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過去⇔現在を行ったり来たり・ときどき未来へも@バンクーバー 

資料・FBでみつけた軍曹の戦争話は詳細であり、聞き手の受け取り方は正直である

日本が敗戦した八月十五日

 

ソ連軍の参戦を知っていた満州在の帝国陸軍は自らの家族をいちはやく日本に帰し、みずからも密かにとんづら。情報を伏せられて置き去りにされた民間人は満州、朝鮮、中国で自力逃避行を強いられ、数多の犠牲者がでました

 

民間人であるオノマ一家五人も満州、朝鮮を転々とし、日本にもどったのは戦後一年ほど後のことです

 

逃避行が始まる前、我が家にソ連兵たちが入ってきた光景を覚えています。大きな兵隊たちの脚を蹴る幼児・オノマを兵隊たちは面白がったそうです

 

日本人は外出すると難にあうので家から出るのが難しくひっそり暮らしたそうです。さいわい父たちは近隣の中国人たちと仲良くしてたので彼らが買い物をしてくれ、その品物を塀越しに母へ渡していた光景を覚えています

 

夜間、徒歩での逃避行中に防空壕に転がり落ちて見上げると裸電球、引き揚げ船に乗り込むときや船内での混乱、大人たちのあさましさ・・などがオノマ@四歳の脳に刻み込まれ、そうした光景やその時に感じた気持ちは今でもよみがえってきます

 

ボートから母船に乗り込むのは幅ひろい網をよじ登っていったのですが、母船から水滴がポタポタ落ちてきて顔にあたり、見上げると暗い夜空があったこと、幼児・オノマを押しのけたおばさんがいたのでそのお尻をつねったこと、振り向いたおばさんのマヌケ面もよみがえってきます

 

オノマの戦争体験はこのくらいにして、ほんじつはFBでみつけた、生々しい記事を転載します

 

戦争に関する文献をいろいろ読んできましたが、無名の人が書いたこの記事は出色、貴重な記録だと思います

 

安倍晋三さんとか石破茂さんとかいう連中はこういった生々しい光景を疑似体験できる能力が欠落していると思います。観念的な戦争観でもって勇ましいことをしゃべくりまくっている、いざ戦争が始まったら自らの保身を最優先させる、知的生命体としてはできそこないのサル・ニンゲンであるとモノリスは判定し、抹消することでしょう。

 

書かれた方に、転載して良いかをメールで照会したのですが、届かなかったのかお返事がありません。ダメの返事が来たら直ちに消します

 

<歴史の授業> 僕の先生は軍曹だつた。

広島県の山懐にある小さな町での思い出である。私が中学生の時の話だったから、何十年も前のことになる。その頃、私の在籍した中学校には屋内体育館がなかったので、雨天の体操の時間には通常の教室での自由時間に振替えられた。振り替えの授業は楽しかった。なにを勉強してもいい自由時間だったからだ。体操の担任教師の名前は「グンソー」といった。

 

それは彼が兵隊にいたとき、「軍曹」の階級にあったからだ。彼の本名を呼ぶ者は誰もいなかった。彼は体操の振り替え時間には決まって、戦争の体験談を生徒たちに話して聞かせた。だからいつの間にか、彼は「グンソー」という呼び名になってしまったのだが、彼は戦争での経験をまるで手柄話のように語った。

 

グンソーの話から、戦争の真実を生徒たちに伝えたい思いもあるようには見えたが、それよりも、好奇心が強く血気盛んな中学校2年生ぐらいの男子生徒たちに、自分が戦争の中でいかに勇ましかったかをおもしろく話したかったように思えた。今になってみると彼は戦争の話をしながらも、いろいろのことを生徒たちに伝えたかったのかも知れない。しかし彼が亡くなってしまった今となってはよくわからない。彼が話したのは、平和を作る話よりも戦争をする話の方がはるかに多かった。戦争そのものについてであった。グンソーは肌黒く、みるからに目玉も大きくいかつい顔をしていたので、生徒たちは、彼がいったいどのように勇ましい戦争をやってきたか、興味はつきなかった。僕たち中学生は夢中になって耳を傾けた。・・・・・

 

ー今日は雨降りだ。生徒たちは、グンソーが教室に入ってくると、まるで教室が割れんばかりの大きな声で、「グンソー、グンソー・・・・話をしてー、話をしてー」と、話をねだった。すると彼は、嬉しそうに見えながらもなにか躊躇しているようにも見えた。彼の態度から、「これは自分自身から好き好んで戦争の話をしたのではない、生徒たちに求められたから、わしは戦争の話をしたのだ」と言いたかったのかもしれない。グンソーはいつも戦争での体験談を身振り手振りで語った。

 

「わしが初年兵の時じゃった。わしが初めて人を殺したときのことじゃ。中国人の捕虜を処刑せよと命ぜられてのう。困ったようのう。そこでわしは捕虜を広いコーリャン畑に連れていって、日本刀で首を切ろうとしたんじゃ。じゃが日本刀は首に当たらず、肩に当たったので、捕虜は大声をあげて喚きながら逃げていった。人を殺すというのはすごいことじゃ。わしが捕虜を逃がしたということになると大変じゃけえのう。わしは必死でコーリャン畑の中を捕虜を追いかけていってのう・・・・捕虜は肩から血を流しながら、広いコーリャン畑の中を逃げ回ってのう・・そして最後にはわしが捕まえてコーリャン畑で中で射殺したんじゃが、わしが初年兵の時じゃった。」

 

ー敵兵の処刑について、グンソーは事細かに語った。おそらく彼は相当数の処刑を担当させられたのだろう。彼はそのときの様子を、黒板に簡単な線で絵を描きながら語った。

 

 「軍人が処刑を行うときにはのう、囚人にまず目前に穴を掘らせ、その前に囚人を座らせるのじゃ。穴は全部自分で掘らせるんじゃ。処刑は日本刀で首を切り落とすのじゃが、首の皮一枚を残して切り落とすのが上手いやりかたじゃと言われておった。もう殺されるとわかってくると囚人も観念したように見えて、彼らがいったん「メーファーズ(没法師)とつぶやいたら、完全に死を覚悟したように見えたんじゃ。」刀を思い切り振り下ろすと、切断された首からは血がビューとものすごい勢いで噴出したんじゃよ。そしてその体を穴の中に蹴落とすんじゃ」

 

とそのときのその生々しい話をグンソーは刀で切り落とす格好をしながら事細かに語った。なんともショックな話だった。時には捕虜を10人ぐらい並ばせて、片方から鉄砲を撃って銃殺したことも話をした。5〜6人まで弾が届いたというが、なんでもないように軍曹は語った。

 

ー「市外戦のときじゃった、ときどき街角の路上で、敵兵とバッタリと鉢合わせすることがあった。そのときはお互いびっくりするもんじゃ。恐ろしいもんでぇ。すぐにどちらもピストルをを撃ち合ったときのことじゃっ。戦いは誰でも恐いが、お互いに向き合った時には、逃げ出さずに最初に少しでも早く勇気をもった方が戦いには勝つんじゃのう。わしは、そのときに逃げずにすぐに後ろから撃ったんじゃ。ピストルを撃つときは、こうやってピストルを頭の上からゆっくり下ろすようにして照準を合わすんじゃ」グンソーはピストルの撃ち方をゼスチャーでして見せながら語った。

 

ー「あるときわしは敵の視察を命じられてのう。斥候というんじゃが、その途中にわしが森の中で野糞をやっていたらのう、ふと背後の茂みがごそごそするので、なんじゃ、ろうかと思って股下から覗いてみると、なんとのう、2人の「中国兵」がわしの尻に鉄砲を突きつけているのを目にしたんじゃ。」グンソーは苦笑いをしながらも恐怖に満ちた目つきをした。

 

「あああ・・殺される!」とわしが思った瞬間、わしの頭髪はすべて逆立ったんじゃよ。ほんまじゃ。ほんまじゃ。髪の毛が逆立つとはほんまの話じゃ。髪の毛が立つんでぇ。恐ろしいよのう!とグンソーは何ども何度も繰り返して言った。「わしゃ殺される!」と思ったんで、大便をしたままの姿勢で「ウオーーーーー」というような大声をはりあげていきなり立ち上がったんじゃ。すると、その声に驚いた敵兵は、あわてて逃げて言ったよ。ああ、間一髪のところでわしは助かったんじゃ。怖かった。髪の毛が逆立つとはほんまの話じゃ。」 

 

ー「南京の市街に入って行った時のことじゃ。ある民家で、きれいな中国女性を屋内で見つけたんじゃ。・・・・・女は日本への留学経験もあり、言葉も話せる知的で美しい女性じゃった。」グンソーはその女性が知的できれいだったことをしきりに強調した。おそらく会話もしたのであろう。そして言った。「じゃがその女性が他の日本兵に見つかるとのう、強姦されて酷いことをされてしまうというので可哀想じゃったが殺してしまったんじゃ、可哀想じゃった。」とグンソーが悔いているように語った。

 

 中学生とは言え、まだ幼かった僕たちには、強姦というのは何を意味してのか、よくわからなかった。しかし、大人の世界には、子どもにはわからないような世界がたくさんあるようにも感じられた。僕にはある疑問が湧いてきた。なぜグンソーがその女性を殺してしまったのか、その理由がどうしてもわからない。よく考えてみるにグンソー自身が彼女を強姦したのではなかったのか、それを隠すために殺したのではなかったのか。他の兵隊から守るために女を殺してしまったとグンソーは言ったが、あれは嘘に違いない。グンソーが女性を強姦して殺したんだ。それを僕たちに伝えることができないために・・でもそのことは話しにしたいために語ったに違いない。その証拠にグンソーは、「戦争ではなんでもできる。戦争ほどおもしろいものはない」と言ったではないか?でもそんな恐ろしい酷い体験を平気で子どもたちに話せるだろうか?やはり彼は女を強姦していないのではないか・・・・いろいろ考えたが今となっては事実はわからない。

 

戦争中、グンソー自身が中国女性を強姦したという話は、何もしなかったが、彼の話しぶりからは、戦争中にはグンソーを含めて日本の軍人たちはどのような酷いことでも平気でやっていたということがよく伝わってきた。事実はどうであれ、真実を話せない体験が山ほどあるに違いない。

 

雨の日には、グンソーは決まって、戦争の話をした。そして時々思い出したかのように、「戦争は酷(むごい)いもんじゃ」といったが、そのあとには必ず「戦争ほどおもしろいものはない。戦争ではなんでもできるけえのう!」と断言した。・・・・・・そうか、これが日本軍が行っていた戦争の実態だったのだ。

 

しかしこれは中学校での授業の中での話しだから、義理的に「酷い(むごい)とつけ加えたのだろうが、実際には職業軍人にとっては酷くもなんでもなく、戦争は彼らにとっては無限におもしろかったのではないかとも感じた。その当時、日本軍の食料は、すべて現地調達であったという。つまり中国の人々の食べ物を略奪せよと命ぜられていたのだ。わずかの食料で生きている人々なのに、そうした人々の食料をとりに行ったとき、どんなに残虐な行為が待ち受けていたことか。抵抗した人々はほとんどが殺されたに違いない。

 

しかし話の中に、中国大陸や朝鮮半島などで、日本軍が残虐な戦争を続けておびただしい人々を殺したことへの反省などは、微塵もなかった。今から考えてみると、普通の公立学校だったら、このような話も聞けなかったかも知れない。その学校には私立中学校で、定年退職した教師や満州帰りの教師などさまざまな職歴や人生体験を持った教師がいたからだろうと思う。

 

 あるとき、その日は雨の日ではなかったが、突然グンソーが血相を変えて教室に飛び込んできた。そして教壇に上がって大声で言った。

 

「だれだ!だれかが今、人殺し!と叫んだ。出て来い!」と叫んだ。渡り廊下を歩いていたグンソーをだれかが「グンソー人殺し・・・・」と呼んだらしい。彼はそれを聞いて逆上したのだ。「だれが言った?おい!出て来い!おまえらは卑怯じゃ」グンソーは教壇で大声を張り上げた。クラスの全員をまるで犯人のように睨み付けながら執拗に犯人探しを続けた。誰がその言葉を言い放ったのか僕たちは知っていたが、グンソーには何も答えなかった。

 

そういうことがあってからグンソーは、戦争については再び語ることはしなくなった。生徒たちもグンソーの話をもう聞きたくはなかった。人殺しの話はもう十分だったのである。私もグンソーの話を聞くのは好きだったが、彼の性格や生き方は嫌いであった。グンソーを人殺しだと感じていたからだ。しかし考えてみるに、その当時の日本軍人は、父も含めてすべてが「人殺し」を演じていたのだ。軍人とは、いかなることであれ命令を受ければ、情け容赦なく人を殺していた存在だからだ。女でも子どもでも。日本軍人たちは、どれだけたくさんの人々を殺してきたことか!それは朝鮮半島や中国大陸だけではなく、太平洋地域や東南アジア全地域でも同じことだ。すべてが日本の領土を拡張するためで人々の資産を奪おうというものだった。グンソーは自らの体験を語ってくれたが、ほかの人たちは黙して語ろうとはしない。誰も口を開こうとはしない。伝えていこうともしない。

 

日本と中国の戦争では、中国大陸だけで1000万人から3000万人の人々が殺されたといわれている。日本側の公式な計算でも1000万人以上は殺されているというのだから、いったい大陸で何があったか推して知るべしなのである。南京で虐殺された人々は30万人ではなくて、実はもっと少なかったかもしれない。しかし仮に10万人であったとしてもそれは異民族支配の中では恐ろしい数字として歴史に残っているのは事実なのだ。

 

この数字の検証は、中国と日本の双方でやっていくべきものであるが、しかし現在では30万人の虐殺は全く存在しなかったという論争にとどまらず、そうした虐殺自身が存在しなかったという動きが日本にはあるが、こうしたことを主張する彼らは戦争の実相を決して見ようとはしていていない。彼らは日本が起こした戦争を悪いとは思っていない存在だからだ。だからどんなに人々が殺されても、その数字を認めることは決してしない。彼らはどんな事実を突きつけられても平気で否定する人々なのである。恐ろしいことだ。

 

人間は完全には出来ていない。歴史の中で絶えず間違いを犯している存在だ。しかし侵略した事実をきちんと認めて、政府として謝罪することで日本人として歴史の中でより真摯な生き方ができるし、信頼し合うこれからの共同体を作り上げていくにつながる。1991年、私はユネスコの仕事で北京に仕事で行ったとき、たまたま戦争博物館を見学したことがある。その博物館は、展示品と言ってもほとんどが写真と新聞記事だけで構成されているものであったが、そこに展示してあった当時の日本の新聞記事に大きな衝撃を受けた。これは当時の毎日新聞の前身である東京日日新聞の実際の記事であったが、大見出しには実名で「南京攻略時に「百人斬り競争」を行った日本軍の将校の二人の発言が報道されていた。

 

この競争の模様は、1937年11月30日付けの東京日日新聞(現在の毎日新聞)によって報道された。その報道によると、日本軍が南京へと進撃中の無錫から南京に到る間に、日本軍の向井敏明少尉(歩兵第9連隊-第3大隊-歩兵砲小隊長)と野田毅少尉(歩兵第9連隊-第3大隊副官)のどちらが早く100人を斬るか,の競争を行っていると報じた。東京日日新聞記事では、無錫−常州間で向井少尉は56人、野田少尉は25人の中国兵を斬ったと報じている。また、1937年12月13日付けの記事では、12月10日に記者と会った時のインタビューとして、すでに向井少尉は106人、野田少尉は105人の中国兵を殺害しており100人斬り競争の勝敗が決定できず、改めて150人を目標とする殺害競争を始めると報じている。

 

これは戦時中のことだから、新聞もかなり誇張して書いたかも知れず、(近年は虚報だと言う意見もあるらしく)事実であるかどうかはわからない。しかし当時の日本の新聞がこうした記事を掲載していたことを考えると、これに近い虐殺は当時、面白半分に、手柄半分に日本軍人によって行われていたことは容易に想像できる。

 

敗戦から70年が過ぎた今、戦争はまるで天災や自然災害と同じだったような感じで報道がなされている。敗戦国としてアメリカに踏まれた者の痛さとしての悲惨な「東京大空襲」や「広島の原爆投下」や「沖縄戦」のことは、TVでよく上映されている。しかしその内容はと言えば、ほとんどが反戦映画とは言っても「東京大空襲」や「広島の原爆体験記」など被害を受けた一般市民の視点だけであり、グンソーのように中国大陸や朝鮮半島で実際に「人を踏んだ者」や「人々を殺しまくった軍人」の体験談をする番組はほとんどない。

 

マスコミもあえてこの問題に触れようとしない。殺(や)られたということだけであって、殺(や)ったということは決してしない。要はうしろめたい体験はすべて隠そうとしているのだ。そして否定しようとするのだ。従軍慰安婦について、河野官房長官の談話の中での唯一の謝罪があるが、こうした談話すら否定しようとする動きが現在政府の中にある。これは本当に恥知らずで無責任な性格をよく表している。「文書がない」という理由で水に流そうとしているのだ。

 

考えてもみよう。中国や韓国の人々が、日本の戦争責任を口にするときには、彼らは戦争中、言葉で表現できないような、悲痛な体験をしてきているのだ。そして語り継いできているのだ。もしもあなたの家族が百人斬りの中の犠牲者になっていたら、もしもあなたの家族が強制連行で従軍慰安婦として働かされてていたら、もしもあなたの美田が強制徴収にあっていたら・・・・その恨みや辛さを永遠に語り継いでいくのは当然のこと。恨みや辛みは永遠なのだ。もし日本人が中国や韓国の人々から非情な仕打ちを受けていたら、それを後世忘れないのは当然だろう。

 

アメリカとの戦争では、沖縄を除いて、顔の見えない戦争(東京大空襲、原爆投下にしても人々の接した戦争は地上戦ではなかった)であったが、大陸では顔の見えるなまなましい戦争であった。しかし実態として、現代の日本人のどれだけの人々が戦争で行った「心の痛み」を深く感じながら、自らの国が、自らの肉親たちが行った残虐な行為を「慙愧の念」をもって振り返っているであろうか?そして語り継いでいこうとしているであろうか?「人の心の中に平和の砦(とりで)を!」という言葉があるが、平和を口にする前にまず戦争についての実態や事実を”きちんと時次世代に語っておく必要がある。そうでないと戦争は我らの世界から消えることはない。そして前世代のやった残虐な行為を背負って、次世代が育っていくのだから。

 

「なぜ日本軍は大陸に侵略していたのか?なぜ朝鮮半島を植民地にしていたのか?なぜ日本は満州国をつくっていたのか?なぜ多くの人々を殺しまくっていたのか?なぜ軍隊はいつも女性を強姦するのか?なぜ人間は物欲が余りにも深く他の存在を支配しようとするのか?

 

しかしこうした体験や考えは今や風前の灯になって消え去ろうとしている。みんな黙して語らないからだ。過去の体験をひたすらに水に流そうとしているのだ。沈黙のまま墓場まで持って行こうとしている。

 

ああ、歴史は必ず繰り返す。日本人は、被害者であった以上に加害者であったことを引き継いで伝えていかなければならない。人に踏まれたことより人を踏んだことを・・そう、戦争中、最も悲痛であったのは、被害者であったからだ。政治家がやったことを決して忘れてはいけない。そしてそれに追随して破局に陥ったことを・・・今日本では、今間違った歴史観が育っている。人を踏みつけてもなんとも思わないような歴史や、あったことでも存在していなかったように真実を覆い隠そうとする歴史観が広がっていっている。

 

そうした中からは、決して正しい意味での”日本人の誇り”とか”日本人の愛国心”が育っていく訳がない。愛国心とは、国境を越えて世界中の人々を愛することができることをいうのだ。決して狭い人間観ではない。狭い国家観がどれだけ人間を閉鎖的で残忍な存在にしてきたか、近代の歴史を見れば一目瞭然であろう。愛国心は悪漢の最後の隠れがだという有名な言葉もあるぐらいだ。そして三流学者が自虐史観という名称をつけては、自らの行ってきた罪業を闇に葬ろうとしているのが現在の日本の歴史教育の流れとなろうとしている。そして再び、軍産学が手に手を取り合って、コンピュータを搭載した兵器産業を日本の主翼な産業に成長させようとしている。そして安倍内閣は、戦争法を強行し、平和憲法9条を改悪しようとしている。

 

グンソー先生!あなたは生徒たちにいろいろ言われながらも、そのようななまなましい体験を語ってくれて、ありがとう!あなたたちが中国や韓国でやってきたこと・・人々を踏みつけてきたこと。それは決して忘れませんから。そして同時に子どもたちは、いつの時代にも、大人の本当の気持ちや真実を知りたいと思っていることを。グンソー、グンソーと言われながら、反面教師かなにかわからないけれど、中学生に自らの赤裸々な戦争体験を一生懸命に語ってくれていた先生!あなたが話してくれたからこそ、今、こうやってブログを通して多くの人々に伝わっていっているんです。ありがとうございます!! 

 

田島伸二

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「2001年宇宙の旅」考

昨日のブログにいただいたコメントへのコメントにすこし筆を加えてほんじつのブログとします

 

1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」

 

日本では筒井康隆や星新一らをはじめとし、退屈だとか愚作だとか言ってくさす人が結構いました。小松左京は対抗作とおぼしき映画「さよならジュピター」を1984年に公開しました

 

でも

 

アーサークラーク&スタンリーキューブリックの「2001年宇宙の旅」は彼らの作品をはるかに超える傑作だとオノマは思います

 

以下を読めばああ、そういう話だったのかとあの世で星さんもガッテンガッテンでしょう(笑)

 

「2001年宇宙の旅」は謎の物体「モノリス」を中心に知的生命体としては欠陥が多いサル・ニンゲンを絡ませるシリーズ(1968〜1997)の第一作です

 

モノリスは何百万個もあって宇宙を探索し、知的生命体を研究している機械です。太陽系にも千個はあり、サル・ニンゲンは三個に出会います

 

モノリスが三百万年前に訪れた地球では知的生命体の可能性があるらしきサル・ニンゲンが肉食動物の餌食として存在していました
 

サル・ニンゲンはモノリスによって劇的な知的変化をとげていきます

 

サル・ニンゲンは1999年に月でモノリスを発見します


2001年

 

モノリスの正体を求める旅であることを知らされないで木星探査に送られた五人の乗組員。四人は人工知能ハルに殺され、ハルの機能を停止させたボーマンだけが生き延びます

 

ボーマンは巨大なモノリスTMA-2 と遭遇し、スターゲートを通って遠い世界に運ばれ、不死身の「スターチャイルド・星子」に改造された場面で「2001年宇宙の旅」は終わります

 

星子はシリーズ続編で地球にもどってきます

 

ちなみにボーっと生きてんじゃねえよのチコちゃんは五歳の設定ですがハルは九歳だそうです

 

HAL の綴りを一文字ずつずらすと当時代表的だったコンピューターのIBMになります

 

原題はSpace Odyssey

 

古代ギリシャの英雄オデュッセウスが十年にわたり漂浪するという話を下敷きにした題です

 

サル・ニンゲンではなくモノリスの漂浪物語であると考えるのが良い、とオノマは思っています

 

「スターウォーズ」「スタートレック」などのカウボーイSFや人間至上SFの単純な展開に比べるとオディッセイシリーズはサル・ニンゲンを超える知的存在を基底にした、哲学的な傑作だとオノマは思います。なかでも「2001年・・」は美しい映像と効果的なクラシック音楽とがあいまって衝撃的でした

巨大モノリス・TMA2は2001年現在のサル・ニンゲンは混乱しており、好戦的であるがゆえに存在する価値なしと判断しました

 

2018年現在、事態はさらに悪化。安倍さんや石破さんの日本は即逝ってよし。ヒト型モノリス・オノマはそう判断しています

 

2020年8月、東京五輪はいまより暑い気温50度。サマータイムで二時間早めるなんてサル知恵以前のサメ知恵ですな(笑)

 

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ボーっと生きてんじゃないのか人類

パーカー探査機の打ち上げをみながら宇宙探査の歩みは遅々としていると思っていた

 

いまだに巨大エンジンを使う、力づくでの地球脱出を繰り返している。かつて空想科学物語にあった反重力装置など夢のまた夢、というか誰も研究してないんだろうな

 

小学生・オノマ、手塚治虫の漫画でみたのだろうか、紡錘形の小型ロケットに乗って宇宙を飛んでる夢想にふけった

 

人類初の人工衛星が飛んだのはオノマが中学生のとき。福島県郡山市、阿部達也さんという中央大学をでた人が一軒家の片隅に建てた粗末な英語塾に通っていたのだが、生徒の入れ替えを待ってる時間に夜空をみあげて、あのどこかにスプートニクが飛んでいるのだと感慨にふけったことを思いだす

 

アーサークラークが「2001年宇宙の旅」を書いた1968年はオノマがサラリーマン二年目のとき

 

2001年には巨大な宇宙ステーションができていて、科学者が地球と月とのあいだを自由に行き来しているという設定は妥当だと思った。1969年には人間が月に降り立ったのだから

 

人類が宇宙へ跳梁するのはすぐだと思っていた

 

あれから半世紀、ずいぶんもたついていると思う。いまだに地球と狭苦しい宇宙ステーションとのあいだの行き来が精いっぱいである

 

ボーっと生きてんじゃないのか人類。憲法に自衛隊を明記するぞ、キーッと叫ぶ猿(ape=abe)が棲んでる惑星

 

アーサークラークが描いた広々とした宇宙ステーションは中国とかインドとかがつくることになるのだろうか

 

http://youtu.be/4ll_6RimCuM

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太陽探査機航行軌道

この下に書いたブログの続きです

 

パーカー探査機の軌道・アニメ

 

水星、金星、地球の引力と駆け引きしながら航行するので軌道操作は複雑らしい

 

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Animation_of_Parker_Solar_Probe_trajectory.gif#/media/File:Animation_of_Parker_Solar_Probe_trajectory.gif

 

日本メディアの報道少ない。ようやくみつけた記事

 

http://www.jiji.com/jc/article?k=2018081200224&g=int

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太陽探査機打ち上げ実況動画へのコメント&追記

計画発表から十年、打ち上げ目標から三年、最終打ち上げ予定から一日

 

当地時間2018年8月12日0:30 パーカー太陽探査機が打ち上げられた

 

実況動画配信の一時間前から書き始めたFBコメントをコピペ 

 

( )内は今から追記するもの

 

 

一時間前。すでに眠たい。見逃すか・・・ (パソコンをベッドの左に置いてうつらうつらしながら待った)

 

配信始まった (動画配信が始まってからもうつらうつらしていた)

 

         はっしゃ    (あやうく見逃すところだった)

 

五分経過 順調飛行中 (轟音、炎がだんだん小さくなっていった)

 

         実物の映像は消え、イラストに変わった 順調 (アニメ)

 

十四分 すごい速度 ぐんぐんアフリカ大陸にちかづいている (アニメ)

 

パーカーさん、91歳 登場 (宇宙物理学者ユージン・ニューマン・パーカー

 

打ち上げから25分。アフリカ大陸上空

 

地球太陽の距離=サッカーフィールド ゴール前四メートルまでちかづく

 

七年かけてちかづく 複雑な航行軌跡 (最接近は七年後。今年の十一月にはかなり接近する)

 

グッドラック

 

35分 飛行角度かわり地球から離れていく

 

カバー外した 探査機本体が現れた (アニメではそうなったのだが実際には外れてなかったらしい)

 

現況不詳

 

41分 予定と乖離・・・

 

探査機本体分離 あと1分・・・ (管制室のスタッフたち二三十人、落ち着いていた)

 

うまくいったみたい

 

分離確認

 

七年後の調査結果・・・・オノマはみることできない???(七年後はね。十一月にはかなり接近する

 

いってらっしゃい 

· 

1:37 配信終了

 

 

 

太陽に近づいたり遠のいたりしながら七年後に最接近する

 

今年の十一月にはかなり接近する

 

最接近したとき探査機の速度は秒速二百キロになり、これは人工物で最速の由

 

 

別途アニメを載せる。ここに貼ると画面がゆがむ

 

ちなみに探査機には百十万人の名前が書かれているメモリーチップが入っている

 

おのま、お気にいりのブログ管理人様の名前も書かれている由

 

http://plaza.rakuten.co.jp/plexus/

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太陽探査機打ち上げまで23分 @日本時間8月11日 16:30

打ち上げライブ配信サイト http://www.nasa.gov/nasalive

 

8月11日 7:02 追記

 

カウントダウン、二分を切ったところで打ち上げは延期になった

 

あらたな打ち上げは現地時間8月12日3:31 当地0:31 日本16:31。配信開始は30分前から

 

登場した科学者たちの話は明解で気持ちが良かった。事実を簡明に話すからだ

 

妙な形容詞や副詞を多用するが、何を言っているのか分けわからない安倍さんの話法とは対極。安倍さんの本質は詐欺師と変わらない

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うんざりするほどの大根役者が長々と演じている「楽劇・日本の運命」やいかん

自民党総裁選挙に関する予定調和的報道が、大日本帝国大本営報道部的NHKをはじめとする大手メディアが流しているが・・

 

命短し、あの世は近し、オノマは関係ありません

 

見てて目をそむけたくなる、というか実際にそむけているのだが、大根役者・安倍晋三さんよ、早く退場してくれないかと願いつつ、じゃあ石破茂さんが良いかと問われれば、冗談かんべんよしこちゃん、顔をみるだけで暑苦しい、寝苦しい、息苦しい。きゃつらのことを見るな、言うな、聞くな

 

ではあるのだが・・

 

お気に入りブログのひとつが「なんて、つまらないレベルの低い政局なんだろうか」と嘆いているのをみて、野次馬之助おのま、励ましのコメントを送ったので以下に転載:

 

かつて大方の予想を覆して、福田 赳夫が大平正芳に、橋本龍太郎が小泉純一郎に、ヒラリークリントンがバラックオバマに、はたまたドナルドトランプに負けた例これあり、安倍晋三が石破茂に負ける可能性はあると思います

しかし

安倍戦争準備内閣、石破戦争実行内閣の流れになっていくのではなかろうかと何年も前から危惧しています

ときどき蔵書をバックにした石破の映像が流れますが、詩集の一冊、芸術本の一冊でもあればまだしも、国のリーダーにしたくない偏った毒書家であることが分かります

楽劇・日本の運命。ながきにわたって続いている衰弱場面が石破登場で盛り上がり、しかし突如として新しい場面に変わる・・ということを期待しています

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お金の若者ばなれ・追記

昨日のブログを書いたあと、知人のFBで以下のコメントがあった:

 

知人:当時から借金背負ってまで大学に行っていた層は多かったですか?私の周りの学生達は学生ローンを背負って、授業もそこそこにバイトが本業みたいな大学生が多いです。

 

オノマ:当時は学生ローンというものはなく、負っているのは奨学金返済だけだったと思います。いまは予備校を含めて教育が産業化、すなわち金儲け業となり、加計学園のように助成金をせしめるのが目的といった悪辣な構造も盛んになっていると感じます。小泉政権のころから始まった格差拡大が加速しており、平均的な家庭は教育費に汲々としているというのが、自分の子供たちを見ての印象です

 

昨日のブログで学生・オノマの収入は親、奨学金、バイトが三分の一ずつと書いたが、厳密には正確ではないかもしれない。親とバイトが四割ずつ、奨学金が二割だったかもしれない。奨学金手帳がどこかにあるはずなので見つかったら確認したい

 

ブログの通り、奨学金が月に五千円だったとすると、年間で六万円、四年で二十四万円

 

オノマの初任給が二万五千円だったか二万七千円。年間で三十万円。ボーナスをいれると更に多い。すなわち、四年間の奨学金合計は初年度の給料以下であったのは間違いない

 

現在の奨学金がいくらかをググってみたところ月額五万円前後の由。 学生・オノマ時代の十倍である。四年で二百四十万円

 

銀行員の初任給はとみると二十万円の由。 当時の七、八倍・・・と伸びが鈍い

 

なるほど、奨学金返済に限ってみれば、今のほうがしんどいね

 

オノマが借りていた奨学金が五千円ではなく、三千円だったら更に今の若者のしんどさは増すことになる

 

真剣に奨学金手帳をさがしてみよう

 

 

| おのまのプロフィール | - | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
お金の若者ばなれ

 

若者の車離れ、旅行離れ などと言われるが、実際は「お金の若者離れ」が正しいのだという記事を知人がFBで紹介したうえで「いま、学生たちと携わる機会が増え、彼らの生活を知ると、生活費と学費、奨学金のためにバイトできゅうきゅうとしている。これじゃぁ、旅に使うお金も時間もないはずだ、と気づいた」と書いていたので、やじうまのすけ・ひまじん・おのまはついついコメントを書き込んだ

 

今の時代が特に悪いというだけでもなかろうという気分をこめてコメントを書いたあと、そういうこともあったよなあと懐かしい気分が生じたので、コメントに手を加えてほんじつのブログとする

 

1960年代後半に大学生活を送ったオノマ

 

学友には裕福な家庭の子息もたくさんいた。なんちゃら電気の常務、かんちゃら火災の社長、うんちゃら老舗のオーナーの子息たち、親はもっていても自分専用の車を持っているのはゼロであった

 

彼らの中には夏休みになると外国旅行者ガイドに励むのもいた。実入りは駆けだしサラリーマンより良かった。そうやって稼いだ金を旅行に使っていたかもしれない

 

オノマもガイド業をやり、日光や箱根に行った。歌舞伎をみた。芸者屋で踊りを見た。日光に行ったのはそれが最初で最後なり。結構、結構。芸者の踊りを見たのもそれっきりだ。残念残念

 

大蔵省につとめた学友が、世間では騒いでいるがノーパンしゃぶしゃぶなど接待のうちに入らない、接待の名に値するのは向島の芸者遊びだと嘘ぶいたのをときどき思い出す。けしくりからぬ

 

脱線した

 

裕福でない家庭の子息、おのま。月々の収入は親、奨学金、バイトがそれぞれ五千円ずつ、計一万五千円だったと思う

 

三鷹にある学生寮と駒場東大前にある大学との間を、寮のバスと井の頭線を乗り継いで通う日々。週にふつかは家庭教師で目白に、日曜は英語の勉強を兼ねて東中野にある教会に行った

 

ガイドや大学図書館の本棚整理、はたまた翻訳で臨時収入があったが、フロムハンドツーマウス、きままに旅行などは夢のまた夢。クラブの関西遠征旅行には行けなかった

 

三鷹寮では朝と夜に食事がでて、日曜は昼食もでた。食べないときはあらかじめキャンセルしておけばその分寮費が安くなった

 

ある日曜日のこと、いつものように教会に行こうと思ったらバス、電車に乗る金がなかった。寮食はキャンセルしている。寮のちかくにはラーメン屋があったが、バス代がないくらいだから無用。ひもじい一日だった

 

冬になると寒かった。ズボンの下は即パンツ。体を鍛えるためと粋がったが、ももひきの類を買うのが惜しかっただけ

 

飢えと寒さに震える小野君、と茂田宏君にからかわれたときの光景がまざまざとよみがえってきた。ニャロメ

 

あれから半世紀。豪邸ではないが全館暖房、暖炉付きの家に住み、ふたつの冷蔵庫にはいつも食べ物が入っており、スキー用のももひきを二枚もっているオノマ。車だってこれまで十五台買ってきた

 

よくある話だが・・・

 

福岡に住む大学生くん、オノマがもっているもの全部と君が持っているもの全部を交換してみるかい? 七十六歳と二十歳という年齢も含めて・・・

| おのまのプロフィール | - | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
逆光に輝く植生

メンバーになって三十年以上になるゴルフクラブは我が家から二十キロほど離れている。かつてはよく通ったものだが、この数年は街中を通り抜けるのに時間がかかるようになり滅多に行かなくなった。夕方だと一時間ちかくかかる

 

この日は当地に二か月滞在した知人が日本に帰るというので歓送会を開いた。日本から焼酎を持ってきてくれたお礼をかねている。また、この冬から三回お灸をしてくれた知人にも参加してもらった。お灸のお礼にごちそうするという約束をようやく果たせた

 

食事が終わるころ夕日・逆光で植生が輝き始めた

 

こんな光景をみるのは初めてだ、なんだか現実ばなれしているねえと思った

 

天からの贈り物、命短し、オノマにおまけ・・・というようなものであろうかとも考えた

 

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