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星条旗紙がオスプレイの安全性に関する二日前の記事を削除
オスプレイが安全かどうかはどの統計を使うかによって変わるという記事が七月二日の星条旗紙にでたというので読もうとしたら削除されていた。

記事の一部がグーグルに残っている。

★ 

7月2日

オスプレー:2日星条旗新聞「オスプレーが安全か否かはどの統計を使うかによって変わる」。つまり、統計の取りようによってはオスプレーの方がより危険とも言えると星条旗新聞(米軍関係紙)が述べている。米側「米軍は安全」という中の記事だから相当危険。詳細知りたい人は直接英文記事見て下さい



Is Osprey safe? Depends on which stats are used ... - Stars and Stripes


2 days ago – The Defense Department says the MV-22B Osprey is safe. Residents of Okinawa, where 24 of the tilt-rotor aircraft are to be deployed soon, strongly disagree, with the prefectural governor threatening a movement to close all ...


★パネッタさん、オスプレイに関して隠蔽、捏造は逆効果でっせ。

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は広告なのでクリしなくて結構。
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ワンツーフィニッシュ

ただいま当地は七月一日。久しぶりにブログの更新がおいつきました。

二時からLPGA、ウォルマート・アーカンソー選手権のテレビ中継をみました。最終ホールまで誰が勝つか分からない接戦でしたが、結果は宮里藍が優勝、宮里美香が二位。 

1 MIYAZATO, Ai -12 F -6
T2 MUNOZ, Azahara -11 F -6
T2 MIYAZATO, Mika -11 F -4

http://www.lpga.com/photos/galleries/2012-walmart-final.aspx




岡本綾子、小林浩美らが活躍した時代からみているLPGAですが日本選手のワンツーフィニッシュはこれが初めてだとおもいます。

このところLPGAは台湾、韓国の選手が活躍していて日本勢はいまひとつの感がありましたが、ほんじつは快哉です。おまけにふたりともウチナンチュときていますからよけい嬉しいです。

ふたりの勢いに負けず、日本政府がアメリカ政府にオスプレイの沖縄配置を辞めさせてくれるともっと良いですね。

ヤマトンチュのシューサイ、チバリヨー

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オスプレイ

オスプレイを岩国、沖縄で飛ばすことに地元では反対しているというニュースが流れています。

政府をはじめ各界の指導者たちは、アメリカの事情を優先させたいのか地元の意思を優先させたいのかをはっきり意思表示するのが良いです。

どちらの側に立つとしてもそれなりにリクツはつきますが、おのまのみるところアメリカの事情を優先させたい方々のリクツがなんであれ論破するのは難しくないでしょう。

日本が戦争に負けてからそろそろ七十年、沖縄が日本に復帰して四十年。

これまでアメリカに寄り添ってきた指導者層もまもなくあの世へ行く年になっています。日本人として心やすらかに逝きたいのであれば、もう地元庶民の意思に寄り添ったらいかがでしょうか。

本当は妄想でしかない「日本に必要なアメリカ海兵隊@沖縄」ですが、仮に妄想でないとしても沖縄の同胞が嫌がっているのだから否定するのがまともな日本人というものです。日本にアメリカ海兵隊が要るというのであれば、沖縄や岩国ではなく東京に置きましょう。

原発も米軍基地も東京に集中させたらいいのです。石原慎太郎都知事だってかつて佐藤栄佐久福島県知事にむかって原発は東京湾岸に作ってもいいんだと言ったことがあるし、米国から横田基地を取り戻す気もないようですからきっと賛成しますよ。

都庁やとうきょうスカイツリーの周りをオスプレイが舞ってる光景って案外いけるかも(笑)。

ところでNHKはオスプレイが整然と飛んでる動画を流しますが事故の動画は流しません。だから東京の視聴者の頭にはオスプレイが安全というイメージが植えつけられます。

前にも紹介した事故動画を再掲します。いずれ見ることができなくなるかもしれません。最近モロッコやフロリダで起きた事故の動画はみつかりません。



おまけ



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コメコメ 人命尊重という精神が欠けているシューサイ・4

ただいまは六月二十四日(日)

「人命尊重という精神が欠けているシューサイ」でとりあげようと思っていた具体的な事例があるのですが「白旗の少女」を読んだあとは衝撃が大きくてなんだか呆然として書けなくなりました。

さいわいにもコメントを頂いたのでコメントへのコメントにします。


お早うございます。
トラックバックありがとうございました。
あらためて本文に、TBの紹介をさせていただきます。

「白旗の少女」の私のブログ、いまだに毎日、訪問者があります。
理論社の「アニメ絵本・沖縄戦を生き抜いた子どもたち。かんからさんしん」は知りませんでした。さっそく読んでみるつもりです。

理論社の創始者の小宮山量平のことブログにしてあります。
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/d161d246d152c3b3fffd0b5021778194

シュウサイとシュウグが日本を沈没させます。

| ヒキノ村びと | 2012/06/24 6:32 AM |


シュウサイとシュウグが日本を沈没させます。

そうであるとすれば日本を沈没させないためには、人命尊重という精神が欠けているシューサイとシュウグをなくすことです。

おそらく、ヤマトンチュの大半はじぶんは人命尊重という精神が欠けているシューサイやシュウグではないと自負されておられるのだろうと思います。自分は善良な市民である、犯罪を犯すことは無い、人命尊重の精神があると自負されている。

しかし、本当にそうだろうか、極限に置かれたときにも善良な市民であり続けるだろうか、犯罪者にならずにすむだろうか、と問いたい気持ちがおのまにはあります。日常世界における、一見あたりまえのように見える様々な事象、事例のなかにそういうものを感じます。

そういう感じは昨日今日生じたものではなく、生じてから二、三十年はたっています。日本の近未来は悪化の一途をたどるだろうと思ってきました。過去二、三十年の日本が悪くなっているのか、良くなっているのかは人によって判断が分かれるでしょうが、おのまはひどく悪くなっているような気がしてなりません。

ではどうすればよいのか。

最初に書いたように人命尊重という精神が欠けているシューサイとシュウグをなくすことです。

そうはいっても具体的にどうすればよいのか分からない。

分からないときは易しいことからはじめる。易しければできる。はい、できることから始めるのはインストラクター・オノマスキーも公文(くもん)も同じです。

ヤマトンチュ・シューサイが人命尊重の精神を学ぶには、沖縄と向き合うのが良いと思います。人命尊重といっても沖縄と本土とでは実感、次元が違うからです。

沖縄と本土の違いとは・・・・・・

以下にヒキノ村びとさんが書かれたブログ「白旗の少女」とそこに寄せられたコメントを転載します。

命どぅ宝・・・白旗の少女

2009-09-20 | 沖縄のこと
白旗の少女」・・・某テレビ局の開局45周年記念ドラマスペシャルが放映されます。

この話しはむかし写真を見た覚えがありますがたしかなことは知りません。
この本を読みたくなりました。いくつかの図書館で探しましたが貸出中。アマゾンで注文という手もありますが、図書館で予約。以下は本の中からの抜粋、要約紹介です。写真はコピーさせてもらいました。

1945年6月25日・・・太平洋戦争の終わりに近い沖縄戦で日本軍が壊滅し沖縄戦が終決した6月23日から2日目、珊瑚礁の洞窟(ガマ)から一人の少女(比嘉富子さん)が白旗を持って米軍に投降します。

1983年・・・沖縄で米軍が沖縄戦を記録したフィルムを沖縄県民が1人1フィート分のお金を出し合ってアメリカから買い取って、永遠に記録に残そうという運動が起こり、翌年その一部がテレビで紹介され白旗を持った少女の姿を富子さんのご主人が見つけます。
1977年・・・実は富子さんはコザ市(現沖縄市)の洋書店で英文の戦争写真集の中から白旗の少女(自分自身)を見つけますが、誰にも話すことなく自分一人の胸にしまっていたようです。
誰にも話すことなく自分の中に封印しておく、このことでずいぶん悩んだようです。

1987年・・・「おまえ自身の沖縄戦を、ありのままに話しなさい。後世に記録として、つたえなさい。それは、おまえにしかできないことだからね」・・・ご主人の後押しでようやく自分の経験を告白、新聞に紹介されます。コザの書店で自分を見つけたときから10年後、フィルムが公開されてから4年後です。
1989年体験を書き溜めて検証してきた本が出版されます。

 「白旗の少女」 
比嘉富子 依光隆・絵(講談社1989年刊)

児童書として作られていますが、内容は7歳の子どもが体験した戦争のありのままの地獄のような悲惨な話しです。

←画像クリック・・・米軍のカメラマンの写真です。

富子さんはレンズを向いて笑って手を振っています。
カメラのレンズを銃口と思ったからだそうです。
「泣きっ面を見せるな。最後は笑って死ね」
という父の言葉を思い出したのです。

白い旗は洞窟の中でいっしょに数日を過ごした両手両足を失ったおじいさん、目の見えないおばあさんが褌で作ってくれたものです。
「富子、この世でいちばんたいせつなのは、人の命なんだよ」・・・・・・
「富子、これを、もって、お逃げ」
「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから・・・」

→画像クリック・・・少しクローズアップ・・・

後ろを歩いている日本兵・・・富子さんはあとがきで、兵隊さんといっさい関係がなかったとおっしゃっています。
頭に包帯を巻いた日本兵二人、背嚢を背負った米兵? 両側から支えられた怪我人、この人たちが何を思っていたか推し量ることはできません。

表紙裏の絵です。
←画像クリック・・・カメラは自分のほうに向かって歩いてくる少女をとらえて、やがて坂道を歩いていく少女を追っています。レンズに向けた少女の目とファインダーをとおしてカメラマンの目が合っています。
二人の一期一会の瞬間・・・そんな気がします。

依光さんの絵がイイです。絵を見ていると涙が出てきます。描き手が少女と一体化しています。
依光さんはこの作品(装丁・挿絵)で1990年児童福祉文化賞を受賞します。

比嘉富子さん・・・1938年生まれ、現在71歳、6歳で戦場をさまよい救出されたときは7歳。39歳で写真の存在を知り、長い沈黙を破り写真の主であることを名乗り出たのは49歳のときです。

某テレビ局の放映は9月30日PM9:00〜 関東圏内ですから別地区では違うと思います。
テレビ東京開局25周年記念ドラマスペシャル「白旗の少女」公式サイト

テレビ放映の情報で児童書「白旗の少女」を読み、その感想でした。
テレビドラマがこの本をどう脚色するか、それは知りません。できればこの本を忠実に再現してもらいたいです。

わたし的には本がおすすめです。本人の体験したありのままの記録です。美しいヒューマンドキュメントではありません。流れ弾で死んだ兄を砂の中に埋葬、軍人の自決、住民の集団自決、ウジの沸いた水を飲み、兵隊さんの死体から食べ物を探す。目を背けたくなる光景です。7歳の女の子の記憶のファイル、あまりにも衝撃的な出来事はファイルの中で消えることなく保存されていたようです。

このお話をどう受け止めるか、それはそれぞれの心の問題です。


16 コメント

この写真 (こきおばさん)
2009-09-19 22:32:30
白旗を持つ少女の写真は、何回か見たことがありますが、そうだったんですか、この少女が本を書いていたんですか。

早速読ませていただきたいと思いますし、TVドラマも見たいと思います。
良いことを教えていただき有難うございました。
あまりにも有名な写真です (shizukata)
2009-09-19 23:04:10
いたいけな少女が白旗をもって歩いてくる、この映像は従軍アメリカ人記者が
写した写真ですね。動画で見たことがあります。背後からついてくる
日本の兵隊、彼女は知らない人だと言ってますが、初めてこの写真を
見たとき「子供に白旗を持たせてなんという事か」と思いましたね。
私もTVの記念ドラマ見てみたいです。私は戦争経験していませんが
戦争は絶対反対ですね。
お知らせ有難うございました (菜花)
2009-09-20 11:57:41
「白旗の少女」のドラマ、こちらでも放送されたら観てみたいと思います。

私も最初この少女の写真を見たとき、日本軍がこの少女を先頭にして投降させた、と思って驚いたのですがそうではなかったのですね。

>「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それ が世界中の約束だから・・・」

こう言って少女を送り出した人のこの言葉と気持ちに胸が熱くなります。
白旗 (スターアニス)
2009-09-20 16:26:40
白旗を掲げた少女の姿・・・見たことはあるのですが、そのような事実があったのですね。
TV放映も見たい、本も読みたい・・・隠してきた辛い思い・・・少しでも少女の気持ちに立ち返ってみれれば・・・と思います。
白旗の少女 (ヨッシー)
2009-09-20 19:46:43
孫が同じ位の年なので、そんな小さな子が悲惨な体験をした事実に胸が痛みます。
少女の写真を見て涙が出ました。
本を購入して、孫と一緒に読んで平和のありがたみを再確認してみたいと思います。
Unknown (おばちゃん)
2009-09-20 20:26:18
写真を見て 涙が・・・7歳の子の気持ちが
伝わってきますね・・・

39歳で 写真の存在を知っても名乗らない・・・

気持ちが少し 判ります
私は 次男が小さい頃 病気をしたときのことを
ずーっと 人に話せなかった 
思い出すのが つらすぎた・・

わたしの それより たいへんな経験
49歳で 名乗り出られたのは すごいことだと
思います  
  
少女の写真 (henao&henako)
2009-09-21 05:59:49
ヒキノさん、お早うございます。
この話しは今回初めて知りましたが、記事を読ませて頂きながら、
少女の画を拝見しますと、目頭が熱くなってしまいました。
9月30日には、私共もテレビの前に座ろうと思っています。
とても良い記事と情報、有難うございます。
(へな爺)
コメントありがとうございました (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2009-09-22 10:24:41
こういうテーマはコメントがないのですがこのごろくれる方が多くなりました。
比嘉富子さんももう71歳です。
写真も挿絵も目がとってもきれいです。
兄を砂に埋葬する、ウジのわいた水を飲む・・・奇麗事でないです。
鎮魂の気持ちで書いたのだといってます。
コメントありがとうございました (shizukataさんへ・・・ヒキノ)
2009-09-22 10:38:20
この本と「ガラスのうさぎ」は共通性がありますね。

非常に長い間、自分の中の歴史を長い間、封印してきたということ。
比嘉さんも高木さんも人生の後半になってから大学に進んでいます。

後ろの歩く日本兵は関係ないということですが、誰が見ても楯にしているように見えますね。非常に明るい顔に見えたようです。
本の中では切腹と介錯、隊長が隊員をゴボウ剣で次々に挿していく記述があります。後ろの日本兵は虚脱感があったでしょうね。この話しは右翼左翼が論争したようですが人の心は読めません。
コメントありがとうございました (菜花さんへ・・ヒキノ)
2009-09-22 10:52:55
沖縄には仕事がらみで10回以上行ってます。ウチナンチューの家に泊まって酒を飲んだりしました。おおらかな人が多いし、女性が非常にバイタリティーがありますね。沖縄に対する思い入れもが強いのです。

多くの人にドラマを見てもらいたい、本も読んでもらいたい・・・そんな気持ちです。

後ろの日本兵の話、憶測を交えて右翼左翼の論争になったようです。比嘉さんの目には明るい表情に見えたようです。虚脱感もあったでしょうね。兵士も普通の人間ですし、すべては異常事態の中の出来事です。私には人の心は読めません。
比嘉さんは鎮魂の思いと恒久平和を願ってこの本を書いたようです。
本のほうがイイかもしれません (スターアニスさんへ・・ヒキノ)
2009-09-22 11:02:08
このごろは図書館の本はPCで検索できるし予約もできます。当該図書館に蔵書がなくても取り寄せてくれます。本を買うときはアマゾンかいつか教えていただいた「日本の古本屋さん」ですね。早いし安いし見つからない本が探せます。

この本は児童書ですから難しい理論はないです。ただありのままです。
ありのままですから内容は凄惨ですが女の子の目に映った記憶ですからたんたんとしています。
コメントありがとうございました (ヨッシーさんへ・・・ヒキノ)
2009-09-22 11:08:12
7歳の女の子が4月のはじめから6月の末まで、畑の芋とか死人のカバンから食料を食べていたようですが、よく生きていたものです。
途中で兄が流れ弾で死に、砂の中に埋葬します。日本兵に日本刀で追いかけられます。

本はぜひ読んでやってください。
コメントありがとうございました (おばちゃんへ・・ヒキノ)
2009-09-22 11:23:06
人は辛い話ほど胸の中にしまっておくものですね。
流れ弾の当たって死んだ兄ちゃんを砂の中に埋葬します。おじいちゃん・おばあちゃんを置き去りにしたという思いもあったでしょうね。

それにしても3ヶ月近くもよく7歳の女の子が生きていたものです。
女の子の目がきれいです。
コメントありがとうございました (henao&henakoさんへ・・ヒキノ)
2009-09-22 11:31:56
中京地区で系列ネット局の放映があったらぜひ見てください。
本は児童書ですから7歳の女の子の記憶を辿ったありのままの綴り方で思想や理論はありません。

戦場の中で子どもがさまようとはこんなことかと思いました。
生きていて良かった。
コメント (ウサギさんへ・・・ヒキノ)
2009-09-28 21:14:15
ありがとうございました。
見ました。 (yuiyui)
2009-10-01 14:13:50
この写真は何度も見て知っていましたが
こういう背景があったとは全く知りませんでした。
昨夜、ドラマを見ました。
6歳の娘と9歳の息子がおりますので
かぶってしまって涙が止まりませんでした。
今、この写真を見ても涙が溢れ出てきます。
本も注文しました。
目を背けず、読んでみたいと思います。
こういう時代を耐えて生き抜いたご先祖がいたからこそ、今の自分や子供達がいるのだと思うと
胸があつくなります。
ありがとうございました。

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沖縄考 米国大統領予備選候補者 ロン・ポール

かつてアイゼンハワーが危惧した通り米国は軍事産業が突出してしまい、戦争をしつづけ、戦争のきっかけを探しつづける戦争中毒国家になってしまいました。

そういう邪悪な国家体質を変えないといけないという立場にたっているのが米国大統領予備選で闘っているロン・ポールで、何年も前から対外干渉をやめる、米軍の海外基地をなくすと主張してきました。海外基地をなくすというからには当然沖縄の基地もなくすということになります。

共和党の予備選でミット・ロムニーに大差をあけられているロン・ポールですが、ネットを通じて若い米国人からの支持が増え続けており、ここから一般市民、とくに若い世代からの戦争および軍事産業に対する拒否という時代の流れが見えてきます。

そういう流れは当然のことながら沖縄へも及んでいます。ウチナンチュの怒り、悲しみ、希望といったものが今までとは違った速度で世界に広がり、共感を得つつあるということです。もしかすると、沖縄こそが新時代の地球において反戦、反軍事産業の中核になるのかもしれません。

もし彼が共和党大統領候補になればオバマに勝つかもしれないとも言われているロン・ポールに関する資料を以下に貼ります。


ウィキペディアから抜粋

2011年2月15日の共同通信との会見で、日本は米軍依存をやめるべきであり、在日米軍基地の撤退を強く主張した。さらに同会見では、米軍基地の抑止力と言うのは虚構に過ぎないとして、民主党のデニス・クシニッチとともに在日米軍を「過去の遺物」と呼んだ。

戦争をしなければならないのは国民を守らなければならない時だけであり、下院による宣戦布告なしでの開戦は許されないと主張している。イラク戦争に関しては、2002年の「イラクに対する兵力動員承認に関する法案」の下院での審議の際は徹底してイラクとの開戦に反対した


ロン・ポールの主張



★若い世代の支持



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コメコメ@鳩山由紀夫を招いた顔ぶれが分かった

ほんじつは五月二十一日のブログ http://onomar.jugem.jp/?day=20120521 にいただいたコメントへのコメントです。

それにしても鳩山由紀夫ネタがこんなに続くとは驚きです。


お久しぶりです。私は鳩山さんについては執行猶予付き有罪で許したいと思います。鳩山さんのちゃぶ台返し発言で結局、現実は辺野古の実現は遥か遠くになりました。また、あの当時の騒動で米軍のグアム移転計画が本当にあったのだということが周知され、実際に動き始めてきました。これも、辺野古移転したい人々にとってはひた隠しにしておきたかった情報だったと思います。鳩山さんの変節罪は重いけれども功の部分は今、生きている部分もあろうかと思います。

ただし、仰せの通り、私も鳩山さんの変節と言い訳に大変失望しました。おもえば、民主党が骨抜きになった瞬間でしたね。屋台骨さえ変節させてしまえば、後はご覧の通りの変節大将ばかりと成り果てましたから。約束したことを曲げない政治を期待し民主党に入れたのに、いまでは約束は守らないけど税を重くする民主党ですから。つくづく、あのとき、鳩山さんには負けないでほしかった。
| ドクトル硝子 | 2012/05/24 8:34 AM |


フランス在の時々パリさんと同様、日本へ警鐘を鳴らしつづけていたドクトル硝子さんですが、さいきんはブログの更新がとまっています。

おのま同様、日本のことを考えると疲れちゃう症候群(笑)に罹ったのだろうと思っていましたが、コメントをみると回復しつつあるのでしょう。ご同慶のいたりです。

せっかく回復に向かっている時に、おのまがきついコメントを書いては直るものも直りません。今日は副作用のすくないコメントということで、或る方が書かれたブログを貼ることにします。

えっ、この人のほうがおのまよりきつい?(笑)。


言葉の信頼を失った政権は退陣すべし。普天間、本気じゃなかったでしょ?鳩山さん。たくさんの民意を得ながら、屈した政権は、今後全てのアメリカの要求をのむでしょう。

私は希望しません。

自分で国を守る責任を考えるべきだと、もっともな発言をなさいましたが、いつのまにやら、言葉がすり替わり、国際貢献と言い始め、米兵のかわりに自衛隊員がイラク、アフガンで血を流せと言い始めるかもしれません。ワーキングプア、貧困者は食いぶちを求めてイラク、アフガンで働く道が作られるかもしれません。

従米の行く先はそういうことです。

日本の未来は現在のアメリカ社会を見れば予想がつきます。なぜなら、変わってきた日本の社会はアメリカ社会の変化とそのままだったから。私は自民党のままなら確実に暗黒大陸同様の不幸がより一層、一般生活に訪れると考えました。それは単一民族故に余計ひどく、みじめな不幸となるでしょう。だから、とにもかくにも政権交替を望んだ。

いま、鳩山政権の行動は言葉でごまかし、従米する自民と同様に見えてきました。アメリカに追随しない社会を築くのは大変な困難が伴うのは想像に難くありません。

民意をつかんでおきながら、容易に折れられては困るのです。

それに、一方でトラストミーとオバマに言い、他方で最低でも県外という。このようなことをやっていてはfoxと思われるだけで、まともな外交関係を作れないでしょう。前原偽メール事件の教訓、生かされてませんね。

これまでの多大な功績、ご苦労様でした。でも鳩ではEagle鷲に立ち向かえないようです。

私は平和を尊ぶ美しい瑞穂の国を取戻すことを希望しますので、鳩山さんのままでは今回は別の所にしようと思います。


この方は 民意をつかんでおきながら、容易に折れられては困るのです と書かれていますが、それこそがおのまの気持ちであり、したがって、今頃になって再び手のひら返し、ウチナンチュにおもねる発言をした鳩山由紀夫にダメダシする次第です。

ダメダシしたのだからいまさらどうでもいいことではありますが、鳩山由紀夫は、沖縄に海兵隊は要らない、辺野古基地新設に反対すると公式の場で言い直したことがあるのでしょうか。

公式の場、すなわち民主党外交担当最高顧問・鳩山由紀夫として、たとえばアメリカの外交筋にやっぱり辺野古に反対することにしたと言ったことがあるのでしょうか。

それがないのであれば 「『最低でも県外』という気持ちを果たさなければ沖縄の皆さんの気持ちを十分理解したと言えない」 などとわけのわからないことを言うものではありません。

「日米合意に従って辺野古に新基地を造るのはやむをえないが、最低でも県外という気持ちを果たさなければならない」

意味、わかんな〜い リンダ こまっちゃう〜


ところで、ほんじつ引用したブログの出所がでてないぞと気づいたあなたは鋭い。

引用したのは「カーリング漬け」というブログです。

http://plaza.rakuten.co.jp/gaksuzuki34/diary/201005280000/

ブログの主は カーリングおやぢ さん。 今は改名して ドクトル硝子 さん。

もしかしてご本人が忘れてたりして(笑)。

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鳩山由紀夫を招いた顔ぶれが分かった
五月十五日に「ウチナンチュの皆様、なんで鳩山由紀夫を招いたのですか」というブログを書いたその日のうちにどういう人たちが彼を招いたのかが少し分かった。すぐにそのことを書き始めたのだが思いもかけずコメントを頂いたのでそちらへのコメコメを先にした。

ただいま当地時間は五月二十一日、十五日に書き始めたブログの続きを終わらせる。


「ウチナンチュの皆様、なんで鳩山由紀夫を招いたのですか」というブログを書いたが、鳩山を懇談会に招いた顔ぶれが分かった。大した話ではないが小さな疑問が晴れたので書いておきたい。


かつて「噂の眞相」という雑誌があった。1979年から2004年まで続いた雑誌であるが、その名から察するに、芸能界のスキャンダルでも売り物にしているのだろうとおのまは手にしたことがなかった。

2005年「噂の眞相 25年戦記」(岡留安則・集英社新書)という本がでた。岡留安則は「噂の眞相」の発行人・編集長である。

雑誌がスキャンダルを売り物にしていたことはそうであるのだが、それは芸能界にとどまらず官界、政界、メディア界も対象したとある。

たとえば、佐藤栄佐久(前福島県知事)に対する収賄疑惑事件で佐藤栄佐久の弁護人になっている宗像紀夫弁護士が検察特捜部長時代にパチンコ業者からゴルフ接待や赤坂の韓国クラブや銀座の高級クラブで接待されていたり、ベトナム観光に行ったというスキャンダルを暴いたという。佐藤栄佐久の弁護人として宗像紀夫が適格なのだろうかと疑問に思っているおのまとしては「噂の眞相」の記事を読みたいと思った。神田の本屋街にいくたびに探している。


「噂の眞相」を休刊にしたその年沖縄に移住した岡留安則はほどなく「東京ーアジアー沖縄 幻視行日記」というブログサイトを始めた。

一週間に一、二度更新される岡留のブログは読み応えがあり、ときどきおのまはトラックバックしており、今までのところすべてが公開されている。

http://okadome.cocolog-nifty.com/blog/

「東京ーアジアー沖縄 幻視行日記」 の記事を中心とした「沖縄から撃つ!」という本が2011年10月に集英社から発売されている。2009年6月から2011年4月までのブログが中心になっている本ゆえ、岡留の沖縄に対する知見が深化していく様がわかり面白い。
 

以上は岡留安則についての簡単な紹介である。話を元にもどす。

五月十五日、鳩山由紀夫を懇談会に招いたひとりが岡留安則であった。五月十六日付「東京ーアジア・沖縄 幻視行日記」の抜粋を以下に貼る。

5・15で、復帰式典に来賓として招待された鳩山由紀夫元総理に式典前に時間を取ってもらい、沖縄の有識者懇談会ともいうべき、内輪の懇談会を開いた。喜納昌吉元参議院議員が鳩山氏に声をかけ、その人選と司会・進行は筆者が務めた。

沖縄の新聞社幹部、大学教授、文化人、企業人ら20名程度で、鳩山氏が普天間基地の県外・国外移設を掲げたにも関わらず、その後挫折したいきさつ、普天間問題や民主党の現状を本人から直接聞こうという試みである。

建前上はオフレコなので詳しくは書かないが(苦笑)、鳩山氏自身が「自分は政治家に向かない」と語るように、実直な人柄だった。

なぜ、最初から県内移設で突っ走った北沢俊美氏を防衛大臣に起用したのか。米軍基地抑止論を言い始めたのは岡本行夫氏の影響ではないか。東アジア共同体を掲げたことで、米国から圧力を直に受けたことはないのか、などの真意を聞いた。鳩山氏は今でも普天間基地の県外移設は正しかったが、私の力が及ばなかったということを率直に詫びていた。

鳩山氏に対する大手メディアの論調は一様に批判的だが、少普天間基地の県外・国外移設を堂々と主張した総理は初めてである。


上のブログから岡留安則の鳩山由紀夫に対する評価は判然としない。

普天間基地の県外・国外移設を堂々と主張した総理は初めてであると書いているが、それをもって鳩山由紀夫を高く評価しているということでもないのであろうと思う。

普天間基地の移転先は国外、県外と主張していたころの鳩山由紀夫を岡留安則と同様、おのまは評価していたが、あるひ突然変節、知れば知るほど海兵隊は抑止力、日米合意尊重と言って職を放り投げた瞬間に鳩山由紀夫の欺瞞性が分かったし、二年たった今、わずか二十名という小さな懇談会とはいえ、臆面もなく「最低でも県外という気持ちを果たさなければ(ならない)」と言ってのけたことをもって鳩山由紀夫の救いがたさを再認識させられた。

岡留安則はジャーナリストに欠かせないバランス感覚があって、あるいは鳩山由紀夫本人に接して武士の情けのような気分が生じて、書かなかったことがあるのだろうとおのまは推測している。

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コメコメ@コメコメ@ウチナンチュの皆様 なんで・・・・

ほんじつは五月十七日のブログ「コメコメ@ウチナンチュの皆様、なんで鳩山由紀夫を招いたのですか」にいただいたコメントへのコメントです。

http://onomar.jugem.jp/?day=20120517



はじめての拙い私見を取り上げていただききょうしゅくです。本日は、資料、お届けします

 
http://cablesearch.org/cable/view.php?id=09TOKYO2875&hl=hatoyama

鳩山さんが「最低でも県外へ移設」といってたのは、たぶん、過去も今も本気の主張です。

せんじつの40周年講演で彼は、同じ本音を言っていたのだとウチナンチューの多くの人は好ましく受け取っています。憶測ですが危険人物は、鳩山さんではなく、資料の中に出てくる官僚たちです。
 
沖縄普天間基地移設問題は、「主権在官」主導から「主権在民」主導への戦いです。鳩山さんは後者に立っているから、しどろもどろなのです。庶民の寛大さは優柔不断しどろもどろであっても許します。
 
| かじまやー | 2012/05/19 10:15 AM |



お久しぶりです。
このエントリーに関して、おのまさんは「かじまやー」さんに負けてる様にみえます。
理性は感情を越えられない…。
あるいは現実は理屈では無く感情でしか理解出来ない、って事では無いでしょうか。
| 時々パリ | 2012/05/21 1:57 AM |


おふたかたのコメントに感謝です。

時々パリさん、このごろアクセスしにくい時がありますよ。晴れのち曇り、時々アクセスできない(笑)

さて、本件、お二方のコメントに接して、なにごとも実像がいかなるものかは見る角度、居場所によって違うものだとみょうな感慨にとらわれています。

沖縄在のかじまやーさんとカナダ在のおのまの見方が180度違い、それに対してフランス在の時々パリさんが判決を下していただき感謝です。

見方の違いはあっても、沖縄の米軍基地を本土並み、あるいは全廃を願う点で三人は同じ立ち位置にあるのだろうと思いますから、これ以上鳩山由紀夫について書くこともなかろう、沖縄問題においてはちっぽけな話だと思うのですが、そこはそれ、つまらないことが気になる性分のおのま、以下のごとく控訴します(笑)。


過去に遡って当時の実像を見ようとすると、記憶が薄れていたり、理屈と感情のバランスが変わっていたりして歪んだ像が見えたりすることがありますから、愚直に事実に基づいて像を結ぶのが善いだろうと思います。

当時の事実とは以下の通りです。(これが事実かどうかを検証することも要るのですが)

二年前、おのまは内外で様々な意見が飛び交うなか、鳩山由紀夫が国外、県外を求める姿勢を崩さないだろうと最後まで信じていました。

政権は交替した、自民時代につくった日米合意を見直すという姿勢を貫いて米国に、官僚に、国民に働き続けるのだろうと信じていました。

自民にしたって心ある議員たちは沖縄の現状が間違っていることに心を痛めていただろうし、声なき声、ヤマトンチュの多くも沖縄の現状をかえようと身支度していただろうと思います。鳩山が国外、すくなくとも県外と言い続け、ちかい未来に山も森も動き始めるのだろうと思って見ていました。

そういう思いは妄想でした。

ある日とつぜん、鳩山由紀夫は、知れば知るほど海兵隊が沖縄に駐留することは抑止力に欠かせないことが分かった、よって日米合意遵守(=辺野古新設が必要)と言っちゃった。

動こうとしていた山は土砂崩れ、バーナムの森に扮した兵士は総崩れ。

あのとき鳩山由紀夫が「五月までに解決出来なかった責任をとって辞職するが、海兵隊は沖縄に要らない、国外、県外移転を目指す。後任者はその線で努力願いたい」と言って辞職したら山も森も動いたのです。

鳩山由紀夫が唐突に、知れば知るほど海兵隊が沖縄に駐留することは抑止力、日米合意遵守と言った時に、おのまは、なんで鳩山由紀夫がオバマにトラストミーと云っていたのかが分かりました。

はじめに辺野古ありきだったのです。ウチナンチュには国外、県外と言うけれど、それは五月までの話、最後はあきらめさせるからね、トラストミー。


以上の事実に基き、おのまは控訴します。

沖縄復帰四十周年の機会をとらえて、ふたたび県外云々と言った鳩山由紀夫には政治家に欠かせない一貫した信義というものがありません。あるのはウチナンチュをたぶらかす詐欺師の影であります。鳩山由紀夫は有罪です。


バーナムの森

マクベスの城へイングランド軍が攻めてくる。マクベスは「バーナムの森が動かない限り安泰だ」、「女が生んだものには自分を倒せない」という予言により自らの無敵を信じて城にたてこもる。そこへマクベス夫人が亡くなったとの知らせが届き、更にバーナムの森が向かってくるという報告が入る。イングランド軍が木の枝を隠れ蓑にして進軍していたのだが、森が動いているように見えたのである。(ウィキペディア)


バーナム効果:

実際には誰でもそう願うような内容や誰にでも当てはまるような曖昧な表現を示されると、人は誰でも、自分にだけ適用されるとても正確な内容だと思い込みたくなるものです。

このような心理学的現象を、バーナム効果、あるいはフォアラー効果と呼びます。自分に都合のよい話や前向きな話を潜在的に人は耳にしたいのです。

このような効果は、ときに占い師や詐欺師たちに騙しのテクニックとして利用されます。
http://today.merrymall.net/bh03_01.html

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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメコメ@ウチナンチュの皆様 なんで鳩山由紀夫を招いたのですか

五月十五日のブログ http://onomar.jugem.jp/?day=20120515 に沖縄からコメントを頂いた。沖縄からコメントが寄せられたのはとても嬉しい。

このブログの一番下についている地図からみると那覇から寄せられたようである。完璧に正確というのではないが、地図にはどこからこのブログにアクセスしているかが出るようになっている。

 
| かじまやー | 2012/05/18 4:57 PM |


おのまは鳩山由紀夫が若い頃から沖縄をしばしば訪れていて、基地問題に関する問題意識がとても高い政治家であることをなんとなく知っていた。若い頃から沖縄を無視してきたおのまとは天と地の差と尊敬していた。

沖縄が日本復帰する直前はニクソンショックで多忙をきわめ、銀行をやめようと思った。ほどなく留学してほっとしたのは授業が始まるまでのひとつきほど。英語の神様と郡山の女子高生に噂されていた(らしい)おのまの英語は役に立たず、高層ビルから飛び降りたら楽だろうにと思った。その後も自らが棲むちっちゃな世界でもがき続けてウン十年。沖縄どころではなかった。

そういう下敷きがあったから、鳩山由紀夫が首相になって普天間移設は国外、すくなくとも県外と云ったときには心のなかで快哉を叫び、米国の立場にたって思考、行動してきたヘタレ外交官たちもついに沖縄の立場にたって働かざるを得なくなったか、政権交替とはこういうことなのかと感動した。

それが、或る日突然、ほんとうに突然、鳩山由紀夫は変節し、知れば知るほど海兵隊は抑止力なんちゃら、国民は聞く耳をもたなくなったかんちゃらとわけの分からないことを云って、沖縄で基地を新設しようという側にたった。アンビリバボー。ハシゴ外れておのまはハレヒレホレハレ、オヨヨのヨ、ノーテンサカサオトシ、ガチョーンで気絶。

鳩山一郎はGHQから追放されたが、孫の由紀夫は支持者から追放とあいなった。感動転じて勘当となる。

自民時代に作られたベクトルの方向を変えようとしているかに見えた鳩山由紀夫がなんの説明もなく辺野古基地新設ベクトルの後押し役に転じてしまい、それに菅直人、野田佳彦も乗らざるをえなくなってしまっている。ハチャメチャ日本の元祖、鳩山由紀夫を擁護できるものではない。


普天間基地の移設は沖縄県内でしかできないと云って消えたはずの鳩山由紀夫が、二年たったいま「最低でも県外という気持ちを果たさなければ(ならない)」とウチナンチュの前で述べたというのだからまたもやガチョーンの気絶である。そういうことは二年前に云っておくれ。

いまだに鳩山由紀夫に好意的なウチナンチュがいることを難じるつもりはない。若い頃から沖縄問題を語ってきた鳩山を擁護する気持ちが分からないでもない。もともとヤマトンチュよりもウチナンチュのほうが寛大なのだとも思う。

しかし、そういう寛大なウチナンチュの心に寄り添うかのごとくみせて、クルリンクルリンと変節を繰り返す鳩山由紀夫は詐欺師にも似て、非常に危険なヤマトンチュであることを、いまいちど警告してほんじつのコメコメを終わる。

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沖縄復帰をはさむ数年のあいだ人気があったトワ・エ・モア、山室英美子芥川澄夫 のケミストリーは高くなく、仕事が終わると別々に帰ったという話を聞いたことがある。ふたりが歌った歌の甘さよりふたりの現実のクールな関係のほうが好ましいと感じる。
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ウチナンチュの皆様、なんで鳩山由紀夫を招いたのですか

沖縄復帰四十周年記念式典に鳩山由紀夫が参列したという報道には仰天した。


いまさら書くまでもないが、鳩山由紀夫は首相時代に、普天間基地の移設先は国外、すくなくとも県外だと述べてウチナンチュはもちろんのこと多くのヤマトンチュから支持を得ていたのだが、ある日突然、知れば知るほど海兵隊は抑止力だ、普天間の移設先は辺野古しかないと、手のひら返しをしたアンビリーバボっちゃんである。

支持者からの大ブーイングを背に受けて、さすがに自らのアホさぶりに気づいたか、二年前の今頃は、自分は政界を去ると宣言した男である。

あまりといえばあまりにチョー破廉恥な鳩山のクルリンパ発言を継いで、菅直人も辺野古につくるといわざるを得なかったし、野田佳彦もそれに追随する流れとなってしまった。悲劇の日本、喜劇の民主党。

本日げんざい、庶民の民主党への信頼は瓦解してあとかたもなくなっているが、その原因は、鳩山由紀夫のウチナンチュへの裏切り、ヤマトンチュへの裏切りであり、マグニチュード9の巨大地震にも似た大罪にある。

そういう日本歴史における大罪人が、どういうわけか、どういう身分でか知らないが、沖縄四十周年記念式典の席にいたという。宜野湾市で講演し「最低でも県外という気持ちを果たさなければ(ならない)」と述べたという。アンコール、アンビリーバーボー。


現地には現地のご事情もあることだろうから、いかなる思惑があって今回の式典に鳩山由紀夫を招いたかは問わないとして、しかし、ウチナンチュの皆様におかれては、この男を自陣に入れるのははなはだ危険であることを認識されるよう切に願う。トロイの木馬、獅子身中の虫、かならず後になってワルサをする。

ネット時代の今、ウチナンチュの皆様が行ってきた米軍基地撤廃運動への支持者はどんどん世界に広がっていく。しかし、クルリン、クルリンの変節漢・鳩山由紀夫が皆様の仲間だと知ったら、あっと言う間にベクトルの向きは変わるであろう。
 

鳩山と聞いただけで庶民はあのときを思い出して力がぬける。 鳩山由紀夫氏におかれては、自らが死に値することをしたと知り、蟄居(ちっきょ)していてくれないか。バッジを外すと言ったのにみっともない。




 ★
普天間、民主なお乱れ=沖縄の信頼回復遠く−復帰40年

彦首相は15日の沖縄復帰40周年記念式典で、沖縄の負担軽減に向け米軍普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設する日米両政府の方針に理解を求めた。これに対し、仲井真弘多沖縄県知事は県外移設を改めて要求。この間迷走した民主党政権は、なお党内の足並みが乱れており、沖縄の信頼回復は程遠い状況だ。

 「普天間飛行場の固定化は絶対にあってはならない」。首相は式典でこう強調し、辺野古移設への決意を示したが、式典に先立ち宜野湾市で講演した鳩夫元首相は「最低でも県外という気持ちを果たさなければ(ならない)」と述べた。

 鳩山氏は首相当時、「最低でも県外」として候補地を模索。結局、袋小路に入ったため、日米合意通りの辺野古に回帰した経緯がある。

 深刻な政権不信を招いた張本人が、沖縄にとっての節目の日に、再び「県外」に言及したことは批判を浴びそうだが、民主党内には辺野古移設への異論は少なくない。沖縄県選出の玉ー、瑞敏両衆院議員は鳩山氏と同様に県外移設を求めており、石一参院予算委員長ら党の有志は4月、普天間の米軍嘉手納基地(嘉手納町など)への暫定移転を首相に提言した。

 「(沖縄の)期待感が高まって裏切られたという気持ちが問題を複雑にした」。岡也副総理は15日の記者会見で、鳩山政権の迷走について反省を込めてこう語った。ただ、政権内をまとめ切れていないという点で、鳩山政権と状況は変わっていない。移設への展望は開けないまま、普天間は、首相が否定する「固定化」が現実味を帯びている。(2012/05/15-21:17)


鳩山元首相:また「最低でも県外」講演で普天間移設に触れ

毎日新聞 2012年05月15日 23時43分(最終更新 05月16日 00時08分)

沖縄復帰40周年記念式典の前に、報道陣の質問に答える鳩山元首相=沖縄県宜野湾市で2012年5月15日、野田武撮影
沖縄復帰40周年記念式典の前に、報道陣の質問に答える鳩山元首相=沖縄県宜野湾市で2012年5月15日、野田武撮影

 鳩山由紀夫元首相は15日、沖縄県宜野湾市のホテルで講演し、米軍普天間飛行場(同市)の移設問題に関し「『最低でも県外』という気持ちを果たさなければ沖縄の皆さんの気持ちを十分理解したと言えない」と語った。鳩山氏は政権交代前の沖縄訪問で、「最低でも県外」と表明。首相就任後は県外移設で迷走したあげく、10年5月に移設先を同県名護市辺野古沖とする日米合意を決めた。にもかかわらず、再び沖縄で首相当時の決定を否定して、「最低でも県外」に逆戻りした。

 鳩山氏は記念式典出席のため、首相退任以来初めて訪沖。地元企業が参加する勉強会に招かれた。鳩山氏は「自分の思いが先に立ちすぎ、綿密なスケジュールを立てられなかった。結果として皆さんにご迷惑をかけ、心からおわびしたい」、「官僚、国会議員を説得できなかった不明を恥じる」と陳謝を繰り返した。

 普天間問題の決着を自ら「10年5月末」と区切ったことに関し、「予算の審議でまったく身動きできずに4月を迎え、4月、5月の2カ月ですべて進めるのは考えてみれば無理筋だった」と反省。

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カテゴリー 沖縄 ・ チムグリサン


この三月、うまれて初めて沖縄を訪れ、短い滞在の中で感じたことを「沖縄考」と題して書いてきた。それと同時に「沖縄」というカテゴリーをつくった。

ただいまは当地時間五月十四日。明日は沖縄が日本に復帰して四十年の由。

「沖縄」というキーワードが入っている過去ログを探した。

百五十ほどあった。その多くは「政治経済」カテゴリーに入っていたが、中には「猫・ゲンキー」や「居住空間」カテゴリーに入っているのもあった。

全部を読み直すといいのだろうが、その気力なく、あてずっぽうで百二十ほどを「沖縄」カテゴリーに換えた。中には元のカテゴリーに戻したほうが良いものもあろうかと思うが、とりあえずということで今はそのままにしておく。

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★二年前に「チムグリサン」というブログを書いている。http://onomar.jugem.jp/?day=20100505

この時に感じた自らのふがいなさがいまだに同じであることがことさらに情けなく思う。

チムグリサン

三月十三日にこういうことを書いた。

おのまがこれまで無視してきたのが沖縄問題。

鳩山由紀夫内閣でもって普天間基地の問題が迷走しているけれど、橋本龍太郎内閣の頃から迷走しっぱなしだと思っていますから、いまひとつ乗れません。

しろーとおのまが何か云ったって何も変わらんだろうという思いがあっての無視。

http://onomar.jugem.jp/?day=20100313


上記の通り、おのまは見てみぬふりの無責任なるヤマトンチュウであったし、いまだって基本的には同じである。

対米依存無気力症候群にかかったヤマトンチュウのエリートたちにウチナンチュウの身になって考えろといっても詮無いことだ。なんたって、レイプされるウチナンチュウではなくレイプする米兵の肩をもつのがヤマトンチュウ@沖縄担当大使なのだから。

そういう無責任きわまりないおのまであるが、今日みつけたウチナンチュウの投書には済まないと心から思った。

ウチナンチュウにこれ以上の負担を強いてはいけない。辺野古の海に杭を一本たりとも打ち込んではいけない。


31. 2010年5月05日 13:28:07: Ck80N2m3rg
私は、沖縄の住民です。3年前に定年退職した団塊世代で、余りある時間をウェブワッチに没頭しています。

いろいろな情報に接した結果、私が到達した結論は、次の点です。

「アメリカは米軍基地を日本から撤退させたいと思っている。しかし、日本の対米従属至上主義者が無理を押してアメリカにお願いし米軍基地を日本に置くよう画策している。」

「日本の対米従属至上主義者は、米軍基地を沖縄に押しつけて、戦後60年の長い間、対米従属を国策として、いい思いをして来たのだ。今後も対米従属を国策として維持したいと夢想しているのだ。」
 
この結論から得た、普天間の解決策は、鳩山総理が、「アメリカの計画通り、基地を日本から撤退させていいです」と言うだけでいいのです。

アメリカの基地撤退計画が5年計画ならそれでもいいし、10年計画でもかまいません。日米両政府が合意した撤退計画を示すなら、沖縄の住民は10年でも待ちます。「普天間飛行場の危険性の早急な除去」の為に「代替施設が必要」という、まやかしはやめて頂きたい。

沖縄の住民として是非言っておきたいことがあります。

沖縄の言葉に「チムグリサン」という言葉があります。直訳すると「チム」=肝(心)が「苦しい」という意味で、一般的には「かわいそう」という意味です。しかし、簡単に「かわいそう」と理解して欲しくない。相手の苦境に自分の心を重ね合わせて、相手の苦境を自分も共有する、のが沖縄住民の「チムグリサン」なのです。

沖縄住民は、普天間基地の「国外、少なくとも県外」への移設を要求していますが、「県外」への移設を言われると、「チムグリサン」の気持ちが出てきます。自分たちが苦しんできた普天間基地を「県外」のその地域の住民に押しつけることは、自分たちが受けた被害や苦しみを、その地域の人たちに押しつけることになり、「チムグリサン」の気持ちが出てくるのです。

これは、理屈ではありません。他人から差別を受けたことのある人間の根幹から出てくる心情です。この沖縄住民の心情は、これまで本土の為政者から都合のいいように利用されてきました。
 
理屈から言えば、「抑止力が必要」というならば、抑止力の源泉である普天間基地は「県外」で何ら問題はないし、沖縄住民の「県外」移設要求は正当な要求です。しかし、沖縄住民は、「チムグリサン」の気持ちで、基地被害に耐え忍んできたのです。一部の人たちが振興策に乗せられてきた経緯もありますが、それは本意ではありません。 

鳩山政権は、沖縄住民の圧倒的な支持も得て政権交代しました。これを機に「対米従属の国策」を転換すべきです。沖縄住民の心情を直視し、決してもてあそぶような事をしてしてはなりません。

普天間基地は、国外移設しか選択肢はありません。


http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/680.html

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沖縄考 17 サンバ
沖縄でタクシーに二回乗ったのだが、運転手がふたりとも右手をハンドルから離して踊りか歌の拍子をとるようなしぐさをしていた。http://onomar.jugem.jp/?day=20120508

あのしぐさはなんだろうと思っていたのだが、きょう(五月十三日)分かった。

ことしは沖縄の日本復帰四十周年だというニュースの中で手踊りの映像が流れ、それが運転手のしぐさに似ているような気がした。手踊りは阿波踊りに似ていると思った。

画面から聞こえた「エイサー」ということばをたよりにさがすと、打楽器を使った勇壮な演技がみつかったが、お目当てのものは写っていない。

「沖縄手踊り」で探したらテレビでみたのと同じような手つきがみつかった。
 


似てはいるが、どうも運転手のてつきとは違うような気がする。

更に探していくと、谷茶前節(たんちゃめぶし)の映像にいきついた。左の女性がカスタネットのような楽器を奏でているが、この手の動きが運転手のしぐさと同じである。



「沖縄の楽器」で探して沖縄風カスタネットを「三板」(さんば)というのが分かった。



あのふたりは今日も車のなかで三板の練習をしているのだろう。

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余計なことかもしれないが、エイサーという沖縄伝統芸能が学校の運動会をはじめ、大勢の人に演じられていることも長寿沖縄の原因になっているに違いない。
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沖縄考 16 茶

書き忘れていましたが沖縄では茶も買いました。羽田へ帰るときに空港の売店でみつけて、ものは試しと買ったのでした。



さんぴん茶を飲むと気分がすっきりしました。ウコン茶はまだ飲んでいません。


沖縄茶の宣伝サイトからの抜粋です:

沖縄茶は琉球王朝からの古来からウチナーンチュ(沖縄県人)の生活に密着しております。
沖縄3大野草のウコン、グァバ、
クミスクチンをはじめ、注目を集める栄養成分が豊富に含まれている植物が約1千種もあります。さらに、まだ未発見の植物があるといわれており、健食関連企業、化粧品メーカーなどが調査、研究に力を入れています。

注目を集める植物が千もあるとはすごいですね。長寿沖縄の立役者は植物かもしれません。

クミスクチンは品薄だそうです。そう聞くと飲みたくなる野次馬おのま。


http://okicha.com/

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沖縄考 15 語らない


イラン、スリランカ、ビルマ、インドネシア、マレイシア、東ドイツ、カナダ、アメリカ、そして日本・・・・

ビジネスで訪れた諸国の将来がどうなるのかを診たてるために使った方法はいろいろあるが、なかで大事なのは、いきあたりばったり、偶然に出会い、二度と会うことがない人の話を聞くことである。

二度と会わないから建前ではなく本音を語ってくれることがあるのだ。とても参考になる。

有名とか無名、専門家とか素人とかいう区別は要らない。有名人、専門家と称される人たちが通り一遍の思考や狭い考察の中に閉じこもっている例は少なくなく、彼らの話は未来を観る上でかえって邪魔なことがある。


どんな人でも、それぞれが語る話の背景にはその人が住んでいる世界、その人の人生があって、そこからひとつの言葉がつむぎ出されてくる。つむぎだされた言葉に耳をかたむけて、その大本(おおもと)となる世界の病理や未来を判じる。長年やっていればだんだん正しい判断ができるようになる。

言葉がつむぎだされてこない場面がある。そういう場面における相手の沈黙もまた発信のひとつであるから、沈黙が生じた背景を判じることになる。そのとき判じることが出来なくても、時機いたって不透明の世界が晴れてくることがある。

音声となった言葉を聞くことより、音声にならないがその人の胸の内にある言葉、あるいはその人自身さえ意識していない世界を感じ取る方が意義深いのかもしれない。


前置きが長くなった。沖縄の話である。

沖縄でタクシーを二度使った。

〔觸衆貉ころ。北谷(ちゃたん)⇒那覇(なは) 約十五キロ。
昼十一時ころ。海軍壕公園⇒奥武山公園(おうのやまこうえん)駅 約二キロ。


比較的長距離で良い稼ぎとあってか、,留薪昭蠅論鼎な語り口ではあるが能弁だった。そろそろ普天間基地の近くですかねと訊いたら、急に口が重くなった。そして右手をハンドルから離して、踊りか歌の拍子をとるようなしぐさを続けた。

基地反対派なのか賛成派なのか、いずれの立場であれ、見ず知らぬ異邦人と基地の話をしたくないのだろうと察してホテルに着くまで沈黙の時間に浸った。

海軍壕公園でもって嗚咽しそうになったり、ヤマトンチュは卑劣だという思いが浮かんだりしたあとに乗った△離織シーの運転手は無口で、妙なことに,留薪昭蠅隼たしぐさをしていた。

降りるころになってから、沖縄の土木ビジネスは冷え込んでいる、観光は潤っているところとそうでないところの差がある、観光客はレンタカーする人が多いからタクシー業は恵まれないと語ってくれた。

距離が短かかったし、自らに起きた異変もあってか米軍基地の話を訊こうともしなかったのだが、あるいは、訊いても沈黙が返ってくると感じていたのかもしれない。


沖縄で遭遇した沈黙の時間をときどき思い出していたのだが、五月九日に読んだ三人の対話でもってなんとなく納得がいく思いがした。

ウチナンチュの原風景を知らないヤマトンチュに対して語るのはとてもエネルギーが要るのだろう。

対話の骨子を以下に書く。


位里:沖縄は、八月十五日の敗戦前の、三月ごろからもう米軍は上陸している。日本兵の敗残兵に殺されただよ、みんなが。 (おのま注:ウチナンチュが日本兵に殺されたということ)

澤地:赤ん坊が泣いたりしたら、殺さなければいけなかった。

:わたしたちを泊めてくれた読谷(よみたん)村の家の真ん中の部屋に段々があって位牌を飾るところがある。一番上におじいさん、それからおばあさんの位牌がある。

山の下のほうにおじいちゃん、おばあちゃんが隠れていて、若いものは上のほうの小さい洞穴に入っていた。訪ねてきたおじいちゃん、おばあちゃんに食べ物を持たせたら帰るとちゅう、日本軍に食べ物を奪われて、殺されたという。

日本軍に殺されたことを聞き出すのに三日ぐらいかかった。

最後に言うときは、みんなもう目が真っ赤なの、何もいえないけど、涙を我慢しているから、白目なんか血の色になって、ポツッて最後のころに言う。

澤地久枝(さわちひさえ・ノンフィクション作家・1930〜)、
丸木位里(まるきいり・画家・1901〜1995)
丸木俊(まるきとし・画家・1912〜2000)

(「澤地久枝 対話集 語りつぐべきこと ふたつの世紀をつなぐもの」岩波書店)


ここまで書いてきて思った。

五月五日のブログに、突如としてヤマトンチュは卑怯だという思いが心に浮かんだと書いた。http://onomar.jugem.jp/?day=20120505

あれは七十年前に殺されたウチナンチュの思いがそこいらじゅうに残っていて、それがおのまの心のなかに浸み込んできたということなのかもしれない。

ウチナンチュが語らないから分からない鈍感なヤマトンチュ。

語られないウチナンチュの恨み、怒り、悲しみ、諦めの塊に対して、ヤマトンチュは心の耳、目でもって正面から向かいあい、自らにとっては不都合で痛みをもたらすかもしれない起承転結や理路をつけなければいけない。

それができないで平和とか繁栄とかを唱えても、それは砂の城のようにもろいものでしかないのであろう。



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沖縄考 14 本土決戦


沖縄の海軍司令壕を訪れたとき、突如として心に浮かんできた思いがある。

その思いには起承転結とか理路とかいうものがなく、なにか海の底に埋もれていた正体不明の塊が急に海面に浮かび上がったような感じがあった。

もう少し整理し、理論づけをしてから書こうと思ったのだが、ブログの更新が遅れていることもあり、書いてしまおう。


海軍司令壕で突如として心に浮かんだ思い:

「日本軍は東京を舞台に米軍と陸上戦を戦うべきであった。本土決戦を回避したヤマトンチュは卑怯である」


専門家には及びもつかないが、平均的な日本人としては、戦争に関する資料を読んでいる自分であると思う。今でもほぼ毎日なにかしらを読んでいる。しかし所詮は戦争が終期に向かう時代に生まれているのだから当時の生々しさを理解しえないことを自覚している。

「本土決戦」というスローガンは蛮勇でしかないと思っていた。そんなことは無意味である、本土で陸上戦をせずに降伏したのは合理的であり、正解であると思っていた。

しかし、海軍司令壕を訪れて逆の思いが生まれた。

あのときウチナンチュが戦いに刈りだされた、あのとき若者が自爆攻撃を強いられた。死者の数は万を超した。

それもこれもすべて本土決戦の為の布石であったはずだ。

なぜ本土決戦をしなかったのだ、ヤマトンチュ、特に東京のヤマトンチュ。


本土決戦をせずに降伏したのが、合理的であり、正解であったのかどうかを問い直そう。今の日本に生じている様々な病的現象の大本(おおもと)は本土決戦を回避したことにあるのかもしれない。

はじめに書いたように、今は起承転結とか理路とかのない、最近のはやりでいえば つぶやき である。


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(五月九日・記)

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沖縄考 13 シークヮーサー

昨日のブログに書かなかったが沖縄産物をもうひとつ持ち帰っている。シークヮーサーの原液である。

以下ウィキペディアから:

「シー」は「酸」あるいは「酢」、「クヮーサー」は「食わせるもの」あるいは「加える」を表し、「シークヮーサー」という名称は「酸を食わせるもの」「酢を加える」を表す。

琉球諸島及び台湾に自生する。高さは5mほど。花期は4月。直径3cmほどの白い花を咲かせる。結果は7月頃から。通常は、皮が緑色の時期に青切りで収穫する。 中の果実は小さくて丸く、皮が薄いので、小さな黄色の温州ミカンといった姿をしている。およそ25g〜60g。  味はとても酸味が多く糖分が少ない。 ガン抑制などの効能がメディアで取り上げられ、注目を浴びた。

沖縄で飲んだシークヮーサーのジュースは甘味が施されていたが、持ち帰った原液はとても酸味が強く、水で十倍ほどに薄めて飲みやすくなる。この味が好きになった。市販のジュースは甘すぎる。


シークヮーサーの味で思い出したことがふたつある。


四十数年前、同級生一同で静岡県の戸田(へだ)にある寮に遊んだことがある。寮の庭だったかあるいは寮の近所だったか、レモンの木があったので青々とした実を一個ちょうだいした。

そのごカリフォルニヤ産のサンキストレモンが日本で流行りだしたのだが、戸田レモンがサンキストとは似ても似つかぬとても上品な香りがしていたことを思い出した。


母が存命のときは、母のもとに愛媛・宇和島にある実家から年に一、二度、みかんが送られてきた。甘い冬みかんもあったが、すっぱい夏みかんもたくさん届いた。すっぱすぎて苦手であった。

何年たったのだろうか。気がついたときには夏みかんの酸味が薄れていた。改良されたのである。


当地で食べるみかんはみかん本来の姿から遠く離れているような気がする。ほどよい酸味がなく、歯にはじき返されるような弾力が伝わらない。戸田のレモン、すっぱい夏柑が欲しいと思う。

人がいじくりまわしていない原種に近いかんきつ類は人の健康にも良いのではないかと思う。

たとえ値段が張っても、日本でできる産物を大事にすることが賢明だと考えるのだが、安い外国産と換えるのが良いとするシューサイが多いから、多くの日本産が滅びるのであろう。惜しむべきことではある。



シークヮーサーも長寿沖縄の原因のひとつだと思う。今の姿で生き延びて欲しい。

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沖縄考 12 長寿の秘訣

三月、日本へ行く前のことである。

家に泊まりにこいという知人夫妻のためのお土産は何が良いかを彼らと親しい人に訊いたら、クラブツリー&イヴリン社のざくろの香りがするハンドクリームが良いという。ふたりが愛用しているのだいう。

初めて入ったクラブツリー&イヴリンの店は小振りで、店員♀がふたりいた。 ひとりは自分の母がクラブツリー&エブリンの製品を愛用していると云った。もうひとりは数ヶ月前にイギリスからカナダへ移り住んだばかりで、クラブツリー&イヴリンはイギリスの会社だがカナダに来るまで知らなかったと云った。

ハンドクリームは日本の知人へのみやげだと言うと、何処にいくのかと訊くので東京と沖縄だと答えるとひとりは沖縄って知らないと云ったが、イギリスから来たほうは世界一長寿の島だと云った。


ウチナンチュは昆布と豚を一緒に食べるから長寿だという話を聞いたことがあるが、昆布と豚をまいにち食べるわけでもなかろう、他にも長寿の要因があるのだろうと思っていた。気候とか生き方とかいうものもそうではなかろうか。

沖縄に着くと空気に芳香が漂っていた。こういう空気も長寿の原因になるのだろう。沖縄料理を何種類か食べたが、どれも体によさそうな感じがした。ウチナンチュウの長寿はやはり昆布と豚だけではないと思う。

沖縄産物をバンクーバーに持ち帰った。

ハブとハーブが入っている泡盛
イカ墨をつかった黒いソーセージ
島ラッキョウ
豆腐よう


五月二日(水)の昼、ゴルフ、スキーの仲間で酒好きの四人(3♂ 1♀)を家に招いて持ち帰った沖縄産物を平らげた。

何がいちばん旨いかは訊かなかったが、たぶん島ラッキョウと豆腐ようはみんな気に入ったのではなかろうか。

島ラッキヨウは日本のラッキョウと違った風味があり滋養に富んでいると感じる。豆腐ようは麹を使って作るそうで、舌の上でとろけるときに絶品だと思った。カラスミやキャビアより上等な肴だと思う。



写真の五人のうちおのまを入れた三人♂は七十である。

おのまはもうじゅうぶん長生きしたと思っているが、沖縄の旨いものを知ってもう少し生きてても良いかという妄念が生まれた。

沖縄は旨いものがたくさんあるせいで生きていることが楽しい、楽しい状態にあることが長生きの秘訣なのかもしれない。楽しくない状態にあっても長生きする人はいるからあてにならないが。


クラブツリー&イヴリン
http://www.crabtree-evelyn.jp/

豆腐よう
http://www.tofuyo.com/

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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄考 12 海軍司令部壕

慰霊塔をあとにして海軍司令部壕に入った。

 

昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。



(出典:旧海軍司令部壕 http://kaigungou.ocvb.or.jp/top.html

壕の中へ入っていく石段はかなりの傾斜がある。



手すりは観光客のために作られたものであろう。往時は石段を走り降りる途中で転んだ軍人がいたのではないだろうか。

壕の中は狭い。



仕事でオンタリオ州サドベリーにあるニッケル鉱山に行ったことがある。エレベーターで降りた地底に走る坑道は広く、高く、車が走っていた。

時代が違うといわれるかもしれない。しかし、地底に立て篭もって米軍に勝てといわれるのであればもっと機動的に動ける大きな壕に立て篭もりたい。

四千人もの兵士が立て篭もるにはチャチである。立ったまま寝たそうである。戦う前に疲弊してたに違いない。



こういう壕を根城にして正規軍のあるべき精緻な戦いができるとは思えない。

そうかといってゲリラのアドリブ的戦いに向いているとも思えない。



司令室。





坑道の完成度が低いのはよほど余裕がなかったからであろう。



ここで大田実少将(当時)らが自決したのであろう。黒いのは手榴弾の破片の痕の由。



人間魚雷回転、人間ロケット桜花、人間機雷伏龍、〇四金物、神風特別攻撃隊、玉砕、海軍司令部壕・・・・

こういった自殺的発想を恥じず戦えと号令した日本海軍のトップ達は幼稚、愚劣、杜撰、無責任のきわみであった。

この幼稚、愚劣、杜撰、無責任が今の官僚達に引き継がれている。

敵軍と 戦う前に 逝かれてる
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沖縄考 11 コメコメ@桃玉菜

本日は三月二十六日のブログ「桃玉菜」にいただいたコメントへのコメントです。


こんにちは、春休みのお孫さんを迎えてお忙しそうですね^^

はて…ガジュマルの花って匂ったけ?・・・今回掲載されている木は、テリハボクのようですよ。イラクサ目クワ科イチジク属のガジュマルとは全く違うツバキ目オトギリソウ科の植物です。また拙ブログからの紹介ですみません。

〇テリハボク:
http://suyap.exblog.jp/14605999/

〇ガジュマル:
http://suyap.exblog.jp/13956876/
http://suyap.exblog.jp/3171835/

志村建世さんのブログに載ってる写真のほうがクリアかも。不肖わたくしもチラッと登場、沖縄の方とテリハボク談してるコメント欄もご参考に:
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=4128247

わが島ではテリハボクもガジュマルも「神さんの住む木」として、むやみやたらと切ると罰があたると信じられています。沖縄でもガジュマルにはキジムナーという神さんが住んでいたはず。ミクロネシアと沖縄は植生も民俗も…そして大国の戦争屋どもの軍事戦略上でも、すごく近いものがあるのです。
| suyap | 2012/04/01 10:36 AM |


女は愛嬌ますます美人のみいたんがやってきてからブログ更新が遅れています(笑)。七歳児のエネルギーってこんなにあるのかと驚きます。スキーの指導をしたあとはグロッキーです。


ネット時代のありがたさ。沖縄の木といえばガジュマルしか知らなかったのが、先日はモモタマナ・桃玉菜、今日はテリハボク・照葉木を知ることになりました。

suyapさんはこう書いています:

2週間くらい前から少しずつ開花していたテリハボクの花が、いまや島中で満開となり、ほのかな良い香りをあたり一面に漂わせている

おのまが沖縄に着いたとき照葉木の白い花は散ったあとでしたが、それでも花の香は大気に残っていたようです。バリ島デンパサール空港に降りたときの芳香も照葉木だったのでしょう。


テリハボクもガジュマルも「神さんの住む木」という思いには同感するところがあります。

初めてみるガジュマルの形や質感に畏敬の念がうまれ、木肌に触れるのも畏れ多いと思いながら眺めていました。

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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄考 11 自己正当化

昨日はブログを書きながらなにかおかしいと感じていた。今朝目が覚め、何がおかしいのかを考えた。何がおかしいか分かった。

「あのとき、僕はここで起きていたことを知らなかったんだよ」という声が「どうやら1945年初夏の自分の声らしい」というのがおかしいのである。

「あのとき・・・知らなかった」と言ったのはあのときの自分ではなく今の自分である。今の自分が1945年の自分は知らなかったと思ったということである。


昨日のブログは一種の自己正当化だったのではなかろうか。

七十になってようやく沖縄を訪れた自分、沖縄に対して何をすることもなく生きてきた自分。「あのとき、僕はここで起きていたことを知らなかったんだよ」とはそういう自分を正当化する言い訳ではなかろうか。

小学生のときにみた映画「ひめゆりの塔」から始まり、戦記や評論を通じて沖縄で起きたことを学んできた。それにも関わらず沖縄との関わりが希薄なまま今に至っている。慙愧に耐えないという思いを正当化するために「あのとき・・・」と思ったのではなかろうか。

「あのとき・・・」という声が聞こえてそれっきりだったのは、潜在意識がそれ以上の言い訳を恥じたからではなかろうか。涙がでたのは沖縄の過去を思っての涙ではなく、沖縄に対する自らの関わりかたに対する悔悟の涙だったのではなかろうか。

「あのとき・・・」から今に至るまでの自分の軌跡は自他、両者の力によってつくられたものであり、沖縄に対する関わりが希薄だったのはそれを自らが積極的に望んだからではないとも思う。しかし、映画や書物で沖縄の惨状を知っても尚それが自らを大きく動かさなかったことは恥じるのが良い。

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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄考 10 豊見城の丘にて


沖縄、豊見城(とみぐすく)の丘。

モモタマナ・桃玉菜をあとにして道なりにあるいていくと「慰霊の広場」に導かれる。



「海軍戦没者慰霊之塔」が見えてくる。




司令壕を根城にした戦いはかんばしからず軍人たちが壕の中で自決している。

そのひとり、大田実少将(死後中将)が自決する直前の6月6日に海軍次官宛てに発信した電報は広く知られている。沖縄県民がこうむった惨状に報いて欲しいという趣旨が胸をうつのである。

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 
沖縄県民斯く戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

電報の全文を碑にしてあった。





碑から右手にまわり石段に昇ろうとしたら塔のうしろに木がみえた。



ファインダーからこの風景をみてシャッターを切るとふいに目から涙がこぼれた。そして声が聞こえた。あのとき、僕はここで起きていたことを知らなかったんだよ。

僕とは誰?・・・

あのときっていつ?・・・


どうやら1945年初夏の自分の声らしい。

僕は三歳、満州にいて家族と共にふつうの暮らしをしていたのだと思う。

一家が満州からの逃避を始めたのは戦争が終わり、ソ連兵が満蒙国境を越えて何日もたってからである。我が家に闖入(ちんにゅう)したソ連兵をはっきり覚えている。政府や軍の関係者たちの多くはとっくの昔に逃げていた。原発事故が起きたのに逃げられなかった人たちと同じ構造があった。


あのとき、僕はここで起きていたことを知らなかったんだよ、という声はそれっきりだった。

石段を登りながら冷静になろうとしたが涙は止まらず、鼻水が出てきて、やがて嗚咽が始まったのには驚いた。

石段をあがったところに人がいないのを幸い、「僕」におもいきり声をださせ、泣かせてしまおうかと思ったが、石段に近づいてくる人影がみえたので懸命に抑えた。


どうしてそういうことになったのか分からない。

六十数年前に起きた沖縄の惨劇がなんたるものかは書物で知っているからいまさら泣くことなどない筈である。

六十数年前の自分が満州からはるか彼方にある沖縄で起きていることを知らなかったことだって泣く必要はないだろう。

そう思うのだが、あるいは違うのかもしれない。今この瞬間、世界のどこかで起きている惨劇や悲劇を、今の自分が知らないでいるということは大いに悲しむべきことなのかもしれない。

ニンゲンの無知、無力が罪の源泉であることを知っている木々のスピリットに感応したのかもしれない。ニンゲンは哀れなものよのう。

ここまで書いて、あのときの僕は・・・という声がする直前、七十にしてようやくここに来たという思いが浮かんだことを思い出した。


涙を袖でぬぐいながら撮った写真:






大木に 霊宿るらし 豊見城
たいぼくに れいやどるらし とみぐすく

232

電文の全文

続きを読む >>
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沖縄考 9 仏性

きのうのブログに「地上にあるものすべてに仏性が宿っている」と書きましたが、今朝目がさめると、はて仏性(ぶっしょう)とはなんのことかいなと考えました。

起きて検索しましたが、これぞという答えがみつかりません。それでも、沖縄の木を眺めていて仏の性が宿っているというような気分になったのは、説明できないけれど何かしら善い存在があったのだろうと思います。


三月二十五日(日)、女は愛嬌ますます美人のみいたんがひとりで日本からやってきました。



七歳にして一人旅とはすごいと思いますが、従兄のゆうきんはすでに二回ひとりで来ています。出発から到着まで飛行会社のひとがついてくれるので心配ないのです。

みいたんのお母さんがブログで出発の様子をこう書いています。

早く飛行機に乗りたくて仕方がない様子。

カナダに行ける事が楽しみで私とのしばしのお別れで寂しいとか、そんな感情は全く無いみたい。

お子様1人旅なので優先的に座席に案内していただけますわーい(嬉しい顔)

綺麗なCAさんと手をつないでルンルンと飛行機へ向かって行きましたハート



バンクーバーに着くと飛行機の中まで係りのお姉さんが迎えにいき外まで連れてきてくれます。

無事着いてルンルン気分のみいたん。




三月二十六日(月)の夜、暖炉に火を入れました。

薪に火がつくまで新聞やちらし広告を燃します。

みいたんも新聞やちらしを丸めて暖炉に入れたのですが、きれいなちらしを手にしたみいたんはきれいなのにごめんねと言いました。

小さい声でごめんね、ごめんねと言いながら火の中に紙を入れる様子を見て、子供ながら慈悲の気持ちがあるものだと感心したのですが、紙にそういう気持ちを抱くのはみいたんにも紙にも仏性があるということなのでしょう。



227
| おのまのプロフィール | 沖縄 | 01:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
沖縄考 8 桃玉菜
 ★
ブログの更新がだいぶ遅れています。今は三月三十一日の午前一時。

昨日いただいたコメントへのコメントです。


こんにちは、
赤い葉っぱの木はモモタマナのようですね。沖縄の言葉では確か
クファディーサーとかンーマーギーとか言ったと思います。
ヤップではケル^^
http://suyap.exblog.jp/13640434/

葉や木の皮は薬になり、実はアーモンドのような味がしますが、
気づくとみんな食べられちゃってます。
| suyap | 2012/03/30 4:49 PM |
 

沖縄那覇空港に着いて最初に気がついたのは空気にほのかな芳香があることで、次は本土やカナダで見たことのない木、ガジュマルでした。こういう形になる木があるんだなあ。

春、三月に赤い葉がある木を見たのは初めてで、したがって名前は知りませんでしたが、ネット時代のありがたさ、モモタマナ、クファーディーサー、ンーマンギー、ケルと言うそうです。


そばにあった木を撮りました。幹も枝も葉もしっかりした感じがあります。これもガジュマルですかね?













山川草木悉有仏性。

地上にあるものすべてに仏性が宿っている・・・・・

まあ、当たり前といえば当たり前のことなのですが・・・

サル族ニンゲンは地上でいちばん劣る生命体なのかもしれません・・・

モモタマナに宿る仏の性 汝にありや

205
| おのまのプロフィール | 沖縄 | 16:38 | comments(1) | trackbacks(1) |
沖縄考 7 赤とんぼ




九三式中間練習機
赤とんぼは第二次世界大戦中の日本海軍の飛行機で、練習機である。日本軍の練習機は目立つようにオレンジ色に塗られたことから別名「赤とんぼ」と呼ばれていたが、本機はその内の代表的な機体のひとつである。

戦争末期には実用機不足と当機がアルコール燃料でも稼動可能なことから、後席に増槽としてドラム缶を装着し、機体の限界に近い250kg爆弾を積み込んでの特攻に駆り出され[2]、駆逐艦1隻(キャラハン)を撃沈している。

陸上機、水上機合計5,591機[3]が生産され、製造機数の多さと練習機という任務から、終戦時に残存していた機体数は海軍の機種の中では最も多かった。(ウィキペディアより)


第二次大戦がおわり、満州から引き揚げたわが一家(両親&3男児)は本土を転々とした。母の実家がある愛媛に身を寄せたことや横浜で父の同僚達と共同生活をしたことは覚えているが、そのほかはどこにいたのか皆目見当がつかない。横浜市戸塚区中野町のちいさな借家に落ち着いたのは本郷小学校に入る直前でその頃からのことは良くおぼえている。

横浜では市川さんという家族と一緒だったが市川家には雅子さんという女の子がいた。どういう子だったかは記憶にないのだが、わが両親が雅子ちゃんは上智大学に進んだとか、外人と結婚してデンマークに住んでいるというような話をしていたので名前を覚えている次第である。

そのとき乗っていた汽車がどこへ向かっていたかは知らない。窓からみる荒涼とした野原に赤い飛行機の残骸があった。くしゃくしゃになった残骸がころがっているのを見て敗戦のなんたるものかを理解したような気がする。

満州で逃げていた時は現在進行形のせかされる気分があったが、飛行機の残骸を見たときは現在完了の落ち着いた気分であったと今になって思う。


海軍司令部壕に向かっていると赤い葉の木が見えた。



春三月なのにこんな色の葉があるとは面白いと思った。

すっかり葉が落ちてしまった木もある。



風に吹かれて落ちる葉が六十数年前にみた赤い残骸と重なった。



赤い葉が 一枚また一枚 落ちていく

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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 13:58 | comments(1) | trackbacks(0) |
沖縄考 6 守屋武昌

沖縄で浮かんできた思いを綴っている。

生まれて初めて訪れた沖縄のその場その場で突発的に生じる思いであるが、時には自分でもとまどうような思いが生じた。生まれて初めて訪れる所はいくらでもあるのだが沖縄でおきたようなことは経験したことがない。

学生の頃から訪れてみたいと思いつつも七十になる今日まで来ることのなかった沖縄は、行ったことのない外国みたいな所であったと思うのだが、しかし、小学生の頃にみた映画「ひめゆりの塔」とか長じて読むようになった戦史や評論という下地があって、沖縄については格別な気持ちが、たとえばウチナンチュウに対してあるべきヤマトンチュウのうしろめたい気持ちが潜在意識下にあったのかも知れない。

いまこの地を訪れることによって沖縄という名のマグニチュード9の地震に揺さぶられ、長年潜在意識という土中に埋もれていた、うしろめたさとか悔悟とかいう名の水や砂が表にでてきたのであろう。意識の液状化現象。

今日はそういうもの、すなわち潜在意識下に埋もれていたもので、これからどんどん表に出てきそうなもののひとつを書くことにする。


守屋武昌という人物を覚えておられるだろうか。

防衛省の次官であった人で現職中に収賄行為をしたかどで有罪判決をくだされ、目下控訴中である。ありもしない収賄事件をでっちあげられて有罪判決、控訴中の佐藤栄佐久・元福島県知事の置かれている状況と瓜二つである。

四年前、おのまは守屋武昌が有罪となるまでの複雑怪奇ともいえる事情をまったく知らないまま「守屋武昌前防衛事務次官は黒か白か」と題するブログを書いた。事情を知っている今、われながら自分の目は曇っていなかったと思う。

以下に四年前のブログを再掲し、そのあとで複雑怪奇なる事情を知る一助となる動画を載せる。

四年前のブログと動画との間には大きな知見の差がある。これを埋めるためには「普天間交渉秘録」 (新潮社)を読むと良い。RECOMMEND商品に加えた。沖縄に関心のあるかたには是非読んでいただきたい。日本外務省のインポテンシーや卑劣さから派生した司法、報道の歪みや日本の低迷、閉塞感がどこからくるのかということが分かる一冊である。


四年前のブログ:

十月二十九日(月)守屋武昌前防衛事務次官が国会に証人として喚問された。

喚問の様子をテレビでみた。

1 守屋が倫理(自衛隊員倫理規程)に反してるかどうか
2 守屋が収賄行為を行ったかどうか 
3 政治家の収賄行為があったかどうか

喚問した理由が上の三点であるとする

おのまのみたて:

1 守屋は倫理に反していると自らみとめた
2 守屋は収賄行為を行っていない
3 政治家が収賄行為を行ったかどうかは不明

おのまの印象:

●防衛商社「山田洋行」の宮崎元伸元専務から度重なるゴルフや会食の接待を受けていたことについて

1 ゴルフをするたびに一万円を払っていた

2 なぜ一万円か: 山田洋行社の社員は一万円でプレイできるので 社員並みに一万円はらってくれと宮崎から頼まれた

3(ゴルフプレイをする前にクラブのフロントで氏名を登録するが)
かくかくしかじかの偽名を使ってくれと宮崎に頼まれた

●上記から判断すると接待だといえるかどうか疑問に感じる。ワリカンのような感じだ

1 おのまが会員になっているショーネシークラブではゲストのプレイ代は高いが 会員が同伴する場合は約120ドル(一万三千円・税こみ)でプレイできる

2 プレイ費はクラブの内規で決めることであり、当該クラブには社員並みでプレイできる内規があるのかもしれない

3 李下に冠をただした 程度のことではなかったかという印象が強い

4 倫理規定に照らして処罰することで一件落着。 国会でこれ以上時間をかける問題ではない

●喚問を通じて 守屋は虚偽の発言を一切しなかったという印象をもった

●テレビ(たとえばみのもんた)や週刊誌が報じているセンセーショナルな憶測でもって守屋が不当に扱われていると印象をもった

http://onomar.jugem.jp/?day=20071030


複雑怪奇なる事情を知る一助となる動画:


 



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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 00:46 | comments(0) | trackbacks(1) |
沖縄考 5 米軍機
海軍壕公園は、那覇市の南西の豊見城岳陵にあり、東シナ海、那覇市街、首里城が展望できる位置にあります。首里王朝時代には、中国や薩摩からの船の入港を知らせる「ヒバンムイ」があった場所です。
また、第二次世界大戦末期には日本海軍の司令部壕がおかれ、激しい戦場となりました。
現在では、沖縄から世界に向けた平和を発信する戦跡公園として整備され、交流や憩いの場として、観光客はもとより広く市民に親しまれています。(旧海軍司令部壕「海軍壕公園」)


サイト・旧海軍司令部壕「海軍壕公園」を開くと公園の絵地図や展望台や広場などの写真が出てくる。綺麗にできているサイトである。
http://kaigungou.ocvb.or.jp/park.html

実際に公園の中を歩くとサイトには出てない大きな墓がいくつか目に飛び込んでくる。







いずれも壮麗な構えである。廟(びょう)と呼ぶべきであろうか。

廟の上にジェット機が現れた。

カメラを向けた。



Shoot

一機、撃墜



オキナワが眺める空は米軍機



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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄考 4 黒猫 つづき


一、二メートルのところから見る黒猫は猫・ゲンキーにくらべてとても小さかった。♀だろうか。



猫が小さいのは島のサイズに似たからかもしれない。小さな黒猫、小さな沖縄。

猫・オキナワと命名した。

オキナワが歩き始めた。



左脚に怪我の痕がみえた。乾いている様子からみて古傷だろう。かつて米軍と日本軍の陸上戦に巻き込まれた沖縄は大きな傷を負ったがその傷痕にも似ている。

オキナワがこちらを振り向き一緒に歩かないかと云った。



追いつくのを待つかのようにオキナワが座った。



あんた、みない顔だけど、どっからきたの?



ほう、カナダからかい。



でも・・・

カナダ・・・知らねーにゃあ



オキナワには深い思慮・思考を重ねてきたような表情があった。



それは口元に現れている。



ふたたび歩き始めたオキナワをこんどは追わずに見送った。

オキナワ、達者にくらせよと声にだした。



一緒にこないのか。



所詮は沖縄の痛みを実感できない世界にいる自分だ。とやかく言う資格はない自分だと自分に言い聞かせた。

そうさ、所詮は部外者の感傷だにゃあ。悪いといっているわけではにゃいぞ。おまえも達者でにゃ。



オキナワが立ち止まった。



こちらを見ていたのだろうかと思い、拡大すると・・・



オキナワの視線は別なところに向かっていた。

黒猫が眺める空に米軍機

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沖縄考 3 黒猫

緩やかな坂をのぼっていくと・・・



沖縄にはマムシより怖い毒蛇・ハブがいるということを郡山市立芳山(ほうざん)小学校の同級生から聞かされたことを思い出した。どうして東北のこどもが沖縄のことを知っていたのだろうか。

そういえば生徒全員が映画館につれていかれて「ひめゆりの塔」を見たような気もする。

猫の視線を感じた。



望遠にしてパチリ。



距離をたもったまま猫と平行に歩いた。

猫を無視したふりして墓所をパチリ。



少しずつ距離を縮めていった。









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| おのまのプロフィール | 沖縄 | 17:18 | comments(0) | trackbacks(1) |
沖縄考 2 海軍司令部壕
聖獣・シーサーの写真を撮り終えて歩き始めるとバスがやってきて目の前で停まった。

運転手にこのバスは海軍司令部まで行くのかと訊くと、宇栄原(うえはら)団地前で降りればすぐだと言う。

バスから見えた居酒屋の看板。



ビール55円とは! 日本一安いかも。

宇栄原団地前に着くと運転手はあの石段をのぼればすぐ分かると言った。石段を登った所にいた中学生らしき女の子に教えてもらい旧海軍司令部壕のある公園に着いた。



海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)は、沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。昭和19年日本軍の敗色が濃厚となり最前線となった沖縄の軍備が強化されることになった。小禄飛行場(後の那覇空港)を守るための防空壕を建設することになり、飛行場を南東から見下ろす標高74メートルの火番森あるいは七四高地と呼ばれる丘が選定された。枝分かれした全長約450メートルの坑道といくつかの部屋からなり、砲撃に耐えられるよう重要な部屋はコンクリートや漆喰で補強されている。(ウィキペディアより)



海を望む丘の地中に日本海軍

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沖縄考 1 奥武山
沖縄県那覇市那覇空港駅首里駅、12.9キロを結ぶモノレールの愛称は「ゆいレール」という。「ゆい」は琉球語の「ゆいまーる」(「雇い回り」を語源とする村落共同労働を意味する)の「ゆい」から取られたものである。(ウィキペディアから)

 

三月十九日(月)

ゆいレールの旭橋駅(あさひばしえき)ちかくにある宿をチェックアウトしたのは朝の九時前。まだ温まりきっていない大気にあるかすかな芳香はすこしバリ島に似ていると思った。芳しい空気を吸っているうちに頭から緊張感が消えていく。うっふ〜ん。

旭橋駅から五、六分で那覇空港駅に着いた。

空港駅のロッカーに旅行カバンとパソコンをしまい、ショルダーバッグにカメラと地図を入れ、ふたたびゆいレールに乗った。三、四分で奥武山公園駅に着く。

奥武山は「おうのやま」と読む。

奥武山公園駅から沖縄海軍司令部壕までの距離は二キロ、二十分ほど歩けばいい。

歩きだしたとたん目に入ってきた民家の入り口でこれまたバリ島に似ているなと思った。



沖縄もバリも獅子を模して聖獣とする。

沖縄の聖獣は獅子と書いてシーサーと読ませる。シーシーとも言う由。バリ島ではバロンである。



奥武山 獅子・シーサーは バロンの弟

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