉か粟津(あわづ)温泉に泊まろうと思い、金沢駅、観光センター備え付けのPCを使って探した十数軒の宿屋に電話をかけましたが、ひとり客を歓迎してくれたのは一軒だけ。でもってお値段は五万円。団体客やアベック客のなかで侘しい夜を過ごすには高すぎます。

ターゲットを金沢駅付近のホテルに変更し、数軒目で金沢ニューグランド五千五百円なりを発見。安い、ロビーの雰囲気も悪くない、しかし部屋に入ると荷物の置き場がない、PCを置くと机は一杯。あまりの狭さに体がこわばってきます。

ホテルの近くにある小料理屋のカウンターで食べた料理がいまひとつ良くなかった。ホテルにもどり、お茶を沸かしてばば様からもらた和菓子を食べたのが唯一のなぐさめ。ああ、今になって思い出した。トロントの友人の友人がやっている香林坊の「あ」とかいう店に行けばよかった。

翌朝は早々とチェックアウトして金沢駅の本屋やお土産屋で時間をつぶしましたが、いよいよ間がもたなくなったので汽車にのり、水沢さんと会う芦原(あわら)温泉に一時間も早く着いてしまいました。

駅で時間をつぶすから約束の時間に会いましょうと言っておいたのですが、到着するとすぐ水沢さんがやってきました。予定より早くなった三国町入りが思いがけない幸運につながっていきます。
| おのまのプロフィール | | 15:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
三国町で出会った幸運
ピアニスト高木裕美さんとの交遊がはじまって六年になり、それがきっかけとなり私の友人の何人かが福井県三国町の高木・水沢夫妻の家に泊まるようになりました。カナダ産のログ・ハウスが素晴らしい、ご夫妻は明るくて楽しいという報告を聞くたびにこちらも楽しい気分になったものです。ひとつの縁が新しい縁をつくっていくのを見るとニンゲン捨てたものではないと思います。

トロントの松井さんがご夫妻と知り合ったのは今年の春ですが、一年もたたない十月に高木夫妻宅を訪れるというのを聞いて、また新たな良縁ができたと思う一方「テネシーワルツ」に似た複雑な気分になりました。みんなを結び付けた私は泊まっていない。http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-popular/tennesseewaltz.htm

数年前からまりたんも高木夫妻も遊びにきてくださいと言ってくれているのに、相手も忙しいだろうと遠慮してきたというのは言い訳。東京近辺の友人、知人と会わなきゃいけないというのも言い訳。私に北陸まで出かける気力が欠けていたにすぎません。

東京での仕事が終わったところで自らの気力、体力をはかり、よし行ってみようと決心し、まりたん、高木さんに電話をするときてくださいとのこと。少々効率の悪い日程になるのは急な連絡をした自分の責任、仕方がありません。

そういう急ごしらえの北陸行にも関わらずばば様に会えたのは幸運でしたが、幸運は三国でもおきました。
| おのまのプロフィール | | 04:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
まりたんの世界・7
まりたんの叔父さんは中国で戦死したそうで、その叔父さんを祀った慰霊碑のまわりに植えてある数本の木は綺麗に剪定(せんてい)されていました。剪定の費用は95歳のばば様が出すそうです。経済力があります。草取りはばば様みずからするそうです。身体健康です。ハンサム・シマさんは慰霊碑や忠魂碑を大事にしているばば様に会いにきたのではなかろうかと想いました。

叔父さんのためになぜ慰霊碑を建てられたのか詳しい経緯は知りませんが、なんでも亡くなる数日前にばば様のところに電話をかけてこられたといいます。当時ばば様は中国大陸にいたのですが、兄弟とはいえ軍人が電話をしてくるというのは尋常なことではなく、自らの命運を知ってそうされたのだろうと思われます。

お目にかかったばば様は言語明瞭にして温顔、親切(ばば様は手をつけなかった和菓子をふたつ帰り際に包んでくれました)、はなはだ好もしい方でした。戦中、戦後の経験から政府にたいする甘い幻想はいささかもなく、毎朝はやくから何種類かの新聞に目を通し日本の時事、外交に対し確乎たる意見をお持ちだそうです。その意見、ものいいにいつも敬服させられるのが櫻井よしこという人ですが、彼女のような日本女性が生まれてくる土壌をばば様に見たような気がしました。

まりたん、これからもばば様のご様子を書いてください。
| おのまのプロフィール | | 02:59 | comments(8) | trackbacks(0) |
まりたんの世界・6
マジメな話を書くために必要なのがまりたんのコメントから受けた母堂、通称「ばば様」の強烈なイメージです。七月一日のコメント:

「相手の沮喪を取り上げて、ネチネチといたぶる意地の悪さがある限りボケませんよ。当家のばばさまは95にして、まりちゃんなどとても歯が立ちませぬ。

飲みに行くといつまでも玄関で待っている(・・;)
玄関の横がばばさまの部屋ですからね、門番ですよ。(>_<)

でね、毎日毎日まりちゃんへの不足の山。耳が遠いくせに、聞こえないのはまりちゃんのせい。トタンが錆びて取替えしないのも、庭に草が生えるのも、世の中が左になるのも、政治家が悪いのも、、、、み〜んなまりちゃんの所為らしい。

先日、本宅を追い出されそうになった(・・;)  いやマジで」

「ばばさまの雰囲気がなんとなく伝わってきます。本宅を追い出されそうになったとは、まりちゃん、そろそろマニンゲンになりましょー  おのま」
| おのまのプロフィール | | 06:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
まりたんの世界・5
八月十五日、木霊J版のコメントをみると夏のせいか皆さん単純に(笑)元気です。

現地を訪れ、まりたんの母堂に会って考えさせられたマジメな話は明日にして今日は元気コメントの抜粋だけ:

「よく見るとこれが中々のハンサム。体長約1メートルのスリムなシマヘビ。どうも家内が余りに別嬪?なので家内の車に潜り込んだらしい。

山に返してやろうと思ったが、車のシャフトの上から出てこない。翌朝どこかへ行ったか見当たらなくなった。最近ヘビも住む所が無くて困っているだろうなあ。とお盆のせいか我ながら慈悲深くなった、年食ったなあ。だからこの辺でまりちゃん改め、じいちゃんに改名する事にします」

「ヘビにハンサムもぶさいくもありません、忠魂碑完成後100年の眠りから覚めた「眠れる森の美女」・・・ そのヘビ、♀ですよ。 Ferri」

「♀ですか。たぶん美女に姿を変えて、夜な夜なまりたんの前に現れてるのでしょうね。名前はシマと申します、末永く可愛がってくださいとか何とか言って。ウラヤマジー!蛇を裏山に返そうとしたから、ウラヤマジーちゃんと呼びましょうか。 おのま」

| おのまのプロフィール | | 08:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
まりたんの世界・4
「盆休みに来ている息子やらばばさまと、我が山にある地元の忠魂碑や叔父の慰霊碑にお参りした」の続きです。

広辞苑を見ました:

忠魂=,泙瓦海蹇C蘋瓩凌粥忠義を尽くして死んだひとの魂。
碑=後世に伝えるため、石に文をきざんで建てたもの。いしぶみ。たていし。

したがって「忠魂碑」=忠義を尽くして死んだ人の魂を後々まで伝える石というようなことになります。「忠義」は広辞苑の説明では真の意味が伝わらないと思うので省略。

「地元の忠魂碑」
たかさ二メートル、幅一メートル弱の石に「忠魂碑 希典書」と彫られていました。「希典」とは20世紀初頭の日本に元気をもたらした軍人・乃木希典(のぎまれすけ)のことです。
http://www.webkohbo.com/info3/meiji/nogi.html

中央碑の左右に横長の石があり、左の石には日露戦争、右には日支戦争以後に戦死した人たちの名前が刻まれています。いずれもまりたんのご近所の人ですが、左にくらべて右に刻まれている名前が断然多く、近代になるほど戦争の規模がおおきくなり、戦士としての訓練を充分うけないまま戦い、殺された様が伺えます。

| おのまのプロフィール | | 12:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
まりたんの世界・3
「盆休みに来ている息子やらばばさまと、我が山にある地元の忠魂碑や叔父の慰霊碑にお参りした」

これについて書こうと思ったのですが「忠魂碑(ちゅうこんひ)」でつまずきました。どういう意味、どういう歴史があるのだろうか。取急ぎググってみると:

日露戦争前後に、現役として服役していない軍人の団体として、日本各地に在郷軍人会が作り始められます。

明治43(1910)年、これらを統合する陸軍の全国組織として陸軍省の指導により在郷軍人会が創立されました。

大正3年には海軍を含め、さらに同14年には、半官制の軍部の外郭団体に位置づけられ、昭和11年には帝国在郷軍人会令の公布により陸海軍省の公的組織となりました。

多くの忠魂碑はその建設母体に帝国在郷軍人会が中心的役割を演じました。



まりたんの山にある忠魂碑
| おのまのプロフィール | | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
まりたんの世界 ・2
コメント抜粋「だからこの辺でまりちゃん改め、じいちゃんに改名する事にします」

まりたんとの待ち合わせ場所は駅の広場にある時計台。特急雷鳥17号を降り、駅構内を歩きながらどんな人が待っているのだろうかと興味津々(きょうみしんしん)。

インターネットの囲碁サイトでしりあったのは五、六年前で、この間チャットやまりたんのホームページでの発言をみて私と同年代だろうと思っていたのですが、「じいちゃん」というからには年上かなと考え直しました。私だって孫がふたりいるからそういう発想がおかしいのですが。

やはり発想はおかしかった。時計台の近くに立っていたまりたんは私と同じ年恰好、あとで二歳年下とわかりました。背丈もハンサム度(笑)もおなじ。立ち姿、歩く姿勢ともにはたち、三十のリーマンよりしっかりしている。「じいちゃん」とは言わせない!

話は変わりますが、特急「雷鳥」のグリーン車は新幹線のグリーン車より居心地がいいので、もしかすると車体が古いのかなと思いました。新幹線のグリーン車は足のせが固定されているなど椅子全体のこしらえが国鉄時代の横須賀線グリーン車の椅子より断然劣っています。民営化は経営効率をめざしますが、だからといって官営時代より良いものを届けてくれる保証はないのです。
| おのまのプロフィール | | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
8月15日のコメント・まりたんの世界
本日は8月15日の木霊J版に寄せられたまりたんのコメントを掲載するだけです。明日これについて書きます:

盆休みに来ている息子やらばばさまと、我が山にある地元の忠魂碑や叔父の慰霊碑にお参りした。

家に帰ってみると家内の車のバンパーの隙間からなんとヘビが顔を出している。よく見るとこれが中々のハンサム。体長約1メートルのスリムなシマヘビ。

どうも家内が余りに別嬪?なので家内の車に潜り込んだらしい。うん?

はてさて、自宅のある市街地では生きていくのに困難だろう。かと言って自宅の庭では家内たち女どもが嫌がる。つかまえて山に返してやろうと思ったが、車のシャフトの上から出てこない。結局放ったらかし。
翌朝どこかへ行ったか見当たらなくなった。

これが昔なら袋に入れて女の子を脅かすいい道具になったものだが・・・・最近ヘビも住む所が無くて困っているだろうなあ。とお盆のせいか我ながら慈悲深くなった、年食ったなあ。

だからこの辺でまりちゃん改め、じいちゃんに改名する事にします。
| おのまのプロフィール | | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
物乞う仏陀・3
「物乞う仏陀」の著者が浮浪児・浮浪者を見て、見て、更に見ていくうちにおそろしいことを思いつき、もしかするとそのおそろしいことが本当の事ではないのかと考え、更に踏み込んで行ったのがインドの章。苦痛を感じながら読んでいくうちに頭の中がよじれ、体が雑巾のようにしぼられるとでもいうような、いてもたったもいられない気分になりました。

ニンゲンという生命体のおぞましさに呆然とし、自分のどこかにも同じおぞましさが隠れているのだろうかと頭の中を探ると、見つからない、見つからないのはいい加減な探し方をしているからではなかろうかと目を大きく開いても分かりません。

いつもまわりの景色をいい加減に見てきた、見ている、これからも見るであろう自分が生きているこの世とはそも何なのか。自分は生きているのだろうか、夢を見ているのだろうか。なにも分からず生まれ、何も分からず生き、なにも分からないまま死ぬ。意気地がないからですかね。

「物乞う仏陀」の著者が更に一歩深く絶望の世界に踏み込んだレポートをものすることを期待するような、期待しないような、これまた意気地が無い。

| おのまのプロフィール | | 05:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
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