木霊の宿る町TOPページへ            
過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

飲みたいワイン

バンク―バーは秋から初春までよく雨がふります。太平洋からくる湿った風が海岸線に迫っている山にぶつかり雲をつくるからだそうです。

海岸線近くで湿った空気が雨になってしまうからでしょうか、山の奥に行くと乾いているところが多く、この夏はあちこちで山火事がおきています。あちこちといっても漠然としていますが、大小あわせて百をこす火事が同時に発生し避難したひともたくさんいます。

今年はそういう災難に見舞われていますが、雨が少ないのでバンクーバーから移り住むひとも多く、人口増加中。暑い夏を幸いと果物つくり、ワインつくりも盛ん。

旅の途中、ちいさなレストランで飲んだハウスワイン赤ができたてのうまいパンのような香りがしてうまい。この辺のワインはこういう味なのかとおもい、二、三日たったところで別なところでもワインを頼みましたが、そういう味はしません。

あれから三十年。いろいろな赤ワインを飲みましたが、あの香りに出会うことはなく、あれは何処で飲んだのだったかと何十回も考えてはためいきをついています。

感心するものに出会った時にすぐ記録をする習慣があればゆたかな人生を楽しめると思ったり、いや、そんな風になにかに執着するのではなく、その場限りの瞬間を味わい続ける人生のほうが良いと考えたり。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ゆうきんママ、子犬に閉口

初めてキャンプをした翌朝は早くから目をさまし、歌にある「静かな湖畔の森の影から」のような気分。

テントの住人はとみるとテントが潰れています。どこからきたのか子犬がテントを倒して遊んでいました。三人がなんだなんだ、という顔でテントから這い出してきました。

ゆうきんママは子犬をみつけて喜び、遊び始めました。恐らく子犬と同い年くらいでしょうが、子犬の動きが敏捷なのに比べてゆうきんママはよちよちしていて、対等にたわむれることはできません。ゆうきんママ、数分たつともてあましたのか逃げだすのですが、子犬は背中にじゃれつきます。歩き始めて半年のゆうきんママはすぐに倒れます。立ち上がったところをまた押し倒す。ゆうきんママはとうとう立てなくなり子犬を背中にのせたまま四つんばいで逃げようとし、又潰れます。

ニンゲンほど生まれてからまともに動けるようになるのに時間がかかる動物は他にいないかもしれないと思ったものです。ニンゲンより短命の動物はたくさんいますが、そういう動物達は一人前になるのがはるかに早く、瞬間瞬間の生の躍動が優れているとすれば短命であるとか長寿であるとかいうことで命の軽重を計るのは無意味だと分かります。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
うまい水・江藤勝

バンクーバーの水源の代表はいま私が住んでいる北バンクーバーの山の中腹にあるダムに貯まる雨や雪の水。人がつくる汚水からは隔離されていますから、琵琶湖の水とは格段の差があります。不味いはずがないのです。しかし、八月とはいえホープを囲む山々に残っている雪を見ていると、なるほどここの水がもっとうまいのは当然だと納得します。

バンクーバーの水が不味いと云う奥さんに「ホープの水はブランドニューというわけですな」とこたえました。

水を凍らせて結晶をつくると、どこの水かによって、結晶の形が違って現われるという人がいます。そのひとの写真集には125点の結晶がでています。良い水と悪い水とでは恐ろしいほど形が違っていて、なかにはとても気味が悪い形の結晶があります。バンクーバーの水は「水道水にしては美しい結晶を保持しています」という説明です。

興味のあるかたに本の名をあげておきます:江本勝「水からの伝言」波動教育社  手っ取り早く知りたい方はgoogleで江本勝を検索すると良いです。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
テント・寝袋・ゴミ袋

当時持っていたテントは大人が二人寝ると満員になる小さなものでした。寝袋は木綿生地で分厚い代物。今キャンプ用具店でみるテントや寝袋は立派なものが多い。三十年前も立派なテントはありましたが、ウッドワ−ス・デパートでは二人用の簡易テントをたくさん売っていました。今や、ウッドワ−ス・デパートは廃屋となり、ホームレスがたむろし、二人用テントは丸い形のが主流となり、あの素朴なテントはもみかけません。

日本からきた、加藤博子、通称カトちゃんとクミチャンとゆうきんママがテントで寝て、私はベガのハッチバックにテントをつけて寝ます。ベガ専用のテントは百ドルもするので買わず、黒いゴミ袋を張り合わせたテントをつくりました。木綿の寝袋は女性たちが使うことにし、ごくごく薄手の寝袋を買いました。

カナダでのキャンプ初日は、バンクーバーから65キロのミッションという町にある湖畔のキャンプ場。橙色の小さなテントはすぐ綺麗に張れましたが、ベガにとりつけたゴミ袋のテントは見た目が悪い。しかし暑い夏の夜、車の中で薄手の寝袋で寝るのは爽快です。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
キャンプ・先楽後憂

夏学期をおえて八月十二日から十九日までキャンプ中心の旅行をしました。日本から遊びにきたくみちゃんの友達も加わって四人。カナダ憲法の不合格が大変なこととも知らず楽しい気分です。この旅行の記録は手元にあります。

初日の走行距離が65キロ。以下85キロ、200キロ、440キロ、110キロ、130キロ、500キロ、600キロとあり、なるほど最初はゆっくり遊んで、後になって余裕がなくなったとわかります。わが人生の大半もそんなパターンの連続だったのかもしれません。先憂後楽の逆。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
夏学期・カナダ憲法不合格

自動車旅行から帰ってきて、ビジネススクールとは関係のない「カナダ憲法」という科目をとりました。カナダを知ろうということだったのですが日は長く、友人とテニスをし、そのあとに碁をうつという日々。秋、冬学期に勉強した必死な感じはまったくなく、気分は弛緩しきっています。

そういう気持ちでいたせいか「カナダ憲法」の勉強はおろそかになり不合格。長年学校に通って不合格になったのは初めてでしたが、ビジネススクールに関係ないから良いと気楽なもの。

ところが、あとになって、この不合格もビジネススクールの点数に反映されることが分かり大慌て。もう一科目たりとも悪い点をとることができません。背中のすぐ後ろにワニの口が迫っているような気持ちで残る一年を過ごすことになりました。

そうか。ときどき日本の大学の授業についていけないという悪夢をみるのは何故だろうと不思議だったのですが「カナダ憲法」が原因だったのかもしれません。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ホームレス・優雅とダササの差

昨日の日記で、キャンピングカーに乗用車をくっつけている人の精神をダサイと云ったのが分かりにくかったかも知れません。

あそびでキャンプをするというのは少々不便な生活をあそぶ、非日常性を愉しむというところにメリットがあるのであって、簡単なしつらえであればあるほど面白い。日常使っている文明の利器をゴテゴテ持ち込むのはダサイ、ということでした。

そういうことからフト思い出したのが東京でみたホームレス。いずれもあまりきれいとは云いかねるみなりですが、冬はマイナス二十度とか三十度になるトロントやモントリオールでみるホームレスにくらべると東京は凍死の危険も少なく楽そうです。世間のしがらみから離れて自由を満喫している優雅なひともいるような感じがします。

たまにみかけるのが色々なものを抱え込んでいるホームレス。ホームレスになったら身軽なほうがよいのに思うのですが。

ボロ雑巾のように道端に転がっているのがカナダのホームレスでしたが、最近はスーパーから失敬したらしい手押し車にガラクタをのせて歩く東京風ホームレスをみかけることがあります。キャンピングカーに車をくっつけて走る人と同じ精神の持ち主だと感じてしまいます。と書いたところで見回すと、この部屋の住人もダサイのかも。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
キャンピングカーで旅行する人

どこのモーテルだったかはっきりしませんが、朝出発の準備をしているときにキャンピングカーで出発しようとしているアメリカ人と言葉をかわしたことがあります。仕事から引退してカナダ・アメリカを数週間かけてまわっているという話をきいて、その生き方に感心したものです。

三十年後の今もキャンピングカーで旅行するシニヤーをみかけ、彼らはなにを感じながら走っているのだろうと思いをはせることがあります。トロントからバンクーバーの間の整備された道を延々と走っているとき地球のサイズはこんなものかという軽い不満とこのサイズだから良いのだという大きな安心感の混じったものでした。地球のサイズが木星のサイズもあったら人間はおのれの小ささに絶望感を抱くかもしれません。

キャンピングカーの外見は三十年たっても変わっていないように見えますが、ときどき馬鹿でかいのが普通の車をひっぱっているのをみかけるようになりました。キャンピング場やモーテルに着いてから小回りのきく車で観光するのでしょうが、なんとなくダサイ精神を感じてしまいます。自転車のほうが軽快さがあります。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ロスアンゼルスとバンクーバーの物価

会社から支給される毎月の手当てはロスアンゼルスに留学している同期生が720米ドル、私が700カナダドルでした。当時はカナダドルが米ドルより高くなることもあったからでしょう。しかし為替は変動するので手当てを決めるには同じ通貨で同額にするか、物価比較して決めると公平感がでます。

そこで旅行中にロスアンゼルスの物価を調べ、バンクーバーに帰ってから比較してみました。38品をくらべて、パン、豚肉、牛肉ひき肉の3品はバンクーバーのほうが安く、小麦粉、鶏肉、豚ひき肉をはじめとする35品はバンクーバーが高いという結果でした。ペーパーナプキンやアスピリンなどは三倍の差があります。以下は抜粋です。

卵12個:65米セント・75加セント
豚肉1ポンド(450グラム):128米・95加
豚ひき肉1ポンド:89米・99加
ナプキン48枚:150米・215加
アスピリン100錠:21米・79加
72年型ベガ:1999米ドル・2445加ドル
73年型マツダステーションワゴン:3560米・3850加

三十年後、卵は2ドル75セント以上と約四倍になりましたが、はて車のほうは四倍、1万ドル以下で買えるものがあるのでしょうか。七月九日にも書きましたがモーテル6は一泊6ドル。今は四倍の24ドルをはるかに越す40ドルです。

留学手当ての格差がその後どうなったのかを覚えていませんが、当時は結構気にしていたのでしょうね。トップゴルファーが一年で獲得する賞金が数億円とサラリーマンの生涯賃金を上回ることを考えると滑稽な悩みです。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
プレートナンバー

車のプレートナンバーは州が発行するので色やフレーズが違います。ブリティッシュ・コロンビア州は白地に青い文字。Beautiful British Columbiaとあります。

ワシントン州のあたりまではBC州の車が結構走っていますが南下するにつれて少なくなります。カリフォルニヤ州に入ると全く見かけない。と、若い男性が手を振りながら私の車を追い抜いていきました。なんだろうと思ったら、彼の車もBC州のプレートをつけていました。

観光シーズンのいま、バンクーバーではアメリカの車をよく見かけますが、彼らも同じ州からきた車をみて手を振ったりするのかもしれません。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ロスアンゼルス

ロスアンゼルスにはその後もうひとり会社の同期生が転勤になっていて、三家族が滞在中。私たちをいれて四家族・七人が郊外の公園でバーベキュー・パーティーをしました。

七人というのは、南カリフォルニヤ大学に留学している同期生を除いたカップルがそれぞれ一人ずつ子供がいたため。みんなオムツ姿で芝生の上を走り回っていました。その子供たちは今、当時の私達の年齢になっていますが、そうやって遊んだという記憶はないでしょうね。

ロスアンゼルスの同期生たちの車はマリブ、インパラ、センチュリー。私のベガよりふたまわり大きいフルサイズでした。最近インパラを見ることはありませんが、マリブとセンチュリーは時々みかけます。トヨタ・カローラやホンダ・シビックと変わらない大きさに見えるので、昔のような存在感がなく哀れの情をおぼえます。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ゆうきんママ酔う

一歳を過ぎたばかりのゆうきんママが車で酔ったらしく飲んだミルクを戻しました。幼児用のイスに固定されていて運転中は殆ど寝ているのですが、長時間ゆられておかしくなったのでしょう。顔をみるときょとんとしていて苦しそうな様子でもないので旅を続けました。酔ったのは一度だけでした。

一歳にして長旅に連れて行かれたのが良かったのか悪かったのか。このHPでみるとおり、ママさんライダーになったのも幼児のときの体験が元になっているのかもしれません。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
カリフォルニヤ州

自動車旅行の続きです。 バンクーバーを出発してオレゴン州をぬけるまでは緑したたる景色ですが、カリフォルニヤ州に入ると乾いた土地に変わります。木がまばらでなだらかな山を越えたとたんに空気の匂いが車の廃棄ガス臭くなり、目から涙。これは大変だと思いましたが、人間の適応力は凄いもので、暫くすると全く平気になりました。

一年前に変なアメリカ人に会ったサンフランシスコに入り、ゴールデン・ゲート・ブリッジを横断。バンクーバーのライオンズ・ゲート・ブリッジも同じような構造の橋ですがサイズは大分違います。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ダグラス・パーク

バンクーバー島にあるダグラス・パークは何の変哲もない公園。ここも人影がなく、くみちゃん、ゆうきんママと私の三人が独占。

快晴、爽やかな風。にゆうきんママを牧場にあるような粗づくりの柵に座らせてみたり、おろして走りまわせたり。ニンゲンが作り出す音がしない世界でとりとめのない時間が過ぎていきます。

ゆうきんママはこの公園を気に入っていましたが、1986年の夏13年ぶりで訪れたときには記憶に残っているはずもなく、何の興味も示しませんでした。一人のニンゲンでも時間が過ぎるといろいろな面が別人になるのかも知れません。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
バンクーバー島

記録がみつからないので正確な日にちがわかりませんが、1973年5月に車でバンクーバー島に行っています。フェリーにのって約二時間。スワルツベイという港に着きそこから三十分走るとブリティッシュコロンビア州都のビクトリア。

観光のことを書いてもおもしろいものはありません。フェリーボートが大きくて綺麗、道路がよくできている、美しい家並み、とびこみで泊まったディアロッジというモーテルのきれいな庭から望む山と入り江がこれまた美しい、休憩所が清潔さ、などなど、すべてが整然、清潔、美しい、という印象。人影が少ない。どこか他の星にある動物園のような世界に放り込まれたような感じです。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
記録発見できず

三十年前の旅行記がみつかりません。 

バンクーバーに移り住んで一年半たったところですが、それまでは日本とトロントとの間を行ったりきたり。両所から運び込んだ荷物の整理整頓がなかなかの難物。うわべだけはなんとか綺麗になりましたが、実のところ片付いていないところがたくさんあります。

書類、本、アルバム、ノート、手紙など紙の山をきちんと整理しないといけないのですが、うっかりしていると新たな本、手紙、写真、ゴルフスコアなどなどに追いつかれます。

知的側面で他の生物と変わった生き方をしている「文明」ニンゲンは自ら生み出したさまざまなシステムに縛られ、不自由になっています。紙に書かれたものも強力な「敵」。「文明」的な生きかたとおさらばして自由になるのがひとつのテ。しかし、新聞や雑誌の定期購読はしないことにしていますが、その辺が抵抗の限界。紙類と共に生き、整頓という戦いを日々続けるのが平均的なニンゲン、ということで、さて記録はどこにあるのか。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
1973年5月・記憶よみがえる

三十年前の五月の日常を思い出そうとして思い出せなかったのが今朝になってはらりと分かりました。

あのときはありきたりの日々を過ごしたのではなく、バンクーバー島に一泊か二泊の旅行に行き、自動車運転の自信をつけ、ゆうきんママが長距離旅行に耐えられそうだというのも分かり、延々カリフォルニヤまで南下することにしたのでした。

家のどこかにそのときの記録があるはず。探してみます。それにしても生まれて初めての長距離自動車旅行は楽しくも思い出深かったはずなのに、すぐ思い出せなかったとは、、

| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
記憶の薄れ

前にも書きましたが、三十年前のことを書いていて鮮やかによみがえってくるのはバンクーバーに着いた直後の約十日ほどです。そのときのことを三十年間なんども反芻したものです。

学生生活が始まり、だんだんペースが出来てくると記憶にとどまらないことが沢山あります。日々のできごとに慣れてしまって目新しく感じないからです。

二学期がおわって五月にはいってからの時期がまさにそういう時期で、さて何をしていたのか、何をみていたのかがすぐには思い出せません。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
教科書

苦労した二学期が終わりましたが、一年後に最終試験があります。学んだことがその時まで頭の中に残っているかどうか疑問ですがなにはともあれ一息。

苦労したビジネスファイナンスの教科書は三冊ありました。
Managerial Finance
Case Problems in Finance
Money, Banking& the Canadian
Financial System

,亙厚い本でしたが、時間をかけていれば頭に入ってきて理解しやすいものでした。ウェストンとブリガムという二人の先生の共著で、今読み直しても良い教科書です。

国際ファイナンスでは六冊の教科書を与えられました。分量は多いのですが、会社で勉強した素地があるのでビジネスファイナンスよりは楽でした。

リニヤープログラミング、統計学、会計学の教科書はそれぞれ一冊ずつで気分的に楽でした。

教科書代の合計は約二万五千円。当時のサラリーマンの初任給が三万円前後でした。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ドロップアウト寸前の級友

級友の何人かが消えていきましたが、pも消えたい気分です。自分の希望を会社がかなえてくれたのでなければ降参したかも知れません。

寮のペントハウスの広大な勉強部屋で宿題の文献と字引に目をさらし、理解しようとする時間が毎日続きます。時間をかけても分からない、覚えられないということが沢山あります。ベランダにでて東西南北が見渡し気分転換をするのですが、ここから飛びありたら楽になる、と考えたこともあります。

Pが日本に帰ってから一年後、ひとりの日本人留学生がPの思ったことを実行しました。同じ寮に住んでいた別な日本人が窓の外に何か黒いものが落下していくのを見て、何だろうと思ったそうです。

落ち着いて考えれば、死ぬほどのことではないのですが、そんな気持ちになることがあるものです。数年かけて卒業した級友たちは賢い。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ドロップアウト寸前の級友

大阪に行った友人は一年間Pの会社の寮に住み、Pが留学を終えて日本に帰ったときは東京に移っていました。フランス人の女性と知り合い結婚しましたが式はなく、数人で目白の椿山荘で蛍がりを兼ねてお祝いをしました。

奥さんになったフランス人の先生は昔慶応大学の先生で、そのときの生徒の一人が、なだいなだという作家。なだいなだが伊豆に持っている別荘を使ってよいというので遊びに行ったことがあります。

それから数年後、彼はカナダの別の大学で修士号をとり、今は大阪の大学で教えています。昨年夏、バンクーバーに来た彼らと十年ぶりに会いました。体重が多分三割はふえて貫禄がで、むさくるしかった髭が似合うようになっていました。

出版やダイヤモンドの仕事に精をだしていた友人は、Pが日本に帰った直後に世界旅行に出かけ、日本の我が家に泊まりました。日本間に泊めたのですが、床の上に寝るのかと驚いていました。屋台の焼き鳥やで一杯やったのですが、コップ一杯の日本酒を注文し、空のコップを貰って半々にして飲もうとしたら、屋台のおかみさんがふたりのコップにドボドボと酒をついでくれました。Pも彼も貧乏にみえたのか、それとも若くてハンサムだったせいなのか、なんで彼女がおごる気持ちになったのか、ふと考えます。

彼は世界旅行をおえてからまたUBCに戻り、数年かけてMBAをとりました。ダイヤモンドビジネスをやったり、絵を描いたりしています。経済能力のあるひとで悠々と生きている。Pのゴルフクラブへ行く途中の家に家族四人で住んでいますが、ベジェタリアンになってしまい、酒は飲まなくなり、ゴルフもしないので積極的に会うこともありませんが、彼はこの辺で生きているのだなと思うだけで満足を感じます。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ドロップアウト寸前の級友

ルーマニアから来たユダヤ人の級友は英語になまりがあり、話すことがほかの白人と違っているせいか白人学生ながらマイノリティグループでした。ドイツ系のカナダ人は、お前は女のように話す、などとバカにしていました。このユダヤ人もドロップアウ寸前、段々クラスに出てこなくなりました。

久しぶりクラスに来たので聞いてみると出版の仕事で儲けているとのこと。出版といってもほとんど広告だけで出来ている印刷物で、これを何千部か刷って只で配るという代物。ビジネススクールの先生の給料よりはるかに儲かるのだそうです。そのうちダイヤモンドの仕事もてがけるようになり、ますます姿を見かけないようになりました。しかしドロップアウトしたわけではなく一学期に1〜2科目をとり、数年かけて卒業するというのが彼の計画でした。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ドロップアウト寸前の級友

昨日の続きです。

日本で修士論文を仕上げたいというのは、即ちカナダでは仕上げられないということ。今の苦しさから逃げる口実で、日本で論文を書き上げて合格する保証は全くありません。大概ドロップアウトします。

それはわかっていましたが、勤務先の人事部長に手紙を書きました。手紙の要点はこうです。

親しくしているカナダ人学生が日本で修士論文を仕上げたいと希望しており、東京近辺で部屋、食事を半年ないし一年提供してくれる所を探しています。代償として英会話を毎日二時間教えます。ついては会社の独身寮の部屋を食事つきで半年提供していただける可能性がないかご検討いただけませんでしょうか。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ドロップアウト寸前の級友

手紙にはこんなことも書きました。

長髪で、髭を生やしていますが差しさわりがあれば短くさせます。

Pの目からみて少々むさくるしいカナダ人でした。感じの悪い金縁めがねをかけていることも書きました。駄目の返事がくるだろうと思ったので、悪い所は包み隠さず書いたのです。

会社から返事がきました。大阪の独身寮でよければ食事つきで部屋を提供します。東京ではありませんでしたが彼は喜んでカナダを去りました。これでドロップアウトです。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
ドロップアウト寸前の級友

北米でよく使われる言葉、ドロップアウト。日本も社会の落伍者がホームレスになったり、自殺したりする世の中になっていますが、北米のドロップアウトのほうが厳しいかもしれません。

学校の成績が悪いから、能力が劣るから、麻薬に手をだすからドロップアウトになる、というだけではありません。ビジネスで成功していても、牢獄行きになる例は珍らしくありません。その点、日本は甘い。過去十数年の日本の銀行経営者の多くは北米のスタンダードで計れば立派な犯罪人です。

さて級友たちの何人かは学校でもドロップアウト、落第寸前です。そのうちのひとりがやってきて、マスター論文を日本にいって書きたいので相談にのってくれと言います。日本に行った所で事態が好転するわけではないのに、と思いましたが話をききました。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
いなくなった級友たち

入学して半年、姿を消した級友もいます。

最初にいなくなったのはBC州の州都ビクトリヤ大学をでた白人学生。ウオルターゲージ寮に住んでおり、マーケティングの最初の宿題で何を求められているのかが分からず彼に聞きに行きました。こういうことだと教えてくれましたが、それでもよく理解できない。理解できないままレポートを作り提出。結果は合格ぎりぎりの点数でした。彼がやってきてどうだったかと聞くので、やっぱり駄目だったといって点数をいうと、自分はもっと低い点数だったと情けない顔をしました。それから数週間、自分はとてもついていけないからやめてビクトリヤに帰ると云って寮をでました。

最初の学期、会計学の教科書を買い損ねて不便だったのですが、自分はもう使わないからといって貸してくれた中国人学生がいました。どうして使わないでよいのか分からないけれどありがたかった。1学期の終わり頃になりカリフォルニヤの大学に移籍すると言って来ました。会計の教科書を買い取りました。彼の成績がどうだったのかは分かりません。

やめるのではないのですが、宿題をださないとか科目数を減らす学生もいます。あれでは二年で修業できないな、どうするのだろうと他人事ながら心配です。うっかりすると自分も同じようになるという恐怖心がつのってきます。


| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
のらり果報の結果

数学科目ふたつの試験準備ができないまま試験に突入し、それまでトップクラスであった成績が一気に平均近くまで落ちました。2週間準備をしたビジネスファイナンスの最終試験はよく出来、総合でクラス平均になりました。

学期の途中までは数学2科目、国際ファイナンス、会計はトップクラスにあり、この分ならビジネスファイナンスが合格すれば、全科目の平均ではトップクラスになるだろうと踏んでいたのですが、数学が一気に落ちたためあまり冴えない結果になりました。

トップクラスの成績にしたかった理由はふたつ。第一は負けず嫌いな性格。もうひとつは白人の先生も学生の非白人に対する偏見を見返すことです。

英語のハンディがあり、アジア人は幼稚な発言をしないのでクラスでのディスカッションでは目立ちません。一部の単純な白人からみるとあいつらはバカに違いないと云うことになります。そういう偏見を崩すためには口では勝てないので、筆記試験で良い成績をとるのが何よりの方法です。

そういうわけで五科目のうち四科目上位⇒総合上位を狙ったのですが「のらり果報」の方針転換で果たせなかった。トップにたったのはフランスからきたピエール。しかし韓国、香港からきた学生も上位にあがってきたので一部白人の偏見も変わってきました。

成績はいまひとつでしたが、タイム誌に意見を投稿したのが掲載されたり、図書館から古典落語の本を借りてきて読破したりしたのだから良いとしましょう。




| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
のらり果報の具体策

昨日の続きです。

テレビを見る、雑誌を読む、睡眠を十分とると決めたからといって一日24時間が増えるわけではありません。勉強時間をカットします。

比較的得意の数学関係(リニヤープログラミング、統計)の予習、復習を最小に抑え、最終試験間際に追い込みをかけることにしました。両方ともそれまでの試験の平均が88点、92点とクラスでもトップクラスにいたのでそれでいけると踏んだのです。ところが、、

試験日が発表されて青くなりました。4月11日統計、13日ビジネスファイナンス、17日国際ファイナンス、18日リニヤープログラミング、26日会計というスケジュール。

苦労しているビジネスファイナンスの最終試験が60点だと前学期のマーケティングと同じく総合65点、即退学になることが分かっていました。ビジネスファイナンスの試験で60点以上をとるには数日前から復習する必要があり、統計の準備はできません。

四月に入ってからの毎日はビジネスファイナンスの準備に絞りました。テキストは700頁。ビジネスファイナンスが終わったら次の国際ファイナンスの読書量も多い。翌日にひかえているリニヤプログラミングの準備にあてる時間は17〜18日の数時間。会計は1週間あくので大丈夫でしょう。

どういう結果になったかは明日書きます。




| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
せちせち貧乏のらり果報

一ヶ月おくれの日本の新聞を読んでいるうちに、日本の社会情勢が好ましくない方向に向っているという印象を強くもつようになり、一体なにがわるいのか、日本とカナダの差は何かと考えました。

結論は「日本人は余裕をもてるのに、それを持とうとしない、無駄なエネルギーを消耗している」でした。なにか一つだけあげよといわれれば、そういうことだという結論であって、これで日本の問題の原因が全てカバーされるとは思っていません。しかし、無駄なエネルギーを使うのなら、それを余裕のほうへまわすほうよい、と考えたのは正解でしょう。

日本の問題点がわかったところで自分を省みると、そこには毎日キャンパスという小さな世界のなかでノルマとたたかい、試験の点数に一喜一憂している、余裕の無い日本人がいました。

それではならぬと、机の前に「せちせち貧乏、のらり果報」ということわざを貼り付け、テレビもみよう、雑誌も読もう、将棋も並べようと一大転換を図りました。睡眠も十分とることにしました。



| おのまのプロフィール | ’70年 | 12:13 | - | trackbacks(0) |
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>


↑BGM(ON/OFFで切替)

bgm(別ウィンドウ)

VANCOUVER

TOKYO


↓木霊が宿る町QRコード↓
qrcode
ページランク

GBL:Googleバックリンク数です
 GIP:Googleインデックスページ数です
 MBL:MSNバックリンク数です
 MIP:MSNインデックスページ数です
 YBL:Yahoo!バックリンク数です
 YIP:Yahoo!インデックスページ数です
緑バー:Googleに於ける木霊の宿る町の人気度です

サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト

このページの先頭へ