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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

70年代・ヒッチハイカー
●トロントの松井さんから電話があった。

このブログ、花や猫がなんども出てくるが ネタ切れになっているのではないかとからかわれた。そうかもしれない。

十日ほどまえに訪問者が五百人を越えたことがあるが、そのあとは下がりつづけていまや百人を切りそうになっている。14位までいった人気ランクもふたたび20位をきった。

訪問者数が増えてなにか特典があるというわけでもないのだから これまで通り書きたいことを書いていこうと思う。 

●十月九日、ジョン・レノンの誕生日、生きていれば67歳だそうだ。おのまの遠い親戚にあたるのかもしれない?

John Winston Ono Lennon, MBE-ジョン・ウィンストン・オノ・レノン, 1940年10月9日 - 1980年12月8日

●電話とジョン・レノンのおかげで 1970年代の風景を書く気になった。

●あのころはヒッチハイカーがたくさんいた。

私も乗せたことがあるし 乗せてもらったこともある。 

右手をあげて待つのだが 高級車はとまらない。とまってくれたのは 汚いフォルクスワーゲンで 右前の席が取り払われていた。



「BC州を清潔に保とう。私をシアトルへ連れ出せ」と訳すと理屈っぽいが、Keep BC clean ・・ Take me to Seattle は簡潔で軽い。これをみてニヤリとしたものである。

日本人はこういう軽いしゃれが不得意だ。

コンディ・ライス国務長官と会い「あなたはライス(米)。私をマダム・すしと呼んでちょうだい」といった(小池百合子・元防衛大臣)などはそれこそ噴飯物というもの。恥かしくて顔がゆがむ。



若い女性が手を揚げていたので乗せたことがある。どこまで行きたいのかと訊いたら、すぐ下ろしてちょうだいと言われた。

女性のヒッチハイカーは時には売春婦であったりすると教えてくれたのはハンガリーからきた学生であった。幼いころから楽じゃない体験をしてきたにちがいないという顔をしていた。



当時の若い白人たちのほとんどがこんな長髪で、たいがいはアメリカのベトナム戦争に反対していた。それにしても屈託のない表情である



高校を卒業するまで坊主頭だった私は長髪を好きになれなかったが 当時はここまで長くしていた。ジーパンを一本もっていたが ごわごわしてほとんどはかなかった。写真はたぶんコットンパンツ。

あれから三十余年。

日本人もジーパンをジーンズというようになった。

ベトナム戦に反対していた若者たちはGさん、BAHさんになったが、彼らの大半はブッシュ戦争にも反対している。賛成しているのは テレビと教会しか知らない おばさんクリスチャンくらいであろうか。

「花はどこへ行った」という反戦の歌がまだ歌われていた。「髪はどこへ行った」というパロディーを作ったら かつて長髪だったGさんたちに受けるのではなかろうか。

もいちど長髪にしようと思っても無理。散髪にいかなくても坊主頭になりつつある。

いつまでもあると思うな親と髪

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花はどこへ行った
WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE

words and music by Pete Seeger
performed by Pete Seeger and Tao Rodriguez-Seeger

Where have all the flowers gone?
Long time passing
Where have all the flowers gone?
Long time ago
Where have all the flowers gone?
Girls have picked them every one
When will they ever learn?
When will they ever learn?

Where have all the young girls gone?
Long time passing
Where have all the young girls gone?
Long time ago
Where have all the young girls gone?
Taken husbands every one
When will they ever learn?
When will they ever learn?

Where have all the young men gone?
Long time passing
Where have all the young men gone?
Long time ago
Where have all the young men gone?
Gone for soldiers every one
When will they ever learn?
When will they ever learn?

Where have all the soldiers gone?
Long time passing
Where have all the soldiers gone?
Long time ago
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards every one
When will they ever learn?
When will they ever learn?

Where have all the graveyards gone?
Long time passing
Where have all the graveyards gone?
Long time ago
Where have all the graveyards gone?
Covered with flowers every one
When will we ever learn?
When will we ever learn?

©1961 (Renewed) Fall River Music Inc
All Rights Reserved.

| おのまのプロフィール | ’70年 | 06:50 | comments(8) | trackbacks(0) |
雪園・什景鍋巴
先月、ウズラのピータンを買うため横浜中華街に行ったとき、コゲメシを食べたくなり、探したらすぐみつかりましたが、2500円。バンクーバの二倍ではなかろうかと食べずに帰った心の傷(笑)をいやすべく、十二月十一日、レコード屋・シコラを覗くまえに中華料理店・雪園に寄りました。

昼時にきたのはこれが二度目。什景鍋巴、十五ドルとありました。一年前より三ドル高い。







什=十、多種多様な
景=景色
什景=十種類の具

鍋=なべ
巴=くっつく
鍋巴=鍋にくっつくコゲ飯

什景鍋巴・シーチンホーパー=十種類の具をかけるコゲ飯

1972年十月の終わり頃だったか、寒い夜、BC大学の学生寮で一緒だった中国人学生たちが、バンクーバーで一番うまい店だというのでついて行った先が雪園。小さな店で客が外で待っていて、私たちも軒先からぶら下がっている毛布からはみ出して待ちました。

初めて食べたコゲ飯。紙ナフキンに「什景鍋巴」と書いてくれた若いウェイトレスの顔を思い出せませんが、なんどか「シーチンホーパ」と繰り返させられ、その紙ナフキンをたたんで持ち帰ったのを覚えています。




あれから三十余年、店はダウンタウンの一等地に移り綺麗になっています。あの時のウェイトレス、実はオーナーシェフの奥さん、カレンは相変わらず店に出ています。写真を撮ったけれどぼやけていて三十年まえの記憶のよう。

この次に行ったら「シーチンホーパ」の発音をもういちど教えてもらおう。若いウェイトレスに通じず、メニューを指でさして注文したなど悔しい、びしっと決めたい。 

請 来一瓶青島牌酒 来一碗什景鍋巴 
ちん らい いーぴん ちんたおぴーちゅー らい いーわん しーちんほーぱ
 ・・・違う?



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| おのまのプロフィール | ’70年 | 04:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
記憶から消える景色・消えない景色

三十年前のアメリカ旅行を思い出してよみがえってくる景色、人々はアジア旅行のそれにくらべて淡白な印象があります。どこを走っても同じような景色がでてくるからでしょう。時間をさらにさかのぼった子供のときに見た景色でも鮮明によみがえってくるものがあります。

旅行記録はまだ見つかっていませんが、みつかって読み直したところでさして面白いことはみつからないかもしれません。

あたらしい世界に飛び込んだ瞬間の印象は強いものですが、そのあとに同じような時間が過ぎていくと記憶にもとどまらない。淡々とすぎていく時間のなかにあるというのは退屈なことでもあり、ありがたいことでもあります。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ひたすら走る

食事をぬいて泊まると翌日も空腹。それよりはエネルギーを蓄えて我が家を目指すのが正解。オレゴン州からはわき目をふらずひたすら走り、夜明けの六時ころバンクーバーに到着しました。

アクセルをふみっぱなしで走るのは疲れるという話になったとき、ある人がアクセルペダルに石を載せて走ればよいというアイディアを教えてくれました。なるほどと感心しましたが、試したことはありません。

愛車ベガは数百キロはしるたびにエンジンオイルを補給しないといけませんでした。当時はみんなそんなものなのかもしれないと思ったのですが、いま振り返ると出来の悪い車だった。

そのごハーストの城主の娘さんが誘拐され多額の身代金を要求されるという事件がおきました。この事件には娘さんが犯人に協力していたというおまけがついています。

三年前トヨタカムリでトロントからバンクーバーまで走りました。ロスアンゼルス・バンクーバー間の倍の距離。何処へ行ってもクレジットカードが使えるので食べるか泊まるかという悩みは生じません。八日かけて走りましたが、若い人は丸二日で横断するひともいます。三十年前の自分たちと同じです。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
泊まるか食べるか

泊まるか食べるかどっちにするか。えい、食べようということになり、ひたすら走りました。途中で新聞王、ハーストが作った城を見学したり、景色の良い海岸沿いの道路を走ったりしため、あまり進みません。くみちやんと交代で二百キロずつ運転すということで走ったのですが、だんだん焦りが生じてきて、もう少し頑張るといっているうちに三百、四百キロを連続で運転。

日もおちてようやくオレゴン州を抜けましたが、これから今まで走ったのと同じ距離のワシントン州を抜けるのかと思うとウーン、という感じです。今の車とちがってクルーズ装置のついていない車ですからアクセルは踏みっぱなしで足がおかしな感じ。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
現金化できなかった旅行者小切手

クレジットカードができたのはいつなのでしょうか。三十年前の旅行には現金とモントリオール銀行発行の旅行者小切手をもっていきました。旅行者小切手絵はあらかじめ銀行で買うもので現金と同じですが、紛失したら銀行が再発行してくれる点、現金より安全です。

北上の途中、リノという町に寄るつもりでした。ギャンブルの町だということでショーもあると聞いていました。軍資金を用意するため小切手を現金に換えようと、ウエルズ・ファーゴー銀行にはいりました。するとこんなものは見たことがないといわれ現金化してくれません。アメックスとかトーマスクックの小切手は有名ですが、モントリオール銀行の小切手は今考えてみても通用しないだろうと思います。

手持ちの現金はわずか。ガソリン代を除くとモーテルシックスに一泊するだけの金しかない。まだカリフォルニヤ州をでていません。これからオレゴン、ワシントン州とおよそ千キロの行程。食事をするかモーテルに泊まるか。




| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ヨセミテ公園

サンディエゴから北上するときに懐具合がさびしかったことを考えるとヨセミテ公園に一泊したのはロスアンゼルスへ南下する途中だったのでしょう。

自転車を借りてゆうきんママをうしろに乗せ谷間をゆっくり走りましたが、ゆうきんママが居眠りっして落ちそうになるので早々に切り上げました。

一年前に立ち寄ったときはホテルに泊まりましたが今回は木でできているキャビン。夜になるとしんしんと冷えてきて寒い。その上屋根のうえをなにか動物が歩いていて、はて猛獣だろうか、と気になりよく眠れませんでした。

翌日は巨木メタセコイヤの森を散策。フジカ・シングル・エイト(撮影機)で巨木の根元からテッペンまでを繰り返し撮影したのですが、あとで見ると余り面白い記録ではありません。

フジカ・シングル・エイトは録画時間が一度に三分と短く、現像はバンクーバーからサンフランシスコの富士写真に送るのでひとつきかかる。今もっているカムコーダーが写したその場でみることができるのと大違いです。

シングルエイトのテレビコマーシャルにでていた可憐な女性が、いまは国土交通大臣でこれまた、ムニャムニャ。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
北上

サンディエゴから更に南下してメキシコまで行こうかと思いましたが、懐具合がさびしくなったので帰途に着きました。三十年後のいま、カナダからメキシコへは気軽に行ける距離にあり、マリアッチを聴いたりマヤ遺跡を見たいのですが、なんとなく行きそびれています。何かの拍子で実現しなかったことはさして難しいことではなくても実現しないで時間が過ぎることがあるものです。

北上したのですがサンシメオンまでの記憶がはっきりしません。と書いたところで、ヨセミテ公園に一泊したことを思い出しました。ところがそれは北上するときではなくロスアンゼルスに南下する途中ではなかったかと迷っています。




| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ベリーダンサー

ベアフットバーではベリーダンサーが踊っていました。はだかの腹(belly)を激しくゆする踊り。ハワイでもありますが、ここのはエジプトやイランで見られるベリーダンス。腰のまわりについている鈴がシャカシャカシャカシャカと鳴ります。

そのご私はイランで本場のベリーダンスを見ることになり、真打のダンサーは三段腹、四段腹の太ったおばさんダンサーであることを知ります。大きなおなかが細かく、激しくうねる様は脅威的で色気を感じるようなものではありません。

サンディエゴのダンサーは若く、スマート、綺麗。目の前まで来て激しく腹をゆすりながらわたしにTouch(触われ)といいます。えっ、と躊躇しているとなおもTouchと云って腰をつきだしましたがクミちゃんの手前さわれませんでした。いま少々後悔しています。

それにしてもベリーダンスは真打より前座のほうが好きです。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
サンディエゴ

ロスアンゼルスからさらに南下してサンディエゴに到着。

海岸に面している一泊三十ドルの豪華モーテルに泊まりました。モーテル6が一泊六ですからその五泊分。
懐具合がさびしくなっていましたがバンクーバーのモントリオール銀行で作ってもらった旅行者小切手があるので最後はそれを現金にすればよいと考えています。

夕食後ゆうきんママを寝かせてホテルについているベア・フット・バーという酒場に行きました。海岸からはだし(barefoot)で入れる酒場です。入ろうとしたらクミちゃん(ゆうきんママのママ)が身分証明書をみせろと言われました。部屋にもどり運転免許証をもってきて見せると、未成年かと思った、といって入れてくれました。十代にみられてクミちゃんはご機嫌。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
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