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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

感傷旅行 27・ みかど
●ハロウインや中間選挙のことを書いているうちに感傷旅行シリ−ズがまた途切れました


感傷旅行中にレストラン「みかど」に行きました

十年前、オーナーシェフの枡田さんは新しいところに引っ越すかもしれないと云っていたのですが元の場所にありました

しかし鮨バーの裏にある座敷部屋は広くなっていました



カウンターに座って飲みながら話をしていたら1997年の話になって、あのときみかどに小林浩美からお礼の電話があったと枡田さんが言ったのでへーと感心しました

もしかするとその話は十年前にも聞いたことがあるのかもしれませんが、なんだか初めて聞いたような気がし、そういえば弁当を持って行ったことを思い出したのです。忙しいなか電話を入れた小林もいいなあ


十一月になり寒くなると枡田さんは店の裏にある小さな炉をつかってスモークサーモンをつくります。おのまはスモークサーモンが好きで色々な所でたべてきましたが枡田さんがつくる桜の木でいぶしたスモークサーモンが一番うまいと思います

十年前は半身ほど分けてもらったりしていましたが、今は店で使う分を作るのが精一杯だそうです。だれしも寄る年波には勝てない(笑)



そろそろつくる筈です。トロントにおられる方は電話で訊いて、出来ていたら食べにいかれるといいです。電話は416−421−6016

「みかど」のサイト:
http://www.mikadorestaurant.ca/
| おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 03:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
感傷旅行 26・ 岡本綾子


小林浩美を食事に呼んだ頃のトロントでは岡本綾子を悪くいう人がいました。小林が温顔で接しやすい雰囲気があるのに対して岡本は寡黙で近寄りにくい雰囲気があったからかもしれません

その後おのまがトロントを去る頃、すなわち2000年ですが、岡本は日本人ギャラリーに対して冷たくてサインもしてくれないから評判が悪いのだという人がいました。訊いてみるとその人自身は岡本に会ったことがなく1990年、キッチナーのカナダオープンでそういうことがあったらしいといいます

1990年の岡本は遠くから見ただけなので何ともいえないのですが、岡本が日本人に対して冷たいというのは違うと反論しました。1995年、モントリオールで開かれたカナダオープンで初めて岡本について回ったのですが、そのときの実感なのです


モントリオールの名門コースで開かれた女子カナダオープンは日本人ギャラリーが少なく、日本からきたと思われるカメラマン達のほうが目立ちました。カメラマン達は岡本を追っているのですが、岡本だけに集中していて他のプレイヤーが打とうとしているのに動いたりしていました。流行ことばでいうとKY、全体の雰囲気を乱す傍若無人ぶりです

日本のマスコミ人はもう少し全体を見てくれ。おとなになってくれ。と云ってもムダでしょうな

カメラマンの動きに気がついていた岡本は他のプレイヤーに気を使っていました。イライラした気分が伝わってきます。そりゃあそうです、ギャラリーのこちらがカメラマン達の動きを見てハラハラしているのですから

17番、打上げのパー3をワンオンしたところで岡本の集中力は切れ、4パットのダブルボギーをたたきました

ホールアウトしたあとの岡本を日本の記者たちが囲みインタビューをしているのを見ていたのですが、岡本は苦虫をつぶしたような顔です。機嫌悪そう、サインを頼んでもしてくれないかなと思ったのですが当方の差し出したサンバイザーにすらすらとサインをしてくれました

サインを終わって、バイザーをこちらに返そうとして岡本は、あっ日本人?じゃあ日本語も書きましょうと云って漢字のサインを加えてくれました

岡本を間近でみたのはそのときだけです。終始二コリともしなかったのですが、実は繊細な人、正直な人、誠実な人だという印象を持ちました

おのまのみたて:

★岡本綾子は子豚のようにうるさい日本のマスコミ人とは合わない

★子豚マスコミ人は自分たちにおもねらない有名かつ実力のある人(たとえば岡本綾子とか小沢一郎)の姿を歪めて騒ぎ立てる

★1990年の岡本を取り囲んだ日本人ギャラリーは、バンクーバーオリンピックでもって、カーリング選手が石を投げようと構えたときに声援を飛ばした日本人と同類のKYだったから岡本はサインをしなかった(ほんとにしなかったのかどうかは分らないのだが)


岡本綾子はその後どうしているのでしょうか。ウイキペディアをもう一度みました。おお、良い人生を送ってますねえ
2008年郷里・安芸津町に近い東広島駅近くに居を構え、広島と東京の半々くらいの生活を始めた。家庭菜園や近所に住む長兄夫婦の畑などで好きな土いじりをしながら、愛犬と暮らしている。今後は広島に生活の基盤を置く予定と話していたが、服部真夕をプロデビュー後から指導して以降、定期的に女子プロゴルファーへの指導を行う。門下生に服部真夕、表純子、青山加織、森田理香子らと増えてきて、門下生が口にする「師匠・綾子の教え」が誌面やスポーツニュースに登場する機会も増え、岡本の指導者としての実力も注目を集めるようになった。また「全米女子オープン」などのテレビ解説者としても出演している。このため2010年現在「半農・半ゴルフ生活」という。


モントリオールの名門コース 
http://www.beaconsfieldgolf.ca/bgc/

おのまはビーコンフィールズを一度しか回っていません

おのまの銀行時代、よく訪ねていたモントリオールシッピングという船会社の財務部長だったガイブシャーが主催しているゴルフ会に招かれて回っただけです

ガイに今度はおのまのクラブに招くと約束したのですが日本転勤になり果たせませんでした

三年後、転職してトロントに戻り、ガイをデビルスパルピットに招待して約束を果たしたのですが、その時おのまはホールインワンを出しました。打ったとたんにガイがインザホールと叫んだものです。ガイはかつてハンディキャップ2までいったことのある人で、勘が優れていたのだと思います

ガイは社長になっていましたが、部長時代にあったにこやかな雰囲気がなくなったなあと思いました。ゴルフの腕も体も衰えはじめていたようです

来年はビーコンフィールズで回ろうと云ってくれたたのですが、ガイは翌年のゴルフシーズンの始めに逝きました

一期一会

人間、生きている間はつまらないところで勝負しないことです


デビルスパルピット#7にはティーグラウンドが八個所ある


おのまがホールインしたのは左から三番目だったろうか

距離107ヤード、強い逆風、八番か七番
もしホールインワンをして何番で打ったかと訊かれたら八番のほうが格好よい
頭の中で七番で打てという声がした
七番で打った
ガイがインザホールと叫んだ
ボールがホールインするのが見えた
グリーンの脇にいたスタッフが歓声をあげた

http://onomar.jugem.jp/?day=20060726

| おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 01:59 | comments(3) | trackbacks(0) |
感傷旅行 25・ 小林浩美


きのうからゴルフ頭になる努力をしており本日のブログは女子プロの小林浩美について書きますがそのまえにひとこと


双方向性のネット世界、書いたものにコメントを頂き、そのコメントに対して又コメントを書くことによって思考の地平線が広がりおのまの天才度があがる、また楽しからずや・・・ですが、ここのところ頂いたコメントに対して当方からのコメントが途切れています。なぜなのか

ひとことで云えば頭のスタミナがなくなっているのです。コメントを頂くと必ず何かしらを考えるのですがこのところ不可読み・・・うんにゃ・・深読みをしたりしているうちに迷路に入り込んだりします。瞬時に理解し、判断し、回答するのがおのまの流儀。というのはうそですが、できるだけそうありたいと思っていても出来なくなる時があります

簡単なことだから片付けちゃえばいいのにやらない、やれない・・・そういうことって誰でもあるでしょう。車に要らないものが乗っているとか、ご婦人だったらハンドバッグの中がごちゃごちゃになってるとか・・・

頂いたコメントで分らないことがあると、例えば、長井明さんからいただいたコメントにある「ピッチ」なるものが分らなかったのですが、そういうものをすぐ調べてみるということができなくなっています。グーグルで調べればよいのですが・・・

まあ、そういうような状況で頂いたコメントに対する当方のコメントが滞っているのですが、これはこれで良いのではなかろうかとも思います。瞬時理解判断回答ではなく、頂いたコメントを熟読玩味し何かが熟してくるのを待つ・・・

ということでコメント返しは暫くのあいだ滞るかも知れませんが、ひきつづき皆様からコメントが寄せられるよう期待しています


さて本題

小林浩美というプロゴルファーをご存知でしょうか

小林浩美@ウィキペディア

  • 福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)時代はソフトボール部でピッチャーを務めていた。
  • 体育教師を目指していたが大学受験に失敗し、ゴルフ好きの父の勧めでゴルフの道を選んだ。
  • 1984年9月、プロテスト合格。
  • ツアー5年目の1989年に初優勝を含む年間6勝を挙げ賞金ランク2位となる。
  • 1989年の第40回NHK紅白歌合戦では審査員を務めた。
  • 1990年からアメリカツアーに参戦。
  • 1993年、JAL・ビッグ・アップル・クラシックで優勝し、樋口久子、岡本綾子に次ぐ日本人3人目の米女子ツアー優勝を果たす。
  • 2003年11月24日、外務省・アトランタ総領事館勤務の男性と結婚。
  • 2008年2月、日本女子プロゴルフ協会(LPGA)理事となる。


    小林はアメリカツアーに参戦した1990年にオンタリオ州のキッチナー市にある名門クラブで開かれたカナダオープンにも参加しました

    当時は1981年からアメリカツアーに入った岡本綾子選手が活躍中だったので日本人ギャラリーはおのまを除きみんな岡本についていました

    岡本@ウィキペディア
    岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、広島県豊田郡安芸津町(現:東広島市)出身の女子プロゴルファー。樋口久子らと共に日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。
    日本女子ゴルフツアーで44勝、アメリカLPGAツアーで17勝。日本ツアーの永久シード権を獲得しているほか、1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王になった。

    カナダ人にも知られていた岡本はギャラリーに囲まれていましたが、無名の小林の周りは寂しいことこの上なし。ティーショットを終わった小林が、日本人の方ですか、応援して頂いて嬉しいですと云ったものです。こんな顔でした




    七年後、カナダオープンが1997年にオンタリオ州オークビルのこれまた名門コースで開かれました。ジャックニクラウスが設計したコースで、何度も男子カナダ―プンが開かれたのですが、ニクラウスは一度も勝てませんでした

    この頃になると小林の知名度は高まっていて、大会の二日か三日前の夜、トロントのゴルキチ約二十名が小林を食事に招いたものです。小林は仲良しだというアメリカ人選手を連れてきました。名前は覚えていませんが日本食が好きなひとでした

    その席で誰かがドライバーの距離を訊き、小林は平均240ヤード、アメリカの選手は260ヤードと答えました。実際の試合を見ると、小林はパー5のホールでは2打でグリーンのすぐそばまで飛んでいましたからその気になれば280ヤードくらいは飛ばせたのではないかと思います


    大会の前夜、おのまは「みかど」という日本料理店で食事をとりました。銀行時代、社宅で食事接待があるときに鮨の出前を頼んでいた店です

    明日はカナダオ―プンを見に行くのだとゴルフ好きの店主に吹聴したところ、自分は小林浩美のファンだ、弁当をつくるから渡してくれないだろうかと言います。ああ、いいよ、ただし、彼女の親友がいるから二人分つくってくれと折り詰め弁当をふたつ預かりました

    翌朝早く会場に行き、小林選手とアメリカ選手のロッカーに届けてくれと係りの人に弁当を渡しました

    試合が始まると小林の周りは大勢のギャラリーがいましたが日本食が好きなアメリカ選手は閑散としていました。七年前の小林と同じ、無名の選手

    アメリカ選手について回ったところ池越えのパー3で第一打がグリーンに届きませんでした。距離は大したことがなく、おのまでも楽に越えますがグリーンが横長なので打ちすぎて苦労したものです。飛ばしやの彼女はピタリと寄せようとして短いクラブを使ったのでしょう

    このスライドの5頁目の真中の池です ↓

    http://en.clublink.ca/assets/golf/glenabbey/gaslideshow.html

    頭を抱え込んで座り込んだ姿は哀れでしたが、もしかして当方を覚えていて緊張したのかもしれないと粛然


    ゴルフ選手も、この前八位に終わったフィギュアの浅田真央選手もそうですが、観衆の前で失敗する恐れのある世界で生きてる人たちはすごいです。おのま的その他大勢は気楽この上なし

    でも、若い人たちは失敗が恐いとか恥かしい思いをしたくないとかいう気持ちは捨てるのが良いです。持ち時間がたっぷりあるのだから 限界などないと思ってチャレンジしてください

    もち時間が少ない年寄りは・・・・やっぱりチャレンジしたら良いのではないでしょうか。残された時間は大いに工夫をこらして使いましょう

    エッ、そういうおのまは猫の蚤とりで時間を浪費してるじゃないか?


    長くなったので続きは明日


    岡本綾子
    http://www.youtube.com/watch?v=WG1lN5p-sxY


    女子カナダオープン
    http://en.wikipedia.org/wiki/Canadian_Women's_Open


    キッチナーの名門クラブ
    http://www.westmountgolf.com/Golf.aspx


    オークビルの名門クラブ
    http://en.clublink.ca/golf/glenabbey/?SECT=GLENABBEY&GOLF_COURSE_ID=0220

    ●宮里藍
    http://www.youtube.com/watch?v=Aguq1g4Ubic



    ゴルフで一番大事なポイントが分る動画です


  • | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 24・ マタハリ
    足掛け十二年滞在したトロント、職業柄いろいろな人といろいろな所で食事をしたのだが、そしておのまは食道楽の粋人ではないのだが、こんかい感傷旅行をするにあたって訪れようと思ったレストランがひとつだけあった。

    オフィス街の中心、ベイ通りから十ブロックほど北に行ったところにボールドウィンという短い通りがある。



    道幅が狭いボールドウイン通りは蒸し暑い夏の夕暮れ時には北米というよりは東南アジアのような雰囲気が漂う。



    ボールドウイン通りにあるマタハリという店がお目当てのレストランである。クアラルンプールからきたゼンというマレイ人夫妻がやっているマレイ料理店である。



    上の写真から想像できると思うが間口が狭い、うなぎの寝床のような店であり、閉所恐怖症の気味があるおのまには居心地が良くない。



    居心地は良くないが料理が良いのでマタハリには何度も行った。

    今はどうか知らないが、十年前はトロントにいる日本人駐在員でこの店を知っている人は少なかった。ビジネス上の食事接待だと和食、中華料理、イタメシといったところが無難で、インドとかマレイで接待というのはおのまくらいだったかもしれない。比較的冒険心のあるM物産の連中もマタハリを知らなかった。

    こんかいのマタハリはカナダM物産の元社長夫人とジャパンカナダジャーナル誌の編集長と一緒に行った。編集長氏には十年ほど前に案内したことがあり、それから何度か来ている由だが元社長夫人は初めてだった。ふたりとも美味しいを連発した。

    マタハリのゼン夫妻は若い。といってもあれから十年、もう四十か五十になっているかもしれない。ゼン夫人は美人であるのだが、お母さんから習ったという味が良い。おのまがマレイ料理に詳しいというわけではないのだが、バンクーバーにあるいくつかのマレイ料理店の味とは違う。



    使っているスパイスが同じでも違いがでるのは呑み助ならよく分る現象である。同じジンやウォッカを使ってもマティーニの味は千差万別である。


    この日ゼン夫妻はいなかった。クアラルンプールに帰省中の由。

    壁には十年前になかった文句が書かれてあった。



    The HEART is wiser than the intellect
    ハートは理性より賢い

    GOD HAS GIVEN YOU ONE FACE AND YOU MAKE YOURSELVES ANOTHER
    神は人にひとつの顔を与え人は自分でもうひとつの顔に変える

    イスラム経典にでもあるのだろうか。ゼン氏は何を思ってこういう文句を飾ったのだろうか。

    ゼン氏に会ったらおのまはからかうであろう:

    人間よ、はやまってはいけない ハートは理性より賢くないのだから 

    上はいいとして、次を云ったらぶっ殺されるか・・・

    人は自分を変えることができるが神は自分を変えることができない


    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 07:53 | comments(2) | trackbacks(1) |
    感傷旅行 23・ モノヒル4
    モノヒルのことを書きだしたのが十月八日。

    モノヒルとはトロントから北に数十キロいった緩やかなうねりが多い地帯にある一角の地名である。



    ジャズ愛好家ならご存知であろうジーン・ディノビ(アメリカ人ピアニスト)はこの写真のどこかに住んでいる。ときどきトロントに出てきて「一力」という日本レストランで演奏をすることがある由。

    カナダM銀行の役員をしていた弁護士がモノヒルにゴルフ場を持っていて、そのことを書くつもりだったのだが、書いているうちに銀行時代の様々なことがよみがえり、頭のなかはゴルフどころではなくなった。

    ようやく落ち着いてきたので、そういうものを全て押さえ込んでモノヒルゴルフについて書くことにする。

    ジム・トーランスは十八歳のときに自分のゴルフ場を造る決心をしたという。 

    ジムは弁護士業で得る収入をゴルフ場つくりに注ぎ続けたのだが、おのまがトロントで勤め始めた1987年にはようやく三ホールが出来たところだった。三ホールを三回まわって遊んだ。

    ホールごとに二種類のティーグラウンドをつくっていた。ティーグラウンドを変えることによってパー4のホールにしたりパー5にしたのである。そうやって三ホールが六ホールとして遊べた。

    そしてひとつのグリーンに二つのカップを切っていた。二回目をホールアウトしたあとピンを別なカップに移すのである。

    そうすることにより同じホールを三つの違ったホールにできるという次第なのだが、三回目を回るときはいささか飽きを感じたものである。

    四年後おのまが東京に転勤する頃はモノヒルゴルフは六ホールまで拡がっていた。新たにできた三ホールからスタートして六ホールを回ったあと、ふたたび最初の三ホールを回るのであるがこれだと飽きなかった。

    その頃ジムは自分をいれて十人のメンバーコースにするのでお前も加わらないかと誘われた。

    入会金が千万円か二千万円だったか覚えていないが、メンバーはゴルフ場内に千坪の敷地を得て家を建てられるという内容だった。

    日本のゴルフ会員権で千万、二千万は珍しくなかったし、二千万円だと藤沢で十坪の土地しか買えない時代だったのでそれに比べると断然お得であるがトロントに永住するつもりはなかった。

    トロントから東京へ転勤するときにトーランスは出来上がったばかりの自宅に招いてくれた。

    外からはわかりにくいが中に入ると広々とした居間がふたつある立派な家であった。建坪は二百坪くらいだろうか。居間から見る景色に人工物はなく、こういう所なら永住もいいかと思った。

     

    1994年 銀行をやめて再びトロントに戻ったときにモノヒルゴルフは九ホールが完成していた。ふたたびトロントを去る2000年まで年に一度はモノヒルゴルフに呼ばれた。プレイを終えたあと、その昔ジムたちが寝泊りしていたという古びた小屋でビールを飲むのが楽しかった。

    そして2010年7月。十年ぶりにモノヒルゴルフを回った。

    フェアウェイもグリーンもラフも見事で、十年前には気付かなかった良さが随所に見えた。数十年にわたるジムの構想と愛情が詰ったメンバー十人のモノヒルゴルフは格別なコースなのだと気がついた。

    この一年半で六回の手術をしたというジムは、ガス欠だといって七番、八番ホールを休んだ。七十を越えたベブ・トーランスはいまだに70台のスコアを出すらしいが、やはりここ一、二年で衰えたと云った。

    九番ホールのベブ。



    この日おのまはモノヒルを見せたいと思い、トロントのゴルフ仲間三人を連れて行った。六人で回ったのである。



    右端、オレンジ色のM氏はいたくモノヒルゴルフを気に入り、その感想をジムに手紙に書いたという。

    何度もモノヒルを回ったことがあるおのまよりも一度しかまわっていないM氏の方がモノヒルの良さを理解しているとジムは思ったかもしれない。

    M銀行は二度の合併を経て今はMS銀行となっている。ジムはカナダMS銀行の連中をモノヒルに呼ばないと云った。その理由はあとになって別な弁護士から知った。二十年前胸に押し込んだ話と同様不愉快なものであるが今は書かない。いつか実名入りで書くかも。

    つまらないところで勝負する日本人がいるが、そういうのは結局のところ国際ビジネスでは通用しないということを若い人は肝に命じて欲しい。

    モノヒル・1〜3:
    http://onomar.jugem.jp/?day=20101008
    http://onomar.jugem.jp/?day=20101010
    http://onomar.jugem.jp/?day=20101022
    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 01:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 22・ モノヒル3
    感傷旅行・モノヒル・2を書いてから十日もたってしまった。

    書いたあと、トロントの銀行時代のできごとが次から次と思い出された。大げさに言うとその頃の出来事に圧倒されて、書けなくなっているのである。

    誰でもそうだろうが、他人に言わずに自分のどこかに押し込んでしまうことがある。それは良いとして、二十年たった今になって思い出してみて、かつて自分で飲み込んだそういうものがいっかな消化、あるいは消火、あるいは昇華されずに残っているのには驚く。

    十日たって、さしさわりのないことを書くことができそうな気がするのだが、ほんじつはここまでにしておく。

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 14:05 | comments(1) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 21・ モノヒル 2

    ふたつきにいちどカナダM銀行の取締役会が開かれるようになったが、しゃべるのは白人取締役ふたり と 中学生並み英語力のおのま社長で、元カナダM物産社長とおのまの部下である副社長のふたりはほとんど発言しなかった。雄弁な白人二人をひとりで相手するのは楽ではなかった。

    その間にいろいろあって書きたいことはたくさんあるのだが省く。結論を言うのなら取締役会の頻度を増やしたことは良かった。それだけが原因ではないが、万年赤字のカナダM銀行は四年後に二百万ドル(二億円)の配当を出した。

    おのまがトロントを去った一年後にふたたび赤字転落となるのだが、そしてそのことで、これまた書きたいことがたくさんあるのだが鬱陶しい話でもあるので今は書かない。いずれ実名入りで書くかもしれない。

    トロントから東京勤務になりその三年後におのまは銀行を早期退職して、アメリカに本拠地がある大手コンサル会社Aのトロント事務所に勤務する。

    トロントに戻るとうるさ型取締役のひとりとの交遊が再開された。ジムという名前の弁護士で、まだ銀行の役員を続けていた。ジムと違い、スコシア銀行出身の役員とは取締役会でしか会っていなかったので再会することはなかったが、元カナダM物産社長とは時々会った。彼は銀行役員をやめていた。

    思うところがあって五年後におのまはA社をやめた。

    やめると決心する一年以上もまえから会社にもクライエントにも迷惑がかからないよう日本人スタッフを増やしておいた。そうした上で半年後にやめるという取り決めを会社とした。やめることを知っているのはA社のNY 東京 トロントの幹部数人であった。

    やめることが決まったあともそれまでと変わらない勤務を続けた。半年たったある日、一週間後にやめます、さようならというメールを世界中の事務所にだした。おのまを知っている人たちは一様に驚いた。アメリカの事務所、二箇所からうちに来ないかという誘いがあった。アメリカで働く気は銀行時代からなかった。

    競争会社の幹部が会いたいと云ってきた。前からこっちに来ないかと誘われていた会社で、その幹部とは二十年前から顔なじみであったが移る気はまったくなかった。離職の理由の第一はトロントを離れたかったことなのである。

    誰から聞いたのかジムがうちの法律事務所で働かないかと云ってきた。長年のつきあいが表面上のものでなかったことを知り、実にありがたいと思った。そういう思いと、法律事務所で働くことを考えたことがなかったのでなにがしかの興味が顔に出たのかもしれない。

    ほどなくして、ジム夫妻をデビルスパルピットゴルフクラブに招待して夕食を一緒にしたのだが、食事が終わるころになって、ジムが、おや、うちの事務所のパートナーが来ているではないかといって、別のテーブルに向かって手を振った。

    四十台とおぼしき男性ふたりがこちらにやってきて挨拶をかわしたのだが、ジムがしかけたお見合いだなと思った。トロントを去りたいという気持ちがあっての離職、すまないと心の中でわびた。

    ジムからバンクーバーに住みたかったがかなわなかった、バンクーバーをしのんで起伏のある土地を探して家を建てたという話を聞いたことがある。トロントには山がないのだが、谷(ラビン)はたくさんあって、そういう所に家を建てると陰翳のある居住空間となる。でも・・・

    カナダのビジネス中心地、トロントの本流で出世していくうちにバンクーバーと縁がきれるカナダ人は多い。A社勤務、三年目のときにおのまもそうなるのではないかと恐れたのだった。

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 04:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 20・ モノヒル 1

    カナダM銀のトロント本社に勤務した四年間に新しいことをいくつかやった。取締役会議を年二回から年六回にふやしたこともそのひとつである。

    カナダM銀行の株主は日本のM銀行のみであるが、法律上はカナダの銀行なので取締役会を開催するのだが、日系銀行のほとんどが形式的な取締役会を行っていて、カナダM銀行もおなじであった。

    銀行法によって取締役の半数はカナダ人でないといけないのだが、そのためかどの銀行も形式的な取締役会でお茶を濁そうという雰囲気があった。

    カナダM銀行の役員構成:

    会長・・・M銀行の取締役兼NY支店長・日本人
    社長・・・おのま・日本人
    副社長・・・K君・日本人
    弁護士・・・イギリス系カナダ人
    スコシア銀行OB・・・イギリス系カナダ人
    元カナダM物産社長・・・日系カナダ人

    NY在の会長がトロントまでやってくるのは年に一度であとは五人で取締役会を開いていた。

    取締役会の議題は半期ごとの決算を承認することが主であり、だから年に二回開催すれば済んだのである。




    取締役会はカナダ人の弁護士と元カナダM物産社長が属しているトロントの名門クラブの一室で行われ、さしたる議論もなく決算書が自動的に承認され、あとは食事会が続いた。
    http://www.thenationalclub.com/index.asp

    おのまは形式的なことが苦手なたちであるからこういう取締役会でいいのだろうかと感じた。

    ワインを飲みながらさりげなく水を向けると、イギリス系カナダ人のふたりが乗ってきた。カナダM銀行の成績が悪いのは資産内容に問題があるからではないか、顧客の質も量もまずしいのではないかというようなことを言い出した。彼らはカナダの実業に詳しいし、おのまよりはるかに年上だから喋りだすと止まらない。

    英語で議論するのは煩わしいから形式的な取締役会でお茶を濁すのがよいか、それとも中学生なみの英語で彼らと議論するのがよいか。

    おふたりから色々提案があったことを現場に持ちかえって検討したい、できるものは実行したい、その結果を取締役会で報告したい、報告は二ヵ月後に行いたい・・・と言ったら二人のうるさいお爺さん取締役は即座に賛成した。 

    これがきっかけとなり、カナダM銀行の取締役会は二ヶ月に一度開かれるようになったのだが、親銀行の先輩諸氏からは余計なことをするヤツだとにらまれたようであった。

    さきほどお爺さん取締役と書いたが、振り返ってみるとあの頃はふたりとも五十台であった。

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 01:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 19・ 水を飲む人は
    一に政治 二に政治 三四はなくて五に感傷旅行

    九月三日に歯をぬいて気力減退、そのうえ日本からきた知人がもってきた風邪がうつったらしく十日ほど咳と熱に苦しんでいました

    庭仕事もゴルフもやる気がせず、只でさえエネルギーを消耗する政治ネタのブログを書く気はさらさら起きず、毎月書いているコラム「林雨」も休ませてもらおうかと思いました

    咳がいよいよひどくなり、体のふしぶしが痛くなり何年か前にあったようにひとつき位苦しむのかいなと覚悟しましたが、ふとひらめきました。スライスしたたまねぎを手ぬぐいに包んでのどに巻きました。二日ほどたまねぎのにおいをかいでいたら喉の痛みは軽くなりました

    そういえば、この間にいままで経験したことのなかった便秘なるものも経験しました

    始めは腰、尻が痛くなり、歩きにくくなったのですが、数日後に便秘がはじまりました。食べるものを減らしてイランの酸っぱいヨーグルトドリンクを飲み、便秘薬を三回飲んだらなおりましたが、便意はあっても出ないってのは不愉快なものですね。 いや、尾篭な話ですみません

    腰、尻の痛みが続いて思い出したのが、今から十五年まえにかかった帯状疱疹(たいじょうほうしん)

    銀行をやめてトロントで働き出して三ヶ月たった頃、腰に生じたかすかな痛みが数日つづき、腰というよりは尻かな、痔だろうかといぶかりながらバンクーバーに出張。飛行機の中で痛みが強くなり、クライエントとのゴルフはパワーカートでしのいだものの翌朝はベッドから起き上がれなくなっていました

    トロントに戻って医者に診てもらったらシングルだといいます。シングルなんて聞いたことがなく、そして日本名の帯状疱疹なるものも知りませんでした

    こんなにひどいシングルは珍しいがこの病気は自然治癒を待つしかない、タイラノル(鎮痛剤)でも飲んでいなさいというのが医者のご託宣

    尻の近くにできた帯状疱疹は半年ほどつづきましたが疱疹に何かが、たとえばパンツがちょっとでも触ると、殺してくれと叫びたくなるほどステキな痛さが生じました。歩くのもおっかなびっくりです。シャワーを浴びていて湯がかかった日には地獄。タイラノルなんて全く効きません。後遺症で生じた腰の鈍痛がなくなるまで二年。あの頃はドライバーの距離が150ヤードでした

    読者のみなさまにおかれては、帯状疱疹だけにはならないようお勧めします。この病気はストレスとか過労が原因だそうですから避けることはできるそうです

    帯状疱疹はかかってもたいがいは一度だそうですが、再発したらそのときは命の終わりだそうです。おのまの命もここまでかと覚悟しましたがはてどうなるか
    帯状疱疹

    風邪、便秘、尻の痛み・・・すべては歯を抜いたことから始まったような気もします

    大いに脱線

    脱線は気力回復の兆候

    一に政治 二に政治 三四はなくて五に感傷旅行

    書く気がしなかった感傷旅行を再開します

    カナダ人の知人が入っているオスラーブルックというゴルフクラブに初めて行きました。これまで何度も来いといわれていたクラブですが、オンタリオで一番大きなスキー場、ブルーマウンテン近く、ということはトロントから150キロ北、車で二時間かかるところにありました



    小高いところから見おろすとその辺にいくらでもある平凡なコースと変わらないようにみえましたが、実際に回ってみるとひとつひとつのホールは面白く、野生の花もふんだんにあり、芝はマニキュアをかけたように仕上がっていました



    素晴らしいコースだったと思いながらクラブハウスのバーに行く途中の壁にあったのがこの看板





    水を飲む人は井戸を掘った人を思い出さないといけない

    はい、仰る通り、このコースを造った人たちに感謝です

    機会があればもう一度回りたいです

    http://www.oslerbrook.com/

    待てよ、この文句どこかで見た記憶がある・・・

    元は中国じゃなかろうか・・・・
     
    喫水不忘掘井人

    おまけ:

    クラブのバー





    左から二番目Steam Whistle は十年ほど前にトロントで創業したマイクロビールである。サッポロビールが買収したスリーマンビールが十数年前に買収したアッパーカナダというビールの流れを汲んでいて旨い

    http://www.steamwhistle.ca/index.php

    アッパーカナダもそうだったが、知人はスティームウィッスルの創業出資者のひとり。スティームウィッスルを創業するときに参加しないかと誘われたが、当時は会社をやめたばかりだったので見合わせた。十年で資産は数倍になったそうな。儲け話に縁のないおのま・・・

    ん? タップに写っているのは・・・・



    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 00:38 | comments(3) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 ペイントブラッシ#18



    感傷旅行でなにを一番したかったかというとデビルス・ペイントブラッシをまわり、そして#18ホールのフェヤウェイをみながらビールを飲むことであった

    十年前、一緒によく回ったデビルスのメンバー仲間はおのまをいれて五人いたのだが、いまや五人みんながメンバーではない。五人のうち一人は亡くなり、ひとりは日本へ移り、ひとりはゴルフをやめている

    たまたま知人の奥方がデビルスのメンバーで残っていたのでペイントブラッシを回ることが出来たのは幸いであった。もうひとつ別なクラブのメンバーにも入っている彼女はペイントブラッシを回るのはこれが二度目だと言った

    何故ペイントブラッシの#18を見ながらビールを飲みたいか。パティオに陣取ってフェアウェイの陰影をみながらビールを飲む気分が格別なのだ



    パルピットのクラブハウスにはバルコニーがあり、そこからもフェアウェイを見おろしながらビールを飲むことができるのだが、パルピットのクラブハウスは豪華にできていて、これまた豪華なフェアウェイの美しさと競争しているみたいなところがあっておのまは今ひとつ好きでない

    パルピットにくらべるとペイントブラッシはコースもクラブハウスも人工色を感じさせないように、そして豪華絢爛たる雰囲気を一切出さないように造られているから良い

    人工物であることに変わりはないのだが、ニンゲン色がでしゃばるのではなく自然のよさ、うつくしさを主役としてひきたたせているのである。だからクラブハウスは小さい

    その代わり用意してあるビールの種類は多く、バーテンの腕もよい。同じカクテルを作らせても、ペイントブラッシのバーテンはパルピットより上だったし、いまおのまが入っているバンクーバーのショーネシーのバーテンダーより上である

    かつて、おのまが日本人のゲストをデビルスに連れて行った時分は、豪華なパルピットには印象づけられるが、逆に簡素な感じがするペイントブラッシを軽んじるようなところがあったが、見る目がないというものである。ゴルフクラブはペイントブラッシのごとくあるべしとおのまは思う



    最近、トロントは飲酒運転に厳しくなったとそうでみなさん余り飲まず、フェアウェイに陰影ができる時間を待たずにお開きとなった

    美しい陰影をみたらバンクーバーに帰りたくなくなったかもしれないからそれで良し・・・

    http://www.devilspulpit.com/thehomepage.html

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 02:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 18・ ペイントブラッシ#17

    #17番ホール

    打ち下ろしのパー四



    ティーグラウンドとグリーンのほぼ真中にあるのは道ではない

    石垣である


    ドライバーの距離が落ちた時期があった

    第一打がよく石垣の手前に落ちたものだ

    第二打が垣を越えるとは限らない

    跳ね返されたことが何度かある

    感傷旅行の最中はドライバーがよく飛んでいた

    この日の第一打は石垣を越えてグリーン手前の道路まで飛んだ

    亡くなった知人の第一打は時々道路を越えてグリーン近くまでいった

    それでもグリーンは大きくてパーをとるのは難しかった

    特にピンが奥にあると難しい

    傾斜のためにボールがこぼれ易い

    ラフの中に転がり込んでロストになったりする

    秋になるとグリーン奥の紅葉が夕日に映える

    時に第二打がピンそばにくっついたりする

    そんな時に紅葉の中に向かって進んでいく気分は格別である

    昂揚気分・・・・




    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 14:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 17・ペイントブラッシ #16
    ペイントブラッシ#16ホール

    うちあげのパー3

    ティーショット

    手あたりが悪い

    グリーン手前左のポットバンカーに入った

    この日初めてポットバンカーにつかまった

    小さいが深いポットバンカー

    一度、二度、ボールは壁にはじかれる

    三度目にでた 

    サンド(砂)で三度もたたいて悔しいか

    うんにゃ

    サンドにもてあそばれることは喜びなり

    サンド趣味・・・






    四オン

    グリーンはうねっている

    ピンまで四十ヤード

    三パットかな

    やけくそで打った

    ボールが傾斜を登る

    降りる

    また登る

    右に左に方向を変えながら進んでいく

    ん?

    ・・・・・・・・・

    入った

    ・・・・・・・・・

    さんざいたぶり そして 思いっきり愛撫する

    ペイントブラッシに住む悪戯好きの精霊は魔女 

    マゾ

    サブ・・


    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 16・ ペイントブラッシ のあざみ

     

    ペイントブラッシの七番ホールはうちおろしのパー3である

    ティーグラウンドからまっすぐ降りていきグリーンに登る



    二十年前は道ができていなかったから膝の高さのある叢(くさむら)の中を歩いた

    野薊(のあざみ)に良く刺された

    そういう風景を詠んで「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」に投稿して入選したことがある

    野薊に刺されて君がふりかえる

    叢を歩いていてちくりとしたので、おやなんだろうと思って振り向いた

    フィクションなり

    実際に刺されると大変痛くて、おやなんだろうという陽気ではない

    ノンフィクションで詠むとこうなる

    野薊に刺されて地がでるコンチキショウ

    感傷旅行のペイントブラッシでは野薊をみなかった



    見たのは人を刺したりしないレースフラワー



    日本生命のサラリーマン川柳にこういう作品があったのを覚えている:

    良くやった 事情が変わった 何故やった

    こういうクルリンパの上司も実際にはいないと思う

    http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/


    伊藤園の「自由語り」平成十一年八月号をみた

    おのまは年齢を偽っていた

    そして 野薊に刺されて君がふりかえる ではなかった 

    「が」にするか「は」にするかでよく迷うことがあるのだが、このときも迷ったのかどうかは覚えていない



    あのときは第十回だったが投稿したのはそのとき一度しかない

    http://www.itoen.co.jp/news/2008/103101.html

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 11:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 15・かつぐ

    ゴルフをする時たいがいはバッグをかついで回っている

    重くないかとよく訊かれるが、バランスをとってバッグの重みを足から地面に抜くようにするのでさほどのことはない。カートに乗せて引っ張るより楽である。特に急なくだり坂になるとカートはとても苦労するが、かついでいればリュックをしょってスキーをしている気分である

    カートだとグリーンを迂回しないといけないが、かついでいれば横切ることができる。プレイが早くなる

    トロント時代のゴルフ仲間は担ぐのがほとんどだった

    今回ペイントブラッシを一緒にまわったのもひとりをのぞいて担いだ



    ジョンは脚がやや細くなった・・・・

    ペイントブラッシをまわる人の半分以上がかついで回っていると思う

    二十年のあいだに道ができた



    道が直線にならないのがおもしろい

    ヒトが歩くときは土地の傾きをそれとなく感じて方向を変えるのだろう

    ヒトの本能が道を造る

    民主党の代表が菅直人から小沢一郎に替わるとしたら、それは日本が時代の傾きをそれとなく感じ取っているということであろう

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 03:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 14・コメコメ@感傷旅行 13・ペイントブラッシ
    いい写真を拝見し一筆。

    この頃、昔ほどプレーをしなくなった為か、トップをしたり、飛球に伸びがなくなったり、いよいよ老化現象の現れかと思う昨今。

    昔、共にプレーに熱中した小野さんが、トロントを訪ね懐かしいペイントプラッシでプレーすることになり、この時だけでもいいから 熱のある球が打てればと思い早々に来て、周りの景色、空気を五感で感じ、昔にもどった気持ちで ボール打ちに熱中した次第。

    肩を入れて、ボールをよく見て、飛び先を見るのを遅らせ、頭を残すこと、そして、左の壁を作り、体の開きを遅らす大変窮屈に感じながらの "昔の馬力ある球は どこへ行ったのか? その球 現れよ” と願いながらの数十発。

    その瞬間のショット!! 見ると、その通りの思いが出ているとてもいい写真と思いました。

    その後のプレーでは、良き球あり、悪しき球あり、19番ホールでのビールを味わい、やっと昔の熱き球が打てたと感じた次第。

    松井

    「危険なブログ」に実名でコメントするとは大胆な(笑)

    十年前、トロントを去ったあとはゴルフに対する気持ちがしぼみました。「熱のある球」を取り戻そうという思いもありませんでした。その結果が感傷旅行のゴルフに現われていたのは松井さんがご覧になった通りです

    しかし、この写真を見て刺激を受けました



    そしてコメントを読んで一層刺激を受けました。

    「熱のある球」

    プレイするなら熱球を打て

    ここ十年、ドライバーの距離は200ヤード前後で推移していました

    松井さんのコメントを読み250ヤードを出したいと思ったところ、本日(八月二十五日)はなんと、一回だけですが270ヤードがでました
    (@ショーネシー11番 http://www.shaughnessy.org/ )

    コンスタントに240ヤード飛ばすことをめざします

    そしてトロントを離れて以来でていないハーフ39あるいは38をめざします

    ちなみに今シーズンのベストは、感傷旅行から帰ってきてすぐにでたハーフ42です

    本日のスコアは100に近い90台(泣) 
    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 14:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 13・ペイントブラッシ #4
    ペイントブラッシ・ゴルフの四番ホールはティーグランドが五箇所ある。



    おのまのトロント最後のシーズンはハンディキャップ・インデックスは約12であった。

    12ならパー72のコースを平均して84 (72+12) でまわるのかというとそうではない。84ではなく88で良いのである。 8掛けで計算するそうだ。

    88−72=16 
    16x0.8=12.8 

    ハンディキャップインデックス12がどのくらいの腕かというと、オンタリオ州全体では上位30%位だがデビルスでは平均よりちょっと上というところであった。

    その位の腕だと五箇所あるティーグラウンドの前から三番目か四番目で打つことになっていた。三番目だと70台にあと一歩というスコアでまわれることもあった。五番目で打ったことはない。




    四番グリーンの奥にある植生に気がついたのはトロントを去る二年か三年前だった。それまではプレイに夢中になってその美しさに目がいかなかったのである。

    デビルスのメンバーはプレイの早いひとが多い。おのまの仲間も早く、前がつかえていなければ三時間ちょっとで回ったものだ。普通は四時間でまわればよいとされている。

    三時間でまわるにはホールアウトするとさっと次のホールに移動しないといけない。そこで四番グリーン奥の植生に気がつかなかったのだろうか。それもあるのだろうが、そもそもペイントブラッシのよさが分らなかったのだ。もっとまわりを見よ。このコースを造った人の意図したことを知れ。



    秋になると葉が真っ赤になった。たぶんナナカマドだと思う。

    トロントからモントリオールへ車でいく途中、左手にすばらしいナナカマドが出現したので、しばし車を停めて眺めていたことがある。

    目が痛くなるようなこの赤を見ているのが自分ひとりだけだということがとても不思議に思えた。そしてこんなことも思った。

    日本にいる学友で役人になったのは運転手つきの公用車で出勤している。自分はトロントからモントリオールまで(五百キロ)自分の車を運転して通っている。

    その落差たるや大。

    しかし、この時間、この赤を見ているのは世界で自分だけだ。

    ビル・ゲーツだって見ていないのだ。 ブイ。


    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 10:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 12・ペイントブラッシ
    感傷旅行の目的のひとつはトロントから七十キロ北にあるデビルス・ペイントブラッシ(悪魔の絵筆)というゴルフ場をまわることである。


    デビルス・パルピット(悪魔の祭壇)ができたあと数年たって、数キロ先の土地に造られたペイント・ブラッシはまわっていて実に楽しい。

    ゴルフ自体が楽しいというのではない。土地のうねりや野生の植物がそのまま残っているペイントブラッシを歩くのが楽しいのである。

    野原を歩いても同じだろうといわれるかたがおられるかもしれないがそれは違うのである。

    どう違うかを説明しようと思ったのだがうまく説明できそうにもないのでしない。

    ペイントブラッシはパルピットにくらべて簡単なつくりになっていて、練習場は奥行き200ヤードほどしかないからドライバーの練習をするには不向きである。

    それに比べて、カナダ一をめざして造られたパルピットの練習場は何ホールかできるくらい広い。500ヤード飛ばす怪力ゴルファーがいても届かない。





    左端のほうでベンカーンに習った日を思い出す。



    十数年まえのこと、日本からきたらしい人が一日中ここで練習していたいとつぶやいているのが聞えてきたことがある。

    一時間ほどパルピットで練習をしたあとペイントブラッシに行った。

    トロントに来いと言っていた知人のひとりが黙々と練習していた。



    頭が残っている



    http://www.devilspulpit.com/pulpit.html
    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 13:15 | comments(1) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 11・空港


    おのまが一番おおく利用した空港はトロント空港である。十年あまりのあいだ毎月トロントからどこかへ飛んでいた。

    しかしトロント空港はバンクーバー空港にくらべて使いにくかった。なんど利用しても空港にちかづくたびに緊張した。なぜか。


    トロント空港とバンクーバー空港の規模はそれほど変わらない。

    トロント空港:

    滑走路:5本 
    年間発着回数:41万回

    バンクーバー:
    滑走路:4本 
    年間発着回数:29万回

    なぜトロント空港が使いにくいかを写真でみて分るだろうか。


    トロント空港(ウイキペディア)



    トロントは第一ターミナルができたあとに第二ターミナルができ、そしてまた新しいターミナルができたのだが、建物を別な場所に建てたものだから、どのターミナルにもそれぞれのアクセス道路がつくられた。

    そのため空港に近づくと道路はくねくねと曲がりくねり、どの車線を走ればいいかに気を使う。

    (新しいターミナルができたあと、旧第一ターミナルは一般客用としては使われなくなった)


    バンクーバー空港(ウイキペディア)



    バンクーバーもターミナルが増えたのだが、建物が横一線でくっつくように建てられた。そのためアクセス道路は一本ですんだ。

    空港に近づいてから道路がくねくねして分りにくいということがない。国際線ターミナルも国内線ターミナルも同じ道路でつながっているから空港に近づいて緊張することがない。


    数年ぶりに訪れたトロント空港にはターミナル間をむすぶモノレールができていた。





    後付けの施設は見た目にうっとうしい。

    機能的にも複雑になって不便なことになる。おのまはレンタカーを返したあと出発ターミナルへ行くまでに迷った。モノレールができたためエレベーターが増えたからだと思う。


    後付けの施設はできるだけやらないこと、やるときは後付けと分らないような単純な設計をすることが肝要である。

    ランキング
    ↓ 
    http://blog.with2.net/link.php?310164


    あいかわらず原因不明の異常事態が続いています。ランキング管理者に照会しましたが返事がありません。

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 12:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 10・自殺他殺

    NHKの影山某という解説委員が自殺したという話。

    そのてんまつが報道されない。おのまが見た限りNHKのニュースでは影山のカの字も報道されなかった。


    ネット世界では、影山某が自民党に都合の良い、民主党に不都合な報道をしていた事実と、野中元官房長官が公言した、官房機密費をジャーナリストに配って自民寄りの報道をさせていたということを結びつける話が飛び交っている。

    真偽のほどは分からないが、NHKの報道が小泉・竹中時代からこのかた偏っていることはおのまも実感しているので、そういうこともありうるのだろうと思う。

    自殺を装った他殺であろうという話も散見される。

    自民党から金をもらっていたということをしゃべられたらNHKも自民党も困るのは自明であるからして、自殺を装う他殺であるという話を与太話だと片付けることはできない。


    ところで、トロント感傷旅行中、某氏宅で一杯やったとき、おのまがブログで書いていることは危険であるからおのまは殺されるのではないかと心配している(期待している?笑)ひとがいると聞かされた。

    殺されるほど危険なことを書いているという自覚はないのだが、おのまの書いてきたことは実相を言い当てているからうるさい、殺したいと思う人種がいるのかもしれないと愉快になった。

    おのまがネクタイを使って首をつったというような話が報道されたら・・・まあ、おのまは無名だからそういう報道はないに決まっているが・・・それはうそである。他人に殺されることがあるとしても自らの手で命を絶つことはまったくないことを書いておく。

     
    クリックしないと豚
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    あいかわらず原因不明の異常事態が続いています

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    感傷旅行 9・トロント空港2
    大概の空港で旅行者のために置いてあるのが荷車。

    若い方は荷車という日本語を使ったことがないかもしれない。カート。

     

    十数年前のある日、成田からトロントに戻ったとき荷車を使おうと思ったら鍵がかかっていて動かなかった。

    なにやら説明文がある。荷車を使いたければこの穴に1ドル入れろ、つかったあと所定の場所にもどせば1ドルを返す。

    使ったあといろいろなところに散らばる荷車を職員が集める手間が省けるという理屈はわかるが、成田からきたおのまはカナダのコインをもっておらず、荷車なしで荷物を運んだ。

    コインがなければ使えないという不便は解消されていた。クレジットカードでもって鍵がはずれるようになっていた。そして値段は二倍になっていた。



    荷物をレンタカーを借りるところまで運び、荷車を所定のところに返した。戻ってきたのは25セントであった。



    トロント空港が1ドル75セント儲かるというわけだが、旅人の弱みにつけこんだこすっからい商売である。

    十日あと、同じように2ドルをはらって荷車を借り荷物をチェックインしたあと、たくさんの荷物を手で運んでいる人をみつけて荷車を渡した。

    おのまは25セントの損であるが、その人は2ドルの得。おのまとその人の受益合計は1ドル75セント。その人がまた他の人に渡せば合計は増えていく。少しばかり溜飲をさげた。

    バンクーバー空港につくと荷車は無料のままであった。旅人がトロント空港を嫌いになり、バンクーバー空港を好きになる一瞬!



    クリックすればトロント
    クリックしないとトロ豚
    ↓ 
    http://blog.with2.net/link.php?310164



    ●昨日はこう書きました:

    この一週間ほど、クリックする人が激減しています。ランキングがベストテンだったのが、ある日二十位に急落し、そのあとは五十位、百位と脳天逆落とし。きのうは訪問者が三百人以上なのにクリックした人はわずかに七人。

    木霊の読者が冷たいのは、いえ冷静なのは知っていますが(笑)三百人で七人は異常です。おそらくランキングシステムに異常が生じてるのだろうと思います。

    ●本日は訪問者が317人。九人がクリックしたとありました。システムがまったく動いていないというのではないようです。102位。
    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 12:14 | comments(2) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 8・トロント空港


    トロント空港について飛行機から出ると蒸し暑い空気に包まれた。四時間前にでてきたバンクーバーも暑かったがトロントにある湿気と匂いはなかった。

    バンクーバーから成田に着いたときも似たような気分によくなる。成田の場合はかなわない暑さだと思うがトロントでは懐かしいと思った。

    飛行機から降りて熱気とともにかぐわしい植物の匂いが押し寄せてきてうっとりしたのはバリのデンパサール空港。1978年、はじめて訪れたシンガポールでは、そのときは何の匂いかわからなかったのだが、生まれて初めて嗅ぐドリアンの匂いに顔をしかめた。

    1972年にバンクーバーにきたときは木の香りがしてすがすがしかったが、今はもうそういう感覚になることがない。空気が変わったのか当方の嗅覚が変わったのかわからない。

    いろいろな空港に降り立っているがその場の空気を覚えているのはそんなものだ。エジプトのカイロ空港では先を争う人々に圧倒されて、空気の温度も匂いもまったく気がつかなかった。


    荷物を取りに行く前に、昔よく利用した国際線乗り場のほうに行ってみた。そこから成田やニューヨークへひんぱんに飛んでいた時期があった。

    二十年まえと変わらないものがあった。



    上段にネクタイ背広の客がすわり、グローブアンドメールかなにかを読んでいるあいだに靴を磨いてもらっているという光景を何度もみた。傲慢にふんぞりかえっているように思えて見ているだけで恥ずかしかった。

    なんどか靴磨きから声をかけられ、これも彼らの身過ぎ世過ぎのためと意を決して客になったことがあるが居心地が悪かった。

    日本のように客と靴磨きとがおなじ地面にいればよいかというとそうでもない。銀行員時代、東京、日比谷の勤め先の近くには靴磨きが何人かいて、よく磨いてもらったのだが、自分の父のような年かっこうの男の鼻先に足をつきだして磨いてもらうあいだの気分は良くなかった。


    いつのころからか靴は汚れにくくなり、多少汚れてもホテルの部屋にある靴磨き布でふけばきれいになった。最後にトロント空港の靴磨きの客になったのは1991年ではなかったろうか。

    これまたいつのころからか、成田からトロントへの飛行機にのると読んていたグローブアンドメール紙を読まなくなった。日本の新聞もほとんど読まない。新聞を読まないほうが世の中のことがよくわかると思う。
    http://www.theglobeandmail.com/

    十日ほど後にバンクーバーへ戻るときも覗いてみたが靴磨きの姿はなかった。空港内をネクタイ、背広、革靴で歩いている人もいなかった。

    クリックすればトンと読まない
    クリックしないと豚と読まない
    ↓ 
    http://blog.with2.net/link.php?310164


    この一週間ほど、クリックしいる人が激減しています。ランキングがベストテンだったのが、ある日二十位に急落し、そのあとは五十位、百位と脳天逆落とし。きのうは訪問者が三百人以上なのにクリックした人はわずかに七人。

    木霊の読者が冷たいのは、いえ冷静なのは知っていますが(笑)三百人で七人は異常です。おそらくランキングシステムに異常が生じてるのだろうと思います。

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 04:54 | comments(2) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 7・ゴルフ


    着陸寸前にゴルフ場がみっつみえた


    うーん、どこだろう


    これは左の建物からいってランプトンだろうか?それともウェストン?


    空港そばのゴルフ場・・・・何度かまわったことがあると思うのだがどこだっけ・・・・・・


    オンタリオ州はカナダで一番ゴルフ場の多いところだと聞いたことがある。しらべてみたら731あるとあった

    http://www.golfmax.ca/Golf-Courses/Ontario-Golf-Courses.shtml

    しかしこのリストに乗っていないゴルフ場をおのまはひとつ知っているから、オンタリオ州にはすくなくとも732のゴルフ場があることになる

    ついでに調べてみたら日本には2400あるそうだ
    http://blog.golfdigest.co.jp/user/kaiin/daily/200905/01

    すなわち日にはオンタリオ州の3倍のゴルフ場があるのだが、人口でみると日本(1億3千万)はオンタリオ州(1千3百万)の十倍だから、一人あたりのゴルフ場からいうとオンタリオは日本の三倍以上あることになる


    もひとつついでに調べてみた。オンタリオ州と人口がほぼ同じ東京にゴルフ場がいくつあるか

    http://tabikko.com/tokyo/golf.html

    大島、八丈島にあるゴルフ場をふくめて24だそうだ。オンタリオの実に三十分の一でしかない

    課長時代、顧客のためにゴルフ接待に苦労したことを思い出した。高い、遠い、予約しにくい・・・

    ゴルフのみならず、東京は体を動かす空間が少ないと思う

    東京は首都機能を地方に移転させて、もっとゆったりとした生活空間を創ったらたらいいと思うのだが、最近はそういう話をとんと聞かない


    こうなるともっと調べたくなる。日本で一番ゴルフ場が多い北海道と比べるとどうなるか

    北海道のゴルフ場が176 人口560万人
    オンタリオのゴルフ場が732 人口1300万人

    オンタリオのゴルフ場は北海道の四倍強、人口は二倍強

    なんとか勝負になっている・・・・

    ロシアとの国交を盛んにして北海道の経済をぐんと向上させたらよかろうと思うのだが、鳩山由紀夫さん、余生を北海道開発にささげませんか・・・・

    クリックすれば屯田兵
    クリックしないと豚でんへい
    ↓ 
    http://blog.with2.net/link.php?310164

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    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 13:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 6・住宅街2

    西→東→北に旋回した飛行機はノースヨークから西→南へ旋回しピアソン空港へ近づいてきた。この辺にくると高層住宅がへって昔ながらの住宅街がめだつ。

    下の写真に写っている街の家は敷地百坪、建坪六、七十坪といったところであろうか。



    日本の住宅街の区割りと違うのがおわかりであろうか。




    日本は南向きに家を建てることが多く、したがって他人の家の裏を眺める家ができるが、北米ではそういう建て方はめったにしない。

    家の向き方は南向き、北向き、東、西とさまざまである。ちなみにおのまの家は西向きである。東側には開口部分があるが、北側は壁。南側も駐車場とつなぐドアをのぞいて壁である。

    そういうわけで南向きにこだわらないから、二軒の家は表と裏がむきあう必要はなく、裏と裏が向きあうように建てられる。他人の家の裏をながめてくらす家はまずない。

    道路がいきどまりになっているクルドサックもある。



    クルドサックにするとあまり車が入ってこなくるので落ち着いた雰囲気になる。日本でも取り入れたらよいと思うのだが、しらべたところ、常盤台(東京都板橋区)がそういう風に設計されているとあった。


    「近代日本の郊外住宅地」(鹿島出版)という本に東京から東海道線で四十分のところにある大船駅の東側十万坪に田園都市計画なるものが書かれている。

    大正十一年の計画図をみるとトロントの住宅街とおなじような区割りになっていて、北向きの家もある。一区画は最小で108坪から最大350坪である。51区画が売れたそうであるが、関東大震災のあと大船は危険だといううわさが流れ計画は失敗したという。

    いま大船駅の東側は大正時代の計画のおもかげはひとかけらもない小さな建物がひしめきあう街になっている。それはそれで面白いまちだが狭所恐怖症の気味があるおのまはとても住めない。


    日本にもどり飛行機が成田空港ちかくにさしかかるとトロントと同じように農地らしき土地が広がっているのが見えてくる。土地がたくさんある。山と海にはさまれて平らなところが少ない西バンクーバーや北バンクーバーよりよほど広々としている。

    しかし、飛行機から降り、都心へ向かう車から眺めると小さい敷地に南向け南の家が折り重なるように建てられている。

    銀行勤務のときに調査部が日本のあるべき住宅なる提言レポートをつくるというので原稿見せてもらったことがある。敷地六十坪、建坪三、四十坪というのがあるべき住宅だとあった。

    日本には土地がたくさんある、人口密度はシンガポールにくらべて低い。発想が間違っているから狭くるしい住宅になるのだ。建坪はともかくとして、敷地は最低百坪にしてほしいと調査部長に申し入れたが、最終的にどのようなレポートになったかは知らない。

    くわしくは書かないが敷地をひろくすることによって派生的な経済効果が生じるというメリットもある。


    そういう話を若いときから繰り返し話してきたのだが、いまは日本人が「日本は狭い」「土地がない」という間違った思い込みから抜け出して、ゆったりとした街をつくるには、四十台以上の日本人がこの世からいなくなり、北米の住宅を知っている若い日本人が社会の中心になるまで無理であろうとあきらめている。

    学生のころ米軍の住宅に招かれたことがあるが、彼らは「狭い日本」でゆったりとした住宅街をつくっていた。米軍がいなくなったら今の日本人はたしまち家を取り壊し、おなじ敷地に三軒も四軒も建てることだろう。悲しいことである。

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    大船田園都市
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    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 02:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 5・住宅街


    飛行機はトロントの繁華街の上空から左、すなわち北へ旋回して、ノースヨークにさしかかった。

    http://www.northyorkdirect.info/


    銀行員としてのトロント駐在がおわり東京勤務になったのだが、高校を終えていなかった次女、長男とくみちゃんはノースヨークのロデオウォークというコンドを借りて三年間住んだ。

    そのごおのまは銀行をやめアメリカ企業のトロント事務所に転職、残っていた長男とロデオウォークに住んだ。

    玄関をはいるとすぐに居間がドーンとみえるコンドは南に面していた。南に面したところに寝室・デン・寝室とならんでいるため、居間にはデン越しの外光しか入ってこず、薄暗かった。玄関近くにある台所も暗かった。

    ロデオウォーク:

    http://www.freecondoguide.com/toronto_condos/northyork/rodeowalk.php


    いま、長女一家や次女夫婦が住んでいる日本のマンションも似たような間取りだが、こちらは玄関脇に寝室があり、居間と台所は外に面していて明るい。

    カナダのコンドはホテルと同じで、建物のなかにある通路は外から閉ざされているから冬でも暖かいかわりに外光が入らない。娘たちのマンションは通路が外に面しているので寝室にも外光がはいるが、そのかわり冬は通路が寒い。どちらがいいのか・・・・・


    息子がトロント近辺の大学へ進むというのでトロントに戻ったのだが、息子は翻意し日本の大学に進んだ。おのまはいんうつなロデオウォークでのひとりくらしを三年ほどつづけた。

    やがてコンドが韓国人に売られることになったので、近くに建ったばかりのエンプレスプラザというところに移った。

    ここは東北に面していたため玄関を除くと、居間、台所、寝室(2)のすべてに外光が届き、居心地は向上した。

    エンプレスプラザ:
    http://www.glengrove.com/northyork/northyork.html


    なにやらが沸くといわれる男の一人暮らしであったが、人さまから借りているものを汚さないことを信条とするおのま、大家はこんなに綺麗にくらしているのは見たことがないと感激し、家賃を下げるからずっといてくれと言った。家賃は一万円ほどさがり、出るまでそのままだった。ブイ。

    どちらとは言わないが、わが娘のひとりよ、おのまをみならいたまえ。

    綺麗にくらすコツは整理整頓のひとことにつきる。

    整理整頓といってもわが豚児にはわからないかもしれないので二、三付け加える。


    掃除は部屋の隅に一番気をつけることである。真中は綺麗でも隅にわたぼこりがひとつあったら部屋は薄汚くみえるものだ。

    政治も同じである。カチグミに肩入れした小泉竹中政治によって、六本木は繁栄しているように見えるが日本の隅々にはみすぼらしい所が増えた。だんだんアメリカに似て国ぜんたいが汚くなってきた。

    数年前、日本のクライエントにシカゴの高級住宅街と貧民住宅街とを見せたことがある。両者のおどろくべき格差をみて彼らはアメリカが良い国だというのが嘘っぱちだと知ったに違いない。

    この七月末にクリントンの娘、チェルシーが結婚したが、その費用は3億から5億円だったという。それを喜んだアメリカ人より、絶望感をいだいたアメリカ人の方が多いと思う。

    http://www.reuters.com/article/idUSTRE66T3P320100801

    日本はアメリカを真似してはいけない。

    脱線した。


    物を積み重ねない。積み重ねると下におかれたものは使いずらくなり、十年も下積みのままということになったりする。

    物を増やさない。とりわけ同じ物を複数もたないこと、不要のものをもたないこと、これジョーシキである。

    同じ空間でも家具の置き方だけで違った空間になる。いつも家具や物の配置に気を配るのが良い。

    机やテーブルに物を乗せたままにしておかない。なにか乗っていたら、そこに乗っている理由があるかどうかを考えてみることだ。大概は自分がだらしないからだと分る。机、テーブルから物をどけるだけで空間の美的度はあがる。

    ゴミ箱を目につくところに置かない。置くばあいはいつも空にしておく。

    窓であれ、コップであれ、ガラスはきれいにしておく。ガラスの汚れは他の物のよごれの数倍の汚れ感をもたらす。汚れたコップに注がれたビールはまずくなる。汚れた窓を通すと景色は汚くなる。


    七年にわたって住んだノースヨークであるから懐かしいと感じたが、ふたたびここに住みたいとは思わなかった。



    低層住宅街の住人にくらべて高層ビル街の住人は無機質なひとが多いと感じる。七年のあいだに隣人と顔を合わせたことは只の一度もなかったと思う。七年のコンドくらしでおのまは無機質になった。ムキー。



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    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 4・コメコメ@感傷旅行 3・トロント

    本日はいただいたコメントへのコメントです。


    懐かしい写真を拝見しました、
    その飛行場(?古い)の近く、タワーとは指呼の間の湖畔の
    Queens Quay Westのアパートで、離着陸する小型飛行機と
    トロントアイランドを眺めながらの8年間でした、
    時には対岸の火力発電所の煙も、、、、
    おのまさんとご一緒させて頂いたデビルズペイントブラッシュ(?)の
    バンカーが忘れられません、寒いとき、ハーフで食べたスープも
    、、、、おのまさんがクラブハウスの女の子にもててました(羨)ーー、
    やっぱり感傷旅行ですかねーーー、、、光陰矢のごとしです。
    | | 2010/08/03 5:20 PM |




    Queens Quay
     も トロントアイランド も感傷旅行の対象外で、名前も忘れていました。

    上の写真の中央の水際がクイーンズキー・女王波止場とよばれる一角、上部にみえる緑がトロントアイランドです。





    水際の住宅の人気が高いのはバンクーバーも同じですが、トロントは山がない分ひときわ人気がたかく、オンタリオ湖の沿岸には高層ビルがこの十年で増えていました。



    カナダM銀行の初代社長はこの一角にあるハーバースクウェアという高層コンドの一室を社宅として買い、三代目のおのまも暫くのあいだそこに住みました。



    ハーバースクウェアは写真の左上のほうにあります。隣接するハーバーキャッスルホテルと同じく、水際開発のはしりの建物でした。

    ググってさがした写真:




    写真左がホテル、その右隣の向こうに隠れている建物がおのまが住んだコンド

    写真中央の白っぽいのがコンド





    ハーバーキャッスルホテルは当然のことながら湖の景色がいいので良くパーティーが開かれ、また要人がきたりしたので何度も行ったものですが、道路からホテルへの車のアクセスが簡単ではなく、おのまは嫌いでした。

    それにくらべると郊外にあるプリンスホテルはアクセスが簡単でお気に入りでした。今回もそこに泊まる積りだったのですが、知人がいまのプリンスホテルは所有者が替わって汚くなった、もっと良いホテルを教えると言うので行きませんでした。

    知人は「もっと良いホテル」を教えてくれるのを忘れたので、おのまはホリデイインエクスプレスという、ただ寝るだけのホテルに泊まりました。十年ぶりの感傷旅行なのだからプリンスホテルに泊まれば良かった。


    誤解があるといけないので書いておきますが、プリンスホテルでロマンスがあったとかいう話はありません。コンド社宅から移り住んだ社宅から近かったことと、桂という日本食レストランで知人たちとよく会食をしたホテルなのです。

    おのまが日本トロント商工会の金融理事なるものを勤めた時にカナダの中央銀行総裁を招いて懇談会を開いたのもこのホテルでした。オタワからやってきた総裁はおつきなし、空港からひとりでタクシーに乗ってやってきたのでみんな、日銀総裁とはちがうなあと感心したものです。日本の総裁族はもっと独り立ちしてちょんまげ。


    コンド社宅のあったハーバースクウェアの駐駐車場は二十階あたりにあって、道路に出るまでずいぶん時間がかかったものです。おのまはそういったことに時間をかけるのが嫌いです。ハーバースクウェアもハーバーキャッスルも設計ミスだと思います。

    コンド社宅のリビングルームからは湖とトロントアイランドがみえ、夏は花火大会も目の前でみることができ良いのですが、冬になると湖面が真っ白に凍って殺伐たる景色でした。初代社長のご子息は凍った湖を歩いてトロントアイランドにある学校に通ったそうです。

    リビングルームは五十畳ほどもあって顧客接待にはもってこいでしたが、ふたつある寝室はあまり広くありませんでした。一部屋に押し込まれた三人の子供もそうだったでしょうが、おのまは窮屈な思いをしたものです。

    もともとダブルベッドなるものが苦手なところにきて、初代社長も二代目社長も小柄だったせいか、ベッドはクイーンサイズでした。キングサイズでも隣に人がいると眠れない性質なので、おのまは床にスリーピングバッグを敷いて寝てたことを今になって思い出しました。

    くわしくは省きますが、畳に布団を敷いて寝る日本の習慣はすぐれていると思います。六畳くらいの部屋ならベッドは置かず、布団で寝ることをお薦めします。

    感傷が干渉になった・・・・

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    菅ショーリは癇性(かんしょう)だという・・・・

    先日いただいた 
    それにしても、政治家は押し並べて人相が悪いと思いませんか というコメントに同感である。最近の首相はみんな顔が悪い。

    石橋湛山、大平正芳といった人たちを昔は年寄りだと思って見ていたが、今みるとおしなべて爽やかな顔をしている。闇将軍と叩かれた田中角栄だってきれいだ。同じ田中でも●●子はちがう。最近の政治家を批判しているうちにおのまも悪相になったと思う。美容には日本の政治家を忘れることだ。
    続きを読む >>
    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(1) |
    感傷旅行 3・トロント
    飛行機にのってから四時間。



    房総半島と太平洋だと思われた方はいないですよね。

    バンクーバーから成田までは八、九時間かかります。

    バンクーバーから東に四時間で見えてくるのはトロントとオンタリオ湖です。

    日本の銀行員として四年、アメリカの会社員として五年、独立してから二年、計十一年。トロントはわが人生のなかでいちばん長い勤務地でした。

    その間、トロントからバンクーバーへひんぱんに出張しましたが、行きはよいよい帰りはこわい、大好きなバンクーバーを発ち四時間、オンタリオ湖がみえはじめるといつも気が沈んだものです。あああ、またトロントに戻ってきたか。

    冬の時期は特にその思いが強かったです。なにせモスクワより寒いのですから。

    今回、数年ぶりにバンクーバーからトロントへ飛び、眼下にオンタリオ湖が見えたときは、おお懐かしいなあと思いました。十日たてばまたバンクーバーか、もっと長くすれば良かったかなあとも思いました。人間の気分とはいい加減なものです。

    飛行機はトロントの繁華街の上空を旋回。



    上の写真の右に小型飛行機用の空港が写っていますが、乗っている飛行機はここから三十キロほど離れた国際空港に着陸します。



    オフィス街のすぐそばにあるこの空港を利用したのは十一年のあいだでニ回だけです。

    下がトロントの繁華街。おのまはこのあたりをうろちょろしていたのです。



    こうしてみるとトロントの繁華街は高層ビルが思ったほど多くありません。


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    オンタリオ湖Lake Ontario

    写真の右端がオンタリオ湖




    北アメリカ大陸にある五大湖のうち最小の湖。世界では14番目の面積をもつ、氷河によって削られてつくられたといわれている淡水湖。

    オンタリオ湖の名前は、イロコイの言葉で「美しい湖」または「輝く水」に由来する。カナダのオンタリオ州は、この湖の名にちなんで名付けられた。

    面積は19,009km²あり、四国4県を合わせた大きさとほぼ同じ。東西の長さは310km、南北の長さは85km。水深は最も深い場所で244mある。

    湖の北側はカナダのオンタリオ州に南側はアメリカ合衆国のニューヨーク州と接している。南西のカナダとアメリカの国境にはナイアガラの滝がある。また、同滝を挟んでエリー湖につながっている。北東からはセントローレンス川に湖水が流れ込み、大西洋へとつながっている。(ウィキペディア)

    色恋族・・・

    なんだか軟弱な響きですが、残酷なこともする部族だったそうです

    http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/1855/indianirokoi.html

    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 00:28 | comments(1) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 2 ・ノースダコタ
    旅行中は暴飲暴食気味の日がつづき、最後の晩は寝てからしばらくするとみぞおちのあたりがさしこんできてよく眠れませんでした。飛行機の中でもさしこみに襲われ、本日も空腹になると痛みがやってきます。ひょっとして胃がんのまえぶれ?

    おまけに四年前に治療した左上の臼歯の調子がここひとつきほどおかしく、旅行の終わりごろからその歯のまわりの肉が腫れてきました。

    そんなこともあり、ブログを書く気力が薄れています。力がもどるまで、感傷旅行というか暴飲暴食旅行というか、旅の写真でお茶を濁します。

    飛行機がノースダコタ州に来た時にみえてきた地上の景色です。



    たくさん湖沼があるなと思ってみていたのですが、やがてあれは湖沼なのかそれとも雲の蔭なのかと迷いました。

    拡大・・・



    両方でしょうか。

    しばらく進むと・・・




    拡大・・





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    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
    感傷旅行 1
    ただいまは当地時間七月三十一日夜十一時半。いましがた十日ほどの旅行から戻ってきたところです。感傷旅行というほどおおげさなことでもないのですが、しいて言えばそういうことです。

    本来なら昨日書いて消えた記事を再現したいのですが気力なし。旅行の初日に飛行機から撮ったバンクーバーの海の写真を載せて本日は失礼します。



    この写真をおもしろいと思われたかたはクリックおねがいします

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    上の写真を「音羽の二眼レフ」に投稿しました。サイズが大きいので見栄えします。

    http://jpdo.com/cgi26/123/joyful.cgi?list=pickup&num=4190#4194
    | おのまのプロフィール | 感傷旅行1 | 15:23 | comments(4) | trackbacks(0) |
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